「おはよう、ヘリオン」
「あ、おはようございます、トモキさま」

 朝。友希が珍しく早起きしてキッチンにやって来ると、既に起きていたヘリオンがセロリ(に似た野菜)と包丁を手に振り向いた。

「悪い、ちょっと遅れたか。すぐ手伝うよ」
「あ、いえ、そんな……お気になさらず。トモキ様が食事の準備なんてなさる必要はないんですから」
「いや、逆に全部やってもらうほうが心苦しくて嫌だからさ。大丈夫、これでもサルドバルトでも少しは手伝ってたんだぜ?」

 はあ、とヘリオンは曖昧に頷いて、場所を空ける。やれやれ、と思いながら友希はその隣に立った。

 今日は、友希とヘリオンが食事当番だった。第一宿舎の家事はオルファリルや最近は佳織も手伝っているが、基本的にエスペリアがほぼ全てを回している。しかし、人数があちらの倍以上おり、相応に建物も広いこの第二宿舎は特定の誰かに任せるとその人の負担が大きくなりすぎる。
 必然的に、家事は出来る人間の持ち回りによって賄われていた。
 友希は当初、エトランジェということでその辺りの家事当番は免除されていたのだが、一人だけなにもせずにいることに居心地の悪さを感じ、自ら申し出たのだった。

「今日の献立はどうするんだ?」
「あ、昨日のパンとスープが余っていますから、それを温めなおして……後はサラダでも作ろうかと」
「うーん、ちょっとボリュームが足りなくないか? なんなら、スープにじゃがいも足すとか」
「じゃが……?」
「ああ、ごめん。これだよ、これ」

 つい日本にいた頃の癖でじゃがいもと呼んでしまったが、友希はキッチンの隅の網かごに入れてある拳大の根野菜を指差す。
 見た目も味もじゃがいもそっくりなこの野菜は、枯れた土地でもよく育つとあって、このファンタズマゴリア全体でよく食べられていた。この辺、ますます地球のじゃがいもとそっくりで、更には人参、玉葱、ピーマンと定番の野菜も多少の差異がありながらも存在し、地球とファンタズマゴリアの植生が良く似ていることを指し示していた。

「ああ、はい。いいと思います。じゃあ、ちょっと水足して、味を整えましょうか」
「それじゃ、そっちはヘリオンに任せるよ。こっちの調味料の加減はまだイマイチわかっていないし、また味が濃いって文句言われるのもなんだから。サラダのほうが僕が作るよ」
「じゃあ、お願いします」

 全般的に薄味に慣れているスピリットたちには友希の味付けは不評だった。

「ふんふーん」

 適当に生食用の野菜を野菜籠ら取り出して、水洗いをする。
 ヘリオンの方はというと、じゃがいもを十個ほど取り出して、ざっと水で洗って軽く包丁を当ててじゃがいもを回転させていた。するすると、じゃがいもの皮は滑らかに剥けていく。
 ほー、と感心してそれを見ていると、ヘリオンがわたわたと慌てる。

「な、なんですか?」
「いや、大したもんだなって。やっぱり剣が上手いと刃物の扱いも上手くなるのかな。僕が皮剥きすると、実ごと切っちゃうんだけど」
「そ、そそそ、そんなことないですよー、私なんてまだまだ料理は覚え始めたばかりですから―」

 謙遜しながらも、褒められてまんざらでもないのか、ヘリオンは照れながらスピードを上げる。

「あ、痛っ」

 それで、調子に乗りすぎたのか、最後のじゃがいもを剥く際、手を切ってしまった。
 神剣を持っていない状態では、スピリットとは言え、肉体の耐久力はそれほど高くはないのだ。

「あ〜あ……」
「ううー、失敗しました」

 深めに切ってしまった人差し指を咥えながら、ヘリオンが涙目になる。
 じゃがいもの方に付いてしまった血は、すぐにマナの霧となって昇華してしまうので洗う必要すらないが、ヘリオンの傷の方はあまり放っておくのも不味いだろう。

「ちょっと見せて。治すから」
「はい……申し訳ありません」

 友希の場合、手に神剣を持っていなくても、体の中に『束ね』は常に存在しているため、ちょっとした魔法ならこの状態でも使える。
 癒しの効果を持つオーラフォトンがヘリオンの手を包み、光が晴れると既に傷は塞がっていた。

「ありがとうございます」
「んじゃ、料理続けようか。今度は手を切らないように気をつけて」
「う、わかっています」

 少し不貞腐れたようにむくれたヘリオンは、四つ切りにしたじゃがいももどきを、十人分のスープ類を楽々作れる大きな鍋に投入する。
 予め汲んであった水を入れ、エーテル技術で作られたコンロに火をかけると、あとは煮込むだけだ。その頃には、友希も人数分のサラダを作り終えていた。

「……サラダはもう少し後で作ればよかったかな」
「あはは、まあ、いいじゃないですか。トモキさま、待っている間、お茶でも飲みますか?」
「うん、もらう」

 はい、とヘリオンは頷いて、小さな薬缶に火をかける。
 たった二人分のお湯なのですぐに沸く。ヘリオンは慣れた手つきで、お茶を淹れてくれた。

「どうぞ」
「ありがとう。……ん、美味い」

 地球で言う、ハーブティのようなものなのだろう。爽やかな香りが、まだ若干残っていた眠気を吹き飛ばす。これは、食事時にもよく供されるお茶だった。

「これ、エスペリアさんに分けてもらった茶葉なんですよ。ゆ、ユートさまもお好きだとか」
「そうなんだ」

 ヘリオンがどもったことに少し引っかかりを覚えつつ、友希はお茶を半ばまで飲み干す。鍋の方はまだ沸騰していない。多い分、煮込みにも時間がかかる。
 ぼう、としていると、ヘリオンがなにやら百面相をする。顔を赤くしてかと思うと、ぶるぶると首を振り、落ち着かせるように深呼吸を二度、三度。躊躇いがちに友希に視線を向け、幾度か口を開きかけながらも口ごもり、流石に変だと思った友希が指摘する直前に、ようやく声を発した。

「と、ところで……トモキさまはユートさまと同じ世界から来たんですよね」
「ああ、そうだけど?」
「ちょ、ちょっとお聞きしたいんですが、ユートさまの好きな食べ物ってなんでしょうか? あ、いえっ! その、参考にですねっ。まだまだ私、未熟者ですからっ」

 なにを慌てているんだ、と友希は思いながらも、地球にいた頃を思い出す。
 学校の昼食。悠人は、佳織手製の弁当を持ってくることが多かった。そして、『佳織の料理は最高』といつも言っていた気がする。

「ええっと、確か、佳織ちゃんの作るのだったら、なんでも美味い美味いって言って食ってたような」
「そ、そうですか。えと、それ以外だったら?」
「うーん、割と普通だったと思うけど。お好み焼きとかソース味のやつ、唐揚げとかトンカツとか揚げ物系、後はインスタントラーメン食いながらコーラ飲むのが好きとか言っていたような? 食べ合わせ悪いと思うんだけどなあ」

 ラーメンは、どちらかというと酒の締めに食べることの多かった友希であった。親の目がないからと言って、高校生のくせに少々はっちゃけすぎだったな、と遠い目で思い返す。

「すみません、どんな料理ですか? こちらの世界でも作れます?」
「こっちじゃソースはないし、ラーメンやコーラは作り方わかんないけど、揚げ物なら多分出来ると思うけど」
「是非是非! 教えてください!」

 ずい、と体を乗り出して聞いてくるヘリオンに、友希は少し引く。

「か、構わないけど、なんでそんな熱心なんだ……。こっちの人の口に合うかわかんないぞ?」
「そ、そりゃ、ユートさまに……」
「高嶺に?」
「って、いや、あの、そのー、そうじゃなくてー。そのっ、エトランジェの皆さんに、故郷の料理を食べてもらおうって、そう思ったんです! ほ、本当ですよ?」

 あまりにも下手な嘘だった。目が明らかに泳いでいる。あまり鋭い方じゃないと思っている友希でも、ヘリオンがなにかを隠していることは簡単に分かった。
 それが一体なんなのか。まさか、とは思うが、

『こりゃアレですね。悠人さんにホの字ですね、この妖精』
『やっぱり?』
『そりゃそうでしょう。ここまで健気な娘、昨今珍しいですよ。想い人の好きな料理をご馳走したいってことでしょう。泣けますねえ』
『お前、面白がってるだろ……』
『そりゃ勿論』

 イキイキと話し始めた『束ね』に頭を痛くしつつ、友希はどうしたものかと悩む。
 ヘリオンの恋路を応援することは吝かではないが、果たしてあの兄バカがそっちに目を向ける余裕があるかどうか。今のところ、ようやく取り戻した佳織の相手をするのと隊長としての仕事、後は元の世界に帰ることに頭がいっぱいで、他のことに目を向ける余裕があるとは思えない。

 それに、そうだ。いつかは友希も含め、地球に帰るのだった。今のところ手がかりも殆ど無いが、いつかはいなくなってしまうかもしれない悠人が、こちらで大切な人を作っていいものなのだろうか?

「……まあ、レシピを教えるくらいはいいけどさ」

 などと考えたものの、泥沼にはまってしまった友希が言えることではない。悠人次第だろうと、本人に丸投げすることにする。そもそも、言っちゃ悪いがヘリオンよりも、第一宿舎で一緒に住んでいるエスペリア辺りの方が余程怪しい。同じ宿舎の仲間として、これくらい応援しても罰は当たらないはずだ。

「あ、ありがとうございます! メモ取ってきますから!」
「ちょ、待ったヘリオン! 鍋、鍋!」

 神剣を持っているのではないかと錯覚するような動きで台所から去ろうとしたヘリオンを呼び止める。
 スープを温めている鍋は、離している間に吹きこぼれそうなほど景気よく沸騰していた。



























 慌てていたヘリオンは、スープの味付けを少し失敗してしまい、お陰で数人に微妙な表情を向けられつつ、朝食は終わった。
 食休みに部屋でごろりと横になっていた友希は、さてどうしたものかと思案する。

 今日は午後から街の巡回の仕事が割り振られているが、午前中は暇だった。こういう時、遊ぼう遊ぼうと五月蝿いネリーやシアーは仕事。こうなると、本当にすることがない。
 ラキオスのスピリットは、各々余暇を過ごすための小さな趣味を持っていたりするのだが、友希にはない。地球にいた頃はテレビやゲームや漫画、もしくは外に出かければいくらでも娯楽はあった。サルドバルトにいた頃は、訓練がない時間はお湯を飲みながらゼフィと話していれば時間は過ぎていた。
 どれも、今は出来ないことだ。

「……訓練でもするか」

 地球にいた頃の怠惰な生活からはとても考えられない結論に至る。なにもしていない時間があるとどうしても色々考えてしまって落ち着かない。たまには大人しく体を休めようと思っていたが、やはり無理だった。いつも通りの結論になる。

 緊急の出動にも対応できるようにするため、スピリットの普段着は戦闘服。そして、『束ね』は意識して手放さない限り常に友希と共にあるため、身一つで訓練場に向かう。
 確か今日は、他の部隊も使っていないため、友希が剣を振っても文句は言われないはずだ。
 歩いて十分ほどの距離にある訓練場に向かう途中、『束ね』が話しかけてくる。

『まあ、構いませんけどね。私としては、このファンタズマゴリアの物語が気になるところなのですが』
『……あのな。そりゃ、頼めば本くらいなら手に入るかもしれないけど。んな暇はないし、そもそも僕はこっちの字はロクに読めないんだよ。お前は読めるってのか?』
『そうですねー。知性体と意思疎通のため、会話をする能力はありますが、未知の言語を読む力はないですねー』

 サルドバルトでゼフィにしごかれていたため、時間をかければ軍の命令書を読むくらいはできる。なにせ軍の書類は誤解を与える余地が少ないよう、なるべく簡潔な文章になっているのだ。
 対して小説は、修飾語や婉曲的な表現、こちらでしか通じない慣用句も多い。一時間にニ、三ページ読めれば御の字だった。

『仕方ないです、そっちは主が字を読めるようになるまで我慢しましょう。しかし、歌劇なら……』
『無理だって。一応、僕はスピリットに準じる扱いなんだから、劇場なんて行けるわけないだろ』

 スピリットに対して比較的大らかな気風のあるラキオスとは言え、市井にスピリットが紛れていれば警戒はされる。男で、しかも悠人ほど顔の売れていない友希なら隠れて行くことも可能かもしれないが、万が一バレると面倒なことになるだろう。第一、現金の持ち合わせがない。これは悠人に頼めばなんとかなるかもしれないが、こんなことで面倒をかけたくもなかった。

『世知辛いですねえ』
『我慢しろ。……っと、ん?』

 訓練場近くに来ると、なにやら風切り音がした。剣を振る音だ。
 一つだけなので、自分以外にも訓練をしている人間がいるのか、と覗いてみると、ヘリオンがいた。朝食が終わった後、直でこちらに来たのだろう。既にそこそこ体を動かしているらしく、額には微かに汗が滲んでいた。

「……フッ」

 鋭い吐息と共に、ヘリオンの神剣『失望』が引き抜かれる。神速の居合が目の前の空間を薙ぎ、次の瞬間には神剣は鞘に収められていた。更にヘリオンは、息をつかず二度、三度と居合を繰り出す。
 ブラックスピリット得意の連撃だった。途中から友希も視力を強化してなんとか目で追ったが、そうでなければ抜いたことすらわからなかったに違いない。ヘリオンの速度は隊の中でも随一。その評価に恥じない剣だった。

 一連の流れが途切れ、ヘリオンの残心が終わるのを見計らって声をかける。

「ヘリオン」
「あれ? トモキさまも訓練ですか」

 そこでようやく友希のことに気付いたヘリオンは、特に驚いた様子もなく返事をする。

「ああ。しかし、ヘリオンも熱心だよな。非番の時はいつも来てないか?」
「はは……私は、まだまだ弱いですから。ユートさまのお役に立つには、もっともっと頑張らないと」

 ヘリオンは苦笑しながら謙遜する。そしてそれは事実でもあった。彼女のスピードは確かに一流だが、所持する永遠神剣『失望』の位は第九位。パワー不足だけは如何ともしがたく、総合的な実力では下から数えた方が早いのだ。

「それに、自主練に関してはトモキさまもでしょう?」
「……それもそうか」

 友希も自主練は多いほうだ。ヘリオンと一緒になったことも何度もある。

「僕も付き合わせてもらっていいか?」
「はい、勿論。一人でやるより、二人のほうが効率がいいですし」

 声をかけたのが悠人だったら、恥ずかしさのあまり返事が出来ないか、下手をしたら逃げ出してしまうヘリオンだが、友希相手ならそこまで緊張することもない。快く頷いた。

「ありがとう。あ、もしよかったら、僕の剣で変な所をガンガン突っ込んでくれると助かる」

 ようやく素人から一歩踏み出そうとしている、というレベルの友希では、自分の素振りがうまくいっているかどうかすら判断が出来ない。そのため、他のスピリットと一緒になった場合、なるべく意見をもらうようにしていた。セリア辺りなら、友希の心が挫けそうなほど事細かく辛辣に指摘してくれる。凹むことは凹むが、為になることも確かだ。

「わわわ。私なんかが指導するなんて」
「いや、ヘリオンの方が剣の腕はずっと上なんだからさ」
「うー、はい、そういうことなら。はい、わかりました。僭越ながら、ご指導させていただきます!」

 生真面目に敬礼して引き受けるヘリオンに、よし、と頷いて、友希は『束ね』を出現させた。

「いつも思いますけど、トモキさまの神剣は便利ですね。持ち運ぶ必要がないなんて」
「そうかもしれないけど、いつも一緒ってのも面倒だぞ? うるさいったらない」
「そんなものですか。私の『失望』は、殆ど喋ってくれませんから、その辺りはよくわかりません。ちょっと羨ましいかも」

 話しながら、『束ね』を青眼に構える。調子を確かめるよう、軽く素振りをしてから、徐々に力を込めていく。
 マナを高めながら、そのまま教わった型を繰り返す。少しずつ、少しずつ形になりつつある剣を夢中で繰り返した。

 少し離れた所で先程の続きをするヘリオンは、そんな様子を横目で観察し、時々遠慮がちにアドバイスをする。
 『あ、あのうー。脇はもうちょっと締めたほうが』『剣撃とマナの同期が取れてな……す、すみませんっ』『……あっ! 剣が泳いでいますよ』などと。
 律儀に頼まれたことを全うしようとしているのがわかった。

 そんな助言が十を越えた辺りで、友希は一旦手を止めた。

「? ど、どうしましたか?」
「いや……これじゃ、僕、ヘリオンの邪魔しているだけだな、と思ってさ。手、止まってるから」
「あ!」

 いつの間にやら練習が中断してしまっていたことを本人すら気付いていなかったらしく、慌てて抜刀する。焦って繰り出されたそれは、お世辞にも良い太刀筋とは言えなかった。
 自分でもわかったのか、ヘリオンはタハハ、と愛想笑いを浮かべて、友希に顔を向ける。

「も、申し訳ありませんー。気を使わせてしまって」
「いや、寧ろ謝るのは僕の方だけど」

 それにしても、と友希は思う。

「ヘリオン、意外と指導者に向いているんじゃないか? 助言はわかりやすかったし、なんかこう、押し付けがましさがないっていうのかな? 素直に聞ける感じがする」

 本職のイスガルドは、言うことは正論なのだが、訓練中は口調が乱暴で、『この野郎』と何度も思う。そう思ってしまうところも含めてイスガルドの手の内なのだろうが、友希はヘリオンのような教え方が好みだった。

「そんなことないですよ。私なんて、自分のことだけで手一杯だっていうのに。そりゃ、後輩に少し手ほどきをした経験はありますけど―」

 友希が脳内で『年少組』と呼んでいる連中……ネリー、シアー、オルファリルにニムントールとヘリオン。この五人の中では、ヘリオンが一番年上だった。それ以外の年長組とは、少し年代が開いている。そのためか、ヘリオンは昔は他の年少組の取り纏めをしていた。その時に、少しだが剣を教えた経験もあるのだ。今以上に精神的に成熟していない連中を教えるため、自然と分かりやすい助言を心がけるようになっていた。

「そうかなー。ま、いいや。
 じゃあ、ヘリオン。どうも、素振りを見てもらうのは邪魔にしかならないみたいだから。神剣魔法の訓練なんてどうだ?」

 神剣魔法。こればっかりは、魔法の使えない訓練士では教えることはできない分野だ。訓練士が教えられるのは、あくまで戦場での効果的な使い方についてでしかない。
 新しい神剣魔法を覚えたり効果を高めたりするには、神剣が成長したり、使い手と神剣の対話が深めたり、または何度も魔法を使って慣れる必要がある。剣よりもむしろ自主練向きだ。

「え、ええとー。か、構いませんけど……その、私の魔法って、敵のマナの働きを阻害するようなものしかないんですけど……。かけちゃっていいんですか?」

 ブラックスピリットの魔法は『呪い』とも例えられる。レッドスピリットの攻撃や、グリーンスピリットの防御・回復、ブルースピリットの魔法の無効化などと比べて、非常にいやらしく、効果が悪辣だからだ。人間の間では特に忌み嫌われ、人間の指揮官だと露骨にブラックスピリットに魔法を使わせたがらない者もいる。

「でも、一時的なものだろ? そのくらい構わないって。それに、考えてみればレッドスピリットの弾幕を受けたことはあっても、なんだかんだでブラックスピリットの魔法を食らったことってないし。一度経験するのもいいと思う」
「ん、んー。……はい、わかりました」
「僕のは味方の能力を上げるタイプの魔法だし、お互いにかけあうってことでいいかな」
「了解です」
「それじゃ、やるぞ。僕からやろう」

 『束ね』を掲げるように持ち、精神を集中させる。足元に輝く魔法陣から供与のオーラが溢れた所で、意思を固めるための詠唱を紡ぐ。

「神剣の主として命じる。かの者に我が力を分け与えよ」

 友希とヘリオンの、感情という糸を通して繋がったマナのリンク。普段はなんの影響もないそれが、魔法の効果によって強化・増幅され、オーラを流す道になる。

「サプライ」

 その道を通じて、ヘリオンの永遠神剣『失望』に、友希の力がダイレクトに流された。途中で幾つかの力が取り零されるものの、確かに力は届き、ヘリオンの全能力が上昇する。

「ふあ……な、なにか前にかけてもらったときより効果が高くなっている気が」
「あー、そういうこともあるかもしれない」

 なにせ、互いの信頼関係如何によって効果が変動するという、究極に不安定な魔法なのだ。
 前にヘリオンに対してかけたのはラキオスに戻った直後。ロクに話したこともなかった当時に比べると、効果は倍近く違う。
 ちなみに、現時点で一番効果が高いのは悠人であり、次点で――意外なことに――セリアを含む第二宿舎のブルースピリット組が続く。戦場で悠人に『サプライ』をかければ、さぞかし無双をしてくれるだろう。

『……考えてみると、ギャルゲーでよくあるような、好感度判定に使えますねこれ』
『言ったな? 僕が気付いていてもあえてスルーしていたことを言いやがったなこのネタ剣』

 そんなゲームまで『束ね』が把握しているのはもはや突っ込むのも馬鹿らしい。
 考えたくもないが、その方式で考えると、ヘリオンの友希に対する感情は、普通の仲間に対するそれだろう。比較対象が少ないため、そうだろうという程度にしかわからないが。

「では、私も行きます。……ウィークン!」

 ヘリオンの掛け声と共に、いつもより調子よく発揮されている黒マナが友希を取り囲む。
 友希の発揮するオーラフォトンがそのマナに遮られて、力が減衰するのを感じた。

「ぅおおおぉぉおお!?」
『ぐあ、これはなんというか、気持ち悪い……』

 『束ね』が思わず零した言葉通り、この纏わり付く様な黒マナは非常に気持ちが悪かった。虫が皮膚を這いまわる感覚にでも例えればいいのだろうか? そういう不快さがある。
 そして気付いた。『サプライ』の効果によって、魔法の効果自体も上がっている。

『じゅ、順番後にすればよかったっ』

 後悔しても遅い。友希の悲鳴に慌てて魔法を解いたヘリオンが、なにやら見ている方が可哀想になるほどうろたえている。

「す、すすす、すみませーん! 私ったら……」
「い、いや。全然平気。ちょっと味わったことのない感覚だったからびっくりしただけだって」

 実際、実戦で仕掛けられたなら気持ち悪いとか気にする暇もないだろう。練習だからと気を抜いていた友希が悪い。

「しかし、厄介だな。ブラックスピリットの魔法」

 今のは純粋に能力低下だけの効果だが、ダメージも一緒に与えるものもある。レッドスピリット程の派手さはないが、長期戦になるとこちらのほうが怖い。攻撃魔法よりも長時間持続し、行動を阻害し続ける。しかも、ブラックスピリットの魔法は全般的にブルーのバニッシュが通用しない。

『出来れば、高嶺の魔法で相殺したいところだ』

 悠人の持つ神剣魔法は、味方の能力をアップさせるものが揃っている。友希のサプライは基本的に一人用なのだが、あちらは自分の隊くらいなら同時に作用させることが可能だ。

「えーと……」
「ああ、ごめんヘリオン。続けるか」
「大丈夫ですか?」
「今度はちゃんと心構えしておくから」

 魔法の運用について、もう少し考えたほうがいいのかもしれない。
 そんな新たな発見をしつつ、ヘリオンとの自主訓練の時間は過ぎていった。




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