アンドレイ・カーターらによるクーデターが鎮圧されて、早五日。
アルヴィニア王国首都アルグランは、元の活気を取り戻していた。
……まぁ、街の象徴たる城は、未だ瓦礫の山だったが。
「……で、私はこんなとこで仕事をしているわけだ」
「誰に言っているんですか? はい。次はこの書類を」
城で働いていた者は、城下に実家のあるものが大半だったので問題はない。ただ、城に寝泊りしている者が当面暮らす場所がなかった。
仕方がないので、仮の建物を至急建築している最中。現在、王を含めたその者らは、城下の宿に分散して泊まる事となった。
で、そんな宿の一室で、カリスは仕事に忙殺されていた。
「なぁ、リティ。お前も、半分くらい手伝って……」
「ダメです。補佐官の分を超えていますから」
リティはにべもない。ぐぅ、と唸りながら、カリスは書類に目を通し始めた。
……そもそも、城がなくなったのはお前のせいだろうが、と罵りたいのをこらえて。
今でこそこうだが、事件後二、三日くらいは城全壊の責任を感じて可哀想なくらい落ち込んでいたのだ。大量の仕事のおかげで、気にする暇もなくなった今、蒸し返すこともあるまい、とカリスは再建費用に頭を痛くしながら口を閉じた。
「……そういえば、もうクリスたちはローラント王国についた頃かな?」
「そうですね。明後日は始業式ですし。って、腕が止まっていますよ」
そんな事を言ってサボろうとするカリスの二の腕を、リティは思いっきり抓り上げるのだった。
第88話「アルヴィニア王国の一番長い日 後日談」
「う〜ん。久しぶりに帰ってきたね」
大きく伸びをしながら、久方ぶりのセントルイスの街の空気を思いっきり吸い込むライル。
アルヴィニア王国では、本当に色々会った。こうして生きて帰ってこられたのが不思議なくらいに。
「私としては、もうちょっとあっちにいてもよかったんだけど」
城の魔法書を全部読破できなかったルナは不満げだ。まぁ、何冊か貴重な本をもらってきている。しばらくは、これを研究するのも良いだろう。
「ほんと、ごめんね。うちの国のごたごたに巻き込んじゃってさ」
クリスが申し訳なさそうに言う。
「別に良いわよ。丁度いい実戦訓練になったし。けっこう面白かったしね」
「……あれを面白いと言えるルナが、僕は心底恐ろしいんだけど」
ライルが顔を青くさせながら、ルナを驚愕の目で見る。
一万近くの兵士たち。襲い掛かってくる剣に槍に弓矢。必死で切り払うライルの後ろで、冷静かつ大胆に魔法をぶっ放しまくるルナ。あの時の記憶は、ライルの心に深い傷をつけている。
まぁ、その程度のかすり傷で、どうこうなるライルではない。もう1週間もすれば、思い出にしてしまうだろう。
「大変だったんですねぇ」
ライルたちと一緒に帰ってきたミリルが感心しながら言った。彼女は、お姉さまと慕うルナの戦果に、尊敬を新たにしている。
「でもさぁ」
ライルが、もう一人に視線を向けながら口を開いた。
「本当に良かったの、アレン。向こうに残らなくて」
ライルの視線の先にいる大柄な男は「まあ……」と曖昧な笑みを浮かべた。
……事件後。
アレンは、一躍英雄扱いされた。
元々流れていた噂(フィレアの婚約者)に、尾ひれが付きまくり、それこそアイドルみたいな扱いになったのだ。
その噂も眉に唾をべったりつけたくなるような代物で、『剣の一振りで貴族もろとも城を叩き潰した』だの『悪い魔法使いに呪われたフィレア姫を、愛の接吻で助けた』だの、わけのわからないものになっている。
騎士として、復旧作業にかかろうとしても、周りが騒ぎまくってかえって作業を遅らせてしまうことになってしまった。
そんな状況下。フィレアと婚姻させなければ、世論の反発を買うようなところまできていた。ちなみに、アレン自身もそんなもん認めてはいなかったのだが、そこらへんの微妙な事情を知らない世間様は煽りに煽りまくってくれたのだ。
ライラとフィレアは嬉しそうだったが、カリスパパとアレンはどうすればいいか困ったもの。
とりあえず、婚約……ということにして、セントルイスに帰ることにした。とりあえず、期間を置いて国民の熱が冷めるのを待つ戦法だ。
反対したフィレアだが、とりあえず形だけでも婚約したので、渋々ながらも認めてくれた。
「……ま、俺も学業を中途半端に投げ出すのは不本意だったし」
勉強は嫌いなアレンだが、せっかく入学したからには卒業したいという気持ちもあった。
なにより、王族となるからには馬鹿では務まらないだろう。約一名、自分で馬鹿と認めた某国王もいたが。
「アレンがそう言うならいいけどさ。フィレア先輩、かなり不満そうだったよ?」
「……まあ、長期休みには会いに行くって約束させられたしな」
頭をかきながら、アレンはため息を付く。
なんでこんなことになったのだろう? 俺は騎士になるために行ったんじゃなかったっけ? と、疑問に思う。
「でも、なんでこんなのを……。フィレアも物好きですね」
納得いかない風のミリル。そして、はたと気付いたようにクリスを見た。
「あれ? ということは、クリスさんの義兄になるわけですか、このアレンが」
ミリルの、なんの悪気もない一言。
クリスは、その言葉に『忘れさせていて欲しかった』と言わんばかりに崩れ落ちた。
「おいおい。失礼なやつだな。俺と義兄弟になるのがそんなに嫌か?」
「……嫌じゃないけど。想像できないってゆーか、そもそもアレンとあの糞親父の喧嘩に撒き込まれるのが嫌と言うか」
苦悩するクリス。
それはそれで楽しいかも、というプラスの思考と、絶対僕が苦労しそうだなぁ、というマイナスの思考がせめぎあっている。微妙に、マイナスが強いのはまあ当然かもしれない。
……あの家族だし。
「ふーん。ま、そんなのどうでもいいから、さっさと帰ってご飯でも食べましょっか」
「そうだな」
「……ルナ。そして、特にアレン! どうでもいいで片付けない!」
懐かしのセントルイスに、クリスの叫びが響き渡った。
「むう〜〜」
唸っているのはフィレア。
不満そうにしながら、ライラと一緒にお茶を飲んでいる。
背後には、騎士団から護衛を任されたゼルヴィッチが佇んでいた。つい先日にあんなことがあったばかりだ。護衛も当然と言えば当然である。
「あらあら。まだむくれてるの、フィレア」
「……別に。そんなんじゃないです」
ぷいっ、と顔を背ける。
その様子に、ゼルはそっとため息を付いた。アレンが帰ることになって、ずっとこの調子だ。あの見習いめ、次に来たらとことんしごいてやる、と決意も新たにする。
フィレアは、彼等にとってアイドルなのだ。そのアイドルを悲しませるとは、許すまじ。これは騎士団の総意である。
「アレンちゃんと離れ離れになるのがそんなに嫌かしら」
ライラはからかうようにそう尋ねた。
フィレアはむくれたままで、
「ふん。あんな薄情な人、知りませんー」
婚約、と言ったって、半ばライラとフィレアのごり押しの結果だ。アレン本人は、あまり気が進まない様子だった。
幼い頃から剣術一筋。頭の中まで筋肉になっているとまことしやかに囁かれているアレンに、色気を期待するだけ無駄なのだが。
「次に会えるのは夏休み……それじゃあ、フィレアもかわいそうねぇ」
ライラの言葉に、フィレアは悩んだ挙句、ゆっくりと首を縦に振った。
娘の成長振りに喜び、ライラははたと思いつき、手をぽんと叩く。
「うーん。なら、こんなのはどお?」
ちょいちょい、とフィレアの耳元で何事かを囁くライラ。
途端、フィレアは瞳を輝かせていく。
なんとはなしに、その会話の内容が聞こえたゼルは、そっと頼りない後輩を思った。
(アレン……なんか苦労しそうだな。この幸せ者め)
まあ、お姫様の一人がいないくらいは、どうとでもなるだろう。
そも、リティと違い、フィレアはどう考えても政治に向いているタイプではない。アルヴィニア王国にとどまっていても、出来ることは少ない。
あの子煩悩な王をどう説得するかが問題だが……それも、王妃と王女がコンビで迫れば、どうとでもなるだろう。
王を篭絡する計画をどんどん進めていく二人。
それをゼルは黙認する。聞こえていない振りだ。
彼は騎士。その剣は王ではなく国家に捧げている。だから、この二人を止めないのは忠義に反することではない。
すぐに現実になるであろう王の見苦しい泣き顔を想像して、ゼルはもう一度深いため息をつくのだった。
……まあいい。それはそれで面白そうだ。
そして、何も知らないアレンは酔っていた。
「にゅにゅ……」
すでに言葉も怪しい。帰ってくるなり、父親アムスに『中途半端で帰ってきやがって』と殴り飛ばされたが、フィレアと成り行き上婚約した旨を伝えると、一転して上機嫌となり酒を持ち出してきたのだ。
「あのアレンが、あんな可愛いお嬢さんを射止めるなんて……ねえ?」
「アレンは仮にも俺の息子だからな! 女性にウケがいいのも当然だろう!」
「あなたったら。もう耄碌したんですか?」
さっきから何十回目かになるやり取り。アムスもミリアも、ずいぶんと酔っている。
「だから〜。せまりくる敵を相手を、私は燃やしたり凍らせたり吹っ飛ばしたりしたわけよ。こんな感じに」
一緒に参加しているルナが、武勇伝をミリルに聞かせている。これも十回目。
今回は、実演までして、手近にいたアレンを吹っ飛ばしていた。
「あ〜、もお。こんなに散らかして……」
ぼろぼろになったアレンを、これまた酔っ払っているライルが片付けていく。アレンの巨体を、無理矢理ゴミ箱に詰めようとして、ゴミ箱のほうを壊していた。
見た目素面だが、こいつも酔ってるようだ。
「阿鼻叫喚だなぁ」
飲みなれているクリスは、ちびちびとやっている。
クリスは、酒の回った頭で、まぁこんな風にすごせるなら、アレンが兄貴でも良いか……とか考えていた。
この更に二週間後。
花嫁修業、と称して、某国のお姫様がクロウシード流道場に押しかけてきたのは、まぁ余談である。