とりあえず、ライルは席についた。

店内では、色とりどりの服装で着飾った女子たちが、ちょこまかと働きまわっている。素人らしく、その接客はどことなくぎこちないものだったが、それがまた結構可愛らしい印象を与える。

ま、これはこれでありかな……とライルは無言で出された水を飲み干す。

「だけど……」

(ん? どーしたの、マスター?)

嬉しそうにメニューを眺めていたシルフィが、ライルの呟きを耳聡く聞きつける。

ちなみに、当のライルの視線は、ニコニコ笑いながら水を給仕してきたウェイトレスに向けられていた。そのウェイトレスは、他の者と比べて一際目を引く容姿をしていた。少々装飾華美なメイド服をバッチリ着こなし、まさに看板娘と言うに相応しい貫禄を見せている。

その『クリス・アルヴィニア』をライルは妬ましい目で見つめる。

「……正体のわかっていない人のところに行ってあげなよ。僕のところに来たって、ウケないから」

「いやだよ。僕だって、身の危険くらい感じるんだ」

誰も聞いていない事をいいことに、素のままの口調で返してくるクリス。

まぁ、確かに。ライルに向けられるこの嫉妬の視線。この女装したクリスがこの店でも圧倒的な人気になっているのはわかる。それが、健全な人たちばかりならいいのだが、噂を聞きつけてやってきた人物たちは、どこかイっちゃってる目をした、恰幅の良い(穏やかな表現)人間ばかりだ。クリスが時折、悪寒を感じたように背筋を震わせているのは、伊達ではない。

「で? 注文は? まさか、水だけ飲んで終わりなんて言わないよね」

「言わないよ。え〜と、じゃあ」

(私、ショートケーキ!)

手を上げて視界内に入ってきたシルフィを、ライルはうっとおしそうに払うのだった。

 

第160話「文化祭 ―用心棒?―」

 

「はい、じゃあ焼きそばとショートケーキね。あと、水のお代わり。……ってか、ライル、そんなに大食いだったっけ?」

朝食はしっかり取っているのに、二つも注文する僕を、クリスが不思議そうに見る。

「違うよ。こいつが……」

言いながら、ちょいちょいとテーブルの上を指差した。

僕以外には見えないが、今そこでシルフィが座っているのだ。

「ああ、なるほど。帰ってきてたんだ」

「うん。帰ってこなくていいのにね」

(なによー)

文句を言い出すシルフィを適当にあしらっていると、クリスは笑いながら厨房の方に戻っていった。ケーキは予め焼いてあるので、すぐに持ってくることだろう。

(しかし……あれよね)

(どれなんだよ)

店内を見渡していたシルフィが不意に口を開く。その表情は苦笑……しながら、額に汗を流していた。

(なんていうか、混沌としてない? 瘴気じみたものを感じるわよ?)

シルフィの言うとおりであった。

正直、僕はこんなみょうちくりんな衣装を着たウェイトレスがやっている喫茶店など、ほとんど客は来ないと思っていたのだが、現実は違う。今も、店内は満席だ。

しかし、しかしである。その客層は、九割九分男。その半数が前述したような、少々特殊な層なのである。

彼らは一様に、ウェイトレスの一挙手一投足を観察しており、中には目を血走らせているものもいる。はっきり言って怖い。

(これは、改善しないといけないかもなぁ。一般のお客さんが、怖くて入ってこれないよ、これじゃ)

(でも、売り上げは十分上げられるじゃない)

(……いや、そうだけど。女子が可哀想っていうかさ)

(だーいじょうぶよー。実害があるわけじゃないんでしょ?)

シルフィの言う通りではある。しかし、これは文化祭である。利潤のみを追求しているわけではないのだ。こう、学校生活の思い出だとか、楽めるかどうかだとかが重要なのだ。切実にそう思う。というか、ウェイトレスをしている女子たちも微妙に顔が引きつっているし。

「はい、お待たせー」

そうこうしているうちに、注文したものが運ばれてきた。

クリスとは別の女生徒が、運んできて笑顔を向けてくる。

「じゃ、ライルくん、味わって食べてねー」

「はい。そちらも頑張って」

適当に挨拶を交わして、割り箸を取る。

運ばれてきた焼きそばは、微妙に量が少ない。ただまぁ、文化祭の出し物としては十分だろう。

もう一つのショートケーキの方は僕が手ずから焼いたものだ。予算の関係上、あまり材料を張り込めなかったので、誤魔化した部分はあるにはあるが、自信作である。

(マスター! 私のケーキはー?)

(少し待ってろ。焼きそば食べながらケーキって、どう考えても不自然だろ)

そう言って、黙々と焼きそばを食べる。あまりお腹は空いていなかったが、やはりソースの匂いは偉大で、この香ばしい匂いをかいでいると食欲が沸いてくる。

味のほうは及第点、といったところか。

(ほら、シルフィ)

(ありがと〜。……ん〜、おいしっ)

フォークでケーキを切り分けて、誰にも見られないようさっと膝の上にいるシルフィに差し出す。テーブルクロスがうまくカモフラージュしてくれたようで、うまく隠せたようだ。

……しかし。いつもながら、この小さな体のどこにこれだけ食べる容量があるって言うんだろう? どう考えても、自分の体積より大きくないか?

そんな疑問を感じたのか、シルフィは口元についたクリームをぺろりと舐め取ると(行儀悪いな)、

(私は、食べ物は全部その場で魔力変換してるからねー。本来の力からすれば、微々たるもんだけど)

(原理が知りたいな、僕は)

(ふふふ……知りたければ精霊になってみるのね)

無茶言うな。

しかし、そんな調子で結局シルフィはケーキを全部食べてしまった。

「さて……と」

ポットで運ばれてきた紅茶も、美味しく飲んだことだし。なんだかんだで、祭りの雰囲気に興奮しているのか、徹夜明けだというのに目が冴えてきた。

……そろそろ、迷路の方に行こうかな。

「おるぁ!」

へ?

なにやら、品の無い叫び声に反応して振り向いてみると、必死で頭を下げているうちのクラスの女子と、顔を真っ赤にして激昂している客らしき人。

「客に水零すたぁ、どーゆぅ教育してんだ、ああン!?」

……とりあえず、その一言だけで状況はつかめた。

しかし、零したと言っても、ズボンにかかっているのはほんの少量だ。怒るのもわからなくはないけれど、言い過ぎではないだろうか……

(ちょっとマスター。たまたま見てたんだけど、あいつわざと零したわよ)

シルフィが機嫌を悪くしながら報告してくる。

(嫌がらせ、ってことか?)

(さぁ、そんな可愛いもんじゃないと思うけど……)

確かに、スキンヘッドにしたそのお客さんは、見るからにガラが悪い。しかも、剣まで持ち込んでいる。武器自体はヴァルハラ学園では珍しくないけれど、人が多くなる文化祭中は持ち込まないのがルールだ。

「ひらひらした服着てからに……」

そのお客さんが、因縁をつけている女子のスカートを掴む。

……際どいところまで、スカートが捲くれ上がった。

(アッタマ来た!)

店中が注目する中。怒ったシルフィがテーブルの上のコップを取って、その客に投げつけた……っておい!?

コップは、狙い違わずスキンヘッドに向かい……クリーンヒット。中に残っていた水も、見事に彼はひっかぶる。

「誰だコラァ!」

怒るよなぁ、それは。

すみません、うちのが、ちょっと……でも、店の人にちょっかいかけたあなたも悪いんですよ〜?

なんて、心の中で謝罪しながら、そ知らぬ顔を通す。

……で、店の人間が、慌てて顔を伏せる中、相変わらずウェイトレス姿のクリスが近付いてきて、

「わたし、見てましたけど、この人です」

僕を売りやがったっ!?

「テメェか」

「ちょ、ちょっと、クリス!? って、親指立ててないで、誤解だって言ってよ!」

「え〜? でも、この席のコップが飛んでいったの、見たし」

嘘は言ってないけどさぁ!

「あんまり、俺を舐めてると、痛い目に合うぜ? 俺は、人を斬ったの、一回や二回じゃないからなぁ」

「ちょ、すみません。剣は、危なくないですか?」

気が付くと、なにやら不穏な空気になっている。自らの剣に手をかけているスキンヘッドさん。

……短気だな、この人。こういう人に、刃物を持たせていいものなんだろうか。

(なによっ、この三流が! うちのマスターに手ぇ出そうなんて、十年早いんだから)

勇ましく男の前に立ちふさがるシルフィ。……でもな、お前が言うな!

「……ライル。こういう物騒な人にはご退場願おう」

「だからって、何で僕なんだよ。先生呼んだらいいだろう」

「それまでの間に、店に被害が出るからだよ」

「乳繰り合ってんじゃねぇよ。死にてぇのか!?」

隣に立つクリスと、ひそひそと密談したのがお気に召さなかったのか、男はとうとう剣を抜き放った。

店内が、騒然となり、ウェイトレスの中には悲鳴を上げている者もいる。

これは……もう、冗談じゃすまないよな。

「すみません。ですけど、それは仕舞ってくれませんか? 危ないですし……」

「なんでそんなことを命令されなきゃならねぇんだよ」

切っ先を突きつけられて、硬直する。

この人、ここを裏路地かなんかと勘違いしていないだろうか……こんな人目のある場所でこんな事をすれば、下手をしなくても憲兵にとっ捕まるぞ。

(なんだかんだ言って、マスターも冷静じゃない)

(……だって、この人大した使い手じゃないし)

構える手も、剣の重さに耐え切れず震えている。剣は、威嚇の道具でしかないのだろう。はっきり言って、剣の腕だけならばここの学生の方がよっぽど強い。

……まぁ、学生は、人に剣を向けることは、怖くて出来ないんだけど。もちろん、僕も出来ない。

そういう意味では、このスキンヘッドさんは、結構度胸がある、と言えるのだろうか。

(でもさぁ。こういう人種ほど、キレたら周り見えなくなんのよ? ここであれ振り回されても困るし、ぶっ飛ばしたら?)

(あのねぇ、シルフィ。元々、お前のせいだろ)

(なによぅ。あの女の子に絡んだ、こいつが悪いんじゃない)

シルフィの言う事にも一理ある。一理あるが、それでもコップをぶつけたのはやりすぎだ。

……でも、真剣を抜刀した以上、この人を弁護する余地がないのも、また事実である。

「ふん。ブルって声もでねぇか。……ヨォ、姉ちゃん。そっちの男なんかより、俺とどっか行かねぇか? こんなチンケな祭りじゃなくてよ、もっといいとこ連れてってやるぜ?」

僕の沈黙をどう介錯したのか、男は隣に立つクリスに話しかける。

……ていうか、クリス大人気だな。

「嫌です」

「はぁ?」

男の声が、危険な色に変わる。かなり苛立っているようだ。額に青筋が見える。

「なに? 嫌っつったか、今」

「ええ、だって」

なにやら、クリスが僕の腕に抱きついてきた。……この柔らかいのは、詰め物かなんかだよな、うん。

「わたし、この人と付き合ってますから!」

「なにいいいいいいい!?」

思わず叫んでしまう。頼むから、勘弁してください。

「てめぇ、ほとほと、俺に喧嘩売りたいらしいな?」

ギロリ、と男がこちらを睨んできた。

ああ、もう限界か。これ以上怒らせたら、本気で刃傷沙汰になりかねない。

「聞いてんのか、オイ……」

ズビシッ!

もう、対応するのが面倒くさくなってきた僕のハイキックが、見事にスキンヘッドの側面に決まり……彼は崩れ落ちた。

ちなみに、剣は回収。

客観的に見て、先にこんなのを抜いたこの男の方が悪いのは間違いないので、先生に引き渡すことにしよう。

後ろで、キャーキャーと女子連中が騒いでいるのは、あえて聞こえない振り。

「お疲れ様、ライル。困るよねぇ、こういう人って。来る場所、絶対間違えてるよねぇ」

「……クリス。そう言うお前も、服装と言動を間違えてる」

「え? 似合ってない? これ」

似合ってるけどさ、似合ってるけどさぁ!

僕は、言い返すことも出来ず、スキンヘッドの彼を引きずって、喫茶店から出るのだった。

 

 

 

 

 

そうして、迷路の方。

……正直、迷路は思い出したくない。

『ライルなら、スペシャルコースでも大丈夫だよな』とわけのわからない……それでいて、嫌な予感だけは起こしてくれる言葉を受けて、一般のお客さんとは違う入り口から入り、真面目に命の危険を感じるような罠と、アレンと大食い対決級に難しいゲームを五つやらされ、トドメとばかりにお化けはクラスの降霊術師が呼んだモノホンがきた。

……こんなの作ってるから完成が遅れるんだよ。チクショウ。

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