クレア・カートンという女の子がいる。
成績は中の上。運動は下の中。どこぞの誰かのように、魔法が得意なわけでもなく、成績面では極めて平凡な学生と言える。
絶世の、とまではいかないまでも、なかなかの美少女である。
それに、華がある、とでも言えばいいだろうか。場を明るくする雰囲気を持ち合わせている。友人も多く、クラス内では人気者であった。
……さて、そんなクレアの日常に、最近少し変化があった。
第60話「クレアの試験対策 前編」
朝。ホームルームが始まる前の時間。件のクレアと、ライルが話をしている。
それを、ルナとクリスはあっけにとられた目で凝視していた。
それ自体は別に珍しくもない。クラスメイト同士の世間話だ。ただ、組み合わせが今までにない、というだけで。
「……あの二人、いつの間にあんなに仲良くなったの?」
そもそも、ライルと言う人間は、どっちかというとうぶな面がある。ルナは例外として、クラス内の女子とあまり交流はなかった。
「ああ、それね。なんでも、ライルはクレアさんたちのミッションについて行ったらしいよ」
事情をなぜか知っているクリスが補足した。
それを聞いて、ルナは納得した。
同じ課題をやり終えたという連帯感みたいなものが、あの二人の間には流れているのだろう。別にその感覚はライルたちだけのものではない。実際、そこかしこで今回のミッションに関する話題が話されている。
「へ〜。クラスのアイドルとお近付きになれて、ライルもラッキーね」
特に感慨も抱かずに、そう言ってのけるクラスの破壊神。あるいは反アイドル。
ケタケタと笑いながら、友人であるリムの元に歩いて行った。
「おはよ〜。リム。ミッションどうだった〜?」
「あ、ルナちゃん。おはよう。そっちこそ、また学園長から特別課題出されたらしいじゃない。どんな感じだったの?」
そんなルナを尻目に、クリスはさっさと自分の席について読みかけの本を取り出した。空き時間ともなると、クリスは大抵本を読んでいる。
今読んでいるのは、ミステリー物。山奥の洋館に閉じ込められた六人の男女。そして、現れた殺人鬼。一人、また一人と殺されていき……というのが大筋のストーリーだ。ありがちといえばありがちである。
そして、主人公とヒロイン以外の全員が殺されて、さあいよいよクライマックス、というあたりで素っ頓狂な声がクラスに響き渡った。
「なんですって……!?」
発信源はルナのようだ。
クリスは迷惑そうな顔をしてルナに注意しようとしたが、向こうはそれどころではないらしい。ズンズン、と怒りもあらわな歩調でライルに近付く。
「な、なに? ルナ。僕、怒らせるようなことしたっけ?」
しどろもどろのライルも無視して、ルナが高らかに叫んだ。
「ライル! あんたクレアに○○○して×××した挙句、△☆□@したって本当!?」
放送禁止用語の連発である。『○○○』とかの中にはいる言葉は、作者は考えていない事を明言しておく。あまり公共の場で話すべきでない台詞であると考えてもらえればいい。
「ルナ、ストップストップ! なに口走ってんのさ!?」
それ以上なにか言う前にライルが飛びかかってルナの口を塞いだ。『モガッ!』と、ルナのくぐもった声が、いつの間にかしーんと静まり返っている教室に響く。
さもありなん。ルナの爆弾発言が教室で核爆発を起こしていたのである(比喩表現)
我に返った連中は、揃ってライルとクレアに視線を集中させる。当人のクレアは、今頃顔を真っ赤にさせていた。
「おはよーっす……って、どうしたんだライル。顔赤くして」
遅れてきたアレンが場の空気も読まずにライルに話しかけた。
「え……あ」
「てゆーか、なんかみんな暗いぞ? なんかあったのか?」
あっけらかんとした声。別に、彼に責任があるわけではないのだが、ルナは自分とライルの間に立った邪魔なその男の側頭部に蹴りを見舞うべく飛び上がった。スカートが翻り、爪先が芸術的な軌道を描いて飛び蹴りがアレンのこめかみに突き刺さる。
「で、ライル、どうなの?」
がしゃーん、とアレンが机や椅子を巻き込みながら崩れ落ちる音。それをスイッチに、堰を切ったようにライルが弁明を始めた。
「ちょっ!? 違うよ? 僕、そんなの全然心当たりないし! ルナ、一体誰がそんなことを……」
「リムが」
教室のそこかしこでヒソヒソ話が始まる。リムは、クレアと同じパーティーだ。そのリムの話とあって、一気に信憑性が増したらしい。
「リムさん!?」
「あ、ごめ〜ん。『〜〜〜なんてことがあったら面白かったんだけど』って続けようとしたら、ルナが先走っちゃって」
悪びれもせずにそう言ってのける。教室内の空気が一気に弛緩して、ライルはへなへなと崩れながら、リムの方を向いた。
「な、なんだ……って、面白かったんだけどとはどういうこと、リムさん」
「ホホホホホ」
誤魔化した。その笑いに、わざとルナを焚きつけたのでは? とライルは邪推する。
「もう少し引っ張っても良かったかな……」
「リムさん、今なにか言った!?」
「別に〜」
そんなリムを、ジト目で睨みつけるしかないライルだった。
さて、そんな事があったなど露知らず、担任のキースがやってきた。
適当に出席をとった後、ごほんと咳払いをして、話を切り出す。
「ミッション、ご苦労だった。どの班も成功したようでなによりだ。で、もうすぐ夏休みなわけだが……」
そこでキースは話を一旦切った。
あ〜、と呻きながら視線を彷徨わせ、意を決したように口を開く。
「もうすぐ夏休みだが、その前に期末テストがある。範囲の書いたプリントはこれから配るが……一教科でも赤点をとった者は夏休みに補習があるからそのつもりで」
教室の一部からブーイングの嵐が巻き起こる。もちろん、成績の振るわない者たちである。先頭に立っているのがルナとアレンだという事はもはや言うまでもない。
「静かにしろ!」
だん、と教卓を叩くも、その位でへこたれるやつは一人もいなかった。
一向に止まない罵詈雑言に、キースの額に青筋が浮かぶ。
……教師と言うのはこれでストレスの溜まる職業だ。特にこのクラスはなにかと問題が多い。そろそろキレるべきだろう。なんつーか、人間として。
などと、教育委員会が聞いたら速攻でクビになりそうな論理展開を済ませたキースは、静かな声で最後通達を言い渡す。
「これ以上ガタガタ言う様なら、“いわす”ぞ、てめえら」
これでキースも学生時代はやんちゃだったのだ。その迫力たるや、ルナでさえたじたじになったほどである。
そして、一度深呼吸をし、普段のテンションに戻ってから話を続けた。
「そういうわけで、楽しい夏休みを過ごすためにも、テストに全力を尽くして欲しい。以上だ」
キースはそれで話を終え、『やっぱこのクラスやだ……』などという独り言を呟きながら、出席簿片手にすごすごと教室から退散していった。
担任が消えると、クラスが一気に騒がしくなる。
「キース先生、けっこうストレス溜まってるんだ……」
「ルナ。多分、君が一番のストレッサーだと思うよ」 ※ストレッサー:ストレスの原因となる要素
ルナの自覚なしの言葉に、クリスがそっとツッコミを入れていた。
「はぁ……」
本日最後の授業はキースの魔法学の授業であった。
わけのわからない専門用語が飛び交う中、クレアはため息をつく。
大抵の教科で平均かそれ以上は取れる彼女だが、魔法学だけは苦手だった。魔法そのものが苦手という事もあるが、テストではいつも赤点ぎりぎりの点数しか取れないのである。
しかも、今回のテスト範囲はかなり難しい分野だ。赤点→補習のコンボを喰らうこと必至である。
(どうしようかな……)
教科書を開いてみても、二年生から習った所はちんぷんかんぷん。一人で勉強しても、到底無理っぽい。
となると、誰かに教えてもらうのがいいのだが、キースの所に行ったらイマイチわかりにくい説明を受けたし、友達は誰も自分の苦手分野の克服に忙しそうだ。
そもそも、クレアの良く話す友達に、今回の魔法学をわかりやすく説明してくれそうな人はいなかった。
どうせわからないんだから、とクレアはキースの話を聞き流し始めた。
そんなわけで、なんとはなしに教室内を観察していると、ライルが目に入る。今思いだしても、朝の一件は恥ずかしい。また顔が赤くなりそうだ。
(……そういえば、ライルくんって頭いいんだよね)
事実である。
ヴァルハラ学園では成績上位者のテスト結果を張り出すのであるが、順位は常に一桁をキープしていた。
加えて……以前、クレアはほんの偶然から見えてしまったのであるが……魔法学のテスト、平均40点だったとき、ライルは悠々と93点という、反則気味の点数を取っていた。
(ライルくんに教えてもらおうか……)
なんとなく、丁寧に教えてくれそうな気がする。
よし、頼んでみよう、と決意しつつ、クレアは眼を閉じた。この時、ノートを取る体勢のままでいるところがポイントである。一分も経たないうちに、クレアの意識は眠りに落ちていった。
帰る準備をしているライルを捕まえて、頼んでみると、あっさりと了承してもらえた。
早速と言うか、図書館に向かう。
「でも、ごめんね。自分の勉強もしなきゃいけないのに」
「ん? 別にいいよ。僕、普段からコツコツやるから、テストだからって特別勉強時間増やしたりしないんだ」
「すごいね〜。やっぱ出来る人は違うなぁ」
クレアの賛辞に、ライルは照れながらも反論した。
「出来るってのはクリスみたいなやつのことを言うんだよ。クリスは、授業だけ聞いてれば満点取れるんだから」
「そ、それは格が違うと言うか……」
「要するに天才肌なんだよ。……ルナとは違った意味でね」
ちなみに、そのクリスだが、ルナとアレンを引き摺って勉強会である。以前、ルナたちのあおりを食らって補習を受けてから、なんだかんだでテスト前は勉強会を続けている。最も、ルナとアレンに言わせれば勉強会の名を借りた拷問らしいが。
「ルナちゃんか〜。あんまり暴れるのは止めて欲しいんだけどなぁ」
「僕も切にそう願っている」
「あはは……アレンくんの次に被害受ける事多いもんね」
「ハリセン代わりに魔法を使うのは止めて欲しいよ……手加減は、一応しているんだろうけどさ」
ちなみに、ルナの『手加減』の度合いは一般人のそれとはかなり違う。
そんな風に世間話をしていると、図書館に着いた。テスト前ということで、それなりの人数がノートを広げているが、席が全て埋まるほどではない。ヴァルハラ学園には勉強に熱心な学生は少ないようだ。
とりあえず、適当な席につき、教科書を開く。
「じゃ、始めようか」
「はい、先生」
クレアはおどけてそう答えた。
ちなみに、
「あれは……クレアとライルくん?」
なんて、一人のクラスメイトの視線があったのだが、それには気付かなかった。