さて、ルナの究極破壊魔法によってベッドに臥せっていたクリスはどうしているのだろうか?

実は、とっくに快復していて、母国アルヴィニアに向けて優雅に歩いていた。

彼としては、別段急ぐ理由があるわけでもなし。ライルが捕まっているかどうかは知らないが、まぁそろそろお縄についてる頃だろ、と思って全く彼の事を気にすることもなく夏休みの帰省としゃれ込んでいるわけである。

で、つい先日、国境を越えて、現在は王都に程近い中規模の都市で宿を探しているわけなのだが、

「……はぁ。なんかさぁ、こう、夏休みに入ってから、僕の運、ずっと下がりっぱなしだよね」

誰に告げるわけでもなく、ぼやく。

クリスの懐にあるミニチュアの棺桶で寝入っているフィオナが、その言葉を聞き届け、ははっ、と愛想笑いを漏らした。

(まぁまぁ、人生山あり谷ありですって)

「フィオナ。君には言われたくないな。森で、ルナに僕たちを売ったこと、まだ僕は忘れてないよ」

(き、気にしないでください)

傍から見れば、一人で虚空に語りかける怪しい奴だ。

「おい、そこ。なにをくっちゃべってる?」

当然、聞き咎められた。

この暑い最中、黒頭巾を被り顔を隠した、恐らくは三十前後の男。彼はこの宿の従業員を一人捕らえ、その首筋にナイフを突きつけていた。

その他の人間は、全員ロビーに集められている。外では憲兵が包囲を完了しており、男はかなり苛立っているようだ。

「いえ、なにも」

しれっと、クリスは答える。

まぁつまり……クリスは、強盗犯の人質にさせられているわけであった。

 

第145話「王子、珍道中」

 

「要求は、三百万メルと、逃走用の馬車、それと食料だ。要求が聞き入れられない場合、人質は一人ずつ殺していくから、覚悟しておけ!」

そんなことを外に向けて叫ぶ犯人。

拡声の魔法を何気なく使っていることから、彼はそれなりに熟練した魔法使いなのだろう、とクリスは当たりをつけた。

だとしたら、少々面倒である。ただの素人が起こした犯罪ならば、とっとと鎮圧してしまえば済む話だが、相手がそれなりの力量を備えた魔法使いとなると、人質を無傷で救い出すことは不可能に近い。

クリスはある程度体術も使えるとは言え、どちらかというと魔導士に近い。魔法を使わずしてこの状況を打破するのは無理難題だし、使えば魔力の反応ですぐさま気付かれてしまう。

こりゃ、大人しくしていたほうが賢明だなぁ、などと後ろ向きな結論に達する。

(クリスさんー。あの人、やっつけたりしないんですか?)

(あのねぇ、フィオナ。僕は、ルナとかアレンみたいな化け物じゃないの。一端の魔法使い相手に、人質を傷つけさせないで捕まえる、なんて芸当は無理だよ)

例えばルナなら、相手が反応すら出来ないスピードで魔法をぶっ放し、人質に若干の怪我を与えながらも、犯人を再起不能にすることが可能だろう。

例えばアレンなら、気配を消して犯人の死角に回りこみ、手刀でも叩き込んで昏倒させるくらいのことは、容易に違いない。

ライルは……まぁ、姿が消せるシルフィがいるし。

そこへ来ると、器用貧乏なクリスは、どうやっても犯人を単純な能力のみで出し抜くことが出来ない。

できることは、なるべく犯人の神経を逆なでしないようにして、なんとか被害が広がらないようにすることのみ。

(むしろ、フィオナがやれば? 幽霊の君なら、どうとでも近づけるだろ?)

(そんなぁ、無理ですよぅ)

(ま、そうだろうけど)

基本的に、フィオナは幽霊としてはそう強いほうではない。せいぜい、人をビックリさせたり、転ばせたりするくらいが関の山だ。

現世に永く在る以上、それなりに物理的干渉力はあるが、やはりそれなりに過ぎないし、生前の筋力以上のことができるわけでもない。

「ちっ、遅ぇ」

犯人の黒頭巾は、そわそわと落ち着かない様子でナイフをプラプラ揺らしている。

それを突きつけられている従業員の女性は気が気でない様子だが、犯人は気にした風でもない。

黒頭巾が焦るのも無理はない。そもそも、最初は宿の売り上げをちょろまかして、とっととトンズラする算段だったのだ。それが、金を出させるのに手間取っているうちに、いつのまにやら憲兵に連絡がいっていたらしい。

まったくツイてない……と考えているが、それ以上に巻き込まれた宿の人間のほうがツイていないのは言うまでもない。

「う、う……」

「なんだぁ? 泣いてんじゃねぇ!」

とうとう、犯人に捕らえられている女性が涙を浮かべ始めた。

犯人の苛立ちはソレを見てさらに進行した様子で、怒鳴り声を上げている。しかし、どれだけ言っても逆効果で、女性はますます泣くばかり。

「ウゼェ」

ちっ、と犯人は舌打ちし、面倒だとばかりにロビーに集った他の人間をざっと見回す。

「お前、来い」

また、別の従業員の女性を指差して、手招きする。

どうやら、人質を交換するようだ。めそめそ泣くような人間は面倒なのだろう。

「い、嫌です」

「ああっ!? 来い、つったら、来りゃいいんだよ! それとも、」

ぽぅ、と犯人の手元に、小さな火球が出現する。

「こいつで、黒焦げにされてぇか!?」

その言葉と共に、火球は目にも留まらぬ速さで駆け、ロビーに集った人間に熱気を振りまきながら、その横に着弾する。ぼぅ、という大きな音に、全員が目を剥いて悲鳴を上げる。

(チャンス、かな)

クリスは胸中で呟く。

この混乱に乗じて……というのは無理かもしれないが、

「おらっ、こうなりたくなかったら、とっととこっちに来やがれ」

先ほど呼ばれた女性も、泣く一歩手前になりながらも、恐る恐る犯人の元へ行こうとする。

そこで、クリスは一歩前に出た。

「ぼ……私が、人質になる」

毅然と立つクリスに、周りは一瞬呆然となった。

私、と言いなおしたのは、犯人が恐らくは非力な女性を狙っているからだろう、と考えてのことである。今は別に女装しているわけではないが、もともと中性的な顔立ちのクリスは、ぱっと見男か女か非常にわかりづらい。

「……まぁ、いいだろ。男だろうと、そんなナリじゃ、どうせなにもできねぇだろうしな」

頷いて、クリスは犯人の下に歩み寄る。

しかし……女性を人質に取る、というのは別段そう間違った選択肢ではないかもしれないが、クリスはとある友人や姉を思い浮かべて、アンタ間違ってるよと忠告したくなった。

彼女のような女性がいる限り、女性が非力などと言う妄言は断じて認めるわけにはいかないし、仮に――あくまでも仮に、こういった犯罪をする必要に迫られたとしても、女の子を人質に取るような真似は決して出来ないクリスであった。

「おらっ、あっち行け」

どんっ、と最初に人質に取った女性の背中を押して、ロビーの他の人間の下に押し出す犯人。

それで、詰めだ。

あまりの呆気なさ――あるいは犯人の浅慮さ――にため息を付きつつ、クリスは素早く犯人の服の襟をとり、首を極めつつ投げた。地面に叩きつけ、間髪入れずに肩の関節を外す。

痛みにのた打ち回る犯人に、一片の慈悲もなく、その顔面に拳を叩き込んだ。

「そんなナリじゃ……なんだって?」

実は、己の身長に、密かにコンプレックスを抱いていたクリスであった。

 

 

 

 

 

 

……ふと、懐からフィオナがどろどろどろどろ〜と出てきた。

『控えいー、控えい、控えいー!』

「……なにを」

いきなり出てきてわけのわからん事を言い出すフィオナは、クリスは疲れた目で見る。

犯人が捕縛されて、喜色満面の宿の人たちは、いきなりのホラーな展開に呆気に取られている。

『ここにおわす方を、どなたと心得る! 恐れ多くもアルヴィニア王国第一王子、クリス・アルヴィニア公なるぞー』

どっかで聞いた事のある口上。

確か、どっかの超有名小説家なんかで、主人公のお供がいつも言っている台詞なような……?

そういえば、ああいう勧善懲悪モノ、フィオナは大好きだったよなあ、とクリスは現実逃避気味に思い出していた。

『一同、頭が高い! ……アタッ!?』

「やめてよね」

軽くフィオナをはたいて、クリスは棺桶を取り出す。

無言でそれを指差して、中に入れと促した。

『クリスさん、イケズです。こんな図ったようなシチュエーション、そうそうないっていうのに。こういうの、憧れません?』

「全然。そも、僕はそういう権力を笠に着るような真似は、得意じゃないよ」

しかし、そんなクリスの思惑も空しく、周りはざわざわと騒いでいた。

「こうやって、意味もなく騒がれるしね」

仕方ない。今日は、別の宿を取ろうか……とクリスが悩んでいると、周りの話す声が、少し聞こえた。……聞こえてしまった。

(クリス様……って、あの『破壊王』の息子の?)

(ちょっと待て。うちの国に、王子っていたか? 確か、四人姉妹だった気が……)

(ばっか。某国で、去勢手術したっつー噂聞いてねぇのか? 元は男だよ)

(そーそー。向こうで出来た友達と、禁断の恋に身を委ねている。その友達ってのが、来年騎士団入りが内定しているらしい)

(うへっ、世も末だ)

……………聞く限り、どうもアレンとフィレアの話が、クリスの噂と混じってしまっているらしい。

つーか、破壊王ってなんだ。

「……野宿かな、今日は」

いたたまれなくなったクリスは、そう結論付けて、ため息を付きつつ、その場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

昼夜を問わず、走ったお陰で、王都に着いたのは次の日の昼ごろだった。

この春、崩落の憂き目に遭ったお城は、かなり復興が進んでいる。

流石に、完成するのは、もうしばらくはかかりそうだが……

「あら、クリス様。帰ってきたんですか?」

「ああ、うん」

流石に、ここではクリスの顔を知っている人間も多い。ヴァルハラ学園に通う前は、しょっちゅう城を抜け出して町を遊び歩いていたので、誰も彼も顔なじみになっているのだ。

「そういえば、見ました? あの銅像」

「……銅像?」

知らないのか、とそのおばさんはクスリと笑う。

「城門のところに、新しく銅像が建ったんです。スゴイ出来ですよ。色んな意味で」

顔馴染みのおばさんの含み笑いに、よくわからない嫌な予感を感じつつ、クリスは城へと足を速めた。

……そうして見えてくる、銅像。

タイトルは、『王国の危機を救った英雄の像』。確かに、春のクーデターは王国の危機と言って差し支えないほど大規模なものだったし、それを救ったアレンやライルに対して感謝の意を示すのは当然のことだろう。

しかし、その像は……雄雄しく屹立するカリス(現国王。破壊王の異名あり)の隣に寄り添うフィレア(彼の娘。なぜか恋人っぽく彼の腕を掴んでいる)の下に倒れ伏しているアレン(フィレアの婚約者)という構図。

……さて、これをどう解釈すべきだろう。

「とりあえず、お仕置きだね……」

これを設計したであろう人物の元へ、指をコキコキ鳴らしながら向かうクリスだった。

---

前の話へ 戻る 次の話へ