「……さっぱりわかんない」
「なにがわからないんですか?」
独り言のつもりで言ったのに、返事が返ってきた。少し驚きつつ、ルナは後ろを振り向く。
「なんだ。アリス。帰ってたの?」
「はあ、まあ。てゆうか、同じクラスなんですから、そんなに帰宅時間が違うってことはないと思うんですが」
「ま、そりゃそうでしょうけど」
「? その本なんですか」
アリスの目に留まったのはルナのもっている一冊の本。先日、ルナが(無断で)借り受けてきた謎の魔法書である。
「ま、色々あって手に入れたんだけど……私の知ってるどの言語とも一致しなくてね。解読に一苦労なのよ」
そういうと、アリスは少し悩んで、
「んー、もしかしたらわかるかもしれませんよ」
第42話「謎の本は危険な香り」
「本当!? 教えて教えて!」
なんせ、三日三晩研究しまくってまるっきりわかんないのだ。ほとんど意地だけで、古今東西の言語をあさってみたがまるで手がかりなし。強いて言うならば、精霊語に似ていなくもないような気がするが、文字から文法までまるきり別物だ。だから、ルナも興奮していたりする。
「いえ、私がわかるって訳じゃなくて……知り合いに宮廷魔術師の人で、そーゆーのに詳しい人がいますから紹介しても……」
「……ダメよ」
速攻で却下。
城の禁書庫にあったものを持ち出したことを自分からばらすようなことだ、それは。幸い、ライルとアランも気付いていなかったようだし、なんとか隠し通さなければ。
「ダメって、どうしてですか?」
「言えないけど、ダメなもんはダメなの」
しかし、まいった。どうも、ユグドラシル学園の図書館じゃ資料不足だ。もう一回禁書庫に忍び込む……というのも考えたが、前の騒ぎのせいで、警備が厳重になっているだろうし。
「仕方ない、か〜〜」
最後の手段、シルフィに聞く。
いけすかない虫だが、伊達に1000年も生きてはいない。その知識量はルナの及ぶところではないのだ。また、勇者ルーファスの魔法書を貸してもらう、という手もある。
「なにが仕方ないんですか」
「こっちの話。あ、私ライルのところ行ってくるから」
「じゃあ、私も行きます。一人でいても暇ですから」
「ライルー、虫いるーー!?」
いきなりルナがノックもせずに飛び込んできた。
二人でババ抜きというとてつもなく不毛なことをしていたライルとアランはぴた、と硬直した。
「……まさに遠慮なしだな」
「まあ、ルナだし」
「なによ、失礼な言い草ね。で、ライル。シルフィは?」
「……はあ」
ライルは無言でルナの手を引っ張って廊下に連れ出す。
「あのね、ルナ。シルフィのことは、内緒だって言っただろ」
「あー、そーいえば、あの性格で対人恐怖症だったわね、あの虫」
「対人恐怖症って……まあ、いいけど。そんなわけで、シルフィのことはなるべく話したりしないで欲しいんだ。ああ、ちなみに、シルフィは今どっか出かけてるよ」
ちっ、とルナは舌打ち。
「……一応、聞いておこうかな。ライル、この文字に見覚えは?」
本を見せ、尋ねる。
どうせ、知らないだろうと思っていたのだが、
「あれ? これって、古代精霊語じゃないか。なんでこんなもん持ってんの?」
「あんた、知ってんの!?」
「え、うん。前、シルフィに見せてもらった魔法書が確かこんな感じだったと思うけど」
「じゃ、これ読める!?」
うーん、と唸り、
「えーと、……せ、精霊……? け…い…やく……でいいのかな?」
タイトルだけをたどたどしく読むライル。それを聞いた時点で、ルナはがっくりとうなだれた。
「また、精霊魔法関係……? そうじゃないかとは思ってたけど……じゃ、いらないや」
ぽい、とライルにその本を放る。自分が使えないとわかったらこれである。
「ちょ……なんなんだよ、この本」
「城の禁書庫にあったやつ」
「……ガメてたのか!?」
やられた。まさか、あの短時間のうちに、持ち出していたとは。やけにあっさり引き下がってくれたと思ったら、いつの間に。
「あの〜、お話、終わりましたか?」
ドアから、ひょい、とアリスが顔を出した。
「あ、うん」
「で、シルフィってのは誰だよ」
「……気にしないでくれ」
幸いにも、アランはそれ以上突っ込まなかった。
「それより、トランプしましょうよ。お兄ちゃんも、男二人でやってないで、誰か呼べばいいのに」
「ぐ……お前は、運がよすぎるから嫌なんだよ!」
……はあ。とりあえず、明日、返しに行こう。
ライルは憂鬱な気分で思った。
で、いつの間にやら始まったトランプ大会は、反則的な強さにてアリスが圧勝。最下位はその兄、アランだった。
「……納得いかん」
なにせ、連戦連敗。ずーっと、最下位のまま。なかなか素敵にへっぽこである。
「あー、それにしても、晩御飯どうしますか? 今から作るのもどうかと……」
「たまには外に食べに行きましょ。もちろん、最下位のアランのおごりで」
三位の癖に、いけしゃあしゃあと言ってのけるルナ。
「ちょっとまて!」
「じゃ、なに食べようか。あんまり高いのはさすがにかわいそうだろ」
「んー、まあ、お兄ちゃんですから遠慮はいらないですけど」
「じゃ、適当な食堂とかでいいんじゃない?」
アランの抗議は完全に無視された。すたすたと歩いていく三人。
「? おーい、アラン。置いていくぞー」
「財布が留守番して、どーすんのよ」
実に遠慮のない留学生コンビ。ライルもけっこういい性格になってきたようだ。
「……きょ、今日だけだからな!」
そして、なんとも押しに弱いアランであった。
で、外に出てきた一行。
寮は学園の敷地内にある。この時間の学園はしーんと静まり返っていてけっこう不気味だ。
まあ、そんなことを意にかえすメンツではないが。
「さてと、この近くのうまい飯屋ってどこがあるの?」
「うーん……学生御用達の食堂、『月明かり亭』なんてどうでしょうか」
なんてことを話していると、校門の辺りで、一人の男が立ちふさがった。
肩の辺りまで伸ばした髪の毛を、首の後ろあたりで縛っている。鋭い目が爛々と光り、およそカタギではない雰囲気をかもし出している。そして、黒いズボンに黒いマント。マントで体を隠しているので見えないが、きっとその下も黒い服を着ているのだろう。そして、緑の宝玉が象眼された剣を腰に携えていた。多分……てゆーか、間違いなく真剣だろう。
ぶっちゃけ、これ以上ないってくらいの不審者だった。
「……見つけた」
などと、意味深な台詞を吐く。
「……えーと、あなた、誰です?」
ルナ、アラン、アリスの、『おい、お前がいけ』という視線に抗しきれず、ライルがおずおずと進み出て尋ねた。
「貴様か。俺の獲物を横取りしたのは」
「は、はい?」
「とぼけるな。貴様が持っている魔法書は、俺が王家の宝物庫から盗み出したものだ。返してもらう。いざというときのために、目印をつけておいてよかった」
自分も盗んだくせに、返してもらうとは盗っ人猛々しいとはこのことであろう。
まあ、そんなことを急に言われたライルは混乱するしかなかったが。
「え、えーと……話が見えないんですけど」
「ふん……。そんなことはどうでもいい。とりあえず、その本は渡してもらおう。痛い目にはあいたくないだろう?」
ライルはなんとなく荒事になりそうな予感がした。だから、その事なかれ主義を発動させ、おとなしく、懐にある本を渡そうとしたのだが、
「ちょっと。痛い目ってどういうことかしら?」
男の最後の一言が、ルナの負けん気に火をつけた。
「言葉どおりの意味だ。俺の言うとおりにしないなら、力づくで、ということだ」
さらに、点火した火に油が注がれた。
ごぉごぉと、ルナの心に炎が燃え上がる。こうなったら止められない。ここにシルフィがいれば、さらに風が火を煽るのだが……。
「へー……やってみれば?」
「……後悔するぞ」
すらりと剣を抜き放つ男。その眼光はますます鋭くなり重い空気が場を満たす。
「お、おい、ライル……」
「……アラン、なにも言わないで。こうなったら止められないんだよ。向こうは悪人みたいだし、二人とも、構えたほうがいいよ」
ライルは、なんだかんだでいつも持ち歩いているホーリィグランスを構える。名の通った聖剣が月明かりを受けてきらりと光る……のだが、この剣、見た目は普通の剣なのであんまりすごそうには見えない。
納得いかない様子のレイザード兄弟も、男が放つ雰囲気に圧倒され、自然と戦闘体制をとる。
「後悔させてみなさいよ!」
そして、ルナの言葉とともに、戦闘が始まった。
「ふっ!」
男が短く息を吐きながら、剣を振る。
ぜんぜん届いていないはずなのだが、振ったときに発生した風によって、今まさに魔法を放とうとしていたルナは吹き飛ばされた。
「うえ……」
後ろにいたアランを巻き込んで無様に倒れこむ。アラン、なかなか貧乏くじを引くのがうまいやつである。
「はぁ!」
その間に、ライルとアリスが左右から同時攻撃。ライルは剣による一撃を左から、アリスはパンチを右から。
絶妙のタイミングだったのだが、男は冷静に剣を横薙ぎに振るう。剣先から発生した風の刃でアリスの攻撃を防ぎ、そのままライルの剣を受け止める。
「くっ」
「甘い」
スピードを生かして、次々に攻撃を繰り出すライルだが、一つ残らず叩き落される。技量が違いすぎるのだ。
「『エクスプロー……』」
「『サラマンダーブレイ……』」
遠くから魔法を放とうとしたルナとアランも、力の言葉を宣言している最中に男の剣の一振りで集中をかき乱され、発動を防がれた。ライルと細かい傷を負いながら戦列に復帰したアリスを相手にしながら、である。
「ふん……うっとおしい」
並みの戦士なら数秒と持たないであろう、ライルとアリスの猛攻を、うっとおしいの一言で切り捨てると、
「『風の精霊よ、我が声を聞けい!』」
なにかの呪文だったのか、男がそう叫ぶと、男を中心に小規模の竜巻が生まれる。かなりの強風に、ライルとアリスはたまらず吹き飛ばされた。
「でぇ!?」
「きゃあ!」
ずざざ、とルナたちのとこまで滑っていく。
「お、お帰り」
「……ただいま」
無理やり笑顔を作るが、全身すりきずだらけで非常に痛い。アリスも似たような感じだ。慌てて兄が回復魔法をかけていた。
ルナに、そんなことを期待するつもりはさらさらないので、ライルは自分で回復した。
「どうだ? 魔法書を渡す気になったか?」
「全然!」
ライルたちが何か言う前に、ルナが力いっぱい宣言した。
「ちょっとルナ。なんか強いっぽいよ。降伏したほうがよくない?」
「そっちの小僧の言うとおりだ。おとなしく引き下がるなら、命までとるとは言わんぞ?」
ああ、余計なことを、とライルは頭を抱えた。
「うるさい! その妙な剣さえなけりゃ、あんたなんてぺぺぺのぺーよ!」
ルナのいうこともあながち間違いではない。男が剣を振ることで放つ風は、魔法の類ではない。魔法なら、たとえ詠唱を省略したとしても魔力を集中する時間が必要である。ルナとアランもその集中の間隙をつかれて、魔法の発動を読まれて防がれている。コンマ数秒という、かなり短い二人の集中時間を越えている、とも考えられるが、いくらなんでも、ライルとアリス二人を相手にしながらでは無理なはずだ。
だとすると、考えられるのは剣自体の特殊能力。
「ふむ……まあ、確かに、宝物庫からついでに失敬したこの剣がなければ、いくら学生といえども、四人を同時相手するのはきついがな」
「それ見なさい! 私の睨んだとおりだったわ!」
「だが、俺がこの剣を持っていて、圧倒的優位に立っているという事実は変わらんぞ」
うぐっ、とルナが詰まる。
「ライル!」
「え、え?」
「あんたの剣も、けっこうなやつなんでしょ! あいつに対抗できるような能力はないの!?」
「つってもなあ」
聖剣ホーリィグランスの特殊能力はオリハルコン製であることから来る自己再生能力と、付与魔法・武器に対する気孔術などの効果を爆発的に高める、というものだ。古代王国の失われた技術がてんこもりに用いられており、ランクで言えば、目の前の男の剣などよりはるかに上のはずなのだが……はっきり言って、この状況ではあんまり意味のない特殊能力である。
「おいおいおい。のんきに会話している場合かよ」
なんか生真面目なアランが徐々に、間合いを詰めてくる男に対して身構える。
「そうですよ。あいつの言っていることが事実なら、あの剣は、多分、降魔戦争時代に、国王が風の精霊王様から授かったっていう精霊剣ウィンエッジですよ」
ピキッ!
「ほう。小娘、よく知っているな」
「うちの叔父さんが、宮廷魔術師の方でして。聞いたことがあるんですよ」
「ふん、なるほど」
足元の石を慎重に拾いながら、男とにらみ合うアリス。その後ろでいつでも魔法を放てるようにする兄、アラン。
そんな真面目な二人の横で、ライルとルナは、今この場にいないシルフィに恨みの念を送っていた。
(あ・ん・の! バカ精霊! ちょっとライル! あの虫、本当にどこ行ってんのよ!?)
(テレパシーが届かなくて、わかんないんだよ……。多分だけど、精霊界に帰ってるんじゃあ……)
(ぐっ……自分で授けた武器くらい、自分で責任を取りなさいよね!)
(どうも、召喚なんてさせてくれそうにないしなあ)
見た感じ、男は魔法を恐れているようだ。威力の高い魔法などは、あの剣をもってしても防げず、男自身の魔法の腕もそうたいしたことないのだろう。だから、発動前に潰す。詠唱が必要な召喚術式なんて、のんびりやってられない。
「はあ……結局、やるしかないんだけどね」
「あとから、なんか責任取らせなきゃね」
そして、ライルとルナも、真面目モードに復帰した。
戦闘が再開されて10分。ライルたちは完璧に劣勢に立たされていた。
まず、ライルとアリスが同時に攻撃しようが男は軽く防ぐのである。技量の差もあるが、これはやはり武器の性能の勝ちだろう。小規模の竜巻などを巻き起こし、一人を行動不能にしている間にもう一人の相手をする、というスタイルが確立している。
そして、ルナとアランの魔法はことごとくが剣からの突風で防がれる。
八方塞であった。
そろそろ誰かが騒ぎを聞きつけて飛んできてくれてもいいようなものだが、一向に助けは現れない。寮からは少し離れているし、近くには家もない。決着がつくまでに助けがくるのは望み薄だろう。
「『風の精霊よ、我が声を聞けい!』」
何度目かの、吹き飛ばし。だんだんわかってきたのだが、最初うっとおしいとか言っていたが、これはただ単に、二人の相手をするのが限界に来たから距離を置いているだけだ。つまりは、もう少しのところまで追い詰めているはずなのだが、やはり、今一歩がつめられない。
「くっそ」
そして、あの竜巻はあんまり殺傷力は高くない。すぐさま起き上がり、駆け出そうとするライルだが、
「飽きたな」
「……え?」
「もう、貴様らの相手をするのも飽きた。これで、終わりにしてやる」
男の剣、ウィンエッジに魔力が集まっていく。
「! ルナ、魔法!」
だが、間に合わない。
「死ね」
横薙ぎ。
瞬間、真空の刃が牙をむく。今まででも最高の威力だ。
さて、説明しよう! この技は、精霊剣ウィンエッジの中に溜め込んだ力を一気に解放することで、上位の精霊魔法並みの威力の真空刃を放つ大技である!
威力が高いうえに、発動に『溜め』が必要ないので、よほどの実力者でも防ぐことはできない!
ただし、その瞬間、魔力が空っぽになるので、丸一日、普通の突風も起こすことができないという欠点がある!!
説明終わり。
ということを知っていたわけではなかったが、ライルはとっさに、これの威力を理解した。幸いにも、アランとアリスは有効範囲外で、本命の真空刃には当たらず、余波で大きく吹っ飛んだだけのようだが、ルナと自分はまともにくらうことになる。
自分ひとりなら、なんとか避けられたが、そうしたら、ルナの上半身と下半身が泣き分かれすることになる。
ライルは「ま、しょうがないか」という気分で、一歩前に出て、ホーリィグランスで防ごうと試みた。自分は重症を負うだろうが、なんとか防げるはずだ。……多分。
とか思っていたら、いつまでたっても予想の衝撃が来ない。
いつの間にやら閉じていた目を開けてみると、
「あんた、なーに人の作ったもんを勝手に使ってんの?」
いきなり現れたシルフィは、右手をかざしただけで、あの真空刃を掻き消してしまった。
「ったく。嫌な予感がして、ソフィアに説教されるの覚悟で戻ってきてみれば、これは何事よ、マスター?」
「い、いや。あの人がなんか本を返せとか、なんとか……」
「……ま、詳しい話はあとで聞くわ。で、なんであんなやつが、ウィンエッジを持ってんの?」
「盗んだらしいけど……」
と、のんきな会話を交わしていると、ルナが食って掛かってきた。
「ちょっとあんた! あれを人間界に持ち込んだの、あんただって話じゃない! どーして、あんな厄介なもの持って来たのよ!」
「……500年も前の話を持ち出さないでよ。あのころは色々魔族とか大変だったんだから、しょうがないでしょ。そもそも、厄介なものってなによ。そんなに強力なものじゃないでしょ?」
「あんな、振るだけで風を起こすような便利な代物、どこが強力じゃないって!?」
「いや、ふつーはそうでしょうけど……。ねえ、マスター、もしかしてと思うけど、あれ防げなかったの?」
なぜか、ライルに振るシルフィ。ライルはというと、気絶していたアランとアリスの傷を癒していた。
「え? あんなのどうやって防げって……」
「あれって、風の精霊に刀身に蓄積した魔力で命令しているだけだから、マスターなら、風の精霊に干渉して、発動から何から簡単に防げるはずなんだけど」
ライルとルナの動きが止まる。
そして、ぎぎぎ、とルナのすさまじく怖い視線がライルのほうに向けられた。そっちを振り向く勇気は、彼にはなかったので、その視線を感じるだけだったが。
「ま、まさか。そんなこと……」
「そりゃ、普通の精霊魔法なら無理だろうけど。意思が伴っていない剣からの干渉なんだから、マスターならあの剣の攻撃くらいさっきの私みたいに無効化できるでしょ? あんなやつの命令なんてきかないで、って頼めばいいんだから」
考えてみる。そして、普段から視界に入っている精霊たちを見てみる。そして、少し話しかけてみる。
結果、至極、簡単なことだとわかった。
「……いやぁ〜〜〜。は、はははは」
力なく笑う。
「ライル」
ルナの冷たい声に、その笑いも止まった。
「あとでとっちめるからね」
その言葉に、顔面が蒼白になった。・
ルナは男に向き直る。男は、顔をひくひくさせていた。ついでに、かなり汗をかいていた。必殺……というか、最後の手段を防がれ、勝てる見込みがないことをはっきりと悟ったせいだ。
さっきの会話から、なんとなく、シルフィの正体がばれてしまったかもしれないが……
すぐ、忘れることになるから、シルフィは気にしていなかった。
もともと、彼の実力は、肉弾戦だけに限るとライルよりけっこう上。魔法を含めると下、といった程度である。彼は魔法がほとんど使えないという、アレンにそっくりな人である。
ルナとアランの魔法を例の剣でなんとか防ぎ、ある程度の実力と剣の性能でライルとアリスの相手をなんとか務める。一方的に見えたが、あんがい接戦だったのだ。
そして、さっきまで冷静っぽく装って精神的優位に立つという男の作戦は、とりあえず破棄された。こうなってはあんまり意味がないからである。そして、地を出して、逃亡を試みる。
無理して固めていた顔面の筋肉をほぐし、笑顔で、
「あ、おじさん、そろそろ帰んなきゃ。じゃーね、君たちは学生なんだから、早めに帰らなきゃダメだぞ。それじゃ、そーゆーことで」
あまりのギャップにライルは力が抜けたが、怒り心頭状態のルナにはそんなごまかしは通用しない。
「人を殺そうとしておいて、よくもまあ、ぬけぬけと……」
ひい、と小さく悲鳴を上げる男。
なんて恐ろしい小娘だ。さっきまで怖い怖いとは思っていたが、なんでこんなに迫力があるんだよ。
非情な盗賊を装っていたくせに、内心ではこんなもんだったわけである。あれは、仕事用の人格で、普段の彼は気の弱い中年に過ぎないのだ。
「さっき言ってた台詞を返すわ」
「い、いや、返さなくてもいいよ」
ルナは特上の笑顔で、
「遠慮することないじゃない。…………死ね」
後日、盗まれた剣と魔法書と一緒に逮捕された盗賊、本名デニス・ゾーランドは……
「ねえ、ここはどこ? わたしはだぁれ?」
という状態だったらしい。