(……スター。マスター)

むう、と唸り、ごろりと身体を横に向ける。

僕は、まだこの布団の感触が恋しいのだ。悪いが、その声に応えてやるわけにはいかない。

「起きろ」

という、僕の抵抗も空しいもので、冷たい声と共に布団を引っぺがされ、ベッドから落とされた。

「いだっ!?」

思いっきり頭をぶつけて、転がりまわる。痛い。誰だ、こんなことをするのは、と視線を上げると、なにやらひらひらの服が目に入った。

はて? 僕の知り合いにこんなドレスを着るような人間はクリスくらいなのだが、さっきのは明らかにクリスの声ではなかった。と、するといったいどこのどちらさんで……

「おはよう。起きた? ったく、もうすぐ時間よ。とっとと着替えて……」

ルナだった。薄い青色のドレスを着こなしている。こういってはなんだが、随分高価そうなものだった。傍目にも良い生地を使っていて、シンプルながらも品の良い仕立て。そうして立っていると、まるでどこぞのお嬢様っぽい。

普段とのあまりのイメージのギャップに、思わず僕は口を開いた。

「……ルナ? なに、そのコスプレ」

寝起きの僕は、少々危機管理意識に欠けていたらしい。

うっかりとそんな言葉を漏らしてしまい、思いっきり踏みつけられた。

先に主人を起こそうと奮闘していたシルフィは、はぁ、と大きくため息をつくのだった。

 

第193話「卒業パーティー 前編」

 

ライルは着慣れない正装に、身を捩じらせた。

別に、卒業生のパーティーなのだから、そう気取る必要もないのだが、ジュディさんは『ご褒美よ』とか言って、自前の立派な服を貸してくれていたのだった。

そのことを忘れていなければ、さっきのような憂き目に会うこともなかったのだろうが、まぁ自業自得である。いくら、徹夜で走ってきて疲労困憊だったとは言え、それを言い訳にはできない。

「うわ、お城なんて入ったの初めてだよ」

「なに言ってんの。クリスんちに入ったじゃない」

「いや、このお城ってことで……いつも遠くから見るだけだったから、感慨深いものが」

「ってか、キョロキョロしない。変に思われるでしょうが」

とは言っても、城で働いている侍女達も微笑ましそうに見るだけだった。今日は、ヴァルハラ学園の卒業パーティーがあることは誰もが知っていたし、そもそも似たような学生が既に何人も訪れている。

実際、お城の中は一般人には縁のないものばかりだった。王の権威を示すべく、豪奢に彩られた廊下は、それだけでもここが貴族の居場所だと言う事を主張している。目を楽しませるべく並んでいる置物や絵も、それだけでライルが百年は生活できる値段だろう。

そういうのに頓着しないルナはともかく、ライルはビクビクしっぱなしだった。国力の割に質素だったアルヴィニアのお城は、これに比べればずっとマシだ。

「あ、いたいた。おーい、ライル、ルナ」

と、呼ぶ声に振り向いてみると……ライルがこれまで見たこともないほど綺麗な婦女子がこちらにやってきた。

服もアクセサリーも一級品。しかし、それが華美な印象を与えず、むしろこの女性に似合って見えるのは、昔から着慣れているからであろうか。楚々とした印象ながらも、その表情は活発で、話も上手そうだ。社交界ではさぞモテるだろう。

無論、男でなかったらの話である。

「……クリス。まさか、最後の最後でその格好?」

「折角パーティーだからね」

「いや、なにが折角なのかさっぱりわからない」

もし、この男の性別が逆であるならば、とライルは少々惜しい思いをしたりしなかったり。

「クリス、アレンと一緒じゃないの?」

「アレンなら、姉さんと後で来るよ」

「……なんで卒業したフィレアが来るのよ」

「なんでも、卒業を期にアレンに告白する不貞の輩が唐突に出現しないかどうかを危惧しているらしい」

まったくもって完全無欠の杞憂である。ヴァルハラ学園の全生徒を絨毯爆撃してみても、アレンに思いを寄せる少女などというものは探し出せそうにない。大体、フィレア自身がこれ見よがしにアレンの婚約者であることを吹聴しているので、わざわざ人の男を横から掻っ攫おうと考える人間がいるわけなかった。

「ってなことを一応言ったんだけど、聞かなくてね。多分だけど、結婚式の前夜祭くらいに思っているんじゃないかと」

「……私らはあの二人のためにパーティー行くわけじゃないんだけどね」

「まあまあ、多少は浮かれるのも無理はないでしょ。なにせ、人生最大のイベントだし」

憮然とする二人に、ライルはフォローを入れた。

なにせ、学生――卒業したから元学生だが、どちらにしろ祝儀を贈るようなお金はない。こういうところで気遣うことで祝儀の代わりとすることにする。多分、アレンはどんな大金よりも喜んでくれるだろう、とライルは確信していた。なんせ自分なら絶対に喜ぶ。

「ま、アレンのことは置いておいて……ルナも、ドレス着たんだね」

「む。悪かったわね。どうせ似合わないわよ」

まだライルのコスプレ発言が尾を引いているらしい。

「いやいや、逆だよ。よく似合っている」

「そ、そう?」

「うん。きっと、注目の的だよ」

社交界に慣れているせいか、適当な褒め言葉もクリスが言うと堂に入っていた。女装しているくせに。

「……そう、そうよね。私みたいな美人が着飾ってるんだから、場の注目を集めるのは当然よね」

「うん、そうそう」

黙っていればね、とライルとクリスは同時に思っていたが、もちろん口に出さない。機嫌を損ねると、どんな反撃が待っているかわからないからして。

「さあ、行くわよ。もう始まってる時間じゃない。みんなを待たせたらいけないわ」

「待ってないと思うなぁ」

むしろ、来て欲しくないと思っているんじゃないだろうか。パーティーを無茶苦茶にされては敵わないだろうし。

……というライルの想像は間違っていて、実は場を盛り上げてくれる人間として、ルナを筆頭としたこのグループの登場は待ち望まれていたのだが、知らぬが吉であろう。

その期待は、ほとんど芸人に向けられるそれと変わらない。

「なんか言った?」

「ぃいえ。なんにも」

肩をすくめて、ライルは答えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、お姉さまー」

ぶんぶん、と手を振る女の子。

明らかにこちらを向いているのだが、ルナは一瞬誰だかわからなかった。

「お久しぶりですー。なんか、すっごい久しぶりですー。久しぶりすぎて、忘れ去られてません? 私」

「……そんなことないわよ」

確かに見覚えはあるのだが、久しぶり久しぶりと連呼する少女の名前がどうしても出てこない。

そう、なんとなく厄介な人間であることは分かる。ガチで同性愛に傾いている事も覚えている。しかし名前……名前がなんだったか、とルナは悩み、やっと思い出した。

「でも、確かに久しぶりね。ミレル」

「ミリルです!」

ぷんすかと、ルナを敬愛する、一学年下の、ルナやライルと故郷を同じくする少女(説明的)は怒った。

「いや、悪い悪い。だってミリル。全然出番ないんだもん」

「はい? 出番?」

「こっちの話。ってか、どうしてミリルがここにいるのよ。今日は卒業生のパーティーじゃあ」

「お城の会場だけあって広いですから。在校生も参加可なんです。会費は取られますけど」

それも当然だろう。会場では、楽団が緩やかなメロディを流し、各種料理も取り揃えられている。第一、会場が会場だ。相当の予算がかかっていることは想像に難くない。主役である卒業生達はともかく、それ以外の参加者から会費を徴収するのは自然なことであった。

「ま、とりあえず、お腹が空いちゃったから、料理かな。踊るのはその後でも出来るし」

「出来るの? ライル」

「……まぁ、簡単なステップくらいなら」

クリスの純粋な疑問に、ライルは声を小さくしながら答える。

「まあ、そりゃそうか」

「そうだよ。クリスみたいな人種じゃないと、社交ダンスなんて必要ないし」

実際、幾人か学生が踊ってはいるが、どれも拙いステップである。なにやら、やたらえばりながら、みんなに不必要なまでに優雅なステップを教えているグレイの存在は黙殺しておく。

「なんなら、僕がリードしてあげようか?」

なにやら妖艶な笑みを浮かべるクリスから目を逸らしつつ、『やめとく』とライルは呟いた。

真正面から見たら、一にも二にもなく付いていきそうになりそうで嫌だった。

「とりあえず、今は食べ物だよ。考えてみたら、昼なんにも食べてない」

ずっと寝ていたので当然である。

不思議なもので、意識すると途端に腹が減ってくる。

そして、テーブルの上に並んでいるのは、これから先、もしかしたら一生味わうことのない上等な料理だ。

躊躇する理由はない。

「ルナー。僕ら、料理食べてくるからー」

ミリルと雑談に興じているルナに、一応一声かけてからテーブルに向かう。

「あ、ちょっと待ちなさいよ。私だってお腹空いてるんだから……じゃあね、ミリル。また後で」

「はいー」

割とあっさり別れる。

「……いいの? 多分、もう出てこないよ?」

「いいのよ。あんまり出てると、また襲われるから」

クリスは一人、ライルとルナの謎な会話に首をかしげた。

「へぇ、なかなかいい食材使ってるじゃない。料理人の腕も……うん、上等」

クリスは、適当に料理を小皿に取り、一つずつ味見しては、コクコクと頷く。しっかりと寸評を入れている辺り、俺はグルメなんだぜ、と自慢しているようで、ライルはどうにも気分が悪かった。

「どうせ僕は普段からいいもの食べてませんよ」

「……素晴らしいくらいの八つ当たりだよね、それ」

「ふん、良いさ。普段、いいものを食べていない分、感動も大きいんだ。まいったか」

そんな子供みたいな事を言われて参るクリスではなかったが、『ああ、まいったよ』と大人の態度で切り返した。

「ちょっと、ライル。レディファーストって言葉を知らないの。まず、私のために料理を取り分けて」

「ああ、はいはい。ちょっとお待ちを……」

お腹が空きすぎて、そんな余裕などあまりないライルだったのだが、一応、ルナの言う事もにも一理あったので、大人しく従う。

バイキング形式で、色々と並んでいる料理を取り分け……

ビシュッ!

「…………」

ようとしたそのとき、料理が忽然と消えうせた。

「……アレン?」

「ん? ふぁいふは(ライルか)」

「なに言っているのかわからない。それより、全部取らない。一応、みんなの分なんだよ、これ」

「まあ、追加されるから問題ないだろうけど……なに、さっきの早業」

クリスは見ていた。アレンが、直接フォークの二刀流で、皿から口に一気に料理をかきこんだその姿を。

都合八人前はあったスパゲティが、その一瞬ですべてなくなった。恐ろしい早食いである。

「も〜! アレンちゃん! ちゃんとエスコートしてくれなくちゃダメじゃない」

と、そこに、アレンの婚約者であるフィレアがトコトコとやって来た。

精一杯おめかししているらしく、フリル満載の少女趣味なドレスを着込んでいる。それがいやに似合うのは何故だろうか。確か、十九歳のはずなのだが。

「さぁ、踊りに行くよ。わたし達の仲の良さを見せ付けてやろう」

「待て、フィレア。あと一分待て。とりあえず、腹を満たさねば戦はできん」

と、アレンは喋りながらも料理を片していく。唖然と見守るライルたち。

「っぷぅ。昨日まで走りっぱなしだったからな。腹減ってたんだよ。じゃあ、フィレア、行くか」

言い訳らしいものを残して、アレンがその場から離れる。後に残されたのは、食い散らかせられた料理の跡。いや、食い散らかす、という表現は妥当ではない。文字通り米粒一つ残さず平らげられているのだから。

「……追加までどのくらいかかるかしら?」

「さあ……。多分、三十分はかかるんじゃない?」

「仕方ない……踊りに行きましょうか」

「うん……」

あまりの食いっぷりに、もう食欲が失せつつあったライルとルナは、そう示し合わせて踊りの円のへと向かう。

「あ、ライルー……って、行っちゃった」

そして、クリスは、自分をエスコートしてくれる人物がいないことに嘆息し、諦めて壁の花となるのだった。

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