友希が異世界に飛ばされて一週間が経った。一週間と言っても、この世界では一週間は五日だ。一日の長さが地球と同じかどうかは分からないが、然程変わらないと友希は感じていた。
 兎にも角にも、五日。その僅かな時間の間に、友希は今までの人生で経験したことない様々なことを体験することとなった。

 戦闘訓練もその一つである。
 あの謁見の間で、サルドバルトの国王が言ったとおり、連日、友希は住んでいる館――サルドバルトスピリット隊第二分隊宿舎の住人達と訓練に明け暮れることとなった。
 今日も今日とて、朝食を食べてすぐに練兵場で訓練に入ったのだ。

「……ふっ!」

 『束ね』を持って、練兵場の片隅で素振りをする。
 ゼフィを初めとした友希と同じ館に住んでいるスピリットたち――サルドバルトスピリット隊第二分隊は、訓練士であるイスガルドの指導の元、もっと高度な訓練を積んでいる。友希が一人で修行をしているのは、そもそも基礎がロクになっていないためだった。
 マナを使った攻撃、防御方法。効率の良い身体強化。神剣魔法に敵の神剣の気配を感じ取る感覚。そもそもの剣の振り方まで。普通の高校生であった友希には縁のないそれらを、この短期間で詰め込み式で覚えさせられていた。

「トモキ! 脇が甘い!」
「は、はいっ」

 スピリットたちの指導をしているイスガルドの怒声が飛ぶ。彼は、スピリットたちに連携の訓練を施しながらも、ちょくちょく友希の様子を伺い、少しでも悪いところがあれば直ぐ様指摘してくるのだった。
 言われたとおりに姿勢を正し二、三度振ると、イスガルドは元の訓練に戻って行く。

「ふっ!」

 イスガルドの助言を実行すると、確かに剣筋が鋭くなったことを実感した。そのまま、単純な素振りから、袈裟懸けに振り下ろす。斬り上げ、横薙ぎ、突き。『束ね』の力により筋力や感覚が強化された友希は、身体の隅々を意のままに、力強く操ることが出来る。そのおかげで、僅かな期間の訓練でも、自分でも驚くほどに上達することが出来た。
 勿論、横目に見えるスピリットたちの動きには、まだまだ到底及ばないのだが。

 というか、スピリットはズルい、と友希は思う。
 彼女たちは、ハイロゥと呼ばれるオプションみたいなものを全員が身に付けている。青と黒のスピリットは翼、緑は円盾、赤は球体。機動力の向上や空中での姿勢制御、飛行までこなすウイングハイロゥが傍目には一番使い勝手が良さそうだが、グリーンスピリットのシールドハイロゥも、レッドスピリットのスフィアハイロゥも、持たない友希からすれば便利そうの一言だ。

 『束ね』が言うには、あれは周囲のマナと自分を繋げるためのインタフェースのようなものだということらしい。ただ、どうやらこの世界の神剣の特性のようなものらしく、『束ね』には似たようなことは出来ないんだとか。
 友希はため息をついて、振り回している『束ね』に話しかけた。

『……微妙に役に立たないよな、お前。弱いし』
『失敬な。オーラフォトン使っているでしょう、オーラフォトン。妖精の操るマナより強いですよ』

 スピリットたちが使用するマナは、青だとか赤だとか、そのスピリットの属性に染まっている。ただ、高位の剣はより高出力、高純度のマナ……オーラフォトンと呼ばれる形でマナを使うことが出来る。属性の持つ多様性は失われるが、単純な攻撃や防御には絶大な威力を発揮する――というのが『束ね』の説明であったが、正直友希はまるで信じていなかった。

『強いって、あれを見てから言え、あれを見てから』

 剣を振りながらも、こっそりと模擬戦を始めたスピリットたちを見る。対峙している片方はゼフィ一人。対峙するのはアタッカーが青、ディフェンダーが緑、サポーターが赤の基本的なスリーマンセルの構成のチーム。特に、ディフェンダーを務めているグリーンスピリットは第二分隊の中でも最も固いシールドを張る事の出来るスピリットだ。
 だが、

「はあああぁぁぁっっっ!」

 一気呵成にゼフィがそのグリーンスピリットに肉薄し、剣の一振りでシールドハイロゥごとその防御を力任せに捩じ伏せた。のみならず、余波だけで後ろに控えていた防御力の低いレッドスピリットが吹き飛ばされる。
 反撃に移ったアタッカーはあっさりとウイングハイロゥを広げたゼフィに逃げられ、再び突進した彼女の一撃によって下された。

 後に残ったのは、たった二撃で戦闘不能に追いやられた三人のスピリットと、ゼフィの攻撃により抉られた練兵場の地面だけだった。神剣はある程度任意に切れ味を調節できるのだが、あの威力の前では気休めにもならなさそうだった。ゼフィが怪我をさせないように注意していなければ、三人はバラバラになっていただろう。

 これが、サルドバルト最強を誇るというゼフィ・ブルースピリットの実力である。最初にゼフィの訓練を見たときは、彼女と立ち会って生きながらえた自分の幸運に友希は感謝したものだった。

『……あれと比べないでください。妖精にも、たまにはああいう飛び抜けたものが生まれます』
『他のスピリットにもまるで敵わないんだけど』
『それは主の修行不足です。幸いにして、主の上達は早いほうですので、焦らずに行きましょう』

 剣本人の言だ。信用しても良いだろう。
 素振りも千回を越えた。本来なら血豆が潰れ、腕が上がらないほどに疲労しているはずだったが、マナとなった身体はまだまだ動く。続けて友希は『束ね』を構え、今度は防御のための動作の反復に入る。

 マナの盾を顕現させる。シールドハイロゥとは異なり、これは相手の攻撃の一瞬のみ発生させるものだ。それを、様々な方向に発生させ、同時に『束ね』で剣戟を受け止めるイメージを繰り返す。
 そんな風に訓練を繰り返していると、スピリット隊から一人、黒髪の子供がこちらにやって来た。

「ゼル?」
「トモキ様。貴方の相手をするよう命令されました」

 第二分隊で最年少のゼル・ブラックスピリットだった。完全に神剣に呑まれている者が殆どである第二分隊の中で、ゼフィを除けばこのゼルだけが多少のコミュニケーションが出来る。単に年少で、訓練が途上であることがその理由であったが、友希にとっては数少ない話の出来る相手だった。その他のスピリットについては、未だ顔と名前も一致していない。

 ともあれ、訓練の手伝いをしてくれるというのならありがたい話だった。やはり、イメージの相手を繰り返すだけでは限界がある。

「ああ、じゃあお願いするよ。そうだな、今は防御の訓練をしているから、適当に攻撃してきてくれ。それを防ぐから」
「はい」

 と、ゼルは腰に差した刀のような神剣に手をかける。なんの合図もなしに、ゼルは居合の要領で神剣を滑らせて、高速の一撃を友希に繰り出してきた。

「うおっ!?」

 ギリギリで防御が間に合った。ブラックスピリットの信条はその速さ。未熟な子供のものとは言え、その動きに付いて行くことが出来たのは訓練の賜物だろう。そして、防御が間に合いさえすれば、ゼルの攻撃力でオーラフォトンの盾を貫くことは不可能だ。

「……」

 一瞬後には既にゼルの神剣は鞘に戻っており、続けて軌道を変えてもう一撃。今度は余裕を持って受け止めることが出来たが、ゼルはウイングハイロゥを駆使して高速で移動し、別方向から攻め立ててくる。

「ぐっ!」

 友希の張る盾は、それなりに強固なものの、今のところ一度に一方向にしか展開できない。目まぐるしい連撃に、段々と展開が追いつかなくなってくる。

「っのぉ、舐めるなっ」

 ゼルの唐竹割りを、盾ではなく『束ね』で受け止める。そのまま、ゼルが引く前に『束ね』を振り、彼女を弾き飛ばした。
 ゼルは翼を一度羽ばたかせ姿勢を制御すると、軽やかに着地する。続けて居合の体勢になり、じっと友希を見てくる。
 ふっ、と緊張が抜け、友希は大きくため息を付いた。

「っはぁ〜〜」

 左腕にピリピリと痺れるような痛みが走る。一撃だけもらっていたのだ。ゼルが神剣の切れ味を落としていなかったら、グリーンスピリットに治癒の魔法をかけてもらわないといけなかっただろう。
 スピリットの中で一番弱いゼル相手にもこの様だ。ここから逃げることなど、まだまだ夢のまた夢のようだった。

「っていうか、ゼル。掛かってくる前に、合図くらいしてくれ」
「はい」

 悪びれもせず、ゼルは無感情に頷いてよこした。万事この調子なので、いい加減友希も慣れている。

「それでは、今度はトモキ様から攻撃をしてください。私も、防御は課題なので」
「……あ、ああ」

 そう言ったゼルに、友希は淀みながら答える。
 ……防御はともかくとして、スピリット相手に斬りかかるというのは抵抗があった。いくら人間離れした力を持っていても、女の子なのだ。しかも、友希の持っている『束ね』は竹刀なんかではない。その気になれば鉄すらも両断する強力な神剣なのだ。
 もちろん、斬れないようにするし、そもそもこれは訓練なのだが……忌避感が生まれるのは、自分ではどうしようもなかった。

『主。何度も言いますが、その調子ではいつか死にますよ。この世界は主のいた国とは違い、物騒なのですから。いざという時、敵を斬れないと……』
『っさいな。わかってるよ』

 お決まりの説教をしてくる『束ね』に憮然として答える。
 素振りならまだしも、たまにスピリットたち相手に訓練すると、いつも攻撃を躊躇う友希に『束ね』はいつも苦言を呈するのだった。

 ふぅ〜〜、と大きく深呼吸をする。呼吸と共に周囲のマナを取り入れ、

「いくぞっ!」

 ためらいを振り払うように掛け声をかけて、ゼルに突進して行った。


























「っうぁ! つつ……」
「平気ですか? ゼルが失礼を……」

 訓練を終え、ボロボロになって自室に戻った友希をゼフィが心配してくる。
 結局、あの後、攻撃を仕掛けた友希だが、そんな迷いの篭った剣など通じるはずもなく、手痛い反撃を食うことになった。ゼルらブラックスピリットの防御は、カウンターを多用する。受けには向かない刀型故の防御方法だった。
 つまるところ、カウンターで滅多打ちにされたわけなのだが、

「い、いや、平気。このくらい」

 全身にミミズ腫れが出来ているが、これも明日にはすっかり消えているだろう。つくづく、自分が変わってしまったことを実感する友希であった。

「そうですか。それじゃあ、勉強の方は大丈夫でしょうか?」
「ああ」

 スピリットたちの訓練は、午前か午後、どちらかしか行なわれない。余った時間はゼフィは家事に勤しむのだが、それでも毎日一時間ほどの時間を捻出して、友希にこの世界のあれこれを教えてくれるのだった。
 お陰で、この世界のことは少しは分かってきた友希である。

 例えば、この世界の技術についてだ。この世界は、友希も『束ね』を通じて使っているマナを加工したエーテルというものを利用した技術が発達しているらしい。エーテルは火を起こしたり明かりを灯したり、果ては建築や農作業まで、生活のあらゆるところで使用されている。
 地球で言う石油や電気のようなものだろうか。
 とかく、様々なことに用いられるエーテルだが、その原料であるマナは土地ごとに一定の量しかないらしい。

「……と、言うわけで、この世界における戦争というのは、相手の土地……ひいてはその土地のマナを奪い合うための戦争が殆どとなります」
「戦争、ね」

 この大陸では今でも小競り合いが絶えないのだと、なんとはなしに聞いていた友希だったが、未だ実感は沸かない。

「この国……えっと、サルドバルトだっけ。ここも、他の国と戦争をしているの?」
「そうですね。本日はその辺りをお話ししましょうか。少々お待ち下さい」

 と、ゼフィは友希の部屋から一旦出て、なにか大きな紙を持って戻ってきた。

「こちらが、この大陸の地図となります。軍用のものですが」

 友希は身を乗り出して、その地図を眺める。
 東の端は黒く塗りつぶされ、西側は海岸線が描かれている。縮尺は分からないが、大陸、というからにはそれなりの広さだろう。

「私たちのいるサルドバルト王国は、大陸の北西。この線で囲った範囲となります。隣接している国家は、こちらのラキオス王国、イースペリア国」

 と、ゼフィが順に国の名を挙げる。

「我がサルドバルトは、ラキオス、イースペリアと龍の魂同盟という軍事同盟を結んでいます。敵国と接していないので、今のところ戦乱とはほぼ無縁ですね。時折、バーンライトの兵が少数で攻めて来るくらいで」
「そうなのか……」

 それを聞いて、一安心した友希であった。戦いの訓練はさせられているものの、自分が実際に戦場で誰かを殺すなど、想像すらできない。

「龍の魂同盟と敵対しているのが、先程申し上げたバーンライト王国と、こちらのダーツィ大公国です。大陸北部のこの五ヶ国は北方五国と呼ばれることもありますね」
「ふむふむ……」

 これで、地図上の土地の半分ほどだ。国の名前は地図に書いてあるのだが、文字は読めないので今のうちに必死で頭に叩き込む。

「バーンライトとダーツィの背後にはサーギオス帝国がいる、と言われています。サーギオスは大陸の南東部にあり、南西のマロリガン共和国と争っています。この二国に挟まれる形で、砂漠の国デオドガン商業組合がありますが、こちらの国はどちらに対しても中立を保っていますね」

 北の五つの国に比べ、サーギオスとマロリガンという国は領土がかなり広い。土地が広いということは要するに保有しているマナも多いということで、おそらくは強国なのだろう。友希が頷くのを待って、ゼフィは話を続けた。

「大陸最西部にはソーン・リーム中立自治区もありますが……こちらは他の国には徹底して不干渉を貫いているので、無視しても良いでしょう。以上が、この大陸に存在する国家群です」

 駆け足で全ての国を説明されたが、それぞれの国を何度か確認し、国の位置を覚える。
 これは、もし逃げることになった場合にも有効な情報なので、しっかりと記憶することにした。

「ちなみに、ここはこの地図で言うとどの辺?」
「ここですね。サルドバルト王国首都サルドバルト。西にミスル山脈を擁し、攻めるに難く、守りに易い土地です」

 仮にここから逃げるとしたら、距離的にはイースペリアという国が最も近い。ただ、この国はサルドバルトと同盟を結んでいるそうだから、その先のマロリガンか、もしくは山越えを覚悟で西のソーン・リームに逃げるのが順当なところだろう。今は、皮算用以外の何者でもないが。
 というか、ここまで簡単に地図を見せるというのは、どうなのだろう。もう逃げる気はないと誤解しているのか、それともどうせ逃げられやしないと楽観しているのか。

「では、個別の国の特徴を説明いたしますね」
「ああ、うん」

 ゼフィが丁寧に国の説明をしていく。その話によると、このサルドバルト王国は大陸でも相当の弱小国らしい。スピリットの数、練度共に大国には到底敵わず、枯れた土地で常に食料が不足している。また、生活の根底を支えるマナも少ない。
 ラキオス、イースペリアからの食料援助がなければ、とっくに干上がっている土地柄だそうだ。

 オブラートに包みながら祖国を説明するゼフィの顔色はあまり良くない。厳しい訓練を、ロクな食事もせずに続けていれば、それはそうなるだろう。友希とて、最近少しやつれた気がする。人間の口にする食事すらままならないのだ。いわんやスピリットに与えられる食料が多いはずがない。身体がマナで構成されているため、マナさえあれば最悪餓死することはないが、気力、体力が削がれていくのは間違いなかった。

 サルドバルトの説明を終え、ゼフィは続いて他の国も説明する。ただ、自国はともかくとして、その他の国についてはゼフィも詳しくはないようだった。スピリットは軍属なので、知っている情報は自然と各国の戦力のことになる。
 それによると、サルドバルトを除く北方五国はどこもほぼ同じくらいの戦力。後は、サーギオスとマロリガンの戦力が突出しているらしい。

「ふう……こんなところでしょうか。なにか質問は?」
「いや、大丈夫」

 質問なら、都度入れていた。今のところ、これ以上聞くことはない。

「では、白湯を淹れてまいりましょう」
「あ、別にいいけど」
「私が飲みたいんですよ。ついでですから」

 笑顔でそう言われると、断る理由もなく、友希は頼むことにした。出来ればお茶が飲みたいのだが、この国でスピリットに茶葉が支給されることなどまずない。
 ゼフィが出て行って、勉強のため集中していた意識が緩む。するとぐぅ、とお腹が鳴った。昼食べたのは蒸した芋のようなものだけ。到底足りはしない。その上で激しい訓練をしたのだ。生身なら、とっくに動けなくなっている。

『……腹、減ったなあ』
『空腹はつらいですね』
『お前、腹減ったりしないだろ』
『いえいえ、マナが長期間得られないと、似たような感じですよ。幸い、この世界のマナは主の世界より余程豊富なので、飢えたりしませんが』

 羨ましい話だった。空気を食べて生きているようなものか。

 なんとか食料を確保できないか考えてみる。このままだと、ストレスが溜まりそうだ。
 スピリットはともかく、人はもう少しマシな食事をしていると聞く。遠目に見える街――首都サルドバルトまで行けば、食料はきっとないことはない。ただ、金はないのだった。

「はあ……」

 現金を確保することは難しい。働こうにも、働き先の伝などない。盗むのは良心が咎めた。結局はどうしようもないのだ。

 と、ゼフィが戻ってくる。

「淹れてまいりました。どうぞ」
「ありがとう」

 素直に礼を言って、マグカップに入った白湯……要するに、ただのお湯を口に運ぶ。塩が入っているのか、少しだけ味があった。

「……美味い」

 疲れた身体に、塩分はありがたい。そういえば、先程の地図でサルドバルトは海に面していた。塩は取れるのだろう。じゃあ魚は、と聞いてみると、ゼフィは困った顔になる。

「バートバルト湾に生き物の類は全くいないんです。煮詰めれば塩は取れるのですが」
「……そうなのか」

 友希の中にある『この世界の不思議一覧』にまた一つ項目が加わった。海に生き物が全くいないなど、環境汚染でもあるまいし。

 そこから、ゼフィと他愛のない会話で時間を潰す。短い期間だが、ゼフィに対しては友希は随分とガードが下がった。唯一、まともに話が出来る相手だということもあるし、毎日の食事を作ってもらったり、こうやってこの世界のことを教わっている恩もある。
 最初に会ったときも、落ち着いてよくよく考えてみると、ゼフィは命令されて仕方なく友希を攻撃したのだ。

 そう考えて、過度に警戒することはない、と結論づけていた。ゼフィの方も、最初の固い口調が少し緩んでいる。ただ、様付けは、何度言っても直らなかったが。

「家事の方、大丈夫?」
「ええ。掃除は一昨日しましたし、洗濯は昨日まとめて済ませました。後は夕飯の支度ですけど、これは夕方からで大丈夫です」
「いつも大変だよな。いや、世話になっておいてなんだけど……」
「慣れていますから」

 苦笑するゼフィ。実際、ゼフィの手際は大したものだった。何度か手伝おうとしたが、友希が手伝っては逆に効率が悪くなる。洗濯の時など、下着を誤って手に取ってしまって気まずい思いをしたりもした。……要するに役立たずだったわけである。
 ちなみに、この屋敷のスピリットたちは、その間ずっと部屋に篭っている。なにをしているのか、と聞いてみたら、訓練時以外はいつも横になって身体を休めているらしい。

「あのさ。ゼフィ……彼女たちの世話、嫌になったりしないのか?」
「え?」

 ふと、そんな疑問が口に出てしまった。
 苦労して世話をする相手は、全員が人形のようになんの反応も返してくれない。そんな状況は、友希ならとっくに嫌気が差しているはずだった。

「それは、大変は大変ですけど……。仲間ですから」
「仲間、って……でも」

 友希の言葉を、ゼフィが首を振って遮った。

「今はああですけど、訓練が始まる前にみんなと話したこともあるんです。今はゼルも感情をなくしかけていますけど、ほんの数カ月前までは真面目ないい子でしたし。
 だから、そんなみんなの世話は、一人だけ自我を保ってる私の義務だと思うんです」
「……そうなんだ」

 友希には共感出来ない感覚だった。ただ、ゼフィが彼女たちを大事に思っているのは、生活の中で十二分に知っていた。否定することも出来ない。

「……悪いけど、僕は正直、あの子たちがおっかない」

 無感情で、訓練の時以外は殆ど動かない彼女たち。それでいて、戦えば友希を瞬殺する実力を持っている。理解出来ないもの、強いものに対する素直な恐怖がある。例外と言えばゼルくらいだが、彼女だってもう少し訓練を積めば同じようになるだろう、と教えられていた。

「おっかない、ですか。ふふ……」
「? なに」
「いえ。新鮮な反応だな、と思いまして。普通、人間の方はスピリットを恐れたりしません。絶対に逆らえないのですから」
「……そりゃ、僕はこの世界の人間じゃないし」
「そうですね。私とこうして話してくださいますし」

 ゼフィは微笑んで、白湯を口に運んだ。

「人はスピリットと口を聞くのも嫌がるものですから。私の知っている限り、イスガルド様くらいでしょうか。例外は」
「……僕はあの人苦手だ」

 訓練士の名前を挙げられ、友希は苦い顔になる。初心者だから上手く出来ないのは当然だというのに、イスガルドはいつも友希を怒鳴ってくるのだ。最初会ったときの理知的な印象は、初日の訓練の罵声で吹っ飛んだ。

「そんなことを言ってはいけませんよ。イスガルド様はトモキ様を思って厳しく鍛えて下さっているんですから」
「そうかなあ……」

 確かに指示は的確だが、もう少し言い方というものがあると思う。だが、ゼフィがこう言うのだから、次からはもう少し素直に言うことを聞こうと思った。なんだかんだで、『人間』の中では一番信頼出来る人ではある。

「……さて。私はそろそろ行きます。近場で山菜を仕入れて来ますから、今日の夕飯は少し豪勢になりますよ」
「あ、それはありがたい」
「ふふ、楽しみにしていてください」

 友希は手を振ってゼフィを送る。

 そして……一人になると、途端にすることがなくなるのだった。仕方なく、訓練の疲れを取るため、ベッドに横になることにする。なんだか、非難したスピリットたちと同じことをする自分が、なんとも間抜けに思えてくる友希であった。
























 一時間少々で目が醒めてしまった。

『おはようございます。じゃあ、私とお喋りしましょう。お喋り』
「さて、なにかすることないかなー」

 心の声を上げる『束ね』を無視する。

『む』
「ぐあああああっ!?」

 すると、懐かしい頭痛が襲いかかってきた。油断していたため、大げさに転がりまわる。

『私を無視するとは、いい根性です』
「ぐ、く……。ちょっとした冗談だろ」

 どうせ、友希にだって他にすることはないのだ。話に付き合うくらい、別にいくらでも構わない。

『冗談ですか。それならいいんですけど』
「ったく。で、なにを話す気だ? そろそろネタが尽きてきたぞ」

 午前か午後の訓練、そして一日一時間のゼフィとの勉強会。それ以外では基本的に暇を持て余している二人は、相互理解を深めるためにちょくちょく話をしていた。『束ね』の巡ってきた世界の話や、友希の身の上。後はくだらない雑談など。
 お陰で、胡散臭いと思っていた『束ね』にも、多少の親近感は持っている。

『では……私の"力"についてお話ししましょう』
「力?」

 それについては、日頃の訓練で思い知っている。人間離れした……しかし、まだスピリットには敵わない程度の力。訓練士であるイスガルドによると、第五位らしく潜在能力は優れているとのことだが、まだまだ発揮は出来ていない。

『はい。そろそろ主も私の扱いに慣れてきた様子。私の神剣としての特性を話すべき時期です』
「……続けてくれ」

 神剣と一口に言っても、その能力は様々だ。スピリットたちの持つ神剣は、その色によってある程度分けられるが、例えば同じブルースピリットの持つ神剣でも攻撃に優れた物、防御に優れた物など、一つとして同じものはない。さらに、神剣によっては特殊能力としか言いようのない特性を備えた剣も存在する。
 他の神剣の位置を半径数キロに渡って完全に感知するもの。逆に、相手から自分の神剣の気配を隠すもの。常識では考えられない身体強化や抵抗力。
 これが、イスガルドに座学で習った神剣の特性だ。

 そういった観点で言うと、『束ね』は平均的な神剣だった。目立った弱点はないが、特別飛び抜けているところがあるわけではない。オーラフォトンを操れる、というのがスピリットにない特別な点だが、『束ね』の物言いからして、他になにかしらの能力を備えているらしい。

『はい。私の神剣としての能力――それは、剣の力を一つにするものです』
「……は?」

 今ひとつ意味が分からない。

『そうですね……。例えば私のマナを他に与えて能力を増幅したり、逆に力を集めて私の能力を向上させたり。また、他の神剣と共鳴することで、位階を越えた力を発揮することも、不可能ではありません。要するに、一人……失礼、一剣では役に立たない能力です。
 ただ、一つ条件がありましてですね』

 『束ね』は困ったように一息置いて、言った。

『相手は『仲間』でないと駄目なのです。神剣に意思を呑まれた者などもっての他。何故なら、本能のままに動く神剣が、倒してもいない他者のマナを受け入れたり、逆に相手にマナを与えることなど絶対に有り得ませんから』

 補助魔法みたいに純粋に能力だけを上げるわけじゃないのがミソですね、と『束ね』はいっそ笑って言った。

「待て待て待て。つまり、それって」
『この部隊では使えませんねえ。ゼフィだけですか。一人だけだとメリットは薄いです。人数が多いほど効果も倍増するので』
「それでか。今まで神剣魔法を教えてくれなかったのは」

 神剣魔法は、その神剣の持つ特性をダイレクトに発揮する。使えない魔法を教えられても、確かに困っただろう。

『そんなところです』

 ふぅ、と『束ね』は溜息を付いた。

『元々、私が『紡ぎ』から『私』という存在になったのは、力を合わせる人間の姿に感動したからです。一人では大した能力を持たない人間が、協力したときに凄い力を発揮する。私もそうありたい……そんな思いがこんな能力になったわけですが、主には申し訳ないですね』
「……いや、いいよ」

 そんなことを言われては、怒る気にもなれない。
 少し『束ね』が落ち込んだ気配を感じて、友希はわざと笑って言った。

「そもそも、お前が役に立たないなんて今更だしな――って、ぎゃぁぁぁぁああ!?」

 報復の頭痛を喰らい、再び友希は床に転がるのだった。




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