チュンチュン、と鳥の声と、窓から差し込む日光で目が覚める。

「ん……」

 昨日はひのふの……とにかく、たくさんしたあと、裸のまま寝てしまったので、少し肌寒い。
 枕元に置いてあった服に手早く着替えて、居間の方へ。

 トントン、という包丁を叩く音と、鼻孔をくすぐる味噌汁の匂いに、寝る前に運動しまくって空っぽのお腹がぐぅ〜という音を立てた。『はよなんか食わせろ』という力強い意志を感じる。

「お雛さん、おはよぅ〜」
「おはよう、良也。もう、さっきのお腹の音、ここまで聞こえてきたわよ」
「はは……お恥ずかしい」

 いつもの衣装の上にエプロンを付けて、こっちを振り向いてくるお雛さんはもう最高に可愛らしい。
 この人が、僕のもんなのか〜と考えるだけで、幸せの絶頂ってかんじだ。

「ほら、もうすぐ朝ごはんできるから、食器並べておいて」
「はぁい」

 お雛さんと付き合うようになって、約ひと月あまり。
 週末には必ずお雛さんの家に訪れるようになり、なんか新婚っぽいなあ、と変な笑いが起きてくる僕であった。

「……その前に顔を洗ってらっしゃいな。なんか、キモいわよ」
「……はい」

 き、キモいは言い過ぎなんじゃないかなー、と心の中で抗議はするが、僕はおとなしく表の井戸に向かうのだった。















 朝ごはん。ご飯、味噌汁、漬物、川魚の焼き物に山菜の胡麻和え。
 勢い込んでご飯を三回もお代わりしてしまった僕は、食後のほうじ茶をずず、と啜ってから、こう切り出した。

「と、いうわけでお雛さん。今日はデート行きましょう、デート」
「……どこに?」
「無論、人里に」

 かねてから計画していたことである。

 僕がいるからには、お雛さんの厄は表に出ない。
 ずっとそうしていると、幻想郷の厄がしっちゃかめっちゃかになってしまって、とんでもねぇことになる(すごい曖昧な表現だが)そうなのでNGだが、二日、三日程度なら心配する必要ない。

 昔、一回連れてったことがあるが、それ以来行ったことがない。
 妙にお雛さんが遠慮するのだ。本当は行きたいくせに。なんで、今日こそは連れだそうという魂胆である。

 いい加減お雛さんが行きたがらない心理もだいたいわかっている。多少強引にでも連れ出さないとな。

 ……まあ、お雛さんに秋波を送る野郎どもへの牽制という意図も、なくはない。人気者を彼女にすると大変なのだ。

「嫌」
「成る程……それでそれで?」
「行かないわよ。デートなら、湖へピクニックとかどうかしら。おべんと作るわよ」

 ……ほう、そういう態度を取るわけか。
 まあ、予想はできていた。

「でもなー、僕は今日、里に行きたいんだよなー。買いたいものもあるしぃ」
「あ、あのね、良也」
「ごめんね、お雛さん。お雛さんがそう言うなら、僕は一人でお買い物に行ってくるよ」

 我ながら、すごい棒読みである。
 しかし、目論見通りお雛さんは慌てに慌てて、

「ひ、一人で行くことないじゃない。なんなら、今日は一日、家でごろごろしましょう?」

 ご、ごろごろ(意味深)だと。
 し、しかしそのくらいで僕の心が揺らぐとでも思うたか! いや、勿論揺らぐけど、鋼の精神で耐え切ってみせる。

「いやだ。お雛さんも一緒に里に行こう」
「そ、それは……やっぱり、あのね?」

 厄神の挟持というか……みだりに人の集まるところに姿を表したくない人なのだ、お雛さんは。例外といえば、厄祓いの祭りくらい。自分で人形を売ろうとしていた時も、人通りの少ない道端にしか顔を出していなかった。

 しかし、賑やかなのが割に好きなお雛さんが、じー、と里の喧騒を羨ましそうに見ていたことを僕は知っている。

「ふっふっふ、お雛さん、おとなしく僕と一緒に来ないと、僕は一人で里に行っちゃいますよー。観念して、デートしましょう。ごろごろはその後で」
「こ、この男は……」

 あからさまに顔を引き攣らせるお雛さんだが、知ってるもんねー、お休みの日は、ずっと僕と一緒に居たがっているくらい。
 さて、長年のお雛さんの挟持が勝つか、ぽっと出の僕との付き合いを取るか。

 果たして――

「そ、そうだ。家にいてくれるなら、あれ、あれ着たげるから。メイド服だっけ? 恥ずかしいからって、プレゼントされたけどしまっておいた……」

 な、な、な、何ぃぃィィィィィィ!!!?
























 ……僕は自らの欲望に勝った、勝ったよ、お母さん。
 でも、試合に勝ったけど勝負に負けた気がするのはなんでだろう。

「強引ね……」

 もう観念したのか、手を引っ張る僕に抵抗せず飛ぶお雛さん。
 ……なんだかんだで、行きたいんじゃないか。その気になれば、僕を止めることなんか簡単なくせにさ。

「まあまあ。いいじゃないですか。んな深刻に考えなくても、里の人も別に嫌がりゃしませんよ」
「そりゃそうかもしれないけど」

 お、意外。嫌がらないって言って、肯定するんだ。お雛さん、絶対一言くらい反論してくると思っていたよ。

「でも、騒ぎにはなるでしょ。みんなお仕事もあるのに、申し訳ないわ」
「大丈夫でしょ。そんなんで騒ぎとか言ってたら、異変とかどーなるんですか」

 多少の騒ぎなど、幻想郷では当たり前だ。むしろ、静かになっている方が異常と言えるくらい。

「そうだけど……」
「あ、とか言っているうちに、里が見えてきましたね」

 うむ、今日もお祭り騒ぎって様子だ。

「あの、良也? 私、やっぱり」
「あーあー聞こえなーい」

 逃がさないように、がっちりと腕を組み、里の中央にある広場に降り立つ。

 空から降りてくる輩など、この里では珍しくもないので、当初は別に注目もされていなかったのだが、『あれ、鍵山様じゃね』と若者の一人が気付いてからは、流石にざわつき始めた。

 しかし、ざわついている人の半分以上は、お雛さんが来た事自体よりも、『僕と腕を組んで』ってところに注目していた。

「りょ、良也。お前、鍵山様と……」

 ふるふると震えながら、僕の友人の一人である大工の鉄之助が、お雛さんを指差した。……お前、今は僕が側にいるから大丈夫だけど、お雛さんがソロでいるときに指差しなんかしたらカウンター☆厄で死ぬかもしれんぞ……
 が、彼的にはそれどころではないらしく、必死で僕の回答を待っていた。

「あ、うん。僕、このたびお雛さんと付き合うことになった」

 そういえば、こいつもお雛さんラブの一人だったか……
 な、なんだってー!? とM○Rばりのリアクションをする鉄之助他数名の様子に溜息をつく。

 確かに、お雛さんが色目を使われないように、という意図もあったりはしたのだが、その、ちょっと若い衆のお雛さんへの憧れを軽視していたかもしれん。
 いやー、まいったねこりゃテヘペロ……って、冗談かましている場合じゃない。
 あの、これ、真面目に命の危険を感じるんですけど。
 そりゃ正面からカチ合えば霊力持ちでない連中に負けるつもりないのだけれども、ほら、闇討ちとかさ。怖いよね。後は、酔った隙に、とかさ。

 ……こわっ。

「つ、土樹? お前さん、なんという罰当たりなことを」

 と、そういう若い衆とは別に、流石に年配の人は真面目だった。

「いやいや、大丈夫ですってば。ほら、罰が当たるなら、とっくに当たってるのに、僕ピンピンしてますし。それに、古今東西、神様や妖怪と人が結婚した例なんていくらでもあるじゃないっすか」
「そりゃそうだが……むう」

 森近さんみたいな半妖や半神の人も、珍しいが例がないわけではない。まー、流石に結婚までは気が早すぎるというものだが、一応そういう宣言をしておいて損はないだろう。

「一応、みんなに知らせといてください。後、たまにお雛さんと一緒に遊びに来ますけど、厄は漏らさないのでご心配なく」
「気をつけとくれよ……」
「ハッハッハ……任せといてください」

 念のため、能力の範囲を限界まで広げているのだ。
 最近、ちょっと成長したのか、外でも十メートルくらいなら行ける。多少離れても大丈夫だし、

「むう」
「ちょ、お雛さん、痛い、痛いって」

 ……ちょっと放っておいただけで、拗ねて腕をつねってくるお雛さんが、そうそう離れるとも思えないしね。

「…………」

 ――あ、今誰か、僕に本気の殺意を向けただろう。怒らないから名乗り出なさい。
























「へえ、これが外の世界のお菓子なのね。……私はメニューわからないから、おすすめをお願い」
「はい。あ、成実さん成実さん。この、苺のミルフィーユとザッハトルテ。飲み物は、ミルクティーをポットで。……あ、後シュークリームも二つください」

 外の世界出身、成実さんの喫茶店。
 里のデートコースといえば鉄板で入っているこの店に、僕はお雛さんを案内してきた。

「はいはい、了解っと。ええと、そっちの彼女は、神様、だったかしら? はじめまして」
「え、ええ」
「それじゃ、少々お待ちください。良也くん、ちゃんとエスコートしてあげなさいよ」
「わかってますって」

 そりゃ、これが人生初デートであるが、お雛さんの前では格好悪いところは見せられないのだ。

「物怖じしない子ねえ。私が厄神だって、わかってるのかしら」
「成実さんは外の出身ですからね。知ってはいるはずですけど、実感が無いんじゃないですか」
「……外の世界はみんなあなたみたいなのばっかりなのね。恐ろしい世界だわ」
「ど、どーゆー意味ですか」
「どういう意味かしらね」

 ふふ、と意地悪く笑うお雛さん。くそう……無理に連れ出したこと、ちょっと怒っているな?

 こ、ここは成実さんのお菓子の力を借りねばなるまい。
 運ばれてきたミルフィーユをお雛さんに。

「どうぞ」
「ええ、いただきます」

 パク、と初めて食べるお菓子をおっかなびっくりお雛さんは口を運び、

「ん!」

 目をぱぁ、と輝かせて、咀嚼した。

 ふふふ……所詮、お雛さんとて女の子、甘いものの前では機嫌を直さざるを得まい。

「美味しい」
「でしょ。あ、僕のザッハトルテも一口食べます?」
「……いただこうかしら」

 あーん、とかするのは難易度高すぎなので、適当に切り分けてお雛さんのお皿に置いた。
 そっちも実に美味しそうに食べるので、いい目の保養だ。

 しばらくそうしてケーキの美味さに舌鼓を打っているお雛さんを観察していると、不意にお雛さんがバツが悪そうに視線を逸らした。

「もう、こんなのじゃ許したげないからね。嫌がる私を、無理矢理……」
「……お、お雛さん。お怒りはご尤もですが、もう少し言葉を選んで欲しいナー」

 その言葉、超誤解受けそう。
 もし嫉妬にかられる男子が聞いていたりしたら、血を見ることになったかもしれん。

「?」

 しかし悲しいかな、人と接した経験が殆どないお雛さんは、こういった機微に意外に疎いのだった。
 まあ、そこも可愛いんだけどな!

「それはさておき……じゃあ、お雛さん。どうしたら許してくれるでしょうか」
「そうね……」

 ちらっ、とお雛さんは僕の方にあるシュークリームを見る。

「その、しゅーくりーむで手を打ちましょう」
「……お雛さん、そんなに食べたら太……」
「なに?」

 ゴゴゴゴ、と背景に擬音が見えた気がした。
 当然のことながら、僕は平伏してシュークリームを差し出した。























 まあ、慣れてしまえばなんということはないというか。
 それとも、やっぱり嫌がっていたのはポーズで、実はお雛さん内心ノリノリだったのか。

 成実さんのお店を出る頃には、お雛さんの機嫌もころっと治って、僕の腕を引っ張って道を捻り歩き始めていた。

「あ、良也。あれはなにかしら?」
「あれは大道芸ですねー。うわ、火ぃ吹いた」

 と、派手なパフォーマンスをしている芸人に拍手を送ったり、

「あら。あれ綺麗ね」
「かんざしですか。そんな高いのじゃないですし、プレゼントしましょうか?」
「高くないって、それなりよ?」
「いや、メイド服のほうがよっぽど高かったんですけどね。咲夜さんに交渉して作ってもらって……やっぱ着てくれません?」
「お・断・り・よ」
「残念」

 と、露店を冷やかしてみたり、

「あ、お団子美味しそう」
「じゃ、ちょっと休憩していきますか。……団子は一人前頼んで、半分こしましょうね。ケーキあんなに食べたんですから」
「一人前頼んじゃいましょうよ」
「だから太……ぐへっ」

 喫茶店で休憩する際、余計なこと言って脇腹に肘を入れられたり。

 まあ、なんつーのか。
 なるべく、余裕のある態度を見せるよう努力していたものの、やっぱりすげぇ緊張した。成実さんに言われるまでもなく、お雛さんの最初の里での遊びがつまらないものになったら嫌なので、僕頑張った。
 そのおかげか、なんとかかんとかお雛さんも笑顔を見せてくれ、時は過ぎていった。

 なお、デートの半ば辺りからはもう里中に僕とお雛さんの噂は広がっていたらしく(恐るべし田舎ネットワーク)、最初の時のように大騒ぎされることはなかった。
 まあ、若い衆に会うと複雑な目で見られたが……今度、外の世界のエロ本でも差し入れてやろう。単純――もとい、素朴な男ばかりだから、それで大丈夫だろう。

「はあ、こんなに遊んだのは生まれて初めてね」
「そうですか……どうでした?」

 あれから、射的や輪投げといったゲームに興じたり、夕飯はちょっと高級な蕎麦屋で酒も少し入れて食べたり。

 そんなこんなで、家路につくころにはすっかり日も暮れていた。

「……楽しかったわよ」
「そりゃよかった」

 ……はぁ、良かった。エスコート失敗したわけじゃなかったかあ。
 くっくっく、しかしまあ、お雛さんも意外にチョロい。今度はどんなデートコースを選んでやろうかっ。

「良也……なんかまた良からぬことを考えているでしょう」
「良からぬことは考えていませんけど」
「……嘘。『次』の算段をつけているわね?」

 僕的には、それ良からぬことじゃないですよー。

「いいじゃないですか。一回も二回も変わりゃしませんよ。それに、里の人達も全然気にしてませんでしたし」
「……まぁね。思った以上に、みんな反応しなかったわ。もっと騒ぎになるものと思っていたけど」
「だから言ったじゃないですか」

 お雛さんが気にし過ぎなのである。

「そうかしら」
「そうですよ」

 断言する。
 そうすると、お雛さんは少し沈黙して、

「……でも、やっぱり次はもうちょっと静かなところがいいわ。楽しかったけど、人が多くてあまり話ができなかったじゃない」
「そですか」

 ふむん。里に行くのを嫌がっているわけじゃないから、まあいいか。
 そうすると、次はどこがいいだろう。朝言ってたみたいに、湖へピクニックがいいかな。

「さ、この辺でいいわ。貴方、明日もお仕事でしょう」

 お雛さんの家が見える辺りまで来て、繋いでいた手を離す。

 ……しかし、予想以上に時間が遅くなったおかげで、お雛さんちで休憩(意味深)する暇がなくなっちゃったな。……畜生ー!
 なんて、勿論態度には出さない。多分、っていうか、絶対に、お雛さんには見抜かれているだろうけど。

「……はい。それじゃ、僕は帰ります」
「ええ。じゃあ、また来週」
「はい。必ず」

 ちょっと緊張するが、お雛さんの方に手を置き、口付ける。

 そうして、今回のお雛さんとの逢瀬は終わるのだった。


















 ……なお、後日拝み倒してメイド服は来てもらった。
 スーパーテンション上がった。



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