奉海祭、とは読んで字のごとく、海の精に奉ずるお祭りである。

街から選抜された巫女の儀式と櫓の周りで円状になって行われる踊りで、今年一年の航海の安全と海の恵みを祈る。ウィンシーズという街が出来た時から連綿と続いているお祭りで、近隣から見物に来る人も少なくない。

当然、露店の類も沢山出店され、奉海祭の日は次の日の夜明けまで街から喧騒が途切れることはない。

「だ・か・ら! 祭りの露店っつったら、くじ引きに決まってんでしょ。一等、二等は入れないで、馬鹿な餓鬼どもから金を巻き上げるのよ!」

「いや、景品の仕入れが面倒だから、やっぱり無難に食べ物屋が一番だって。食材なら仕入れルート斡旋してくれるって言ってくれてるんだから。大体、粗利はいいかもしんないけど、集客に限界が……」

「俺的にはたこ焼きとか焼きそばあたりが良いと思うぞ」

「んな定番、却下よ、却下。どっちにしろ、食い物屋にするんなら、アンタは客引き!」

そして、その祭りに出店すべく、ルナたちはローレライの一室で作戦会議を展開していた。あまり興味のないフィレアとフィオナは、横で似た名前同士、仲良く喋っている。

「ら、ライルさんも大変ですね」

「そお? ライルちゃん、楽しそうだけど」

「……フィレアさん。あれのどこを見て、そう思うんですか?」

幽霊少女フィオナの視線の先には「優勝商品」と書かれた札を額に貼り付け、相変わらず鎖でぐるぐる巻きにされながら白目を剥いているライルの姿があった。

 

第120話「呪いと学校生活についてのお話」

 

「っだああああ! いい加減外してよこれ!」

目覚めたライルは、いまだ自分が拘束されたままであることに気付いて、盛大に文句を言い始める。

まぁ、当然と言えば当然なのだが、「うるさいわねぇ」とライルに目を向けたルナは、

「ダメ」

一言で却下。

「なんでさ!?」

「だってアンタ、それ外したら逃げるでしょ。逃げ切れるかどうかはともかく」

ぐっ、とライルは言葉に詰まった。

そりゃ逃げるだろ……と内心愚痴りつつ、表面上は図星を指された事を悟られないように涼しげな表情を繕う。

「は、はっは。まさか。なんで僕が逃げると思うのさ。ここまで来たら、腹は括ってるよ」

「はいはい。あ、シルフィに頼んでそれ解いてもらおうなんて思わない方がいいわよ。外れたと同時に、ふっ飛ばすから」

そして、ルナは再び話し合いに戻る。

ぐぅ、とライルは内心うめいた。

さすがに、こういう時のルナは甘くない。むしろ、厳しすぎる。

「ね、ねぇ、ルナ。僕ちょっとトイレに……」

ビシッ、とルナは部屋の端を指差した。

そこには……なんでこんなもんがあるんだ、と聞きたくなるような“おまる”があった。

たらり、とライルの背中を嫌な汗が流れる。

「こ、これを僕はどう解釈すれば……?」

どういう意味を持っているのか、わかりつつも尋ねてみる。違ってくれ……という一縷の望みをかけて。しかし、ルナからかけられたのはあまりにも無情な言葉だった。

「そこで済ませなさい。私は目を逸らしといてあげるから。……ああ、フィレアとそっちの幽霊も、見たらダメよ」

「そ、そういう問題じゃない!」

なんてゆーか、男としての矜持とか人間としての尊厳とか、そういうもの全てをこめて全身全霊で拒否する。

「いくらなんでも、こんな仕打ちはないだろ。……大体、こんな体勢じゃズボン降ろすことも出来ないから無理だって!」

ライルの上半身は、完全に拘束されている。腕を使うことなどできよう筈もない。しかし、ルナは暴悪だった。

「あっそ。アレンー、ライルのズボン、降ろしてあげなさい」

「「待て!」」

ライルとアレンが同時に叫ぶ。そりゃそうだ。同姓にズボン降ろされたり降ろしたりして喜ぶやつなどそうそういない。そして、二人はその辺極めて健全な感性を持っていた。

「嫌なの?」

「当たり前だ!」

んな汚れ役をする気なんて全くないアレンは断固として自分の意志を表明する。

「仕方ない。クリ――」

「嫌だ」

「アンタなら、女装すりゃオッケーでしょ?」

「いやいやいやいや。別に性別は関係ないでしょ!?」

やいのやいの。

男性陣からの予想外(予想しろ)の反発に、ルナも仕方なく折れることにした。

「わかったわよ。鎖外してあげるわ」

「あ、ありがとう、ルナ」

「ただし!」

ブチッ、とルナはライルの髪の毛を十本くらい纏めて引きちぎった。

「いたっ!?」

「フフフ……これを、こうする」

なにやら邪悪な笑みを浮かべたルナは、それらの髪の毛をどこからともなく取り出した木彫りの人形に巻きつける。ルナは彫刻の才能はないらしく、その人形はどうにも不細工だが、その造詣の悪さがまた気味が悪い。

「そ、それはなにかな、ルナ?」

「最近、呪い関係にも凝っててね〜。逃げ出したら、すぐに発動させるから、覚えときなさい」

その呪いがどんな効果を持っているのか、非常に気になるが、ライルは聞くことはしなかった。なんでって、恐ろしすぎる。

「了解……」

ライルは力なく、そう答えるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ライル。……どしたの、憔悴して」

「ああ、マリアか。店の方、大丈夫?」

なんとか鎖を外してもらって、部屋から出たライルはマリアに遭遇した。

呪いとかなんとか全部無視してでも逃げちゃおっかなぁ、と悩んでいたところだったが、それをおくびにも出さない。そういう処世術ばかりうまくなっていく自分に、ちょっと嫌気がさしているライルだった。

「ああ、祭りが近いせいで、客も増えたからね〜。ま、平気よ。一番混むのはあと何時間かしてからだし」

「やっぱり僕も手伝ったほうが……」

「駄目よ。アンタは商品なんだから、その商品に手伝ってもらったら私が卑怯者って事になっちゃうじゃない」

「……いや、勝負は露店になったんだから、まったく関係ないと思うんだけど」

「ライルが入ったら、うちはその分余裕が出来るでしょうが。……まあ、アンタがうちに勝って欲しいって言うなら、謹んで手伝いを頼むけど?」

そんなことはできるはずがない。んなことしたら、ルナとミルティからどんな事を言われるか。いや、文句言われるだけならまだしも、ルナの呪いとやらが発動する危険性もある。

「……いや、僕は中立の立場を取っておく」

「それはそれで不満なんだけど……ま、いいわ。今から休憩なんだけど、お茶くらい付き合わない?」

「あ、うん。それは喜んで」

本当はトイレに行くと言って出てきたのだから、あまり遅くなるわけにもいかないのだが、喉が渇いていたで受けることにする。

大体、あまりルナの傍にいて怒りを再燃されても困る。そもそも、ルナはライルが勝手に旅に出たのを怒っていたのだが、今はマリアとミルティに対する怒りが勝っているようだ。自分が近くにいたら、怒りを思い出してしまうかもしれない。

極めて高度な政治的判断だよな、などと小賢しい自分を褒め称えながらマリアについて行く。

と言っても、マリアの部屋はすぐ向かいだ。いくらも歩かないうちに部屋に招かれる。

一度、酔い潰れたマリアを運び込んで入ったときも思ったが、やはり他の部屋とは構造が違う。元々は他の部屋と一緒だったのを、後から無理矢理改造したようだ。壁を崩して二部屋を一つの部屋にし、キッチンとバスルームを増設している。

「適当に座ってて」

棚から紅茶の葉っぱやポットなどを取り出しつつ、マリアがライルに言った。

適当に、と言われても、テーブルには椅子は一脚しか置いていない。ここに座るしかないだろう。

水を火にかけたマリアが戻ってくると、それに気が付いて、しまったという顔になった。

「そっか。椅子一つしかないんだっけ」

「あ、じゃあ僕が立っとくから……」

「まさか自分で誘っといてそんなことしないわよ。私はここでいいわ」

と、マリアはベッドに腰掛ける。

「ん? なによ。変な顔しちゃって」

「い、いや。別に。……なんか、いつもと違ってしおらしいから、なんでかなぁって」

「別にじゃないじゃない」

むう、とマリアは納得のいかない表情になる。

だが、それもすぐに崩し、ねえ、とライルに話しかけてきた。

「なに?」

「あの、さ。あの人たちって、ライルの同級生、なのよね?」

「ん、まあ。一部、違う人もいるけど」

それどころか、一人、人間じゃないのも混じっているが、それを言う必要はないだろう。わざわざ、ローレライに幽霊の噂を上らせることもあるまい。

「ふーん……」

「あの、マリア?」

「でさ。今、夏休みよね」

「そ、そうだけど」

ふーん、とマリアは頷いている。しかし、ライルにはマリアがなにを言いたいのかどうにもつかめない。夏休みってことは、前にも話した気がするし、どう考えてもこれが話の本題ではないだろう。

「それでさー。学校生活って、どんな感じなのかなーって」

「は?」

「あ、いや。なんとなくよ、なんとなく。私は初等部しか行ったことないから、どういうところか、少し知的好奇心が沸くというか、なんというか……」

いかにも、私、興味ありませんですことよ? なんて態度を取り繕っているが、全身から好奇心が放たれまくっている。

ああ、つまり……

「マリア、学校に行ってみたいの?」

「んなっ!?」

マリアはあわあわと手を振る。

「そ、そんなわけじゃないのよ? この店のこともあるし、別に勉強なんて将来使うとも思えないし、だっ、大体私頭悪いし……」

「頭悪い人がこんな立派に店を切り盛りできないと思うけど。それに、本棚に教本がいっぱいあるんだけど」

「だあああああ!」

マリアは泡を食ってライルの視界から本棚を隠そうとする。

……が、すでに見てしまったライルには意味がないことに気が付いたのか、すぐに憮然とした表情になった。

「数学、語学、魔法学その他諸々。学校でやる教科の本は全部持ってるね。やったの?」

「……一応、一般教養としてね」

さっき、それは必要ないとか言ってた気もするが、そこに突っ込むのも野暮と言うものだろう。

「行きたいなら行けばいいのに」

ローラント王国は学問を凄く奨励している国で、勉強したいという意志さえあれば学校に通うことは簡単だ。学校自体もある程度以上の規模の街なら必ずある。

もちろん、このウィンシーズにもヴァルハラ学園ほど大規模ではないが学校があって、マリアはその気になれば行けるはずだ。

「だから、別に行きたいわけじゃないって言ってるでしょ」

「はいはい」

「大体、店があるし……」

「ここの売り上げなら、マリアの抜けた穴雇うのも簡単だろ」

マリアが行けない理由をどんどん潰していく。

「……だから行かないって言ってるでしょ。それより、学校生活について聞かせてよ」

「うん、いいよ」

このまま押してもこの頑固な少女は突っぱねるだろう。

ライルは自らの学生生活をマリアに聞かせた。例えば一年生、魔族や悪霊と戦ったり、留学したりルナに吹っ飛ばされたり。例えば二年生、とある女性と噂になっててんやわんやになったり、某王国のクーデターに巻き込まれたり友人が誘拐されたりルナに吹っ飛ばされたり。

三年生になってドラゴンとの死闘を繰り広げたくだりを話し始めたあたりでは、マリアの学生生活に対する幻想はだいぶ壊れていたりするのだった。

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