彼女の朝は早い。
昔から、父親の朝の礼拝に付き合わされていたせいだろう。
5時には起き出して、もはや習慣となっている神様への祈りを捧げ、朝食の準備。ついでに、お弁当を二人分作る。
一つは自分用に小さめ、もう一つは、餌付けに成功したさる人物のためにボリューム満点のもの。
「おーい、リア。ご飯はまだかなー? お父さん、おなかすいたよー」
……いつまでも自分を子ども扱いする、あの子供のような父親にも困ったものだ。
リア・セイクリッドの朝は、おおむねこんな感じで始まるのだった。
第33話「ある日のリア」
てこてこと登校する。
どこぞの精霊王のように遅刻したりしないし、ましてや、どこぞの一年生や勇者などのように波乱万丈な朝を迎えたりはしない。
いや、決してリアが普通といいたいわけではないのだが(周りが輪をかけて異常なだけ)。
とにもかくにも、彼女の友人らに比べればまったくもって普通に登校して、下駄箱を開けた。
……上靴の上に、手紙が二通。俗に言う、ラブレターというやつだ。べたべたなパターンだというのはこの際、目を瞑ってもらおう。
いい加減、少なくなってはきているのだが、未だにこの手のアプローチが絶えない。特に、この学園の状況をよくわかっていない一年生からのものが特に多い。
古参のファンがいる分、サレナやソフィア、リリスなどよりリアの人気は高い。あんまり本人は自覚していないが、薄々は気がつき始めている。
ふぅ、とため息を一つついて、カバンにその手紙を押し込んだ。
一応、授業中にでも読んで返事を書こう、と思う。もちろんのこと、断りの手紙だが。
リアには心に決めた人が……いるのだ、多分。サレナやリリスに言わせれば、餌付けしたとか言われるが。
「お、リア、おはよう」
「……うわさをすれば、ですね」
「? 何の話だ」
いきなり現れたのは、ご存知、不運の主人公、ルーファス・セイムリート。
「……む」
下駄箱を開けようとした手が、寸前で止まる。
「リア、ちょっと離れていろ」
周りに誰もいないことを確認してから、そっと下駄箱を開ける。
今までにも、このパターンはあった。
下駄箱を開けたとたん、中に仕込んであった矢が心臓めがけて飛んできたり、爆発が起きたり、毒ガスが噴霧されたりと、だんだん容赦がなくなってきている。ルーファスがなまじ全部防ぐもんだから、エスカレートしていくのだ。
リアが今回はどんなトラップが待ち受けているんだろうか、と身構えていると、
「……ん? なんじゃこりゃ」
と言って、ルーファスは封筒を取り出した。
ピキッ、と思考が赤く染まっていくのを感じる。
こと、彼のことになると、暴走しがちなところが自分の悪いところだと、理解はしているのだが……
「へぇー、よかったですね、ルーファスさん」
「は?」
「じゃ、私はこれで。……ついてこないでください」
「……俺もおんなじ教室なんだけど」
どうしたらいいかわからず、突っ立っているルーファスを無視して歩き出す。
最近、なぜか……本当になぜだかわからないが、ルーファスの人気が上がってきている。別に、リアたちに比べれば微々たる物だが、ああいう手紙が本当にごくごくたまに来るようになってしまっている。
なんでだ、と自分のことを棚にあげて、リアは考える。
ルーファスさんは、要領は悪いし、すぐに厄介ごとに巻き込まれるし、自覚してないけれど女性関係にはとてもルーズだし……。いや、もちろんいいところはあるけれど、冷静に考えてマイナスのほうが大きいと思う。
……ひどい言い草だな、おい。
ちなみに、その手紙を開けたら、中に仕込んであった魔法陣が発動して、『エクスプロージョン』が炸裂したことは……彼女の知るところではなかった。
授業中。リアは、授業に集中できてないことが多い。
それというのも、
(やっぱり、ルーファスさんのせいですね)
(……こら、待て)
(まあ、私たちの成績が落ちたらマスターのせいということで)
(だからお前ら、よくもまあ、そんな事が言えるな)
さっきの手紙の件が一応の解決を見て、リアの機嫌が直った。それはいいのだが、またいつものように授業中はソフィアを交えておしゃべりをして過ごす。
だったら、成績が落ちるのが必然なのだが、もともと彼女の学力は非常に高い。運動神経の代わりにそっちが発達したらしい。
会話をしながら、授業の内容を理解することも造作もないらしい。(ルーファス、ソフィアはもともとの知識量が半端じゃないので問題ない)
「こら。また、なにをぼーっとしているのかね、ソフィア・アークライト君!?」
なにやら、ルーファスとソフィアが、今日の仕事のことを話していると、ソフィアが当てられた。
厳しい……というより、偏屈なことで有名な魔法学の教師である。
居眠りしたり、サボっている生徒をみかけると容赦なく学生レベルじゃ解けないような(噂によると、自分もできないらしい)問題を吹っかける。
なにやら、ファイヤーボールの消費魔法力がどーたらこーたら。はっきり言って、消費魔法力なんて、普段意識している人なんて皆無である。ちょっと環境が違うだけで大分変わってくるし。
つまるところ、大学の専門課程にでも進まない限りお目にかかることはない問題なのだが、この教師は先日も同じような問題を出していた。
どうも、この前ソフィアがあっさりと解いたのを根に持っているらしい。難易度は以前より上がっている。この前はレイカット法だったが、今回はシルヴィック法を用いて表せ、だ(どちらにしても、このクラス内で知っているのはほとんどいない)
「できましたけど」
魔法学教師がパクパクと口を動かす。
手元の本と、黒板の字を照らし合わせ、脂汗をひとしきりかくと、
「せ、正解です……。い、いちおう、基礎は身についているようですね」
とかこの前と同じようなことを言った。
クラスのほとんどが、「じゃ、あんたやってみろ」と突っ込みを入れたのは言うまでもない。
さて、昼休みがやってきた。
チャイムが鳴ると同時に、リアのクラスの入り口が荒々しく開け放たれる。
それを待ち構えていたかのように、リアはゆっくり立ち上がると。
「リリスさん……きっと来ると思っていました」
「あらあら。じゃあ、覚悟はできているわけですね」
「さて、なんの覚悟でしょうか」
「もちろん、私に負ける覚悟ですよ」
「ふふふ、面白いことを言いますね」
「ふふふ……いえいえ、リア先輩こそ」
……昨日、初めてリリスがルーファスに弁当を作ってきた。同時に、リアも自前の弁当を持ってきており……どういうわけだか、勝負と言うことになってしまった。
とばっちりを受けたルーファスは、とりあえず、その場を離れることで、うやむやにしたのだが……
(ごめんなさい。俺、逃げてもいいですか?)
どうやら、それは失敗だったようだ。二人とも、闘気が昨日の比じゃない。
信じてもいない神に、心の中で大きく許しを乞うと、ルーファスはリアたちに背中を向け、走り出……
「……は?」
せなかった。
いつの間にか、体が呪縛されている。
いくら、半恐慌状態に陥っているとはいえ、ルーファスにこんな真似ができるのは、この学園には一人しかいなかった。
ちらりと目をやると、リアたちの弁当を見て、「ふぅ」とため息をついて食堂に向かったはずのソフィアが、いつの間にか戻ってきていた。
ご丁寧に、指先をルーファスに向けて。呪縛の元は彼女だ。
(こ、こら! ソフィア、なにしやがる!?)
(私が頼んだんです)
テレパシーでソフィアに送った台詞の返事は、リアから返ってきた。
(本当にこのペンダント、便利ですよね。なんか、ルーファスさんが大声で「逃げてもいいですか?」なんて、なめたことを言っているのが聞こえたんで、ソフィアさんに呼びかけて、ちょい、と)
ルーファスがクリスマスにリアに贈った念話が使えるようになるペンダント。テレパシーの副作用として、精神を『接続』している状態ならば、心で思ったことが(それが強く思っていることなら)特に話しかけなくても伝わってしまう。
リアは、これを予想して、あらかじめルーファスと精神を接続していたのだろう。そして、日常的に接続している相手だから、ルーファスも接続を弾かなかった。
……さて、小難しい状況説明は置いておいて、
(ソフィアァァァァ!! この呪縛を解けぇ!!)
まあ、見事なまでに強固な呪縛。力任せに解こうとしたら、周囲に洒落にならない被害が出るし、魔法式を解除できるほど今のルーファスは冷静でない。いつもなら楽勝だが、今の精神状態でやれと言われても、そりゃ無理ってもんだ。
(……たまには、おとなしく観念してください。いつもいつも、彼女たちに力がないのをいいことに逃げ回るんですから)
事実上の死刑宣告。
「さ、ルーファスさん」
「ルーファス先輩」
「「行きましょうか」」
後に、アルフレッド(いたのか!?)は語る。「……さながら、ギロチンにかけられる死刑囚のようだった」
ちなみに、そのコメントを後に知ったルーファスは彼をぼこにした。
「リア」
セイクリッド家の夕食が済んで、ゼノがリアを呼ぶ。いつになく真面目な感じだ。
また、くだらない用事か、ととてとてゼノの所に行ったリアも、少し気を引き締める。
「お前、今何歳だ?」
「……17歳です。今年18になりますけど」
「そうだったな……大きくなったものだ」
いきなり回想モードに入るゼノ。こうなると長いのだ。
待つこと5分。ようやくゼノが現実に復帰する。
「……そう、もうお前も17歳だ。17歳といえば、もう立派な大人。お前の年なら結婚している人も珍しくない」
「け、結婚?」
リアの頭の中に、白い教会で結婚式を挙げる自分が現れる。多くの友人に祝福され、神父の前で誓いの言葉をあげる。そして、隣には……
「で、だ。実はだな……」
「はっ!? な、なんですか?」
「ちゃんと聞いてくれ。……実は、卒業後、聖騎士の国サイファールのさる騎士と、結婚してもらうことになった」
沈黙。
父が言っていることを十分租借して、その意味を理解。
「ええええぇぇぇ!!?」
絶叫。予想していたのか、ゼノはすでに耳を塞いでいた。
「な、なんでですか!?」
「……お前は、『大神官の一人娘』という身分だ。それは、あまり無視できるほど軽い肩書きじゃない」
「は、はあ」
「サイファール国との結びつきを強めるため、ということらしい。国の決定だ。儂にもどうすることもできなかった……」
悔しそうに、ゼノが歯軋りする。
そして、次の瞬間にはその顔が泣き顔になり、
「リアァァ!! ふがいない父さんを許してくれ〜〜〜!」
「お、お父様。近所の人たちに迷惑ですから、そう泣かないで……」
「うう〜」
「それにしても、会ったこともない人と、結婚なんて……そもそも、私の意志は?」
「……旅費は国が負担するから、夏休みに一度会いに行け、とのことだ。それと、お前の意思は、残念ながら通らないだろう」
まいった。
リアは、とても思い悩むのだった。
さてさて、一体どうなるのか……!
<番外編:ある日のルーファス>
略
「なんでだ〜〜〜!?」