今日もまた、訓練場を別部隊が使用しているため、友希を含め第二分隊は暇を持て余していた。
 もっとも、そう感じているのは友希とゼフィのみで、他の第二分隊の面々は文句を一言も漏らさず、大人しく自室で身体を横にしている。彼女たちについては、なにを言っても無駄であった。食事の時間になれば勝手に来るが、それ以外で話そうと部屋を訪れても無反応だ。

「はあ」

 友希はため息を付く。

 今朝方、軍からの伝令で今日も第二分隊は休みだと伝えられたとき、ラッキーだと思った反面、振って湧いたような休日をどう過ごしたものだろうかと、ヤキモキしているのだ。

「……なんか、こっちに来て初めてだな。こんなまとまってゆっくりできるのは」
「私は生まれて初めてです。二日も連続でお休みなんて。一体、あの部隊はなんなんでしょうね?」
「ゼフィが知らないことなのに、僕が知ってるわけ無いだろ」

 それはそうですけど、とゼフィは言って白湯を啜る。
 友希はその『謎の部隊』についてあれこれと考えを巡らせるが、あまり興味がなくて、先程訓練風景をちらっと見ただけなので、推測もできない。様子を見ていたところ、すぐに見知らぬ訓練士に見咎められ、帰されてしまった。
 ただ、サルドバルトのスピリットとは雰囲気が違うというのは分かった。どこが、と聞かれると答えに窮するのだが。

 しかし、ゼフィの言うとおり、強いスピリットではあるようだった。そんなスピリットのことはゼフィは心当たりがないという。
 なら――と、そこで友希の思考は止まった。

(下手の考え、ってやつかな)

 あれが何者か、予想するにも情報が全く足りていない。そのうち知ることもあるだろう。
 それよりも、折角の休日をどう過ごすのかという方が大事だ。しかし、こうしてのんびりした時間を過ごすのは、本当に久しぶりで、結局なにをしようかと最初の疑問に戻ってしまう。

 それに、こうしてじっと座っていると、どうしてもラキオスにいる悠人のことが気になってしまって、落ち着かない。

「……なあ、ゼフィ。ラキオスとバーンライトの戦況ってどうなってるの」
「バーンライトがラキオスの都市、エルスサーオを攻撃中。ラキオススピリット部隊はこれを問題なく防衛しており、一週間と経たないうちに反撃に移る見込み。
 ……この前、報告してから特に変わったとは聞いていません」
「そっか」

 この世界には、電話やメールなんていう、遠距離でも即座に情報のやりとりが出来る手段はない。スピリットの場合、極短い距離なら神剣同士の共鳴を利用して話が出来るが、玩具のトランシーバー程度のものだった。
 最新の情報がそれだから、そろそろ悠人はエルスサーオから反撃に乗り出しているかも知れない。
 向こうの世界の友達が戦っているのに、一人安穏としていることに、友希は言いようのない罪悪感を感じてしまう。だが、ラキオスからの援軍要請もないのに、一応サルドバルトに所属している友希がしゃしゃり出ることは不可能だった。

 ふと、沈黙が流れる。
 特に聞きたいことも無くなって、友希は本格的になにをしようか思い悩む。疲れているかと言って、ただ寝て過ごすのは、流石に勿体なさ過ぎる。家事は、昨日が休日だったので粗方終わってるし、ゼフィに付き合ってもらっての自主訓練は午後にする予定。悠人に手紙――は、戦争中の国の、しかも最前線のスピリット隊に手紙を届ける手段がない。

 悩んでいると、同じく手持ち無沙汰だったのか、ゼフィが口を開いた。

「トモキ様。お暇でしたら……その、ハイペリアのことを聞かせていただいてもいいでしょうか」
「ハイペリアって――僕達の世界のこと? 別にいいけど、なんでまた改まって」

 友希は、世間話程度にイスガルドに地球のことを話している。元は文官志望だったというイスガルドは、地球の政治体制などに特に興味を持っていたが、三権分立や民主主義なんて話をしたら、こちらとは価値観が違いすぎてまったく参考にならないと言われた。
 なので、当たり障りの無い文化や、友希の知っている範囲での技術、日本での生活などを話していて……傍には当然、ゼフィもいたから、一緒に聞いていたはずだ。時にはゼフィからも質問されることがあり、改まって聞くようなことでもないように思う。

「別に、チキュウ、でしたっけ? その話じゃなくて。トモキ様が今までどんな暮らしをしていたのかとか、聞いてみたいなって。ほら、タカミネ様とどういう関係なのだとか」
「そんな面白いのでもないけど……」

 向こうでは、友希は極普通の学生だった。『束ね』と出会ってから、妙に急転直下な不幸に巻き込まれていることは否めないが、それ以前に関しては平凡なものだ。
 せめて、瞬くらい一般人離れした生活を送っていれば話の種には困らなかったのだろうが。と、友希は地元の名士で、やたら大きな屋敷でメイド付きの生活を送っていた友人のことを思い出す。思い出すと、あの憎まれ口が妙に懐かしくなるから不思議だった。

「別に構いませんってば。寝物語で少しだけ聞かせてもらいましたけど、もっとトモキ様のことを知りたいですから。……駄目ですか?」

 う、と友希は言葉に詰まる。上目遣いでそんな風に言われると、我慢しても頬が上気してしまう。お約束のように友希の中にいる『束ね』からからかいの思念が来るが黙殺した。
 そういうことならば、吝かではない。ただ、あまりに呑気な生活を送っていたことに、ゼフィが幻滅しないかがちらりと気になった。が、すぐにそんなのは今更だと思い直す。この屋敷で一緒に暮らしていて、訓練も一緒にして、友希の情け無さや頼りなさなどゼフィは百も承知だろう。

「わかったよ……。でも、ゼフィも昔の話とか聞かせてくれよ?」

 言ってから、しまったと思った。ゼフィはスピリット……友希がどう思っていようと、この世界では差別される存在であることは間違いない。こっちに来て半年も経っていない友希だって散々嫌な思いをしたのだ。ゼフィの過去は話したくない類のものだと容易に想像がついた。

 しかし、予想に反して、ゼフィは少しはにかんで、

「……はい」

 と、頷くのだった。



















 ゼフィが淹れ直してくれた白湯――相変わらず味気のない飲み物である――を受け取り、友希は先程話したことを思い返す。

 少々脚色しつつ話した友希の学生生活に、ゼフィはいちいち驚き、嬉しそうに相槌を打っていた。正直、話をするのは苦手な友希であったが、ゼフィの反応に気を良くしてあれこれと余計なことまで喋ってしまった気がする。

「タカミネ様って、愉快な方なんですね。勇者だって言われているから、もっと厳格な方だと思っていました。それに、友達のミサキ様とミドリ様も」
「まあね。僕や他のクラスメイトは一歩離れたところで見てるだけだったけど。あれが腐れ縁ってやつなんだろうな」

 悠人の話をするなら、あの二人の親友のことは外せない。あの三人が揃ったときはヘタな芸人より面白い漫才を見せてくれるのだ。ただ、気になるのはこちらに飛ばされた時、今日子と光陰も一緒にいたことだ。あの神社の境内にいた者のうち、友希、悠人、佳織はこちらに来てしまっている。あの二人だけ例外だと考えるのは楽観が過ぎるだろう。
 悠人との手紙のやりとりでも、その可能性については話し合った。今はどうしようもない、というのが早々に辿り着いた結論だったが。
 なるべくならこんな殺伐とした世界に来ていて欲しくない、と思う反面、あの二人が悠人と一緒にいれば、大抵のことはなんとかなるだろうという気持ちもある。

「それにシュン様、ですか。とても大切な友達なんですね」
「あー、あいつは悪友というかなんというか。でも、放っとくわけにはいかない奴ではある」

 瞬については、悠人との険悪な対立は話さなかったのだが、そうするとゼフィからすれば『困った親友』くらいに聞こえたようだった。実際には『困った』どころの性格ではないのだが。
 それが分かっていて付き合っていたのだから、自分のことながら物好きだな、と改めて思う。普段の瞬ならばまだしも、悠人と一緒にいるときの彼は劇薬のようなものだった。それに割って入っていたのだから。
 ただ、友希からすれば、他のことはともかくとして、瞬が悠人の妹である佳織をどれだけ大事に思っているかを知っているので、一方的に非難しにくいところがある。やり方は褒められたものではないのは分かっているが、佳織のことを思っていることに関しては瞬は悠人にも劣らないのだ。

 そういえば、友希がこちらの世界に飛ばされてから、それなりの時間が経っている。あの偏屈な幼馴染も、心配の一つくらいしてくれているだろうか。恐らく、同じく飛ばされた佳織のことで頭がいっぱいだろうな、と友希は確信に近い予想を立てる。

「僕の話は、そんなところかな。あんまり面白くなかっただろ?」
「そんなことはありませんよ。とても楽しい話でした。本当に、夢みたいな話で」

 未だ戦乱が絶えず、その日食べるものにも困窮しているサルドバルトの人間からすれば、確かに日本での生活は夢のような生活だろう。なまじ二つの国を両方知っているから、余計に実感出来た。テレビのニュースでは、日本の先行きが暗いことしか放送していなかったが、どれだけ恵まれていたのかが今ではよくわかっていた。

「じゃあ、次はゼフィの話を聞かせてくれよ」
「ええ。私の話は、トモキ様ほど面白い話ではないかも知れませんけど」
「……うん、わかってる」

 ある程度、想像は付いていた。でも、友希はゼフィのことを知りたいと思う。多分、それはゼフィが友希のことを知りたいと思ったのと同じ理由だ。
 もしかしたら、他に話す人間がいないから、ただそれだけの理由かもしれない。ゼフィの容姿に惹かれたという面も否定出来ない。あるいは、命の危機や極限の状況に置かれたことによる吊り橋効果の可能性もある。

 でも、友希が今、一番大切に思っているのが彼女であることに変わりはないのだ。







 こくん、とゼフィは友希の返事に頷いて、なにから話そうかを考える。
 彼女が生まれて、この世界の年にして約二十年。嬉しいことも、悲しいことも、ゼフィは全て大事な思い出として記憶してある。
 ゼフィの仲間は、思い出を記憶することすらできなくなった。だから、彼女たちの分まで憶えておくのは自分の義務だとゼフィは思っていた。

「どこから話しましょうか。ここ数年の話は……トモキ様が知っているのと、大して変わらない話ですし、私が転送されてきた頃の話をしましょうか」

 スピリットは、子供の頃にどこからか転送されてきて、その時降り立った土地の人間に従うという。

「私が転送されたのは、サルドバルトの近くのミスル山脈の麓、だそうです。転送される前のことは、他のスピリットと同じように覚えていないんですけど」

 そして、それ以前のスピリットのことは本人も覚えておらず、転送前のスピリットがどこで生まれるのかは未だ明らかになっていない。ゼフィ自身も、固い岩肌に神剣『蒼天』と共に身を横たえていた所を先輩スピリットに起こされたのが最初の記憶だった。

「……何度聞いても不思議だな。どこからやって来るんだろ」
「さあ、それは学者様の研究を待つべきでしょうね」

 スピリットの生誕の秘密は、研究者にとって至上の命題の一つだった。聖ヨト暦の始まりから研究されつつも、未だ糸口すら掴めない謎。
 研究者以外の多くの人間にとっては『そういうもの』として受け入れられており、ゼフィもあまり興味がない。

「それで、サルドバルト王国に保護された後は、すぐにこの館に送られました。当時は新築だったんですよ」

 まだ真新しかった館。転送された直後のことは、ぼーっとしていたこともありゼフィの記憶も薄いが、この館の玄関を初めて開けた時のことは鮮明に覚えている。
 後で聞いたところによると、それまでは街中の廃屋同然の払い下げられた館を使っていたが、近くにスピリットが住むことに住人からの苦情が相次ぎ、仕方なく郊外に新しく立てられたのだった。

「とは言っても、そこからが大変でした。言葉以外は本当になにも知らない状態だったのですけど、いきなり先輩スピリットのお世話を任せられて」

 転送された時にはもう、ゼフィが指揮官兼世話役のスピリットとして育てられることは決定していたらしい。
 前任のスピリットの世話役は、ゼフィが転送される直前、世話をしているスピリットに手を出して処刑されていた。後任を引き受ける人間が決まらず、次に転送されてくるスピリットに任せるという風に決まっていたそうだ。

「実は、私とほぼ同時期に転送されてきたスピリットが多くて。ほとんどがこの館に送られてきたので、一緒に頑張っていました」

 この館だと、友希が殺したサフィ。赤スピリットのアルノとイルノ、緑スピリットのラサフィが、ゼフィと同年代だ。他に数人いたが、別部隊に行ったり処刑されたりで、離れてしまった。

 そして、今の様子からは考えられないが、当時の彼女たちは神剣に呑まれておらず普通に人格を持っていた。
 ゼフィは指揮官用のスピリットとして、幼年期の訓練は別々に課せられたが、そんなことは関係なく、ゼフィたちは力を合わせて生活をした。食事に洗濯、掃除に戦闘服の繕い。今ではゼフィ一人で軽々出来ることも、昔は全員で空いた時間の殆どを使ってやっとこなしていた。
 時には訓練士の中でも気のいい、当時は新任のイスガルドに家事の手解き本を借りてみんなで研究したり、食材の少なさに嘆いたスピリットの有志――とはいっても、同期全員だが――であの家庭菜園を作ったり、

 話しているうちに、当時の気持ちに戻るようで、ゼフィの声は自然と弾んでいく。
 訓練は大変だったが、この館に帰ってきてその日のことをお互いに話せば、すぐに辛さはなくなった。あの頃が、ゼフィにとって一番楽しかった時期だ。

(……今も、ですかね)

 ゼフィは心の中で訂正した。当時と今とを比べることに意味はないが、友希が近くにいる今だって、ゼフィの短い人生の中では幸福な時間である。

「でも、一年……くらいでしょうか。訓練をするうちに段々とみんなの人格が神剣に呑まれていって」

 丁度、今のゼルくらいになった辺りで、家事などをするのはゼフィ一人になった。
 その頃のゼフィは、今よりずっと幼くて物事を知らない子供だったから、泣きながら家のことを済ませていた事を覚えている。最後まで付き合ってくれていたサフィが皆と同じになった日は、一晩中泣き明かした。

 そうして、思ったものだ。『私もみんなのようになれれば良いのに』と。

「…………」
「あ、いや、昔の話ですよ、昔の」

 友希の顔が険しくなったのを見て、ゼフィは慌てて手を振った。

「それに、その時だって怖いって気持ちはありましたから」

 ある日、限界を迎えたゼフィは、イスガルドに訴えたのだ。どうして、みんなをこんな風にしたのかと。
 これが、もし他の人間に言ったのだったら、とっくにゼフィは処刑されていたかも知れない。

 尋ねられたイスガルドは、淡々とゼフィに教えたことを繰り返した。
 スピリットは、神剣に呑まれたほうが強くなる。故に、心を呑まれたスピリットの展開する黒いハイロゥは、一人前のスピリットの証だと。

「イスガルドさんまでそんなこと」
「いえ、イスガルド様の言うことは正しいんですよ。少なくとも、この国では。それに、イスガルド様は我々のことも考えて下さる方ですが、訓練士である以上国の方針には逆らえません」
「……わかってるよ。わかってるけどさ」

 友希だって、イスガルドがその職責の許す範囲で便宜を図ってくれているのは知っている。そうでなくては、悠人と手紙だけでも連絡が取れたわけがない。

「……悪い。続きを聞かせて欲しい」
「はい。とは言っても、ここから先はほとんど私一人で今と同じような生活を送っていた、で終わりなんですが」

 生まれて最初の一年と、そして友希が召喚されてから今まで。それ以外の年月は、ゼフィには正直なところ本当に話すことがない。訓練に明け暮れたのと、新しく生まれてくるスピリットが神剣に呑まれる僅かな期間、話し相手になってもらったくらいだ。

「……ああ、そうそう」

 ゼフィは、大切な事を話していなかったことを思い出す。こればかりはイスガルドにも話したことのないことだったが、友希には知っていて欲しかった。

「私、イスガルド様に訓練の話を聞いた時、一つ決めたんですよ」
「なにを?」
「恥ずかしい話なので、他の人には話さないでくださいね?」

 友希が頷くのを待って、ゼフィはただ心の中に秘めていた決意を話しだす。

「私、その時から、自分は誰よりも強くなろうって、決めてたんです」
「……? え」
「いえ、単純に……神剣に呑まれないまま強くなれることを証明すれば、もしかしたらスピリットの教育方針も変わるかな、って」

 友希が余りピンと来ない顔になっているのを見て、ゼフィは少し慌てて付け加えた。

「も、勿論、簡単なことじゃないってことは分かってますよ。でも、それくらいしか思いつかなかったんですってば」
「いや、別に馬鹿にしているわけじゃなくて。……その、ゼフィはこの国じゃ一番のスピリットだからさ。そもそもの素質が違うんじゃないかなって思っただけで」
「いえ。私は最初の一年くらいは、同期の中では一番弱かったんですよ?」

 は? と友希がぽかんと口を開ける。

「もう一度」
「だから、私は子供の頃はスピリットの中でも落ちこぼれだったんです。指揮官用じゃなかったら、とっくに処刑されていたかもしれません」

 ようやく家事を覚えたスピリットを処刑して、またしても次の指揮官兼世話役のスピリットを育てるとなると手間が掛かる。それに、当時は神剣に意思を呑まれないまま育てたスピリットは、この程度なのだと訓練士を始めサルドバルトの人間は考えていた。

「『蒼天』も、今でこそ大剣サイズですが、当時は一般的な片手剣より小さい剣でしたし」

 元々、神剣はスピリットの成長と共に最適な形へと変化する。しかし、『蒼天』ほど劇的に変わるのは珍しかった。
 その成長も、ゼフィが決意してからだ。普段の訓練に加え、空いた時間は全て剣を振って過ごした結果、ゼフィの神剣はぐんぐん巨大化し、それと共にゼフィ自身の力も驚異的な成長を遂げた。
 断固たる意志でもって積み重ねた訓練は、確実に力になる。ゼフィは、経験からそう確信していた。

「私一人が強くなったくらいじゃ、何も変わりませんでしたけどね」

 それでも、ゼフィという前例が出来たことで、他に数人のスピリットが指揮官用として育てられているようになった。他部隊の世話をしている彼女たちは、ゼフィにとっては貴重な友人だ。しかし、残念ながらゼフィ以外は平均的なスピリットより劣る戦闘力しかない。彼女だけが突出し過ぎているのだった。

「でも、もっと結果を残せばもしかしたら、って思って、剣を振ってました。あまり自慢にもならない、つまらないものですけど……一応、これが私が戦う理由の一つです」

 そんなものがなくても、ゼフィはサルドバルトのため否応なく戦わないといけない。
 しかし、漫然と戦うより余程良いとゼフィは考えていた。

「ええっと……その、トモキ様? は、恥ずかしいんですから、黙らないでください」
「ああ、うん。なんか、凄いなって。僕なんか、戦うこと自体、嫌だとしか思えないのに、ゼフィはしっかりした考えを持ってて」
「それは、生まれ育った環境が違いますから」
「それはそうなんだけど……僕にもなにか、そういう戦う理由があればいいんだけど」

 今の友希は、悠人と一緒に元の世界に帰ることしか考えられない。

「トモキ様は生き残ることだけを考えてくださるのが一番ですよ」
「……ごめん、なんか生意気だった。そうだよな、僕なんか、目的なんて考えるのはまず生き残ってからだよな」
「いえ、そうではなく。単純に、私がトモキ様に生き残って欲しいからですよ」

 正面からゼフィは言い、友希は少し顔を赤くする。
 友希も、もちろんゼフィも恋愛経験などないのだが、この少女はいつもストレートな物言いをするのであった。

「……うん。僕は死なないし、勿論ゼフィも死なせないように頑張る」
「いえ、私のことは」
「僕がゼフィより弱いってのは百も承知だけど、そのくらいは見栄を張らせてくれよ。……それにそうでも考えていないと、いざ実戦に臨むとなったとき、怖くて一歩も動けなくなりそうだ」

 ゼフィは、情けない顔になる友希に、くす、と笑う。

「……はい。それじゃあ、一緒に頑張りましょう」
「ああ」

 テーブルの上に置かれたゼフィの手に、友希は同じく手を重ねる。
 まだ昼にもなっていない。しかし、どうせ今日は休みだ。

 友希は、自分の中にいる『束ね』を固く閉じ込めて、ゼフィの手を引いて部屋に向かおうと立ち上がり、

 ドンドン、と、
 神剣を手に入れてからとみに鋭くなった聴覚が、来訪者のノックの音を捉えた。

 慌てて友希は手を離す。少し頬が上気していたゼフィも、びっくりしたように手を引っ込めて、来客を迎えに向かった。

「……誰だよ」

 まだ見ぬ来訪者に、悪態を付く友希であった。















 来訪者はイスガルドだった。
 何事か、と驚く友希とゼフィに、とりあえずとイスガルドは土産のお菓子を渡した。

「美味いか? 私は甘いものは今ひとつ苦手で、適当に人気の有りそうな店で買ってきただけなんだが」
「美味しいですよ。お菓子なんて久しぶりですし」
「私も、以前イスガルド様が持ってきてくださって以来です」

 本当に美味そうに頬張る二人を、イスガルドはゼフィの淹れた白湯を啜りながら眺める。
 食べ終わるのを待って、イスガルドは口を開いた。

「ん……しかし、突然スマンな。押しかけて」
「いや、全然」

 友希にとっては、本当に久方ぶりの甘味である。日本で食べたものより甘みは少ないが、贅沢など言わない。甘いというだけで充分過ぎるほど美味く感じた。
 こんな手土産があるなら、ゼフィとの時間を邪魔されたことも、全く気にならない。

「……お前らに話しておかないといけないことがあってな」
「はい? 構いませんが、お呼びしていただければこちらから出向きますのに」

 常ならば、イスガルドはそうしていた。

「いや、態々兵を使いに出すのもな」
「はあ」

 そもそも、余程急ぎでもないかぎり呼び出したりすることすらない。訓練の時に、一緒に言えばいいだけの話だ。
 確かに今は謎の部隊が訓練所を占有していて、中々訓練も行なわれないが、明日には時間が取れると今朝の伝令は伝えていた。

「……それに、あまり他の人間を関わらせたくない。この館なら、他の連中は好き好んで近付いたりしないからな」
「それは、そうですけど」

 スピリットの館に人間が訪れるのは、週一の生活物資の搬入に来る業者と、後はたまに来る軍の伝令だけだった。イスガルドもあまりスピリットと仲良くするのは悪評判に繋がるため、自重している。

「質問は後で纏めて聞く。落ち着いて聞いてくれ」

 そうして、イスガルドは話し始めた。
 サルドバルトが、龍の魂同盟を離反し、サーギオス帝国に付くこと。新しい部隊は、帝国からの援軍であること。今後の情勢次第だが、ラキオスやイースペリアに戦争を仕掛けるかもしれないこと。
 イスガルド自身、全てを知っているわけではないのでそれほど多くのことを話したわけではない。が、充分に事の重大さは伝わったようだった。

「……イスガルド様、それは本当ですか?」

 普段、話の内容を問い返したりしないゼフィが、少し顔を青くさせながら問い返す。

「混乱を避けるため、ある程度落ち着くまでは国内でも一部にしか知らされない機密だそうだが……既に決定事項だ」
「そう、ですか」

 ゼフィはまだ混乱していて、納得のいかない顔つきだった。しかし、スピリットである彼女は、人相手に異論を唱えることはない。
 その代わり、今まで黙って聞いていた友希が口を挟んだ。

「……イスガルドさん。それって……つまり、ラキオスと敵対するってことですか」
「同盟を抜けたからと言って即そうなるわけではないが……そうなる可能性は高いだろうな」

 国王が、戦争で疲弊したラキオスの後背を突こうとしていることは恐らく間違いないが、イスガルドも確信を持っているわけではなかった。

 ぎり、と友希は歯を噛み締めた。

「ぃ、やですよ。あの国には高嶺がいるんだ。あいつと戦うなんて御免です」

 友希は、ある程度は割り切ることが出来たつもりだった。もし、ラキオスの支援のために戦うことになるなら……その時は、仕方ない。諦めて、戦おうと思っていた。それが悠人や佳織の助けになると思っていたし、ラキオスのスピリットたちに会ってもみたかった。
 しかし、同郷の悠人と戦うのは、いくら脅されても無理な相談だ。

「そうか……まあ、そうだろうな」
「怒らないんですか?」

 てっきり、叱責されるものと考えていた。戦うことが出来ないなら、処罰されるかもと思っていた。なのに、イスガルドはむしろ『仕方ない』という顔をしている。

「怒る? 私が、お前にか。ふん、今回の件で、国に愛想が尽きているのは私も同じだ。我が国の国民でもないお前が失望するのも無理はない」
「そうなんですか?」

 正直、友希は予想外であった。自分がどう思うかはともかくとして、国と国との条約や同盟など、割と簡単に破棄される。そんなことは世界史を取っていたため、なんとはなしに想像はついたのだ。だから、イスガルドも賛同しているものと考えていたのだが、そんなことはなかったらしい。

「当たり前だ。建国以来の同盟関係を反故にするんだぞ? 他の国民だって、ラキオスやイースペリアに親戚や友人がいる者も多い。私だって、両国に友人くらいいる。発表されれば、反発は間違いないだろうな」
「……じゃあ、なんでそんなことに」

 友希にはまるで理解出来ない。しかし、ゼフィは少し考え、自分の考えを述べる。

「帝国からの支援……でしょうか? 食料やマナの供与があったとか。ラキオスやイースペリアからの支援が、最近は滞りがちでしたし」

 ラキオスは戦争の準備に、そしてイースペリアは戦争の復興のために。それぞれサルドバルトに支援をするほどの余裕はなく、同盟国の支援がなければ、サルドバルトは弱い者から飢えて死んでいく。

「ゼフィ、お前それが周り全部を敵国に囲まれるリスクに見合うと思うか?」
「……思いません」

 帝国から多少の支援があったとしても、ラキオスとイースペリアを相手取るには分が悪い。それに、もし運良く勝てたとしても、その先がどうなるか知れたものではなかった。バーンライト、ダーツィといった国は、サーギオスの傀儡と呼ばれて久しい。

「本当のところ、どういう利害が働いたのかさっぱりわからん。陛下が強烈に推し進めているらしい、とは聞くがな」
「国王陛下が?」

 ふと、ゼフィの脳裏に以前の会議の様子が浮かぶ。
 前々から同盟の国主は折り合いが悪かったが、最近、ますますラキオス王の傲慢な態度に拍車がかかっていた。そのことを、ダゥタス国王は相当腹に据えかねていた様子で……
 いや、しかし、流石にそれだけで同盟を裏切るとは考えられないと、ゼフィはその考えを破棄する。

 元々、あの場でのことを口外することは国王自らの命令で禁じられており、ゼフィは口を噤んだ。

「まあ、そういうことだ。これから、この国がどうなるかわからない。私自身、どうしようか迷っているが……友希、お前も身の振り方を考えておけ。逃げるか、この国に留まるか」
「逃げたら殺されるんじゃありませんでしたっけ」
「今回の件で、城内は混乱している。……今のお前なら、逃げるくらい出来るだろう」

 イスガルドの口調は、むしろ積極的に逃げろと言っているように聞こえた。

「……イスガルド様、その、あまりそういうことは仰らないほうが」
「分かってる。だからわざわざスピリットの館で話しているんだ。ここだけの話だ、ここだけの話」

 いきなり提示された選択肢に、友希は大いに迷う。
 そもそも、彼の当初の目的は逃げることだった。そのために、言われるままに訓練も受けてきたのだ。
 自分にそれだけの実力が付いていることに自信は持てないが、しかし友希の実力を本人以上に把握しているであろうイスガルドの言葉は信用できる。それに、昔は逃げた先の目的など『元の世界に帰る』という漠然としたものしかなかったが、今はラキオスの悠人と合流して、ひとまず囚われの身である佳織を助けることに全力を尽くす――と、やるべきことも出来ている。

 本来なら、迷うことなどない。もし、この選択がこちらに来てすぐに選べたなら、間違いなく友希はサルドバルトを去っていた。
 しかし今は――

「……すまん、こんなことになるとは思っていなかった」

 友希がゼフィの方を気に掛けていることに気付いて、イスガルドは謝罪する。
 元々、彼女が友希がサルドバルトで戦う理由の一つになればと願っていたが、今はそれが友希の自由を奪っていた。

「イスガルドさん。もし僕がラキオスに行ったとしたら、やっぱりゼフィとも戦うことになるんでしょうか」
「………………」
「恐らく、そうなるだろう。ゼフィはサルドバルト王国のスピリットで、部隊長だ。ラキオスとサルドバルトが戦となったら、間違いなく衝突することになる。……ああ、ちなみに連れていこうとは考えるなよ。『国替え』もしていないスピリットが他国に行くのは無理だからな」

 もしゼフィがただの人間なら、共に亡命することも出来た。ゼフィがそれを承知してくれればの話だが、不可能ではなかった。
 しかし、友希自身は全く気にしていなかった、彼女がスピリットだという事実が、ここに来て大きな足枷になっている。

「……トモキ様、私のことはお気になさらず。お好きなように行動してください。サルドバルトのスピリットとしてはこちらに留まって頂きたいですが、私個人としてはラキオスに行かれたほうが、トモキ様にとって良いことだと思います」
「なんで――」
「純粋に、国力の差からです。ラキオスも、エトランジェであるトモキ様をないがしろにはしないでしょうし。それに、御友人のタカミネ様もいらっしゃるではないですか」

 ゼフィの目が揺らいでいることは明らかだった。友希は俯く。

 どうするべきか、友希は悩み、沈黙がしばらく流れ――

「……少し考えさせてください」

 結局、すぐに決めることは出来ずに、後回しにせざるを得なかった。




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