皆さんはフィオナ・アーキスと言う名前を覚えているだろうか。

第35話〜第37話の幽霊屋敷編で登場した幽霊娘である。

その微妙にフィレアと名前が被る彼女。現在、ヴァルハラ学園に住み着いている彼女は、今日も今日とて夜中にこっそりと音楽室に忍び込んでいるのだった。

 

第54話「クリスと幽霊」

 

「ふんふーん」

気持ちよさげに鼻歌を歌いながら、幽霊ゆえの特性を生かして音楽室の壁をすり抜ける。

彼女の目的は、この部屋にあるピアノだ。

生前、親に言われていやいや習わされたピアノだが、死んでからやってみると、これがなかなか面白い。

まさか、生徒がいる昼間に弾く訳にもいかないので、こうやってみんなが下校した後にやるのが彼女の日課になっていた。

いざ、とピアノの前に腰掛け、構え。

静まった校舎に、繊細な旋律が響き渡る。

ちゃんと聞いてみると、かなり上手い。……なのだが、無人の音楽室からそんなものが聞こえてきたら、人はまず、背筋が寒くなるだろう。

『夜中に聞こえてくるピアノの音』はよくある怪談だが、ここヴァルハラ学園では宿直の先生がほぼ100%の確率で聞いている。

他にも、彼女の行動によって、いろんな怪談が生まれているのだが、それはまあ、置いておいて。

「ちょっと」

曲に夢中になっている彼女に話かける人物がいた。

こっちは生身だ。ちゃんと扉を開けて佇んでいる。

「あれ? クリスさんじゃないですか」

顔を上げて、フィオナは笑顔を向ける。

「あれ、じゃないよ。そのピアノの音、学園中の噂になってるよ。そのうち、教会からエクソシストが派遣されるかもしれないから、やめといたほうがいいって」

「それなら大丈夫ですよ。学園長さんと話はつけてありますから」

「……いつの間に」

呆れつつも、その手際のよさに感心する。それよりなにより、そもそも幽霊と話をつけているジュディさんの方も問題があると感じたが。

クリスは持っていた袋を掲げ、フィオナに近付いて行く。

「で、こっちが約束してたやつ」

そして、袋から取り出したのは箱。直方体のそれは、サイズこそ人形サイズではあったが、立派な棺桶だった。

「あ、どうも。これでやっと寝床が確保できました」

「……てゆーか、幽霊って寝るんだね」

「はい。意識をシャットアウトして、魔力消費を抑えるんです。こうしないと、存在が薄れていきますから」

「で、棺桶?」

「はい。やっぱり、死人の寝床と言えば、棺桶でしょう」

自分で死人宣言をするのもどうかとクリスは思ったが、特に突っ込むのはやめておいた。フィオナのちょっとずれた発言には、もう慣れている。

そもそも、だ。フィオナにヴァルハラ学園に棲む事を進めたのは。他ならぬクリスだったりする。

20年間も幽霊やってたフィオナは、もうそう簡単には成仏できない。今の幽霊の状態で安定してしまったからだ。

それでも無理矢理させようと思えば、方法はいくらでもあるのだが……どれも、激しい痛みを伴う。それなら、このままでもいいやー、と軽いノリで現世に残る事を決めたフィオナ。

学園という場所は、いろいろな人が集まる。言い換えれば、さまざまな想念が集う。そう言う場所なら、霊力不足で消滅してしまうことも無いだろう、とクリスが忠告したわけだ。

そして、行きがかり上、色々世話もしていたりする。

「もっと早く頼んでおけばよかったですね」

「いやまあ、そのくらいはお安い御用だけどさ。どこに置くの、それ?」

「確かに、そこら辺に置いていたら、捨てられちゃうかもしれませんね……」

まあ、そこは実体の無い幽霊。こういう“物”を頼まれたのはこれが初めてだ。普段は、話相手になったり、ちょっと遊んだりするくらい。クリスも、この見た目に反して教養溢れる少女との話はいくらか心踊るものがある。

「そうですね。クリスさんの部屋で……」

「……いや、寮だし、ここからも近いから構わないんだけどさ。なんかオチが読めて来たんだよね」

断っても、どうせ強引に押し切られるだろう。

同じような展開を普段から見慣れている彼は、重いため息を一つつくだけで、なにも言わずに彼女を自分の部屋へと案内する事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「く、クリスが女の子を連れ込んでる……!?」

クリスに借りていた魔法書を、悪魔のようなタイミングで返しに来たルナが、開口一番叫んだ。

だが、ここで慌てるようなら三流だ。

ほれ、アレン辺りを見るがいい。慌てた挙句、自分から墓穴を掘ったり、変に勘ぐられたりする。クリスはそんな愚かものとは一味違った。

「って、よく見なよ、ルナ。覚えてないの? ほら、前、学園長から寄越されたミッションで会った娘だって。うちの学園に棲みついてるって、前話したじゃないか」

「え、あ、あれ?」

ルナが観察しなおす。

確かに、半透明でふよふよ浮いているようなのは、まともな人間ではありえない。だんだんと記憶の中の少女と結びついていく。

「あ、ああ。そういえば。あの時のやつか。……で、なんで彼女、部屋の隅でガタガタ震えてるの?」

「そうだねえ。なんでだろうねえ……」

言いつつも、クリスには検討がついていた。

彼女は、その件のミッションの際、ルナに殺されかけた。いや、もう死んでいるからその表現はおかしいとか、そーゆーのは置いておいて。

幽霊屋敷の調査、にも関わらず、ルナは幽霊の彼女を見つけると同時に狩りにかかった。

どうやら、そのときの恐怖がオーバーラップしたらしい。

「変な娘ね。あ、クリス。これ、借りてた本」

「あ、うん」

「じゃね〜。実体が無いとは言え、あんまり不埒な行為にでないようにね」

「……不埒な行為ってなにさ」

ルナはそれには答えず、手をひらひらさせながら部屋から去って行った。

騒ぐだけ騒いで、ずいぶんと好き勝手なものである。……今に始まった事ではないが。

「く、クリスさ〜ん。あの人、行きましたか?」

「まあ、出てったけど。一応、名前くらい覚えておいてあげてね。ルナっていうんだ」

「る、ルナ……。そう、地獄からやってきた死神のごとき血塗られた名前ですね。名は体を表すと言います。やはり、彼女は……!」

「一体どういう脳内変換をしているのかは知らないけど、ルナは普通の……。ごほん……普通の変人だよ」

それはフォローになってない。そもそも、フォローする気があるかどうかすら怪しいが。

「で、でもですね……」

涙目だ。そこまでのトラウマになっていたのか、とクリスは額を押さえて苦悩する。

「ああ、はいはい。とりあえず、怖い人は行っちゃったから、もう泣き止んで」

「うう〜」

手で頭をぽんぽんと叩いてやる。

なんだかんだ言っても、彼女が死んだのはまだ13歳の頃。精神的にはそこで成長が止まっているのだから、“あの”ルナを前にすれば、怯えるのは当然かもしれなかった。

と、そこでクリスの部屋のドアが(ノックもなしに)開け放たれる。

地獄のようなタイミングで入ってきたのは、なぜか自宅生のはずのアレンだった。

「クリス! 匿って……って、クリスが女を手篭めにしてるう!?」

「……手篭めの意味、わかってないでしょう、アレン」

さらりと流しつつ、ドアを閉める。外に聞こえたら、あらぬ疑いを持たれそうだった。

「で、今日は何の用? もう夜だけど?」

「あ、ああ。ちょっとフィレアから逃げてな……。ここならばれないと踏んだんだ」

「また? いい加減、腹くくればいいのに」

「なんか、最近開発する技の凶悪度が上がってきててな。お前の姉ちゃんだろうが。止めてくれよ……」

確かに、最近生傷が絶えないアレンであるが、フィレアが登場する前から生傷は絶えてなかったように思うのはクリスの気のせいだろうか。

「で、そっちのやつは誰だ? 見たことない顔だが」

「アレンの記憶力に期待はしてなかったけど、全然見覚えない?」

「うん。初対面だと思うぞ。ってか、なんか向こう側が透けてないか?」

「ほら、幽霊ってやつだよ。ほら、会った事あるじゃないか」

む〜、とうなるアレン。

やがて、手をぽんと叩くと、

「そうか。一昨日亡くなった野菜屋のトメゾウさんだな」

「どこの誰だよ!?」

「トメゾウさん、来世ではかわいらしいおなごに転生したいって言ってたもんな。なるほど、幽霊とは言え、念願かなったわけか……」

「なにそれ!? その人病んでるって!」

「なに言ってんだ。トメゾウさんは108歳の大往生。死因は病気じゃなくて老衰だぞ」

「そういうことじゃなくて!!」

野性派のアレンは苦手らしい。クリスは苦い顔をして『どうしたもんか』とフォオナに視線を向けた。

「なんてゆーか、ここまで見事に忘れられてると、リアクションに困るんですけど……」

「うん。僕もそう思う」

あの事件以降、会ってなかったとは言え、顔すら忘れると言うのはどうか? 一応、ヴァルハラ学園にいるということはクリスから伝えてあるのだが。

「ついでに、こんなうら若き乙女を、そんなおじいちゃんと一緒にしないでもらいたいですね」

「まあ、ノーコメント」

「ここは怒ってもいい場面だと思うんですが、クリスさんはどう思います?」

「いいんじゃないの? アレンって、そういうキャラだし」

「そうですか」

フィオナ、なにやら決心して、拳を握り締める。

「パンチ!」

そもそもが、物理属性の低い幽霊の攻撃。それを差し引いたって、非力な女の子のパンチだ。

だが、気の抜けた掛け声とともに放たれたパンチは、見事にアレンの傷口の上を叩いた。

「ぷちいてえええええ!」

よくわからん叫び声。

その声を聞きつけ、

「アレンちゃん発見!」

どこからともなくフィレア・アルヴィニア姫登場。

「さあ、アレンちゃん。今日は48HITコンボが目標だよ〜」

「まて、引っ張るな! 大体、コンボってなんだ!!」

「こう、ここでキャンセルして……」

「イメトレしてんじゃねえええええ!!」

そして、静寂。

「あの〜?」

「なに、フィオナ?」

恐る恐る、といった感じで、フィオナが聞いた。

「クリスさんの周りって、いつもこんなににぎやかなんですか?」

「もちろん。うんざりするほどね」

フィレアが入ってきた窓(ちなみにここは三階)を閉めつつ答える。

「ああ。でも、僕の周りじゃないよ。中心人物は、ほら今日は来てないけど、僕らがあの屋敷の調査に行ったときもう一人いたじゃない?」

「ああ、あの地味な人?」

「地味って……ライルが聞いたら泣くから、本人の前じゃ言わないでおいてやってね。事実だけどさ」

「へえ〜」

 

 

 

 

「っくしょん!」

「なによ、マスター。汚いわねえ」

今日は特に大きな騒動もなく、部屋でシルフィと二人まったりしていたライルは、突然のくしゃみに襲われていた。

「なんだろ。噂でもされてるのかな?」

「噂ぁ? マスターって、あんまり目立たないから、噂されることってあんまりないと思うけど」

シルフィの口調にはからかうような調子は含まれていない。

つまり、全く当然の事としてライルの事を『目立たない』と表現したのだ。

僕って、どうしてこうなんだろう、と人知れず涙を流すライルだった。

まあ、どうでもいいといえばどうでもいい話である。

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