夏休みもそろそろロスタイムに入った、ある暑い日。

ある事に気付いた彼女、ルナは、必死の形相で寮内を疾走していた。その風圧で、廊下に張ってあった『廊下を走ってはいけません』のポスターが空しく舞い落ちる。

無論、そんな細かい事を気にするルナではない。

目的の部屋の前に到着すると、ノックの名を借りた正拳突きで、ドアを殴り破った。蝶番が弾け飛び、ドアが拳の形に凹む。ここまでやる必要はないはずだが、そこはそれ、ルナはそれくらい逆上していた。

「ちょっと、ライル!?」

「あン?」

据わった眼でルナを出迎えたのは、夏の暑さにやられた風の精霊王。服をだらしなく着崩し、胡坐をかいて、アイスを口に咥えながら、団扇でぱたぱたと風を送っている。なぜか、久しぶりに人間サイズだった。

なんとなく波乱の予感を含みながら、二人は睨み合うのだった。

 

第69話「夏の終わりに」

 

「シルフィ。ライルいないの?」

「マスターなら、アレンとクリスと一緒にキャンプに行ってるわよ。『夏休みの最後を男同士のアウトドアライフで締め括るんだ!』とか言って。私はお留守番」

クッ、と歯軋りするルナ。

「なに、マスターになにか用?」

「用もなにも……」

と、ルナは小脇に抱えていた本の束を、机に叩き付けた。

バンッ、と重い音が響いて、部屋が少し振動する。

「ああ、夏休みの宿題? うわ、真っ白じゃない」

それをシルフィはぱらぱらと捲りながら、呆れたように言う。ついで、部屋を漁り始めるルナに、ここに来た用件も大体察したようだ。

「残念だけど、この部屋に宿題は残してないわよ。キャンプ中、休み明けテスト対策するために、持ってっちゃってるから。ったく、遊びに行く時まで、変に真面目よねー」

言いながら、アイスを食べてしまったシルフィは、部屋の隅においてあるカキ氷器を引っ掴み、どこからともなく取り出した氷を入れ、ごりごりとカキ氷を作りにかかる。

器に降り積もっていく氷の欠片に、なぜかルナは沸々とした怒りを滾らせる。もちろん、100%八つ当たり以外の何者でもない。まったくもって関係のない無生物にまで八つ当たりできるあたり、ルナもなかなか器用である。

「うがーっ! 呑気にカキ氷なんか作ってんなーーー!!」

「なに? あんたも食べたいの?」

イチゴのシロップをたっぷりかけた特盛りのカキ氷をパクつき始めたシルフィが、そんなに欲しけりゃ自分で作りなさいと言わんばかりに、カキ氷器をルナに差し出す。

「そうじゃなくてっ。私の宿題がピンチなの!」

「写させて欲しいんだったら、他の友達にでも頼めばいいじゃない」

「それはもう行ったわよ!」

ちなみに……一割の友人は『宿題は自分でやるもの』と言い、三割の友人は『一教科100メルね』と言い、残り六割は『ゴメン、やってない』と言った。

「なんていうか、素敵な友人関係ね」

カキ氷をかきこみながら、シルフィが感想を漏らす。

「それでほいほい言うこと聞いてくれそうなうちのマスターを訪ねてきた、と」

「まあ、歯に衣着せなきゃそういうことよ」

「私としても、勉強は自分でやらないと意味がないと思うんだけど」

「こんな勉強、将来役に立つはずないじゃない!」

ルナは、宿題の束をうがーっとばかりに引っくり返す。ここのところの暑さと宿題のストレスのダブルパンチで、大分テンパっているらしい。

「やれやれ……」

シルフィは肩を竦めつつ、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップにも入れずラッパ飲みし始めた。なんとも豪快である。女性として、なにか間違ってないか? という疑問は、昨今の男女平等の理念に反する可能性がなきにしもあらずなのでやめておこう。

「てか、あんた大丈夫? 腹壊すわよ」

ふと気付いて、ルナが注意をするが、シルフィはなんでもないことのように手を振った。

「一応、私は人間じゃないから。へーきよ、へーき。いくら飲み食いしても、全部魔力に変換してんだから。余剰分は、垂れ流しだしねー」

「はあ、そなの」

「そ。おかげで、あんたらみたいに体型気にしたりする必要はないのよー。どうだ、羨ましいか」

「いや、別に。そんな貧相な体を自慢されてもね」

ピクッ、とシルフィの目尻が吊り上る。

「たしか、成長止まってるんだって? ……でも、一緒に精神年齢までストップすんのは違うんじゃない?」

これもまた、八つ当たりには違いない。イラついているのはルナだけではないのだ。シルフィとて、連日の暑さには辟易しているのである。はっきり言って、現在の彼女の沸点はかなり低めに設定されていた。

「そう。久々に、喧嘩売ってるわけね?」

「そういうところが、精神年齢低いって言ってるんだけどね。……ま、私としても、ストレスのぶつけ所が欲しいと思っていたところだし。いいわよ、相手になってあげる」

「それはこっちの台詞――!」

かつてないほどの短時間で戦闘体制に移行した二人は、次の瞬間、ライルの部屋をまた吹っ飛ばしていた。

……この部屋がめちゃめちゃになるの、都合何回目だろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

「どしたの、ライル?」

突如、あらぬ方向を向いたライルに、クリスが不思議そうに尋ねた。

ここは、セントルイスから二十キロほど離れたところにある小さな森。人里からかなり離れているため、人の手が入っておらず、モンスターの類もほとんどいない。キャンプ地としては適当な場所だった。

「いやなんかさ。こう、嫌な予感が背中をゾクゾクっと」

「あー、どうせ、残してきたシルフィとルナが喧嘩でもしてんじゃない? ライルの部屋で」

「……ゴメン、クリス。その光景が容易に思い浮かんできたから、あんまり考えさせないで」

クリスは憮然としながら、

「聞いてきたのはそっちだろ。……それより、そっちは出来たの?」

「ああ、うん。そろそろいいかな」

焚き火にかけている鍋の様子を見ながら、ライルは返事をする。ぐつぐつと煮立った鍋が、いい匂いを辺りに振りまいていた。

「そりゃよかった。木の実類は、この辺に置いとけばいいかな?」

「いいんじゃない?」

そんな事を話していると、遠くから『お〜い』と声が聞こえてきた。

「ん? アレン帰ってきたのかな?」

そちらの方に振り向くと、なにやら普段のアレンのシルエットからは考えられないほど巨大な影が、木々を掻き分けこちらに向かってくる。

「……アレン、なにソレ」

「なにって、獲物」

なにをわかりきったことを、といった口調のアレンが担いでいるのは、彼の総重量の優に三倍はあろうかというほどの大きさのイノシシ。

どうも、鈍器か何かでしとめたらしく、頭蓋骨の辺りが陥没している。恐ろしい力技だ。

「あのね……一応、晩御飯はもうできちゃったんだけど」

「なに言ってる。俺がその程度の量で足りるとでも思ってんのか」

「いや、思ってなかったけどさ……さすがに、そのデカさは……」

ライルは困惑気味に、デーンと鎮座ましましているイノシシを見つめる。これは、捌くだけでも骨だ。

「いいじゃん。丸焼きにしちまえ」

「あのね、この大きさだよ?」

「安心しろ。このくらい、俺は食える」

「そんな、まってくもってする必要のない心配はしてない。問題はだね、明らかに薪が足りないの」

と、纏めてある薪を見つめる。

とりあえず、一晩程度火を絶やさない程度にはあるが、この大きさのイノシシを焼くにはさすがに足りない。

「そっか、じゃあ、俺拾ってくるわ」

理由がわかると、アレンの行動は早い。また、さっさと森へ引き返して行った。

「……元気だね、アレン」

その様子をぼけーっと見ていたクリスが感想を漏らす。

「そうだねぇ。自然の中に入ると、行動力が違う。まあ、アレンって野生児っぽいし」

「あ、それは言えてる」

二人して笑いあう。

そもそも、このキャンプを提案したのもアレンだった。特に目的などない。夏休み、最後の思い出作りといったところだろう。

で、今日を入れるとすでに三日ほど、ここに滞在している。食料は全部現地調達。まあ、一通りの道具、食料は持ってきているのだが、こうやってできるだけ現地のもので間に合わせるのがキャンプ精神というものであろう。

現在横行しているキャンプ場とかいう施設でのキャンプは、あれはキャンプなどではない。単なる、なんちゃってアウトドア体験なのだ、と作者は拳を握り締めて主張する。

しかし、現実としてそういうキャンプは難しく、偉そうにいっている作者自身もやったことがない。

……話が豪快に逸れてしまった。

「しかし、こういうのも結構いいよね。なんていうか、旅の途中の野宿とはまた違ってさ」

丸焼き用に大きい火を熾しながら、ライルが嬉しげに言う。

ヴァルハラ学園に入る前、一人暮らししていた時は、ある意味キャンプみたいなものだったが、あれはまた別物らしい。

「まあ、ね。楽しいことは楽しいんだけど、僕はどうも街の生活の方が向いているなぁ。たまにはいいかもしれないけど」

「クリスは、まあ一応、お坊ちゃんだからね」

「……その、一応って所、ちょっと追及したいんだけど?」

「ただいまー」

「「はやっ」」

 

そんな感じで、平和に夏は終わりを向かえていった。

帰還した後、ライルが泣きながら部屋の片づけをするのは、まあいつものことである

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、平和じゃない人もいる。

 

「ちょっ! おじさん、なんか雪とか降ってるんだけど!?」

「おじさん……もしかして、私たち迷っちゃったんですか?」

某国。

十日以上前にセントルイスを発ったはずのアラン、アリスの兄妹は、なんか雪吹雪く国に来ていた。

「あっれ〜。おかしいな……」

「おじさん、その地図、なんか上下反対じゃないですか?」

沈黙。アリスの言葉に、おじさんはたらりと汗を流し、その汗がすぐ凍ってしまった。

「ありゃ」

「ありゃ、じゃねえええええええ! 途中で、来る時は乗らなかった船に乗ったから、なんかおかしいと思ってたら!!」

気付けよ。

「お兄ちゃん、おじさん!? なんか、白熊らしきモンスターに囲まれてるんだけど!」

「ぬぉ!?」

「よし、アランを人身御供にして逃げよう。アリス、こっちに来なさい」

「こらぁあ! マテやそこの宮廷魔術師!」

「悪い、アラン。俺、実戦派じゃないんだ」

「お兄ちゃん。私、お兄ちゃんのこと忘れないからね」

はらはらとわざとらしい涙を流すアリス。おじさんも、なんか白いハンカチをひらひらと振っている。

「ああ、もう! フィオ、いくぞおおおおおおおおおおお!!」

「……はいはい」

なんかやけになって、相棒の精霊を呼びながら、アランは白熊の大群に突っ込んで行くのだった。

 

ちなみに、三人が自国に辿り着くまでもう二ヶ月ほどかかったとか何とか。

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