適当に作った晩ご飯をつまみに缶ビールを呑みながら、だらだらとドラマを流し見する。
 一人暮らしを始めてから、こっそり習慣となっている友希の悪癖だった。

『……むう、主。このドラマ、少しドロドロじゃないですか?』
「あー、そうかもねー」

 現在、ドラマは植物状態だった主人公の元恋人が、現在の新しい恋人と修羅場っているシーン。
 正直、心臓に悪い展開であった。

『最後にハッピーエンドになるならいいですけど……私、バッドエンドの物語って大嫌いなんですよね』
「それには同意する」

 頭に中に響く『束ね』の声に対し、声を出して答える。
 その気になれば頭の中だけで会話することも出来るのだが、慣れないこともあって友希は口に出して会話することにしていた。傍から見れば一人で喋っている変な人なので、外では基本的に『束ね』とは話さないし、それで『束ね』も同意している。

『ですから、主の人生も、最後は畳の上で子供や孫に囲まれて大往生とか、そういうハッピーエンドをお願いします』
「お願いされてもなあ」
『恋人はいないんですか、恋人。……と、失礼』
「……なんで最後に失礼とか言った」

 ジト目になって自分の中にいる『束ね』に話しかける。
 『束ね』は、いやいや、と誤魔化した。

『ああ、そうそう』
「なんだ」
『私に見て欲しくないことをするときには、そうと言ってください。眼を閉じておくので』
「……余計なお世話だ」

 正直、友希は『その問題があった』という気分だったが、意地で反論する。
 はははー、と笑う『束ね』がうっとおしい。

「もういい、寝る」
『ま、ま。そう不貞腐れずに』

 缶に残っているビールを飲み干し、テレビを消そうとすると、テーブルの上に置いたままの携帯が鳴った。
 適当にチョイスしたポップスが流れる。

「メール?」

 珍しいな、と思いつつ携帯を手に取ってみてみると、送り主は岬今日子。
 ますます珍しい、と思ってメールを開いてみると、明日の放課後、暇? という一文。デートの誘いとか、そういう甘い内容はハナから期待せず、本文を開いた。

 メールを詳しく見てみると、なんでも佳織に演劇の主役をするということを伝えていない悠人への罰として、放課後、練習するところを佳織に見せるらしい。放課後は一応クラス全員で練習するが、その後の話のようだ。折角だから、ちゃんとした練習をするため、同じく台詞の多い友希に声をかけたらしい。
 悠人のようにバイトをしているわけでもなく、明日は特に予定もないこともあり、友希は了解の旨のメールを返信した。

『そういえば、演劇に出るんですねー。演劇も好きですよ、私。やはり貴方は、私の主として、やはり相応しい』

 なんとも適当な神剣であった。別に友希が自分から進んで役に立候補したわけではないのだが。

「出る気なかったんだけどなあ……」
『なにを呑気な。よろしければ、私が演技の指導をしましょうか? こう見えても演技には五月蝿いですよ私』
「結構だ」

 すげなく断って、友希は二本目の缶ビールを煽る。そろそろ、今日のドラマは終わる時間だ。正直、そろそろ楽しめなくなりつつあるので、切ろうかな、と考えながらリモコンでテレビを切る。

「ふぁ……」

 大きく欠伸をする。いつもはビールは一本で済ませるのだが、『束ね』と話しながらついつい二本目にも手が伸びてしまった。友希は高校生にも関わらずそれなりにアルコールに慣れているのでこれくらいで二日酔いにはなったりしないが、しかし明日は少し身体がだるいかも知れない。
 早めに寝ることにして、友希はシャワーをざっとだけ浴びてから、自室へと戻る。

『おや、主。今日はゲームはしないのですか。今進めているテイ○ズのストーリーの続きが気になるのですが。私と同じく、意思を持つ剣が出てくるというのが素晴らしいあれを』
「……お前本当に神剣とかいうやつなのか?」

 部屋に帰って直ぐ様床につこうとした友希に文句を言ってくる『束ね』に、友希は疑惑を深くする。そもそも、最初こそ神秘的な登場シーンだったが、それ以降の『束ね』はただのサブカルチャー好きの軽いやつだった。確かに、友希の意思で出し入れ出来たり、持った時には凄まじい力を発揮でいるようだが、それを考慮しても胡散臭いこと甚だしい。

『無論です。確かに、私ほど永遠神剣の本能をブッチしている神剣も中々いないとは思いますが』
「……神剣の本能って?」

 俗っぽい言葉を使うことについては、今更突っ込む気も起こらない友希であった。

『他の神剣を砕き、そのマナを奪うことです。私の場合は色んな物語を見聞きするという方が遥かに優先度が高いので無視していますが。具体的に言うと『物語の収集』>>>>(越えられない壁)>>>>『マナの収集』ですね』
「具体的に言わなくてもいいけど……物騒な話だな」

 『束ね』がやたら軽く言っているので今ひとつ剣呑な雰囲気がしないのだが、要するに同族を殺して力を奪うということだ。剣という戦うための形を持っているとは言え、それはあまりにも歪な在り方ではないだろうか。

『なに、こんなマナの薄い世界でわざわざ戦うような物好きもそうそういないでしょう。この世界にいる限り、主が戦いに巻き込まれることは多分ありません』
「……なんか、言葉の端々に可能性を捨て切れていない感じがするんだけど」
『それはそうでしょう。神様でもあるまいし、絶対なんてことは言えませんよ。ただ、今それを気にするのは降水確率0パーセントで傘を持って行くようなものです』

 ここまで言うからには、本当に可能性の低いことなんだろう。0パーセントでも、降るときは降るもんだけどな、と友希は内心笑って考えながら、それ以上話すことはせず、寝ることにした。























 大方の予想を覆して、翌日、友希はいつもより早めに目が覚めた。
 運がいい。早めに床に付いたのが良かったのだろう。アルコールを嗜んだ翌日の午前は少し身体が重いのだが、今日に限って何故か気分爽快。
 なにかいいことでもあるかなあ、と足取りも軽く学園に到着し、

「瞬……お前、言いたいことがあるならはっきり言え」

 教室前の廊下で、睨み合っている悠人と瞬に遭遇した。清々しい朝が一瞬にして険悪なムードになる。
 悠人は今にも首を締めそうな形相で瞬の胸ぐらを掴み上げていた。一緒にいた光陰が止めようとしているが、耳に入っていないようだった。

「離せ」

 苦しそうにしながらも、瞬は不敵に笑って言う。
 それに聞く耳を持たず、更に悠人は締め上げていった。

 ……普段の悠人は、ぶっきらぼうながらも気のいい男子である。光陰と今日子以外のクラスメイトとはあまり付き合いがないが、それでも今回の演劇の件のように、クラスの中ではそれなりにやっていっている。
 どうして瞬に対してだけ、このような対応になるのか。佳織のことだけが理由ではない気がする友希だった。

 要するに、致命的に相性が悪いんだろう。
 ちっ、と友希は舌打ちして、早足で二人に駆け寄った。

 光陰と共に、二人を宥めようと間に入る直前、瞬の腕が鋭く翻る。

「ぐっ!?」

 悠人の脇腹に、瞬のパンチが突き刺さる。たまらず、悠人は腕を離して崩れ落ちた。悠人に弱みを見せないためか、抑えつけた咳き込みを漏らし、瞬は膝を付いた悠人を見下す。

「あ〜あ、だから離せって言ってやったのに。無様だな、悠人」

 瞬の拳に、黒いものが見えた。さり気無くポケットに隠したが、友希の位置からは丸見えだった。
 あんな至近距離で、しかも胸ぐらを掴まれながら悠人を倒したのは、あれを握り締めていたからだろう。

「……おい、瞬」
「ああ友希か。お前も見ていただろう? 悠人のやつ、いきなり僕に突っかかって来たのさ。この野蛮人め」

 声をかけると、そこで初めて気付いたように瞬が振り向く。

「随分とえげつない真似をするじゃないか、秋月」
「ああ? 先に手を出したのはそっちだろう。正当防衛さ」
「だからって、携帯握って腹殴るなんてな。怪我で済まなかったらどうする気だ?」
「よく見てるな。はは」

 膝を付いた悠人を庇うように前に出る光陰。
 瞬は、それを面白そうに見て、携帯を入れたのとは逆側のポケットに手を入れる。

「仕方ないだろう? 僕は色々と敵が多いんだ。そこで無様に倒れてるやつだけじゃなくてさぁ」
「っ、瞬んん!」

 まだ苦しいだろうに、悠人が起き上がり、光陰を押しのけようとする。既に拳は固く握られていて、今にも飛び掛りそうな眼だった。

「へぇ、まだ痛い目に遭いたいのか」
「やめろ、悠人」
「瞬も挑発するんじゃない」

 悠人を光陰が、瞬を友希が抑える。
 しかし、二人では決定的な違いがある。悠人は間違っても光陰には襲いかからないだろうが、瞬にとって邪魔をするなら友希も簡単に排除の対象となりうる。案の定、虫けらを見るような目で見られ、友希は本能的に後退りそうになった。
 しばしの緊張。友希にとっては、いつ殴られるか、胃がキリキリとしそうな数秒だった。

「悠人も秋月も。なんだそんなに殺気立って。殺し合いでもしようってのか?」
「……くっ」

 光陰に諭されて、悠人は体の力を抜く。
 興が削がれたのか、ふん、と嘆息して、瞬もポケットから手を抜いた。

「離せよ、友希」
「あ、ああ」

 どうやら、引き下がる気になったらしい。
 友希が抑えていた手を払って、瞬は悠人を睨み据えた。

「一つだけ言っておいてやる。ああ、何度も言ったかもしれないけど、お前は頭が悪いからな」
「……なんだ」
「佳織を開放しろ。佳織は、お前と一緒だと絶対に幸せになれない。絶対にだ。……この疫病神め」

 その言葉に、悠人は更にいきり立ち……ぐっ、と肩を掴んだままの光陰に抑えられる。それでも引き下がれはしないのか、低い声で瞬にむけて言った。

「またそれか。馬鹿の一つ覚えみたいに。たまには違うことを言えないのか」
「僕の言いたいことはこれだけさ。佳織がいなければ、誰がお前なんかと話をするか。……佳織さえ開放するなら、どこでなにしようと見逃してやるからさあ」
「佳織をっ! お前なんかに渡してたまるか!」
「渡す? 勝手に僕の佳織を攫っておいて、いけしゃあしゃあと。……ふん、わかったな? 早く佳織を自由にしてやるんだ」

 そう言い残し、瞬は自分の教室へ去っていく。

 完全にその姿が消え、やっと緊張が緩んだ。

「は〜〜〜」

 友希は大きく溜息をつく。悠人は、どこかバツの悪そうな顔になり、『悪い』と、謝ってきた。どう止めたらいいのか、悩んでいた様子の今日子が、無理をして明るい声を出す。

「ったく。アンタたちは。顔を付き合わせるとああなんだから……。仲良くしろとは言わないけど、もう少し落ち着いけないワケ?」
「わかっちゃいるんだが……」
「わかっているなら直しなさい! 全然できてないんだから……。佳織ちゃんも心配するわよ」

 今日子の説教に、悠人はたじたじだった。
 それを眺めつつ、光陰がぽん、と友希の肩を叩いた。

「悪い、助かった」
「なんにも助けてないだろ……。その気になったあいつが僕の言う事なんて聞くもんか。怖えーし」

 普段の瞬なら、それなりにうまくやる自信のある友希だが、佳織と悠人が関わったときの瞬は、そんな友希でも近付きがたい。

「だな。やれやれ、唯一の友達もなくすつもりか、秋月の奴」
「……これでも、たまに遊んだりするんだけどな」

 ……遠い日の記憶。病院で、佳織を挟んでとは言えヨーヨーで遊んで笑い合った記憶。
 重ねた歳月以上に、今はその記憶が遠くに感じた。































 朝はともあれ、それ以降はいつも通りの学校生活を送った、その下校時間。友希は昨夜の約束に従い、全体練習の後に更に練習を重ねるべく、悠人たちと下校を共にしていた。友希は、佳織との縁や光陰の隣の席ともあり、一緒に下校することはたまにあった。そのため、今日のことを知らされていない悠人にも怪しまれていない。
 この後は、神社に呼び出している佳織と合流し、そこで練習を見せる予定である。お昼のリサーチにより、やはり悠人は佳織に演劇のことを話していないことが判明したので、佳織はきっと驚いてくれるだろう。
 それに、

「悠! アンタ主役なのにセリフ噛み過ぎ。ったく、先が思いやられるわ」

 先程の練習のことを考えると、悠人に練習が必要なのも間違いなかった。友希とて、初日ということもありロクな演技が出来たとは思えないが、それと比べても悠人の演技は酷い。台詞を噛むわ、棒読みだわ。ヒロインの今日子に愛を囁くシーンなど、照れたのか蚊の鳴くような声しか出ていなかった。
 まあ、その気持ちは友希にも分からなくはない。クラスのみんなの前で、気心の知れた友人に告白の真似事など、想像するだに気恥ずかしそうだ。

「仕方ないだろ……俺は、そもそもこんなの向いてないんだよ」
「えー、そんなことないですそんなことないですよ悠人先輩! 悠人先輩が主役だなんて、小鳥今から超楽しみですっ」

 佳織の親友であり、中等部のくせに何故か高等部に入り浸っている少女、夏小鳥が騒ぎ立てる。
 何故か、というか、傍から見れば悠人狙いなのは明らかなのだが、どうしてか本人だけは全く気付いていない。今日の下校も、わざわざ演劇の練習で遅くなる悠人と一緒に帰るべく待っていたのだが、そんなことも悠人にはわからないらしい。玄関で待ち構えていた彼女に遭遇して悠人曰く『小鳥、奇遇だな』である。

「楽しみにしてもいいけど、期待外れだぞ、きっと」
「えー、そんなことないですよう。あ、でもでもー、あまり期待しないで見に行ったら、思い切り期待するよりもっともっと楽しめちゃうかもしれませんね」

 『ギャップ萌えってやつですねー』と、名前の通りピーチクパーチク賑やかな子である。この元気っ子は、クラスの間でもマスコット的キャラとして可愛がられていた。

「なんだよ、それ」
「ギャップ萌えってのはあれだ……そうだな、碧。岬が急に甘えてきたりしたらどうだ?」

 そのあたりの文化については、初心者クラスながらも知っている友希が説明しようとする。丁度いい例えとして、普段はサバサバしている今日子がそうなったら、と恋人である光陰に聞いてみた。
 その光陰は、いきなり妙なことを聞かれて一瞬渋い顔になった後、

「……なにをたかられるのか、身構えるが」
「人聞きの悪いことを言わないっ」
「んご!?」

 今日子の神速の抜ハリセン術が炸裂する。毎度毎度、どこから取り出すのだろう。そして、どうしてただの紙のハリセンが、大の男を沈めるのだろう。

「御剣も、いきなり変なことを言わない!」
「あたっ!」

 それを、友希は身を持って知ることになった。痛いというわけではないのだが、なんていうかこれは……そう、『問答無用』だ。
 今日子は、悠人と光陰以外相手にハリセンでツッコミを入れることは滅多に無い。貴重な体験が出来た、と友希は的外れなことを考える。
 『ったく』と今日子は肩をハリセンでトントン、と叩いて、次いでそのハリセンを悠人に向けた。

「な、なんだ?」
「今から神社に行くわよ」
「は、はあ?」
「練習。悠、このままじゃ佳織ちゃんに恥ずかしいところを見せるだけだからね。ちょっとは特訓しないと。丁度メインは揃ってるし」

 いささか強引な話の持って行き方だった。今日子がニヤニヤ笑っているのもあり、悠人は少し訝しそうな顔になる。だが、確信までは至らなかったようで、不承不承頷いた。

「じゃあじゃあ、小鳥はこれで帰りますっ。練習も見ない方が、どんな展開かドキドキ出来るのでっ」
「夏、世の中には予告というのもあるけど」
「はっ! そうでした。むしろ、展開を少しだけ知っていれば、あの後どうなるんだろー、って本番までワクワクですねっ」

 友希が話題を振ると、小鳥は思った通りの反応を返してくれる。実に楽しい娘だった。こんな子に好かれている悠人が羨ましい。

「ああ、このまま皆さんの練習についていくべきかどうか、小鳥は途方に暮れてしまいます」

 しばらく小鳥は悩んだようだったが、やがて意を決して顔を上げる。

「うう、名残惜しいですけど、今日は帰ります。それじゃあ、悠人先輩、岬先輩、碧先輩、御剣先輩、失礼します」

 律儀に全員に挨拶をして、小鳥は小走りに去っていった。その後姿を見送り、今日子が口を開く。

「やれやれ、悠、これじゃあますます下手な演技は見せられないわね」
「……む」
「そうだな。悠人、お前がトチったりしたら、俺が主役をかっさらうからな」
「碧。お前の役どころじゃ、どう頑張っても主役は無理だと思うが」

 ちなみに、光陰の役は主人公(探偵)の友人で、死体を見つけたり主人公の推理を聞かされたときに『な、なんだってー!?』と驚く役である。『なんだってー』だけで主役を張れるなら、それはもうサスペンスではない。コメディだ。

「むしろ、主役を張るなら僕の方だろ」

 友希は、犯人役であった。主人公とヒロインに次いで台詞も多い。

「はいはい、アンタたち、馬鹿なこと言ってないで早く神社行くわよ。かけあーし!」

 ハリセンを振って、男たちの尻を叩いて急かす今日子。元々、あのハリセンは陸上部でこういう風に使うためのものらしい。

「へいへい」
「ほら、御剣も!」
「わかったよ」

 チンタラするなー! と怒声が響く。もしかしたら、部活でロードワークにでも出るノリなのかもしれない。

「ほらほら、そんなのんびりしていたら日が暮れちゃうわよ」

 この季節、日が落ちるのも早い。確かに練習時間をある程度確保しようとするなら、急がなくてはいけなかった。






























 神社の階段まで勢いのまま登って、荒く息を付く。
 呼吸を整えている悠人を見て、汗をかいている程度の光陰と今日子がニヤニヤ笑っていた。

 もう、佳織は来ているはずである。さぞや面白い反応を見せてくれるだろう、と期待してのことだ。友希も、知らず笑っていた。
 周り――先日、『束ね』が降ってきた境内――を見渡すと、すぐに帽子を被った小さな影を見つけた。

「あ、お兄ちゃ〜〜んっ!」

 向こうもこちらを見つけたらしい。佳織は、驚愕を顔に貼りつけた悠人に向かって手を振った。

「お、お前ら謀ったな!?」
「ふ、ふ、ふー。何時までも佳織ちゃんに教えてあげない悠が悪い」
「ちゃんと知らせてあげないと、佳織ちゃんが俺の勇姿を見に来れないだろ?」
「寝言を言ってる光陰は置いといて、と。おーい、佳織ちゃーん」

 今日子が手を振り、ててて、と佳織が近付いてきた。

「御剣」
「悪い。岬に巻き込まれた」

 別に悪いとも思っていないが、恨めしそうにこちらを見てくるそう悠人に返した。
 憮然とした悠人に、駆け寄ってきた佳織が嬉しそうに話しかける。

「えっと、今日ちゃんからなにか発表があるって聞いたけど」
「いや、その……だな」

 しどろもどろになる悠人。友希、光陰、今日子の三人は、その様子を笑いをこらえながら見ている。
 しかし、いつまでも話を始めようとしない悠人に、今日子は痺れを切らせて二人に割って入った。

「悠が言い難いみたいだから、私から教えましょう。実はね、なんと悠は今度の文化祭でやるクラスの演劇で、主役をやることになったのよ」
「えー! 本当? お兄ちゃん」

 大げさに驚く佳織に、悠人は照れくさそうに頬を掻く。

「まあ……今日子たちの陰謀で、そういうことになった」
「すごいすごい! わたし、絶対に見に行くからね」
「そんなに期待しないでくれよ」

 苦笑する悠人だが、どこかすっきりした顔だった。佳織に隠していたことに対して後ろめたいところもあったんだろう。

 と、そこで、ふふ、と上品な笑い声が聞こえた。
 ん? と、悠人たちの様子を見ていた今日子がそちらを見る。

 釣られて、友希もそちらを見る。……と、巫女服姿の女性が、袖を口に当てて笑みを浮かべていた。清楚な雰囲気の美人で、思わず友希は見惚れてしまう。

「あ、お兄ちゃん。時深さんとは、さっき仲良くなったんだ」
「こんにちは、悠人さん。それに、ご学友の皆さんも」

 現れた女性――佳織の言葉からすると、時深さん――が悠人に親しげに話しかける。その様子にただならぬものを感じて、光陰と今日子は悠人の脇腹を肘で打った。

(おい、悠人。あの美人はどこの誰だ? 紹介しろ)
(どこであんな人と知り合ったのよ)

 二人が追求するが、友希も同意見だった。少なくとも、学校の生徒とかじゃない。随分若く見えるが、落ち着いた雰囲気から年上だろうか、とあたりをつける。

「あ、ああ。みんなにも紹介するよ。あの人は倉橋時深さんって言って……前にここでちょっと助けてもらったんだ。ええと、時深さん、こっちの連中は……」
「悠人さん」

 と、悠人が話すが、途中で時深が割って入った。声は固く、表情は先程の穏やかな笑みではなく真剣な色をたたえていた。その顔は、少し焦っているようにも見える。

「皆さんを紹介してもらいたいのは山々ですけど、もう時間がありません。この剣を見てください」
「え?」

 懐から取り出された短剣。それに、友希は強烈に引き付けられ、

『主!』
『……! た、『束ね』か?』

 いきなり、心の隅に陣取っている『束ね』が話しかけてきた。思わず声を上げそうになるが、なんとか心の中で声を発することに成功する。

『お前、外にいるときは話しかけるなって』
『そんな場合じゃありません。あれは神剣です』

 神剣? と、友希が聞き返そうとすると、突然悠人が頭を抑えてその場にへたりこんだ。息を荒くつき、見るからに顔が青ざめている。尋常ならざる様子だった。

「悠人!?」
「ちょっと、悠!」

 両隣にいる光陰と今日子が慌てて悠人を見る。
 同じく近くにいた友希は、それどころではなかった。時深の持つ剣から発せられる強大な力を、五感ではなく身体の中の『束ね』を通じて感じる。まるで蛇に睨まれた蛙のように動けない。そして……

『主。主の友人は、神剣からの干渉を受けていますっ』
(し、神剣?)
『あの女性とは別の……これは、門!? いけないっ』

 『束ね』の焦った声。
 今日子は時深がなにかしたのかと詰め寄っているが、遠くから近付いてくる力を感じた友希は思い切り叫んだ。

「っっっっ!!? みんな、今すぐここから離れ――」
「ああああああああああああーーーーっ!」

 友希が声を上げるのとほぼ同時、悠人が絶叫を上げ、黄金の柱がその場を包む。それは、先日『束ね』が降ってきたときと同じ光だった。

「なによ、なによこれ!」
「おい、慌てるな!」

 焦ったような今日子と光陰の声。

「ぐううううう!!!」
「お兄ちゃん! どうしたの、お兄ちゃん!」

 悠人は相変わらず、蹲ったまま。そして、佳織はそんな悠人を心配している。辺りは光りに包まれ見えないが、声だけでそんな様子は手に取るようにわかった。

「みんな、逃げろ!」

 声だけ掛けて友希も逃げようとする――が、その場から動くことが出来ない。
 と、そこで、友希は何かに引っ張られる感覚を味わった。掃除機に吸い込まれるゴミの気持ちがわかるような、強烈な力だ。

『主! 踏みとどまってください! 飛ばされますっ』
「む、ちゃ、言うな!」

 友希が留まろうとする力より、吸い込まれる力のほうが遥かに強い。

「くっ、今日子ぉーー!」
「光陰、悠ぅーーー!」

 光陰と今日子の声が遠ざかる。『飛ばされた』と感覚でわかった。

「お兄ちゃん! おにいちゃ――」
「佳織!」
「佳織ちゃん!」

 消えていく佳織の声に、悠人と同時に声を上げる。しかし、返事はなく、

『どうか皆さん、自分を信じて下さい。それが、道を開きます』

 時深の声がいやにはっきりと聞こえる。そして、

「う、わあああああああっ!?」

 とうとう友希も堪え切ることが出来ず、いずことも知れぬ場所に引っ張られていくのだった。























「ふう」

 光が収まった後。時深は剣を懐に納め、ため息をついた。
 悠人たちは既にいない。かの世界へと飛ばされてしまった。悠人を呼び出した剣はたかだか四位。そんな剣が世界を超えて契約者、そしてそれ以外の者まで召喚するほどの力を持つ等、通常有り得ない。明らかに何者かの手が入っている。
 ぎり、と時深は歯を食いしばった。

「なにも、出来ないのですね」

 この場で彼らが召喚されるのを防ぐことだけならば可能だった。しかし、それは問題の先送りでしか無い。神剣との契約は絶対だ。契約そのものを破棄させる事は出来ないし、契約者――この場合は悠人――が契約を履行しないならば、彼の精神に干渉して廃人にしてしまうかもしれない。
 そして、あまりにシナリオが進まないと、焦れた『連中』がこの世界に介入してくるかも知れない。その先の未来は、ろくな結果がないと『視え』ていた。

 今日、この場所なのだ。ここが最善のタイミング。時深の望む結末を迎える可能性が最も高いところ。

「悠人さん、どうか……」

 その先は言葉にしない。伝えたい言葉は先程伝えた。

『自分を信じてください』

 一番伝えたかったのは悠人だが、あの場所にいた全員に向けた言葉だった。

 一人だけ、かの世界の神剣とは関わりない少年にも届いただろうか。
 友希のことは、時深も『視え』ていた。一番最初に時深が視た運命にはどこにもいなかったあの神剣『束ね』。幾多の偶然を経て今回のシナリオに介入することになったあの剣とその主には、悠人たちに劣らぬ試練が待ち受けているだろう。

 彼の行動如何によっては、吉にも凶にも転ぶ。どうか、道を誤らないで、と祈らずにはいられなかった。




前へ 補足へ 戻る 次へ