そこは校舎裏。普段なら誰も来ないような場所なのだが、今は二つの影があった。
一つは男で、もう一つは女の子。
やがて、女の子は駆け足でその場を去り……
そこには、ただ一人、呆然とした男が残された。
第10話「波乱」
放課後。まっすぐ寮の部屋に帰った僕を訪ねる人がいた。
「あれ? お父さん。音楽部の活動はどうしたんですか?」
「……今日は自主休業だ」
「それはサボりと言う行為のような気がするんですが」
「気にするな。それより、俺は非常に複雑かつ有機的かつ危険な問題に直面している最中だ。これがリアに知れたら、俺は殺されるかもしれん」
お母さんの名前が出てきた時点で、僕は『これはヤバイ』と確信した。
「へえ、そうなんですか。じゃあ僕は学校に忘れ物をしたんでこれで失礼します」
……ので、すぐさま回れ右。ダッシュで部屋から出ようとしたところを、がしっと捕まれた。
「逃がすか。話を聞け」
「お願いですから僕を巻き込まないでください」
「親と子は一蓮托生だ。困難には共に立ち向かうべきだとは思わないか? ああ、美しき親子愛」
「そんな歪んだ愛はいりません!」
いや本当に。
「いや実はだな」
「聞こえませんよ」
耳を塞いで聞かざるの体勢。お父さんの事情に巻き込まれるのだけは勘弁して欲しい。お父さんとは違って、僕は人間捨ててないんだから。お父さんが生き残れる事態でも、僕は即死と言うことは十分考えられる。
「まあまあ。そう嫌がるな。一蓮托生だと言ったろう。ほら、耳塞いでないで聞けよ。つーか、聞けやおら」
「や、やめて!? お願いですから!」
無理矢理耳を塞いでいる手を離された。
「いや、それでついさっきの話なんだが」
「人の話を……」
「リーナちゃんに告られた」
………………………………
「ど、どうするんですか!? お母さんに知られたら殺されますよ。だから聞きたくなかったんだーーー!!」
「だからそう言っただろうが! 俺も逃げたいわい!」
いや、確かにそんなふーな雰囲気はあったが、まさかここまで行動が早いとは。リーナさん、けっこう直情型なのか?
「と、とりあえず、僕には関係ありませんね。これは夫婦の間の問題であって、息子の僕が矢面に立たされる訳はありませんし」
「そうやってすぐ都合の悪い事から目をそむけるのはお前の悪い癖だぞ?」
「その言葉。そっくりそのままお父さんに返しますよ」
「だがな。まさかお前、リアがお前に八つ当たりしないとか楽観的なことを考えてないだろうな?」
思っていない。思っていないから逃げようとしているんですが。いくらあのお母さんでも、その場にいなければ八つ当たりなどしないだろうし。
「そーゆーわけで、僕はしばらく行方をくらませますから!」
「だから逃がさんと言っておろうが!」
絶妙なタイミングで足を引っ掛けられ、転倒。さらに、背中を押さえられ立ち上がる事も出来ない。
「こ、これが父親のすることですか!?」
「親と言えども、自分の命惜しさに、時には残酷になるものなのだ」
ひ、ひどい……
「お前が少しは弾除けになってくれれば、生き残る可能性がほんの気持ち程度あがるからな」
「それは気休めとか、そういうことですね? そのためだけに、僕を拘束するわけですね?」
「まあ、ぶっちゃけるとそうだな」
言い切られた……。
「幸いと言うかなんというか。家にいるリアには俺の動向を知る術はない。とりあえず、何事もなかったかのように取り繕うのが一番だと思うんだが」
あ……そういえば確かに。
お父さんの作った亜空間内にいるお母さんには、外界の情報を知ることはほとんどできない。そもそも、僕やお父さんやリーナさんが喋らない限りバレる可能性などないわけで……。
そんなに心配することもなかったわけだ。
お母さんの恐ろしさから、理性をなくしてしまっていた。
「確かに、黙っていればわかりませんね」
「そうだ。だが、万一ばれた時のために、お前には明かしておく」
「……弾除けですね?」
「そのとおりだ」
力強く頷きながらお父さんは大威張り。もう少し、親としての威厳とかそーゆーものを大切にして欲しい。
「はあ……ばれないようにしてくださいよ?」
「もちろんだ。俺とて、命は惜しい」
よく考えたら……てか考えるまでもなく、こんなことで命の心配をする家庭というのは根本的に間違っているような気がする。ヴァルハラ学園に通いだして、そう思い始めた。
「でも、どうしてリーナさんが……」
「そんなん俺が知るか。女心というものは俺にはさっぱりわからん」
「それはよくわかります」
少しでもわかっていれば、もう少しうまく立ち回っているだろうし。
「……どういう意味か気になるが、あえて聞かないでおこう」
「賢明です」
なんとなく会話が途切れる。
そのまま突っ立っているのもなんなので、お茶を淹れることにした。
「しかしなあ」
戸棚からお茶の缶を出していると、お父さんがふと独り言のように呟いた。
「こういう会話していると、なんだな。……ああいう純情な子にしときゃよかったなあ、とか思ってしまうな」
それに答える必要性も感じず、僕はそのまま流した。……はずなのに、答える声があった。
「へえ、リオンと同い年の子に懸想ですか。ルーファスさんがロリコンだとは知りませんでした、私」
瞬間、世界が凍りついた音が確かに聞こえた。
ガタガタと部屋の隅で震えているお父さんの代わりに、僕が聞くことにした。幸いにして、お母様はまだ噴火には至っていない様子。
……嵐の前の静けさ、という言葉の意味をこれでもかというほど噛み締めている気分だが。
「あの……お母さん、どうしてここに?」
「リオンの様子を見に来ました」
まさか、それだけでこんなにタイミングよく?
「あと、サレナさんとリリスさんから、ルーファスさん浮気の傾向あり、と教えてもらったので、そっちのチェックもついでにしようかと思っていましたが」
そっちがメインの理由だ、絶対。
「本当は、明日来るつもりだったんですけど……虫の知らせと言うか、なにか嫌な感じがしたので予定を繰り上げました」
「そ、そうですか」
なんて勘のいい……。
「ルーファスさんの口から浮気宣言されるとは思ってもいませんでしたが。出ていかず、隠れて様子を見ていて正解でしたね」
「ちなみに……どこから聞いていました?」
「ルーファスさんが『今日は自主休業だ』と言ったところからですが。まあ、ルーファスさんが告白された程度で怒るつもりはなかったんですが……さすがに最後の台詞は許せません」
ほぼ最初からいたんですね。そして、嘘はつかないでください。告白されただけでも、絶対烈火のごとく怒っていたでしょう?
お父さんも、普段の変態的な能力で気付かなかったのか。これが運命というやつか?
「さて……ルーファスさん?」
「は、はひ!?」
恐怖のせいか、声が裏返っている。
「言い訳ぐらいは聞いてあげないことも無いような気がしますが、どうせ殺るので意味のない事だけは先に言っておきます」
「い、いや待て、リア。とりあえず、それは俺の武器だから、銃を返せ。てゆーかいつの間にスッた!」
ガチリ、と撃鉄を上げる音がいやに恐ろしげに聞こえる。
「で、言い訳はないんですか?」
有無を言わせない口調。
「あのな? まずは落ち着け。さあ、銃口を下げて、トリガーから指を離せ。危ないからってうおおぉ!?」
なんの躊躇も無く引き金を引くお母さん。
弾丸なんて、喰らっても蚊に刺された程度にしか感じないくせに、死ぬ気でかわすお父さん。……多分、あの銃弾に、なんか細工が施してあると見た。
「言い訳はないようですね。ルーファスさんにしては往生際のいい態度です」
銃では当たらないと判断したのか、それを捨ててお母さんは両手に魔力を集めていく。
お父さんが護身用にと教えたという古代語魔法だ。多分、お父さんは今百回くらいお母さんに魔法を教えた事を後悔しているに違いない。
「できれば、部屋は壊さないでね」
「お、おいリオン! こういうときのために、お前がいるんだろ! 助けてくれ!」
「ああ、その話も聞かせて貰いました。まさか息子を盾にするなんて。こんなに卑怯な人だったと、さすがの私も幻滅ですよ?」
魔力の塊を上空に持ち上げなさるお母様。
ああ、こりゃヤバイ。早く避難しなくては。
「南無〜」
一応、お父さんの冥福を祈りつつ、その場をあとにした。
「ま、待ってくれリオン! お父さんを見捨てないで……ごぎゃふぅっ!!」
そんな悲鳴を最後に、僕は部屋の扉を閉めた。
まあ外には被害出ないだろ。摩訶不思議な話だけど。
私はリオンくんの部屋に向かっていた。
私、リーナ・シルファンスはこの度一大決心して、リオンくんのお兄さんであり、音楽部の先輩であるところのルーファス先輩に告白をした。
自分にこのような行動力があったとは驚きだが、言うだけ言って返事を聞く前に走って逃げてしまった。
我ながら、ずいぶん滑稽だったと思う。ついでに、というかそのまま部活をサボってしまったのは心苦しいが、それどころではなかったのだ。
しかし、部屋に帰って枕に顔をうずめて、ごろごろ転がっているうちにこれではいけないと思い立った。
思いを伝えるだけではいけない。やはり、ちゃんと返事を貰おう。
幸いにして、放課後のルーファス先輩の行動は把握している。
リオンくんのところで一緒に晩御飯を食べているらしい。このチャンスを逃す手はない。
そうと決まれば突撃だ〜〜〜、ということで男子寮に突貫してきたのである。
リオンくんの部屋のある階に到着して、ぐっ、と拳を握り気合を入れなおしていると、
「り、リーナさん!?」
なにやら慌てた様子でリオンくんが走ってきた。
「あ、リオンくん。ちょうどよかった。ルーファス先輩、部屋にいますか?」
「い、いますけど……」
自分の部屋を呆然と見詰めるリオンくん。……そこから、なにやら断続的に爆発音やら妙に生々しい奇怪な音やらが聞こえてくる。
が! 今の私はそんなこと気にしている心の余裕はなかった。
「ありがとう。ちょっとルーファス先輩に用事があるから、お邪魔させてもらうね」
「ちょっと待ったぁ!」
なぜかリオンくんが私を引き止める。
まさか部屋を見られたくないとかかな? やっぱり男の子だし、女の私には見せたくないものの一つや二つ持っているんだろう。……その、噂に聞くえっちな本とか、女の人のポスターとか。
「大丈夫。私は気にしないから」
「なんか微妙に誤解されているような……」
誤解なんてしていないと思うけど。
そんな意思が伝わったのか、リオンくんは首を振りつつ泣きそうな声で言った。
「ダメなんです。今、僕の部屋は常人が立ち入ったら一瞬であの世を垣間見れる魔境と化していますから」
「? よくわからないんだけど」
「わかってもらっても困るんだけど……」
む〜。
「で、おと……兄さんに用事ってなんなんです?」
「えーと……」
本当のことを言うのは恥ずかしい。ここは適当に誤魔化して置こう。
「あ〜、そっか。兄さんに告白したそうですね。それ関係ですか?」
なんで知ってるの!?
顔から火が出そうなほど恥ずかしい。おそらく、今の私の顔は真っ赤に染まっているに違いない。
「兄さんから相談を受けまして」
な、なんで?
あんまり人に言うようなものじゃないと思うんだけど。
苦悩している私をよそに、リオンくんもまた頭を抱えて考え込んでいた。
さて、どうしよう?
今、僕の部屋にはお母さんがいる。
なにをしているのかは……とりあえず、僕の精神衛生上よろしくないので考えないことにしておくとしてだ。
……リーナさんにどう説明するべきか。
一応、重婚が認められている国もあるにはあるが、そんなことをするとお母さんの怒りは頂点に達するだろうし、まさかお父さんもリーナさんと付き合うような自殺行為はしない……と思う。
それ以前に、今日この日に死ぬかもしれないとか、そーゆーことはうっちゃっておいて。
リーナさんがなるべく穏便に引き下がってくれるような言い訳を考えないといけない。なんでこんなフォローを僕がしなくてはいけないのかは知らないが。
「えーと、ね。リーナさん」
「なに、リオンくん?」
「その〜……」
どう説明しろと? まさか弟(という設定)とはいえ、第三者からの忠告ごときで諦めてくれるくらいなら、リーナさんみたいにおとなしい人はそもそも告白なんていう行為には出ないだろう。
そのとき、ピンとくるものがあった。
お父さん曰く“本当にばれにくい嘘っていうのはな、何割かの真実を含んでいるもんなんだ”らしい。
それでも、お父さんの嘘はほぼ100%ばれるというデータはあるにはあるが、そのごくありふれた言葉を信じてみよう。
「兄さんね。実は結婚してるんだ」
「……え?」
リーナさん、硬直。
「僕の育った村では、この年でもあんまり珍しくないんだけどね。えー、リア……さんっていう、同じ村の人なんだけど。今、僕の部屋にいる。リーナさんの事をどこで聞きつけたのか知らないけど、夫婦喧嘩の真っ最中」
呆然と、僕の部屋の扉をみるリーナさん。
「そういうわけだから、兄さんのことは諦めたほうが……って、聞いてる?」
うつむいて、ブツブツとなにかを呟いているリーナさんから生気を感じない。……だいぶショックだったようだ。
瞬間、きゅぴーんと、リーナさんの瞳になにか間違った光が灯った。
「……ねえ、リオンくん?」
「な、なにかな?」
リーナさんの視線に寒気がする。例えて言うなら、怒ったときのお母さんを前にした時の様。
「……略奪愛とかカッコイイと思わない?」
「思わない! 思わないっ……てぇ!?」
止める暇もあればこそ。僕の制止の声などきっぱり無視して、リーナさんは部屋に突撃。
「…………………」
しようとして、扉を開けた体勢のまま、硬直している。
そして、無言で扉を閉めた。
「り、リーナさん?」
「……勝てません」
……お母さんを見て、とても敵わないと判断したらしい。ついでに、お母さんのはっちゃけぶりを見て、冷静になったようだ。……部屋の中で、一体どのような惨状が繰り広げられているか、想像するだに恐ろしい。
リーナさんを見ると、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
……まいった。女の子を慰める、なんてやったことない。そもそも、僕の周りにいた女性は、みんな図太かったし……
「あんな人がいたんですね、ルーファス先輩には」
「う、うん。まあ」
お父さんが『ああいう子にしときゃよかったなあ』とかそんな発言をしていたが、それを言うほど僕は愚かではない。
「……一度、部屋に帰って頭を冷やしてきます」
「えーと……こんな時なんて言ったらいいかよくわからないんですけど……」
言葉を選ぶ。なんていうか、なにを言っても傷つけそうな気がする。
だから、一言だけにしておいた。
「元気、だしてくださいね」
リーナさんは、コクッと小さく頷くと、小走りで去っていた。
……さて、問題は。
彼女にフォローすら入れずに小突き回されているお父さんの処遇、だな。