「まぁ、それはともかく、だ」
「……どしたの、ライル?」
フィレアの爆弾発言による硬直からいち早く復活したライルは、どこか虚ろな声で、
「いや。また、主役が取って変わられるんだなぁ、って」
そう言ったライルの目は、どこを見ているのかわからない。遠くを見ているようで、どこも見ていないような、そんな死んだ魚の目だ。彼の影が薄くなっている気がするのは、気のせいだろうか。
「あ、あはは。ライルー、そんな人生に疲れきって首を吊ろうとしている企業戦士みたいな顔は止めたほうが良いと思うな僕はー」
なにやら次元を超えた発言をする脇役二人をよそに、当のアレンたちの状況はさらに加速していた。
第129話「鬼ごっこ ―勘違いだったんですか―」
「あああのあの、色々と突っ込みどころはあるんですが……じゅ、重婚、って?」
王族だってことは、乙女的にはどうでもいいらしい。プリムが言及したのは、まずそこだった。
パカランパカランと白馬に乗ってくる王子様でもいれば話は別なのだが、どうひいき目を入れてもアレンにそんな気障なのは似合わない。まさかり担いで熊に跨るのが関の山だ。
「それはそれでワイルドかも〜」
「なにを考えた、なにを」
アレンをじっくりと上から下まで長め、うむうむと頷くフィレアに、アレンは汗を一筋流しながら突っ込みを入れた。
「あとね、もちろん正妻はわたしだよ。それでいいなら、プリムちゃんを我が王室に迎えましょ〜」
そんなアレンの言葉に耳を貸すはずもなく、フィレアは実にあっけらかんとした物言いでプリムの方に手を広げた。普通、平民――しかも他国の人間が、おいそれと王家に迎えられるはずもないのだが……そこらへんは突っ込んじゃいけないのだろう、多分。
どうでもいいが、正妻と制裁って、読み方は一緒だよなぁ、とアレンは全く状況を理解していないおポンチな頭で下らないことを考える。
「え〜、その。も、ちょっと、すみませんが、頭を整理させてください」
しどろもどろになりつつ、プリムが泣きそうな顔でそんな風に懇願する。既に膝は崩れ落ち、手を組んでまるで祈るような仕草となってしまっている。
「ど〜ぞ〜」
それに、フィレアはぱたぱたと手を振って答えた。
プリムが考え込み始めたあたりで、さってと〜、と実に楽しげな声で、アレンに振り返る。
「なんだ?」
「もう、あのくらいでお仕置きが終わったと思ってるの? プリムちゃんのことは、もう仕方ないとして、まだわたしは怒ってるんだから」
「はぁ……ぶべらっ!?」
まずフィレアはアレンの顔面に拳を叩きこみ、そこから金的を狙って蹴り。それはなんとか防ぐアレンだかそれに気を取られたおかげで――以下略。
結果として、ズタボロになったアレンが転がったことだけわかってもらえればいいかと思われる。
「……うん、よし! フィレアさん、わたし決めまし……って、アレンさんがいつの間にか死体にーー!?」
「誰が死体だ!」
「ひいぃぃぃ!? 生き返ったぁ! ごめんなさいごめんなさい。迷わず成仏してください!」
ひどい言われようである。まぁ、その言い分を認めざるを得ないくらい、今のアレンの風貌は化け物じみていたのだが。とりあえず、常人なら出血多量で死に至りそうな量の血液を撒き散らしながら女の子に近寄るのは良くないと思われる。
「もう、アレンちゃん。女の子を怖がらせちゃだめでしょ!」
フィレアが、駄目押しとばかりに回し蹴りでアレンを吹き飛ばす。
「あ、ありがとうございます、フィレアさん……」
「いいのいいの。これから、わたし達は同じ人を夫にする、姉妹みたいな関係になるんだから」
その夫候補は今にも死にそうだが。
ひし、と抱き合う二人は、なにやらシチュエーションに酔っているのか、そこらへんは完全にスルーしている様子。
「……ねぇ、ライル。これって収拾つくのかなぁ……って、ライル? ライル、ちょっと。背中が煤けてるよ? なんていうか、物理的に」
「いいんだ。放っておいてくれ。僕はどうせ、こういう区切りのところで突っ込み入れるしか脳がないんだから……」
なら、それを専門にしているような僕はどうなるんだろう。
クリスは、己の存在意義について、深く深く考え込むのだった。
「わたしは、まだアレンさんのことを良く知らないんです。ですから、しばらくこの村に滞在していただいて……その、お試し期間ということでどうでしょう?」
結局、今朝とほぼ同じ結論に達したようだった。違いと言えば、二、三日という期限がなくなったことだろうか。
「うん、それは合理的だね。やっぱり、結婚前には同棲とかして、お互いの価値観の相違を確認して置かないと、結婚してからあらぬすれ違いを産むからね」
「……なんかフィレア先輩が難しいこと言ってる」
「気にしなくていいよ。どうせ姉さん、どっかの本で聞きかじったことをそのまま言っているだけだから」
とことこと、一同は連れ立って、プリムの家である宿屋に向かっている。フィレアが、こういうことになったからには、親御さんにも話を通したほうがいいだろう、と言ったためだ。
「ほら、アレンちゃん。しゃっきりして。手篭めにしちゃった娘さんのお父さんに、挨拶しに行くんだよ? そんなぼーっとしてたら、殴り殺されちゃうんだから。『お前みたいなのに、うちの娘はやれない!』って」
「……いや、フィレア姉さん。殺されはしないと思うよ? 第一、すでに似たようなことを朝話しているし……」
姉の言動に頭を痛くしつつ、クリスは律儀に突っ込みを入れた。
(てごめ? 手込め、テゴメ、手米……)
「なぁ、ライル。手米って、おにぎりのことか?」
アレンは、米を握るジェスチャーをする。聞かれたライルは、頭痛というオーケストラが、ガンガンと音楽を鳴らすのが聞こえた。
「……アレン。いい加減、そのある意味羨ましい性格を矯正しようね?」
「なんだよいきなり。変なヤツ」
アレンは心底わかっていない様子で、それきり興味をなくしたようだ。
ライルはその後ろ姿をみて、本気で羨ましくなった。ああいう性格だと、きっと人生気楽だろう。自分よりずっと修羅場ってるのに、どうしてああ元気なんだ、アレンは。
半ば逆恨みに近い状態で、ライルはそんな風に妬んだ。
ちなみに、あくまで羨ましいのは性格だけで、陥っている状況はちっとも羨ましくないと言うことを、ライルは必要以上に強調しておきたいと思っている。
僕はロリコンじゃないしなぁ……
そんな風に取りとめのない話をして入るうちに、宿に辿り着いた。
店に入って見ると、夜の酒場の仕込みのため、台所で調理をしているバロックの姿。
「え〜と、あなたが、プリムちゃんのお父さんですか?」
「? そうだが、君は? それに、プリムとアレンくんたちも。帰りは夕方になるんじゃあ……」
「えいっ!」
バロックがなにかを言う前に、フィレアはアレンの後頭部に蹴りを入れ、無理矢理頭を下げさせる――というより、頭を床にめりこませる。
「あ、あの! すみません。うちのアレンちゃんが、プリムちゃんを傷物にしちゃって……その、ちゃんと責任は取らせるんで、許してあげてください!」
「あ〜、その、え?」
いきなり目の前に繰り広げられたバイオレンスな展開に、思考が停止するバロック。
「ホゲガグンダゴドギッデデーー(俺はんなこと言ってねーー)!」
「アレンちゃんは黙ってるの!」
口が完全に床にめり込んでいるのに反論するアレンの頭に、フィレアは踵を叩きこんだ。さらに十センチほど沈み込むアレン。
「アレンちゃんは、頭は悪いし、甲斐性なしだし、不器用だし、女の子に弱いですけど、やさしーんです! ちゃんと、プリムちゃんは幸せにしますから、どうかお願いします!」
真摯な願い。
普段は子供っぽい言動が目立つフィレアの、必死の願い。お前、本当はアレンのこと嫌いなんじゃないのかとかそういうことを言いたくなる寸評をさておいても、それは真剣さの漂ってくるものだった。
……まぁ、ただ。
「あの、その話は朝に終わったんじゃなかったのかい? 同衾はしたけど、なにもなかったって……。まぁ、アレンくんがうちに来るのなら、歓迎するけど……」
ん? と、フィレアが可愛く小首を傾げる。
どこか間違っている予感。そんな、普段は滅多に感じることのない予感に突き動かされて、フィレアは恐る恐るライルとクリスの方向を向いた。
二人は、コクコク頷いていた。
え〜と、アレンちゃんがプリムちゃんに手を出して、あれでも出したと言っても一緒に寝ただけ? むう、それはそれで許せないけど、もしかしてプリムちゃんアレンちゃんの慰み者にはなっていない?
「ど〜して教えてくれたなかったの!」
「いや、言っても、どうせフィレア先輩信じなかったでしょうし……」
「ねぇ」
少なくとも、バロックという第三者からの言葉じゃないと、信じなかったに違いない。ライルやクリスがなにを言おうが『二人とも、アレンちゃんを庇う必要はないんだよ?』とか言って、突っ走っていただろう。
「プリムちゃんも〜。わたし、てっきり……きゃ」
なにを想像したのか、フィレアは顔を真っ赤に染めて、いやんいやんと首を振った。
「な、なにを想像していたんですかー!」
「いや〜。アレンちゃんはロリコンだからね? プリムちゃんみたいな子供にも容赦なくあんなことやこんなことをしたのかと……ごめんねー」
ぷんぷんと怒りをあらわにするプリムに、フィレアはあははと笑って謝る。
「って、謝る相手が違うだろうが!!」
がおおおおーーーー、とアレンは雄雄しく立ち上がった。
「アレンちゃんの、日頃の行いが悪いからいけないの!」
「俺はそんなに普段から女に目移りしているか!?」
「うん!」
「言い切った!?」
ばたばたと喧嘩を始める二人。拳が飛びかい、見る者が見れば感嘆するであろう技の応酬。無駄に高レベルな痴話喧嘩である。
まぁ、なんだかんだでこのくらいの喧嘩はよくしている。二人とも単純なので、争いになったときの解決法をこれくらいしか知らないのだ。大抵次の日にはケロリとしているので、この二人なりのコミュニケーションなのだろう。
……まぁ、アレンの勝率は、一貫して0%なのだが。
あっさりとアレンを負かしたフィレアは、彼の屍の上に立って、いえーいとブイサイン。
「……結局わたしはどうすればいいんでしょうか」
取り残されたプリムの残した言葉が、非常に印象的だった。