結局、あれからコンサートは滞りなく行われた。リーナさんはお母さんと一緒に歌うことができて満足そうだったし、僕からは特に言う事はない。

僕を襲ってきた神さまとやらは、お父さんがきっちり締めておいたらしい。さらに、僕の与り知らぬところではあるが、今回の事(僕のヴァルハラ学園入学やらなにやら)は神族の上層部とお父さんが結託して不穏分子を排斥するために行ったことだそうだ。

事前に説明の一つも欲しいところだったが、「確実にあいつらがひっかかるとは限らなかったからな〜」などと丸め込まれてしまった。

まあ、なにはともあれ全部終わったらしい。

僕はこのままヴァルハラ学園に通っても良い、むしろ通え、との事だったので、別段僕の周囲が変わったわけでもない。めでたしめでたしというやつだ。

……ただ、お父さんが家に帰ったことは、ちょっとしたトラブルを巻き起こした。

 

第19話「それから…… 前編」

 

「伴奏する人がいないんです」

放課後。帰ろうとした僕にずずい、と詰め寄ってきたのはリーナさん。その表情は鬼気迫る……って言うか、顔が近い近い!

僕はさり気なく一歩引いて、とりあえずどうどうと彼女を抑える作業にかかった。

「い、いきなりなんですか? リーナさん。まずは落ち着いて……」

「落ち着いてられません! 音楽祭まであと一週間ちょっとしかないのに、私の相方が決まらないんですよ!」

そう言えば、音楽祭で、お父さんはリーナさんとコンビでピアノをすることになってたっけ。

「だからって、なんで僕に言うんですか」

「当日だけでも、ルーファス先輩を連れ戻してください! 親子でしょう」

「ちょ!? リーナさん声が大きい!」

慌てて周囲を見やる。幸いにも、こっちに注目している人はいなかった。

……結局と言うか、リーナさん、マナさん、リュウジにはお父さんと僕のことはすべて説明した。巻き込んでしまった負い目もあるし、そもそもそんな細かい(僕は細かくないと思う)ことを気にする人たちではない。

けど、他の人には話さないようにとしっかり言い含めておいたのだが……

「あ、ごめんなさい」

さすがに大声をだして恥ずかしかったのか、リーナさんは顔を赤らめながら息を潜めた。

「でも、本当に困っているんです……」

ぼそぼそとリーナさんは事情を説明し始めた。

なんでも、代わりの人を音楽部から募ったのだが、誰が演奏してもリーナさんは「しっくり」こないと言うのだ。今まで一緒に練習してきた人がいきなり変わったのだから、それも仕方がない。それに、こんな少ない練習期間でちゃんとできるほどピアノがうまい人もいない。時間さえあれば、どうとでもなるのだろうが、あいにくとそんな余裕はない。

「しかし……お父さんも、なんて考え無しなんですか……」

「で、ルーファス先輩は来れますか?」

「うーん……」

正直、難しい。お父さんは、そうほいほいと人間界に来れる立場ではない。こっそり来るだけならまだしも、そんな公のイベントに参加しては神界も黙っていないだろう。

先日の事件でもわかるように、お父さんはかなりマークされているのだ。

無理を通せば、また厄介な事になるのは目に見えている。

「……多分、来れないと思います」

「う……そうですか」

その辺の事情もかいつまんで説明した事がある。僕の口調から、何とかリーナさんは察してくれたようだ。

「しかし、そうなると本当に困った事になりました。誰か、代わりになるような……それも、ピアノうまくて、ルーファス先輩と波長が似ている……」

後半はほとんど独り言のような感じだった。てか、波長って何なんだ?

リーナさんはふらふらと視点を彷徨わせ、ぴんと来たように僕に視線を合わせた。

「ねえ、リオンくんはピアノ弾ける?」

「……一応、戦闘以外も一通りのことはお父さんに叩きこまれていますけど」

戦闘以外は、けっこう器用なほうだと思う。たいていの事は及第点以上を取れるのだ。

だが、そんな期待してもらっても困る。所詮、素人の付け焼刃的な腕前に過ぎないんだから……

しどろもどろに、そんな説明をするが、リーナさんはくじけない。

「ものはためしです」

などと、僕の腕を引っ張ってどんどん音楽室へ歩いていく。い、意外と強い力だ。

「ちょ……! 部外者がそんなでしゃばるわけにも……」

「じゃあ、リオンくんも音楽部に入部すればいいです。まだ一年生が入ってもそんなに不思議じゃない時期でしょう」

……む、無茶苦茶だ。

普段は大人しくて引っ込み思案なリーナさんだが、こと歌に関する事に限りはかなり暴走する傾向にある。そんな評価を、彼女と一緒に練習していたお父さんから聞いてはいたが、ここまで性格変わるもんだったとは。

そんなことを考えていたのが悪かったのか、あれよあれよという間に音楽室に引っ張り込まれた。

「? リーナくん、その生徒は……」

先輩らしき人が話しかけてくるが、リーナさんはいっそすがすがしいくらいの態度でそれを無視すると、僕をピアノの前に座らせる。

「はい、これが楽譜。とりあえず、弾いて見てください。文句とかはそのあとで聞きます」

なんとも、まぁ。

別に文句があるわけではない。こんな状態の女性に逆らっても無駄だ。だが、彼女をがっかりさせるのは嫌だった。

「……ま、ちょっと頑張りますかね」

「? リオンくん、なにか言った?」

「いや別に」

曲のタイトルを見てみる。……なんという偶然か、以前に練習した事のある曲だった。確かリーナさんのお母さん――レナさんが作った曲じゃなかったっけ。

「じゃあ、いきますよ〜」

リーナさんに一声かけてから、演奏を始める。音楽部の人たちも察したのか、聞くモードに入っていた。

優しい、それでいて力強い声が室内に響き渡る。手は鍵盤を弾きながらも、僕はリーナさんのその歌声に聞きほれていた。他の人たちも聞き惚れている様子だ。

今まで何回かリーナさんの歌を聞く機会はあったが、やはりこの歌声は天性のものだと思う。それでいて、努力も怠っていない。魔性の、と言ってもいいくらい、彼女の声は強烈に惹きつけられる。

この曲が何度も練習したものでなければ、僕はとっくにとちっていただろう。それほど彼女の歌に魅せられていた。

やがて、静かな余韻を残しながら、歌を終えた後には、盛大な拍手が僕たちを包んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、そのまま協力する事になったんか」

「……はい」

僕は、部屋でリュウジと一緒に夕飯を食べながら、今日起こった事を話していた。

結局、リーナさん的に、僕は合格だったらしい。一週間みっちり練習すれば、なんとかなる……らしい。正直、リーナさんの歌に、僕の演奏が見合うとは思えないのだが。

「お前も結構苦労性やな〜。……お、この漬けもんうまい。この味、自家製やな!」

「リュウジは幸せですね……」

いや、本当に。いろんな意味で。

漬物を食べて、味噌汁を啜って、米をがっつくリュウジの様子を見て、僕は心底そう思った。

「んぐ……んなこと言うたかて……ガッガッ……食えるときに食うとくのは……ムシャ……戦士の必須技能やで。ズズーー」

「口に物を入れたまま話さないでください」

「いや、悪い悪い。これも、リオンの飯がうまいのがいかんのや!」

無茶な事を……

「ま、ええんやないの? それも面白そうやん」

「……僕、目立つの苦手なんですけど」

音楽祭ともなると、その観客はすごい事になるのだろう。そんな大舞台、僕は緊張しないでいる自信など欠片もない。

「まぁ、気楽にな。っと、っごっそさん」

「それができたら苦労はしませんよ。……ご馳走様」

食器を流しに持っていって水につけておく。

食後のお茶でも淹れようかと思って、急須を取り出したあたりで、やけに部屋の外が騒がしくなった。

「ん? なんや?」

リュウジの呟きとほぼ同時に、部屋のドアが開け放たれた。

そして、部屋に侵入して来たその人影は、悠然と僕の前に立つ。

「り、リーナさん?」

さっきまで話に上っていたリーナさんがそこにいた。

何でこんなところにいるのか。ここは一応、男子寮であって、そうそう入れるわけではない。

「リオンくん、練習しますよ」

「へ?」

我ながらその時の声は間抜けだったと思う。

「ですから、練習です。本当に時間がないんですから、一分一秒たりとも無駄にできません。授業と睡眠時間と食事の時間以外は全部練習です」

あ、頭が展開についていかない。

「ちょ……。でも、僕はお茶を飲んだら食器を洗わないと……」

しどろもどろに、言い訳とも言えない事を言ってみる。

「そんなことですか……リュウジくん!」

「は、はい!」

「洗っといてください」

いつにない迫力に、リュウジでさえコクコクと頷くしかなかったようだ。

「あ、でも練習って言ったって、どこで? 音楽室は使えないし」

基本的に、部長が施錠した後は使用する事はできなかったはず……。すると、ピアノもないわけか。

「そのことですか。学園側に許可とる事も考えたんですけど……なんでも、あの人が協力してくれるそうで」

「……あの人?」

僕が聞き返すと、まるでタイミングを計ったかのように(いや、計ったんだろうけど)空間から滲み出すように、“あの人”が姿を現わした。

「それは私です」

「お……お母、さん?」

「はい。お母さんです」

Vサインまでしてアピールしてくれるお母さん。年甲斐のない……と思ったら、すごい目で睨まれた。

「こちらのリアさんが、リオンくんが使っていたピアノを持ってきてくれたそうです」

「本当はルーファスさんが持って来るべきなんですけど、さすがにあんな事件があった直後ですからね。“妻の”私が持ってきたわけです」

やけに『妻の』を強調する。

リーナさんに向けて言った事を見ると、以前彼女がお父さんに告白した事件をまだ根に持っているらしい。

「そういうことらしいですよ」

でも、リーナさんのほうは、もうけっこう割り切っていると言うか、気持ちの整理はついているらしい。特に動揺した様子もなかった。

「で、でも場所は?」

往生際が悪いと自分でも自覚しているが、もう一つ疑問を投げかけてみる。

「遮音結界を張ってやれば、この部屋でも十分です。もうリーナちゃんの部屋とこの部屋を繋いじゃいましたよ。今日は、ここまで来るだけでも注目されちゃいましたから」

と、お母さんは壁にある黒い穴を指し示す。

亜空間魔法の応用だ。あの穴に入れば、リーナさんの部屋に直通しているのだろう。てか、勝手にこんなの作らないで欲しいんだが。

「あ、ちなみにリオン――というか、男性には通り抜けできないようにしてありますよ? 残念でした」

「なにが残念なんですか、もう」

かなり納得の行かない部分はあるが、すでに外堀は埋められている。

一週間だけの話とは言え、ずっと練習漬けか……

言われたとおり食器を洗っているリュウジが哀れんだ目でこちらを見ていた。

「あ、ちなみに私、生前は聖歌隊に所属していたこともありまして……少々興味があるので、夜の練習は見物させてもらいますね?」

ちゃんと監視しとかないと、リオンが不埒な真似をするかもしれませんしー、とお母さんはやけにうれしそうに言う。

……ああ、追い討ちまでかけられてしまった。

「リオンくん、頑張ろうね」

まぁ、しかし……別段嫌でないのは、なんでなんだろう?

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