正午過ぎ。
ライルは、重い足取りで、体育館に向かっていた。その歩みが遅いのは、決して露店で食べ過ぎたせいではない。
(ちょ、マスター。待って……お腹、重くて……)
ちなみに、食べ過ぎたのはシルフィの方だ。
全部魔力に変換しているからー、とか偉そうなことを言っておきながら、変換効率よりも多く食べたせいでお腹が重くなったらしい。まぁ、姿を隠しているくせに、ライルにせっついて、こっそり色々食べさせてもらったので、自業自得である。
(僕も、待ちたいんだけど、遅れたらルナがそりゃもう怒るだろうから、待てない)
(薄情もの〜)
右に左にふらふら浮遊しているシルフィは、やがてぽてりと地面に落ちた。……どれだけ食ったんだ、オイ。
ライルは、ため息をつくと、ひょいとシルフィを摘み上げ、自分の肩に座らせた。ほとんど重さを感じさせないその体は、どこからどう見てもお人形さん。シルフィの姿が他人に見えたら、言い訳できない状況だよなぁ、などとライルは何気なく辺りを警戒する。
(おぉ〜、こりゃラクチンだわ)
(飛べるようになったら、とっととどけよ?)
(ふふ〜ん。どうしよっかなぁ〜)
(いや、そうじゃなくてだな。いざってとき、逃げれるように……)
会話をしているうちに、体育館に着く。
並べられた椅子の群に、学生や一般参加者が座っている。大体、八割ぐらいの入りだろうか。……早く逃げた方がいいですよー、とライルは声無き声で警告を飛ばす。
『さて、次は、三年A組によるMMS(マジックミュージカルサーカス)『剣の誓い』です。準備完了まで、もう十分お待ちください』
第161話「文化祭 ―MMS―」
マジックミュージカルサーカス。略してMMS
はっきり言ってわけがわからないものなのだが、簡単に言うと『魔法と演奏とサーカス的演出を加えた劇』でいいのだろうか。言っててわけがわからなくなったが。ちなみに、マジックは『手品』の意味のはずだったのが、いつの間にか魔法に入れ替わっているのは、やはりルナの趣味だろうか。
これはルナが(実行委員の仕事を全部ライルに押し付けて)一生懸命組み立てた出し物であり、それだけでライルがとても不安がる出し物だった。
題材となっている『剣の誓い』とは、有名な騎士物語だ。さる国の新米聖騎士が、魔王を倒すというシンプルな筋書き。演出面が過剰なため、あまり複雑な話だと視聴者がついてこれないだろう、と主張したリムの選出だ。
どうせなら、あまり派手な演出をしないで済む物語にしてくれりゃいいのに、とライルは思ったが。なにせ、このお話は、魔物との戦いが実に話の七割を占める。さぞやド派手な演出をしてくれるであろうことは、ほぼ間違いない。
以前、練習の見学に来た時、爆風で吹っ飛ばされた経験を思い出して、ライルはブルブルと震えた。
「……あんまり、意味があるとは思えないけど」
ライルは、席に座ると、周りに気付かれないよう、素早く印を切る。
一瞬、突風がライルの周りを駆け抜け、結界が完成した。
「結界魔法は苦手なんだけどなぁ」
「って、なに風の結界なんて張ってんのよ?」
ビクリ、とライルは思わず飛び上がりそうになった。
「る、ルナ?」
「そうよ。なに? 私がいたら文句でもあるの?」
「そういうわけじゃないけど、も、もうすぐ始まるんじゃないの? 演出総責任者がここにいちゃ駄目じゃないか」
「あ・ん・た・のせいでしょうが。いつまでも現れないから、来ないかと思っちゃったじゃない。アンタには、実行委員としてこのMMSを見届ける責任があるのよ?」
そんな責任、初めて聞いたが、ライルは素直に頷く。確かに、ルナの言う事に一理がないわけではない。文化祭実行委員として、ちゃんと出し物が正常に運行しているか確認するのは、まぁ、仕事と言えなくもないだろう。
ただ、いかに委員としての責任があるとは言え、あからさまに危険な場所へは、近付かないという選択もまた勇気だと思うのだがこれいかに。
(まぁ、ここに来ている時点で、その勇気が無いことは確定だけどねー)
(……心を読むんじゃない)
しっし、と肩を借りておきながら、恩知らずにもそんな事をささやくシルフィを追い払う。が、かわされた。
「ん? もしかして、シルフィいんの?」
ルナは、その仕草だけでシルフィの存在に気がついたらしい。どこにいるのかもわかっていないはずなのだが、的確にシルフィの方に視線を向けると、や、と手を上げて挨拶する。シルフィの方も、手をヒラヒラさせてそれに返事をしていた。
「シルフィも見てなさい。私たちが必死になって完成させたMMSを見て、抱腹絶倒させてあげるわ」
「ルナ、抱腹絶倒って……その表現、間違ってるから」
「そだっけ? まぁ、どうでもいいじゃない。じゃ、私は行ってくるから」
首をかしげながら、ルナは舞台袖に帰っていく。
(私にとっては、そのまんまになりそうだけどねー)
(シルフィ……あまり不吉なことを言うんじゃない)
『彼は激怒していた。そのため、残忍卑劣な魔王を必ず倒すという誓いを、王女の前に立てた』
『王女は言った』
「貴方がそう望むのなら、私たちは可能な限りの支援をするでしょう。そして、私と約束してください。必ず、生きて戻ってくると」
王女役のクレアが、威厳ある口調でそう言った。
舞台の後ろの方では、演奏隊が荘厳なバロックを奏でている。
とりあえず、楚々とした進行だ。しかし、物語が派手さを増してくるのはここからである。
旅に出た騎士に襲い掛かってくる魔物たち。しかし、その魔物たちはなぜか全員、ピエロの格好をして球に乗っている。練習不足か、二人ほど球から転がり落ちた。
(……音楽と劇だけにしときゃいいのに)
ライルはそういう感想を抱いた。ただのミュージカルになるが、それでいいではないか。そう思っているのは、会場の皆様も同じだろうと思う。
やがて、全然緊迫感の無い戦闘が終わり、騎士の旅は続いていく。
と、そこへ
ピシャーンッッッ!
「うわぁぁぁ!?」
「きゃああああ!?」
「ぎゃああああ!!」
激しい雷鳴と共に、悲鳴が聞こえた。ってか、この悲鳴、どう考えても演技ではない。
『激しい戦いを終えた騎士の前に、彼の魔王が姿を現したのですっ』
それどころではない。
どうも、演出のため雷鳴を轟かせたかったのかもしれないが、激しい光とでかい音で、最前列の観客は顔を伏せてしまっている。
難を逃れた後方の客も、なんだなんだと目を白黒させていた。
(しょっぱなからこれか……)
ライルの場合、結界の作用で、音の伝導はかなり減衰されている。光はダイレクトに届いたので、少々目がチカチカするが、大したことはない。
しかし、これはあくまでまだ序盤なのである。ここから先、これ以上になることは想像に難くない。
……というか、案の定、今の雷光のお陰で、帰ろうとする客がぽつぽつ出始めている。
(うっわ、すごいことするわねー)
(力入れすぎだ……)
頭を痛くしながら、ライルは舞台袖から出ている手を見る。
未だパチパチと魔力の名残を見せるその手の主に、もっと抑えろとテレパシーを飛ばした。……届くはずも無いが。
そして、更に物語は続いていく。
手に持った聖剣で、次々と魔物を切り倒していく騎士。倒れた魔物は、ドカーンという特撮チックな爆発によって消え去っていく。その爆風に巻き込まれて、既に主人公は三度入れ替わっていたりする。爆風に煽られて恐怖を感じた観客が、一人また一人と席を立っているのは、もはや説明するまでも無いだろう。
そして、何の脈絡も無く挿入される騎士と姫の愛の物語。度々愛を語る相手が入れ替わっては、さぞや姫も戸惑うだろうと思ったが、何のツッコミも無く流暢に台詞を紡いでいく。どうやら、主人公が脱落するのは、折込済みらしい。どうでもいいが、玉乗りをしながら告白されて、嬉しい女性というのは存在するのだろうか?
こんな状況なのに、背後の演奏隊にはまったく影響は無く、延々とバックミュージックを流し続けている。結界でも張っているのだろう。
「……もう、僕も帰ろうかな」
阿鼻叫喚のステージに、流石にライルも耐え切れずそんなことを呟いた。既に、客は半分ほどまでに減っている。
「まぁまぁ。このように楽しい劇を、途中で放り出すことも無いだろう」
「はい?」
ふと、隣の席からその独り言に返す言葉があった。
「いやいや、すまない。君が見る価値無しと判断したのなら、止める気はないよ。でも、これはとても楽しい催し物だと思うけどね」
「はぁ……そうですかね」
「そうだとも」
そんなことを言っているのは、スーツをビシッと着こなした初老の男性だった。この紳士は、どっかんどっかんと観客席にまで爆風が届くような劇を面白いと思っているらしい。
思わず、ライルは聞いていた。
「どこかですか?」
「そうだね……このような手法の劇は初めて見るから新鮮だし、演技者も実に楽しそうではないか。多少、荒削りなところは否めないが、それも含めてエンターテイメントとしてはよく出来ていると思うよ」
「現に客が逃げてるんですが」
「それは、根性無しだと言っておこうか。芸術を楽しむには、それなりの度胸が必要なのだ」
しれっと言い放つ紳士。
ライルとしては、芸術を楽しむために必要なのは教養だとか礼節だとか、そういうものだと思っていたのだが、度胸というのは初めて聞いた。
「それに、安全面は十分に考慮されている。観客席のものが怪我をするような演出は一度もされていないし、ステージも壊れていないではないか」
紳士がそう言うと同時、ステージが一瞬で凍り付いていた。……どうも、氷の国にたどり着いた、という場面らしい。
「寒いんですが」
「なに、本物の氷の国に比べれば大したことはない」
きっと、この人は凄腕の冒険者か何かに違いない、とライルは思った。
そして、劇は魔王(ハリボテ)が最後に爆発死することで終焉となった。
「とことん爆発オチが好きだな……」
自分の周りの結界が煙を遮断しているライルは、そう冷静にコメントすることが出来た。
しかし、僅かに残った観客たちは、煙のせいで少しむせているようだ。それは、隣に座っている紳士も例外ではない。
「ごほっ……いや、これは随分な威力だね」
「そうでしょう。なんせ、演出しているのは、ダイナマイトを擬人化したような危険人物ですから」
「君は面白い喩えをするね」
「いえ、ちょっとした知り合いなんですが、しょっちゅう爆発を起こしているんで」
本人に聞かれたら、吹き飛ばされるだけではすまないだろうが、見知らぬ人に愚痴ることくらいならバレないだろうと、ライルは好きに言った。
「しかし、物語の締めとしてはこれはこれで悪くない。ダイナミックかつ、アグレッシヴだ」
「まだ言ってるんですか」
「私は本気だよ。いや、我が劇団に、演出担当としてスカウトしたいくらいだ」
「え?」
「いや、なんでもない。それでは、私はこの辺りで帰るとしよう」
席を立つ紳士。
その後ろ姿を見送って、ライルは頬をかく。
「ま、いいか。とりあえず、片付けを手伝わないと」
この分だと、ステージはメチャクチャになっているだろう。次に使うクラスもあるのだから、とっとと片付けなくてはいけない。
重い足取りで、ライルはルナへの説教を考えながら、ステージに向かって歩き始めた。
後日。とある演劇系の雑誌で、有名な劇団の団長が、この三年A組のMMSを高く評価して話題になったのはまた別の話である。
その記事の中で「演出担当は、ダイナマイトを擬人化したような人間だと、彼女の友人が零していた」と書かれており、それを言ったのがライルだと一瞬で看破したルナが、ライルを殴り飛ばしたのも別の話ったら別の話である。