いろいろあったミッションが終了して、1週間。
ヴァルハラ学園は夏休みに入っていた。
第19話「それぞれの夏休み〜クリス編〜」
「…………………」
ふと目を覚ます。
気を抜いたら、すぐさま閉じてしまいそうな瞳で壁に掛けてある時計を見ると、6時半であった。
「う〜ん、よく寝たなあ」
何となく、眠くて、昨日床についたのが、9時。今時、初等部の児童でもこんな早寝早起きはしないだろう。
「とりあえずご飯かな………」
買い置きしてある食べ物を頭に浮かべながら、クリスは台所に向かった。
クリスの部屋は他の生徒の部屋より、幾分豪華だ。
他国の王子という肩書きもこういうときは便利だな、とクリスは思う。
「う〜ん……今ひとつだなあ」
昨日買っておいたパンとチーズ。即席で作った目玉焼きとサラダという、クリスにとってはまあ定番のメニューだ。
「ライルの所でも行けばよかった……」
パーティーのなかで、唯一料理が得意な彼の料理は、かなりおいしい。
たまに、朝食の準備が面倒なときなど、朝も早いというのに、部屋に押し掛けて朝食をごちそうになる。
たまに、女子寮にいるはずのルナも一緒にいる時があるが、始めこそびっくりし、いろいろ想像を膨らませたものの、今では大して気にしていない。慣れたというのもあるし、ルナがそういう性格だとよく知っているからだ。
「しかし、あの料理にはまいったよなあ」
思い出して、げっそりとなる。
ミッション中に、彼女が作った料理。あれは異次元の味だ。形容などは出来ないし、したくもない。
ルナには悪いが、思い出すだけで、吐き気がしてくる。
「さてと……」
ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーを飲み干し、片づける。
そして、そのあと、自室の机に向かい、宿題を始める。
(う〜ん、これもそろそろ終わるなあ)
順調に、ページが減っていく問題集を見ながらクリスは淡々と問題を解いていった。
勉強を適当なところで切り上げ、街へと繰り出す。
いつも通り、女装して。
「ちょっとお嬢さん。そこでお茶でもしない?」
もの凄く古典的なナンパ野郎、出現。
だが、いつものことなので、クリスは見向きもしない。
「邪魔」
それだけ言い捨てて、悠然と歩き出す。
後ろで固まっているナンパ男のことなど、見向きもしない。
だが、そのナンパ男はけっこう骨があったようだ。すぐさま石化から立ち直り、この先は通さないぜとばかりに、クリスの前に立ちふさがる。
「そんなこと言わないでさ〜。ちょっとだけ付き合ってくんない?」
と、クリスの細い腕を掴む。
「邪魔って言ってるでしょ」
その言葉を聞くやいなや、ナンパ男の体は一回転。背中から地面に叩き付けられた。
「ぐぇっ」
奇怪な声を上げて悶絶するナンパ男ジョニーくん(仮名。20歳彼女なし)。
クリスとて、王族。魔法以外に身を守る術はある程度、身につけている。
「ふん」
クリスはちらりと一瞥して、悠然と立ち去った。
「おに〜さん。これとこれとこれ、ちょーだい」
クリスが甘えた声を出しながら、適当な果物を指さす。
果物屋の20台前半くらいの男はそれらを袋に詰める。
「ほい。お嬢ちゃん、かわいいから少しおまけしておいたよ」
「あ、ありがと〜」
と、満面の笑顔。店の男はだらしなく顔をゆがめる。
ちなみにクリスは、さっき買った果物をかじりながら、
(う〜ん、やっぱり買い物をするときは女装するに限るなあ………)
などと考えている。
いや、実際、女装していると、おまけしてもらえることが多いのだ。狙い目は10代から20代までの若い店員。その時は、なるべく愛想良く、甘えるようにしなければならないが、この道5年のクリスからしてみれば造作もないことである。
5年前………その時が全ての始まりだった。
当時、彼は10歳。その日はお城でちょっとしたパーティーが開かれていた。
その時、彼は初めて女装した。いや、させられたという方が正しい。
クリスには4人もの姉がいる。彼女らが悪のりして、クリスに無理矢理ドレスを着せたのだ。
始めはただ、ちょっと弟をからかって、笑ってやろう。その程度の気持ちだった。
自分たちのお古のドレスを着せ、軽く化粧してやり、何故か、姉の一人が所有していたカツラをかぶせる。
かくして現れたのは、明らかに男とわかる、笑えるような姿ではなく、自分たちより、はるかにかわいらしい少女であった。
その時の会話を正確に再生しよう。
『………クリス……よね?』
『そうだけど………』
『あんた、実は女だったとか?』
『僕はれっきとした男だよ』
『だよねえ』
『………なんか、生意気』
『『『うん』』』
『な、なんだよそれ!姉さん達が無理矢理やらせたんだろ!!』
『あんた、罰としてそのままパーティーに出なさい』
『あっ、それいいわね』
『よし。そうと決まればもう少しアクセサリーなんかを……』
『ドレスも、もう少し豪華なやつ、とってこようか』
『ちょ、ちょっと!!』
『『『『あんたは黙ってなさい!!』』』』
『…………はい』
ってなもんである。
この事件で、クリスはある一つのことを学んだ。すなわち……『男はかわいい女の子に甘い』
それ以来、味をしめ、ことあるごとに女装するようになったクリスであった。
何はともあれ、昼食を適当なカフェですませ、いったん家に帰る。
「うーんと……あ、あった」
テーブルの上に置きっぱなしだった本を手に取る。
「ちゃんと返しとかないとね」
その本の背表紙の隅に『ヴァルハラ学園・図書館 E−125』と書かれたシール。
ヴァルハラ学園にある図書館は、王立図書館にも匹敵する蔵書を誇っており、夏休みも毎日開いている上、一般市民も自由に閲覧可能なので、けっこうな人数が訪れている。
かくいうクリスも、夏休みに入って、2日に一回は通っている。
ちなみに、今回借りていたのは『黒魔法大全・前巻』である。
あくまで、一般向けの本なので、今、クリスが習得している以上の魔法は書かれていなかった。
前回の魔族の一件で、攻撃力のなさを痛感したクリスは、一から勉強し直しているのだ。
「今度は白魔法でも試してみようかな……」
そんなことを考えながら、寮の自室を出て、図書館に向かうクリスであった。
「………はい確かに」
図書館に着いたら、すぐに司書さんに、本を渡す。
「それじゃ」
顔なじみの司書さんに、あいさつだけして、その場を離れる。
「あれ?」
ふと、魔法関連の書物の棚の辺りに、ライルの姿を見つける。
「や、ライル。ライルも、魔法書探してんの?」
「ああ、クリスか。いや、そういうわけじゃないんだけどね」
と言って、ライルは手に持っていた本を見せる。
「『ミシェル峠の誓い』……か。けっこう良い趣味だね」
以前、何回も読み直した本のタイトルを見せられ、少し感心する。
「知ってるの?これから読むところなんだけど………」
「まあね。それ、けっこう良い話だよ」
「ふ〜ん。そういえば、クリスは何読むの?」
「ああ、ちょっと新しい魔法でも覚えようと思ってさ。なんかいい魔法書がないかな〜って。ほら、前の一件で僕、あんまり役に立ってなかったじゃない?」
言わせてもらうと、あの場面、役に立てる方が異常なのだが。
「ふ〜ん」
「ライルはどうなの?新しい魔法覚えようとか思わない?」
「僕の場合、シルフィが教えてくれるから」
クリスには見えないが、おそらくシルフィがいるであろう所を指さして、ライルが言う。
「ああ、なるほど」
「風系以外の属性の魔法もほとんど知ってるんだ。亀の甲より年の功って言うところかな?」
言ってから、ふと、ライルが虚空に視線を向ける。
「いや、だってお前800年以上生きてるんだろ?」
その言葉で、クリスは大体の事情を察した。
おおかたシルフィが、「乙女の年齢に触れるなんて、最低よ、マスター!!」などと、プンプンしているのだろう。
ライルはクリスの方を向いて、苦笑いをすると、じゃ、と短いあいさつをして、去っていった。
「そういえば、ライルとシルフィっていつ知り合ったんだろ?」
ふと、そんな疑問が浮かんでくる。ルナが知らなかったのだから、おそらくアーランド山に引っ越してからだろうが………
彼女………シルフィと出会ったのはつい1週間前の話で、そのあとも、そう何度もあったわけではない。
だから、当然と言えば当然だが、クリスはライルとシルフィの関係についてはほとんど知らなかった。
知っていることと言えば、ライルと契約しているらしいということだけだ。
まあ、すくなくとも悪い子ではなさそうだから、クリスはそれ以上気にするのを止めた。その内、嫌でもいろいろ知ることになるだろう。
なぜだか、そんな予感がした。
「ま、いいや、勉強勉強」
深くは考えないことにして、とりあえず『白魔法の全て』と言う本の1ページ目を開いた。
「………………」
神の力をうんぬんかんぬん………
「おーい。クリスー?」
主はおっしゃられたかくかくしかじか………
「もしもーし………」
内面の聖なる力をどーたらこーたら………
「しくしくしく……」
「なに、ライル?この本に夢中で気付かなかったよ?」
「絶対に嘘だ……顔が嘘だと言ってる」
「ちょっと被害妄想気味じゃないの?」
クリスはしれっと言った。
「で、なに?」
とりあえず、今まで読んでいた『白魔法の心得』などという、本を置いて、クリスが尋ねた。
「いやね、さっきルナと会って、僕の部屋で一緒に晩ご飯食べないかって話になって。それならクリスとアレンも誘おうって事になったんで、誘いに来たんだ」
「そうなの?じゃあ、お言葉に甘えようかな」
本棚から数冊の本を抜き取り、受付に向かう。貸し出しの手続きを済ませ、図書館をあとにする。
「なに作るの?」
隣を歩いているライルに問いかける。
「ビーフシチューにしようかと思ってる」
「おいしそうだね」
「………あ、そうそう。会費は50メルだから」
「………しっかりしてるなあ」
「当然。材料費はただじゃないんだからな。………まあアレンは材料、家から持ち込みだけど」
「………アレンらしいね」
一般人の、10倍位食べるアレンの胃袋では、材料費を払ったら、とんでもない金額になるのだろう。
そういえば、クリスを含めこのパーティーのメンバーは毎日ライルに材料費だけ払って弁当を頼んでいるが、アレンだけは材料を直接渡しているらしい。彼の家には、常時、大量の食材が保管されているそうだ。
「……………………」
「……………………」
そのことを思い出し、思わず無口になる二人。
アレンの食べっぷりを見ていたら食欲が失せるのだ。
そんなことにはなりませんようにと、一番星さんにお願いしながら帰路につくクリスとライルであった。
「あっ!クリス!俺の分がなくなるだろ!!」
「こんなにいっぱいあるんだから、少しくらいイイじゃないか」
鍋に入っているビーフシチューを器に入れながらクリスが抗弁する。
「マスター、おかわり!!」
シルフィが、専用の小さな食器をライルに突き出す。
「はいはい……」
それを受け取り、いっぱいに盛り、こぼさないよう注意してシルフィに渡す。青いエプロンが不自然なまでに似合っているライルであった。
「…………ん〜〜〜〜〜〜!!!」
急いで食べ過ぎて、口の中が熱さでピンチなルナ。
「はい、水」
「………んぐんぐんぐ………。はぁ……ありがと、クリス」
「どういたしまして」
自分の分の水を飲みながら、クリスはこんな時間がずっと続けばいいなと思っていた。