それは、大学最後の冬の話。
 こっ恥ずかしいのであまり語りたくないが、あの日、僕はちょっとだけ外れた。




 ぷるるる、と昼まで寝る予定だったのに、朝っぱらからの電話で叩き起こされた。

「……なんだ、なんだ」

 若干、声が不機嫌になったかも知れない。時計をみると、まだ九時過ぎ。今日は明け方に寝た僕には厳しい時間だ。
 ナンバーディスプレイに表示されているのは、見知らぬ番号。……はて、僕に電話をかけてくる人間自体珍しいというのに、誰だというんだろう。

「……ふぁい、土樹ですがー」
『土樹良也さんの携帯電話でよろしいでしょうか?』
「はー、確かに僕は土樹ですけどー、どちらさんで?」
『申し遅れました。私、『陰陽連』の菅野と申します』
「……はい?」
『陰陽連の、菅野です』

 ……今、陰陽とか言った?
 陰陽道? それとも、そういう名前の占い屋?

「ええと、なんですかその……陰陽連? って」
『ああ、これは失礼を。陰陽連とは、妖怪退治を生業とする集団です』
「……妖怪?」

 なにやらキナ臭い話のようである。一昔前の僕なら、どこかの宗教の勧誘だととっくに切っている頃だが、しかし今の僕には聞き逃せない単語がいくつかあった。
 ……どうだろう、でも胡散臭いなあ。

『ええ。妖怪です』
「……その妖怪退治屋が、僕になんの用ですか?」
『まあ、簡単に言えば、スカウトですよ。我々の仲間として、戦ってもらいたいんです。高宮財閥の娘を救った話は、私も聞き及んでいますので』

 あ、この人本物か。その話しを知っている以上、少なくともそういう話が現実にある、ってことは知っているはず……
 ……しかし妖怪ねえ。

「はあ……」

 つっても、全然乗り気じゃない。大体、スカウトて。確かに僕は魔法を使えるが、妖怪相手には逃げまわるしかないほど弱い男ですよ。

「生憎ですけど……」
『無論、待遇は応相談です。現代では、妖怪退治よりまじないの真似事の方が儲かりますが……こちら、貴方ほどの実力があれば、年収一千万や二千万は可能でしょう』
「うぐっ!?」

 いかん、ちょっと惹かれた。
 そーいえば、高宮さんから非常勤の顧問霊能者としての仕事をお願いされた時も、けっこう良いお値段を提示されたっけか……

 結局、当時は教育実習期間中で、『僕はこれから教育者として生きるんだー』と燃え燃えに燃えていたので、その時はあまり気にしていなかったが……良く考えてみると、破格の待遇だった。

「えーと」

 しばらく、悩む。

 しかし、一小庶民の僕には、なかなかに抗いがたい誘惑であり、

「と、とりあえず……話だけなら」

 と、了承してしまったのだった。


























 先方から提示された待ち合わせ場所である喫茶店。
 割と落ち着いた雰囲気のその店に入ると、奥まった席に座っているスーツ姿の男性が、手を振ってきた。

「こちらです」
「ああ、はい」

 最初思い描いていた人物像――なんかこう、いかにも! って感じの姿――は、どうやら誤りだったらしい。普通のサラリーマンっぽく見える人だ。
 なんだかなあ、担がれてんじゃないだろうなあ、と僕は疑いながら、手を振ってきた男性の向かい側に座る。

「よく来てくれました。お電話させていただいた、菅野です」
「はあ、土樹です」

 握手を求められ、素直に手を握る。
 ……なんとなく、鍛えられた人の手の平だった。武闘家一家であるうちの人間と、同種の手だ。

 その直後くらいにやって来たウェイトレスさんに、お互いコーヒーを注文する。

「ああ、すみません。失礼して」
「?」

 さて、話を、と思っていると、菅野さんはさっき運ばれてきたお冷に小指を突っ込み、水滴をテーブルに落とす。
 そうして、何事かをぼそぼそと呟くと、小さな結界が、僕と菅野さんの座っているテーブルを包み込んだ。

「表で妖怪とか言っていると、変な目で見られますからね」
「消音の結界ですか」
「ええ」

 ……邪魔しないよう、僕の能力は解除しとこう。
 っていうか、この人すげぇ。そりゃ範囲も効果も、このくらいなら僕にだってできるが、術の発動がすごいスムーズだった。

「ええと……」
「あ、はい。じゃあ、最初から説明させていただきますね」

 菅野さんは柔和に微笑んで、説明を始めた。

 ……陰陽連とやらは、現在菅野さんを含め二十人ほどの小さな集団であること。その由来は江戸時代、民間退魔師の互助組合であること。本業は妖怪退治だが、今は呪いの解呪や占い等で糊口を凌いでいることなどなど……

 まあ、要するにオカルト関係の中小企業ということです、と、運ばれてきたコーヒーを口にしつつ、菅野さんは締めくくった。

「そこで、有力な新人である、土樹さんをスカウトに来たわけです」
「……有力て」
「知らないようなので教えて差し上げますが、貴方が撃退した陰陽師……桂は、業界でも一流と評判の高い術者だったんですよ」

 ……ンなこと言われても、まったくピンと来ない。
 今までそういう勝負で僕が勝ったことなんて、その桂さんとやら以外では……うん、悲しくなるほどないね。

「業界にはお詳しくないようですね。失礼ですが、師匠はどなたで?」
「ええと、特に、いないのかな?」
「ほう。秘密主義でいらっしゃる」

 目を細めて、疑わしそうに菅野さんが見てくる。

 いや、つっても魔法の師匠はパチュリーだけど、スペカ習ったのは妖夢だし、空の飛び方は……スキマに習ったって言えばいいのか? 一時期、霊夢にも教えてもらったけど、あれはノーカウントで。
 まあ、一番の問題は、このどの名前を挙げても、絶対聞いたことがないことがわかるってことだ。怪しまれそうだ。

「しかし、貴方はこの業界でもトップクラスの実力を持たれている、ということを理解してください」
「はあ……」

 でもなあ。
 僕が強かろうがどうだろうが、僕は今の所オカルトを生業にする気はない。そりゃ報酬に釣られてノコノコやってきたが、冷静に考えれば、そういう仕事をすれば色々と命の危険とかがあるに違いない。
 不老不死の身でなにを言っているのか、という気もしなくはないが、自ら進んで怪我をしに行くほど、僕はその仕事に魅力を感じていないし。

「ええと、その。お誘いはありがたいんですけど」
「ああ、今答えを聞こうとは思っていません。じっくり考えてください」

 断ろうと思ったら、いきなり遮られた。
 ……むう。

「まあ、今日はこういう話がありますよ、と提案するだけのつもりだったので。後は、少しお話でもしませんか?」
「……いいですけど」

 この人は、案外人の話を聞かない人のようだった。
 まあ、話は上手いし、聞いててストレスが溜まるってこともないので、おとなしく付き合うことにした。

「さてと。なんの話がいいかな……ああ、そうだ。土樹さん」
「はい?」
「我々、陰陽連の本来の使命は妖怪退治なわけなんですが……現代には、妖怪というのはほとんどいないということは知っていますか」
「……いえ、知りませんけど」

 僕は外で一回だけ会ったことあるが、それ以外は見たことない。まあ、妖怪なんてのがそこら辺に闊歩していたら、テレビのいいネタになっているだろうが。そして、インタビューとかに嬉々として答えるに違いない。

「いないんですよ、ほとんど。昔は夜道を歩くと、頻繁に妖怪に人間が喰われていたそうですけどね」
「……はあ」

 いえ、今現在でも、夜道で人を襲う妖怪はいます。ただ、外じゃ見かけないだけで。

「だから、妖怪退治を生業にしている、と言っても、妖怪を倒した実績は恐ろしく少ないんです、我々。精々百匹ほどで」
「へえ、百ぴ……ぶふっ!?」
「おや、大丈夫ですか」

 〜〜〜! い、今この人、何匹つった!? つーか、コーヒー気道に入った!

「かはっ、はっ、ふう。……え、ええと百、匹って聞こえたんですが」

 なんとか呼吸を落ち着けて、聞き返す。
 ま、まさかねえ……

「ええ、ほんの僅かですが。言っておきますが、全員雑魚ですよ」
「いや、雑魚って……」

 妖怪に雑魚っていたっけ? 僕の知る限りいないなあ……

「いえいえ、本当に。強い妖怪というのは、現代じゃまず見かけません。全滅したなら良いのですが……こうも見当たらないと、どこかに隠れているってことを疑ってしまいますね」
「……はあ」

 幻想郷かなあ。でも、あそこは広いことは広いけど、世界中の全部の妖怪が集まっているっていうのはちょっと言い過ぎのような。
 ……んー、まあどうでもいいか。

「妖怪の隠れている里のようなところがある……そんな噂もあります」
「へえ」
「っと、あまり興味深い話じゃありませんでしたか? まいったな。話下手なんですよね、私」

 はは、と誤魔化すように笑う菅野さん。

 ふむぅ。

「さて、そろそろお暇します。私が会計を持ちますから、しばらくゆっくりしていてください」
「え? そんな、悪いですよ」
「いえいえ、私が誘ったんですから。では」

 と、爽やかに去っていく菅野さん。
 ……あー、なんか出来るサラリーマンって感じ。凄腕の霊能者には見えなかったけど。去り際に散らしていった結界の精度はかなりのものだった。

「さて、と」

 コーヒーも、もうとっくに飲み干した。
 ゆっくりしていけ、と言われても、こんな洒落た喫茶店でのんびり出来る性格ではない。とっとと出て……

「アップルティーのおかわりをいただけるかしら」
「………………」

 と、立ち上がろうとしたところ、後ろからやけに聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「あ、あと席を移動するわ。良也、ここ座るわよ」
「……なにをしている、スキマ」
「なにをって、おかしなことを聞くわね。ちょっとアフタヌーンティーを楽しんでいるだけじゃない」

 しれ、っとなんでもないことのように、僕の後ろの席から出てきたのはスキマことスキマ。相変わらず胡散臭い笑顔を浮かべながら、僕の対面――さっきまで菅野さんが座っていた席に座る。

「あらあら、なかなか出来た呪ね」

 菅野さんが結界を張るために媒介とした水滴の痕跡を見て、スキマがおかしそうに笑う。……こいつが人間を褒めるなんて、珍しいこともあるもんだ。

「で、なんでここにいるんだよ」
「なんでって、ここは私の行きつけよ。貴方がたまたま、来たんじゃない」
「嘘つけ」
「よくわかったわね」

 わかるわっ!

「ま、本音を言えば、貴方なんかに目をつける物好きの顔を見ておきたかったのよ」
「……なんかってな」
「あらあら、おだてられて調子に乗っているわね」

 む。

 ……むう、確かに。菅野さんにちょっと褒められたからって、少しその気になっていたかもしれん。
 でも、スキマに指摘されるのはなんとなく癪である。

「妖怪退治屋、か。素直に拝み屋でもやっていればいいものを」
「菅野さんのこと?」
「ええ。ああいう輩、とっくにいなくなったと思ったら、まだ元気でやっているのね。まったく、しぶといったら」

 ふん、とスキマは嘆息する。
 ……珍しいな。ちょっとだけだけど、感情をあらわにするのなんて。

 僕、じゃなくて菅野さんか、スキマの興味を引いたのは。

「で、どうするの、良也? 陰陽連、だっけ。そこに就職するの?」
「断るつもりだけど。僕は一応、教師になるって決めているから」
「ふーん、なるほど。お金に釣られなかったのね」

 見くびってもらっては困る。勿論、僕だってお金は普通に好きだが、しかし痛いのはそれ以上に嫌いなのだ。誰が好き好んでそんな危険な業界に飛び込むか。

「ま、女子高生と公然と知り合いになれるのに比べたら、ちょっとやそっとの報酬、なんでもないわよね」
「待て」
「なにかしら?」
「僕を巷でニュースになっているセクハラ教師と一緒にしないでもらえるか?」
「わかっているわ。お金で手篭めにするのは浪漫に欠けると言いたいのね? まあ、双方合意の上ならいいんじゃないかしら」
「だから待てと」

 言いかけて、やめた。スキマは既に、完全にからかいモードに入っている。僕が何を言おうと、適当に口撃されておしまいだ。
 ふてくされつつ、氷も溶けたお冷のグラスを口に運んだ。

「あらあら、貧乏っちいわねえ。仕方がない、今日は私が奢ってあげるわ」
「……なんの風の吹き回しだ」
「ま、たまには、ね」

 絶対なにか裏がある。そう思いつつも、なんとなく断る気になれず、僕は素直にケーキセットを注文することにした。
 裏があったとしたら、ここで注文しようがしまいが、どうせ僕が逃げられるはずないんだから。

「……ん?」
「なに?」
「いや、なんでもないけど……」

 今、一瞬、スキマが凄く真剣な顔をしていた気がしたが……気のせい、だよな?

































 んで、週末である。

 結局、あの後、菅野さんに断りの電話を入れて『仕方ありませんね』と、残念そうに返された。
 うん、評価してもらって悪いが、僕の性に合っていないのだから仕方がない。

 そして、今日も今日とて幻想郷に遊びにいくため、表の博麗神社の石段を登っていく。

「寒いんだろうなあー」

 吐く息が、僕の能力の範囲外に出る途端に白くなる。
 ……相変わらず、温度の上げ下げは便利すぎる能力だ。今だって一応長袖だが、半袖だって構わないくらい。

 自然に囲まれた……というより、自然に侵食されるつつある表の博麗神社の冷気はかなりのものなのだが、快適に過ごせる。

 さて、と。今日は、向こうでなにするかな。
 とりあえず、里で菓子を捌いて……ああ、今日は、雪も降りそうなほど寒いし、霊夢と、あと魔理沙辺りを誘って鍋でもするか。熱燗で一杯――

 じゅる、と自然と溢れてきた涎を飲み込みつつ、境内に上る。

 荒れ放題の境内。朽ち果てた社と、辛うじて原型を保っている鳥居だけが、昔ここが神社だったことを知らせている。
 道のりは遠いし、建物が崩れそうで危ないので、昔から来ている人が初詣に参拝に来る程度の、寂れた、という言葉すら生ぬるい元神社の廃墟。

 僕が、ここから幻想郷に『飛んで』も、今まで一度も目撃されていないことから、ここの人気の無さは察してもらいたい。

 ……しかし、その境内に、今日は、数人の人間の姿があった。

「……へ?」

 あまりに意外過ぎて、しばらくその人達が人間だってわからなかった。
 しかし、よくよく見ると確かに人間。……それも、なんか変なコスプレをした人たちだ。

 山伏の格好をした人、黒いマントの魔法使い風の人、宮司さんみたいな衣装に、なんとも表現しづらい人。
 ハロウィンでもなかろうに、なにをやっているんだろう。

 と、そこで、その中の一人に見覚えがあることに気が付いた。

 殆ど同時に、向こうも僕のことに気が付いたらしく、親しげに手を上げてくる。

「やあ、土樹さん」
「え、あれ? す、菅野さん? なんでここに?」
「いえ、まあ。いいじゃないですか」

 にこやかな菅野さんだが、それ以外のコスプレ集団の人たちの目が痛い。なんか僕が注目されてる。そしてそれは、お世辞にもあまり好意的なものじゃないっぽい。
 な、なんかしたっけ? あ、陰陽連に入らないかって誘いを断ったっけ。と、すると、あの人達はコスプレじゃなく、本職? いやあ、しかし真昼間からあれじゃ、コスプレだと誤解されるぞ。つーか、ここまでどうやって来たんだ。

 なんて、若干混乱しつつも、近付いていく。

「ええと……なにしてんですか、こんなところで」

 まさか僕を追って……まさかなあ。僕より先に来てるし、そもそも僕にそこまでする訳ないし。

「いや、ね。この辺りに『入り口』がある、と聞いていてね」
「入り口……って」

 げ、幻想郷への、か? え? なに、バレてんの? スキマの情報操作で、外の世界じゃ殆ど知られていないはずなのに。

 しかし、ちょっと集まっている人たちの奥を見てみると、組み木の舞台とか魔法陣っぽいのが敷いてあったりして、なんらかの儀式を始めようとしているように見える。

「妖怪の住む隠れ里。文献などは全く残っていなくてね。いくつか、お年寄りからの話で、その存在が仄めかされる程度だった」

 なんか、語り始める菅野さん。

「この神社が、その隠れ里との境界になっているというのも、たくさんある噂話の一つに過ぎなかったんだよ。ただ、観察しに来たとき、偶然にも君がここで消えるのを目撃してね」

 ……うーわー。見られてたー。
 最初の頃こそ、誰かが目撃していないかと気をつけていたけど、途中からどうせ誰もこねーや、って警戒が薄れてたしなあ。

 ま、まあ。なにも知らない一般人に見つかるよりマシ……か?

「土樹さん。正直に答えてくれ。この先に妖怪の住む『楽園』があるという話は本当かい? 結界が存在することは確認したが、中を見ることも叶わなくてね」
「その、えーと」

 ど、どう答えりゃいいんだ?
 この口調だと、殆ど確信しているようだが、幻想郷の存在は一応秘密だったはず。スキマにも口止めされてる。

 ……下手に口を滑らせると、痛い目に遭いそうだ。

「えっと、仮にそうだとして、一体何の用があるんですか?」

 だから、とりあえず聞き返すことで時間稼ぎをすることにした。
 まったく……どうせスキマは見てるんだろうから、とっとと自分で出てきて説明するなり、追い返すなりして欲しい。

「そりゃあ、妖怪だよ? 全部殺すに決まっているじゃないか」
「……は?」
「言わなかったかな? 私たちが、妖怪退治を使命としている、と」

 いや、聞いた聞いた。でも、てっきり、人喰いとか、そーゆーのだけを退治するのかと、勝手に思ってた。
 妖怪なら皆殺しって、ちょっと意味が分からない。

 なんとなく、嫌な予感が加速しつつ、僕は改めて問いかける。

「ええと……なんで?」
「妖怪だから」
「いや、だから、なんで妖怪だから殺すんです?」
「それは。改めて聞かれると、困るな」

 ふむ、と菅野さんは顎に手を当てて、悩む仕草をする。
 後ろのコスプレ集団は、ますます僕に対して警戒しているというか、敵視しているというか……なんか、一触即発の空気になりつつある気がするのは、気のせいだろうか。

 やがて、菅野さんは納得のいく答えが見つかったのか、顔を上げた。

「まあ、人にとって危険だとか、昔っから言われているとかもあるけど、そうだね。変な力を持ってる、人間じゃないのがいると気持ち悪いじゃないか」
「……………………」

 絶句した。
 まあ、言わんとすることは分からなくもない。妖怪、と聞いて想像する異形を思い浮かべれば、こんなの全部退治しちまえ、なんて考えてしまう人だっているだろう。

 でも、困った連中ばかりだけど、一応、僕の友達なのだ。菅野さんが言っているのは、あくまで一般的な話で、具体的に幻想郷の連中のことを言っているわけじゃないとわかってても、反感を持ってしまう。

「さて、ここで一つだけ質問なんだけど。土樹くん?」
「はい?」
「君、人間?」

 は?

「いや、普通に人間ですけど」
「うん、そうだね。こちらでも君のことは調べた。両親共に人間だし、通った学校から、戸籍まで非の打ち所はない。君は人間に間違いないと、そう思ったから、スカウトしたんだけど。どうも、ね」

 ぽりぽりと頬を掻いて、菅野さんは続けた。
 っていうか、なに人の事を調べてんだ、この人。

「この結界の先が本当に妖怪の楽園だと仮定して、そこに頻繁に通っている君が、本当に『土樹良也』っていう人間なのか、私たちは疑っているんだよ」
「……何の話ですか」
「いや、最初はね? 君も、私たちと同じく、妖怪退治のために通っていると思ったんだが、どうもそれにしては毎度毎度無傷過ぎる」

 い、いつから僕のことを観察してたんだ? つーか、毎度毎度気付かなかったのか、僕は。

「そして、一流の術者を一蹴する力量を持ちながら、誰か師に付いた様子もない。過去に名を馳せた君の祖父にも教えを受けていないことも確認している」
「ええと、もしかして菅野さん達、とんでもない勘違いをしているんじゃ?」

 な、なんだこの人達。なんか怖い。なにか、変な誤解をして、それを信じちゃっている。
 しかも、この神社。廃棄されて長らく経っているせいで、冷静に見渡すと凄い雰囲気が良い(無論悪い意味で)し。

「君が、土樹良也という人間の皮を被った妖怪だ、と言われた方がしっくりくるんだよ。残念なことに。人に化ける妖怪の話は、古今東西いくらでもあるからね」
「い、いやいやいや! 誤解ですって! 怪我をしていないのだって、向こうの妖怪は大抵友達だからで――」

 って、あ゛!?

 友達だ、って辺りで、後ろの人達の殺気が膨れ上がったんですけど! っていうか、なんで僕は殺気なんてものがわかるようになっているんですかね畜生!

「確定か」
「な、なにが確定なんです?」
「妖怪を知りながら、妖怪を友達だなんて言う。そんな人間がいるはずがない」
「い、いや、結構いますけど……って!?」

 なんかヤバい雰囲気を感じて、じりじりと後ろに移動していると、突如として菅野さんが右手を僕の方に伸ばした。
 すると、袖口から、じゃららら! と音を立てて鎖? が伸びてきた!

「え、ええええ!?」

 あまりにも予想外の事態に、僕は一瞬硬直し……足を飛んできた鎖で拘束された。

「くっ!」

 飛んで逃げようと地面を蹴るけど、菅野さんが軽く右手の鎖を引くだけで、有り得ない勢いで菅野さんたちの方に引き寄せられた。

「だああああ!?」

 やってくる僕に、コスプレ集団は、それぞれの武器を構える。
 山伏の人は錫杖を、魔法使いの人は杖を、宮司っぽい人は札を両手に挟み、なんだかよく分からない格好をした人はなんだかよく分からないものを向けてくる。

 攻撃される気配を感じて、僕は覚悟を決めた。

「くっそ! 知らないかんな!」

 後ろ側に飛行しようと空中で『踏ん張る』。菅野さんの鎖には抗いきれなかったけど、なんとか引き寄せられるスピードは落ち、その隙に懐に収めたスペルカードを一枚取り出す――って、鎖の絡まった足が痛い!

「雷符!」

 涙目になりながら、気合でスペルカードを宣言し、今度は勢いに逆らわずこっちに向かって構えている皆さんの方へ飛ぶ。

 そして、全員の攻撃が始まる直前、

「『エレキテルショック』!」

 どのくらいで撃てばいいかわからなかったのと、無我夢中だったので、全開の電撃を放つのだった。




























 結果――

「まさか、一撃で全員がやられるとは思いませんでした。死んでは……いないようですが」
「よ、よかった」

 鎖を纏って、電流を地面に流した菅野さん以外、全員が昏倒した。
 それを見た瞬間は、人殺しか!? と、凄く焦ったものの、一応全員息はあるらしい。

 あーもう、向こうじゃ殺しても死なないような連中ばかりだから、手加減なんて僕は知らないんだぞ。

「凄まじい力です。……それで? これで、本当に自分は人間だと、主張しますか」
「したいんですけど」
「それは無理というものです」

 ……なら聞くなよ。

 と、そこまで来たところで、だんだんムカっ腹が立ってきた。
 いくらなんでも、ここまでされて笑って見過ごすほど、僕は聖人君子でもない。っていうか、口調は穏やかだけど、菅野さんの殺気はさっきから痛いほど感じてる。このまま逃げても、あんまり意味がなさそうだし、それに鎖が絡まったままで逃げられない。

 しかし、後ろの人達と違って、菅野さんの力は……どうも、桁違いっぽい。向こうの妖怪を、退治しかねない強さだ。
 キリキリと、勝手に絞めつけてくる足の鎖から、そう推測する。

 骨……折れてるかな? 昔に比べれば痛覚はだいぶ鈍くなったけど、鋭くて重い痛みが鎖で締め付けられた右足から沸き上がってくる。

「とりあえず……離せ!」

 特大の弾幕をお見舞いする。
 菅野さんから見れば、視界を覆い尽くすような弾幕。一発一発は、僕の全力パンチくらいだけど数にして百発以上ある。普通の人間が、そんな攻撃を食らったら下手したら死ぬ。

 彼の力からして、大丈夫だろうとは思うけど、撃つのにやっぱり躊躇った。

 しかし、

「ふっ」

 左袖から出てきたもう一本の鎖を、菅野さんは器用に操り、当たる軌道の霊弾を全て弾き飛ばした!

「は、はあ!?」

 驚きつつも、撃ち続けるが、これがもう笑えるほど防がれる。
 と、ちょっとした間隙が生まれた瞬間、

「はっ、やぁ!」

 菅野さんの操る鎖が鞭のようにしなり、僕に向けて飛んでくる。

「やば……」

 すべてを言う暇もなかった。
 視認することも難しいくらいのスピードで飛んできた鎖……先端に分銅付き……は、僕の目の前に迫る。

「くっ!」

 頭蓋骨を叩き割るであろうそれを、殆ど勘だけで首を傾けて躱す。しかし、ホッとする暇もなくそれは空中で蛇のように首に巻きついて、

 ゴキャ、と生々しい声が、僕の耳に届いた。首の骨が完膚なきまでに折られ、僕は地面に倒れ伏す。

「……死にましたか」

 じ、自分で殺しておいて。
 僕が不老不死じゃなかったら死んでるぞ。現在、首が再生中。

 ……マズイ。気付かれたら頭まで念入りに潰されそうだ。それはちょっとヤだ。

 ひとまず、逃げるしかない。幻想郷へは……菅野さんの後ろの方までいかないと、境界には届かない。やっぱり、来た方向か。
 幸いにも、首の損傷は気合を入れれば即座に修復する程度。後は足に絡まった鎖さえ解ければ……って、今!

 僕の死を確認して、菅野さんの鎖が解ける。瞬間、僕は起き上がって、博麗神社とは逆の空に飛んだ。

「あっ! 待ちなさい!」

 菅野さんが鎖を伸ばしてくるが、流石に距離を離せば単発の鎖を避けるのは難しくない。
 大きく旋回して避け、このまま街の方へ逃げ――

「! な……んだ!?」

 高速の黒い何かが、下から飛んできた。避けるように飛んでも、獣じみた動きで捉えられ、

「い、犬!?」

 グァウ! と、吠えた声は、紛れもなく犬のもの。しかし、ただの犬じゃない。多分式神か? そんな感じの何かだろう。
 下に目を向けてみると、術者らしき人間がこちらを睨んでいた。

「っつぅ! 痛い!」

 肩を噛まれたまま、境内の方に押される。カッ、と頭に血が上って犬の腹部に手のひらを当て、全力の霊弾を放つ。

「ガッ!」
「が、っは!」

 犬が弾き飛ばされ、同時に僕は勢いのまま、境内に叩きつけられる。
 痛みに硬直し、すぐさまもう一度逃げようと……

「しまっ……!」

 ジャラリ、と両手両足に、菅野さんの両手から二本ずつ飛んだ鎖に捕らえられた。不思議なことに、両手足を拘束されただけなのに指も動かせなくなってる。

「なるほど、死ににくいのですね、貴方は。……まだ一割くらい、人間かもしれない、と思っていましたが、これで妖怪だと確定しましたね。残念なことに」
「ち、違います。単に、死ににくい人間ってだけ……」
「首の骨を折られて再生するような魔術など早々ありません。そして、魔術が発動する気配はなかった」

 ……そりゃ、これは体質みたいなものだし。

「殺せない妖怪を仕留めたこともあります。このまま、両手足と首をもいで、別々に封印しましょうか?」
「げっ!?」

 怖っ。遊び半分で殺されるのとは別種の恐怖がある。いや、遊び半分で殺されるのもどうかと思うが……

「ですが、お茶を一緒に飲んだよしみで、一つ提案です。この結界の先に至る方法を教えてくれれば、貴方は見逃しましょう」
「え?」

 突然、少しだけと鎖が緩んだ。
 菅野さんは、最初にあった時と同じように、柔和な笑みを浮かべている。

 う、胡散臭い。果てしなく胡散臭い。さっきまでの勢いからして、言った途端に殺されそうな気がする。

「言っておきますが、逃げようとしても無駄です。ほら……遅れてきた陰陽連のメンバーもやって来ました」

 首だけ動かして神社の入口を見ると、さっき犬を飛ばしてきた人と、その後ろに十人ほどの人間がいた。
 ……いや、あんな人数で囲まなくても、僕はこの鎖だけで逃げられないんですけど。

「言いますか? 言いませんか?」
「いや、あの……」

 ……そもそも、僕自身、どうやって出入りしているのか、イマイチわからないんですがー。
 そんな僕の沈黙を勘違いしたのか、菅野さんは言葉を重ねた。

「助けなど来ませんよ。中の妖怪に友情を期待しているなら、やめておきなさい」
「………………」

 全くもって同意だ。わざわざ僕なんかを助けに来る物好きはあんまりいない。そもそも、博麗大結界を抜けられないし。

 友情に期待できないのも……まあ、否定はしない。友達だと思ってんのも、僕の一方通行的なものかも知れないし。でも、後半の台詞を言っていいのは、僕だけじゃないのか?

 なんかもう、ムカムカしてくる。
 突然攻撃されたことは慣れているからともかく、幻想郷の連中を馬鹿にされたことに、想像以上に腹が立つ。

 ああ、意外と僕は、連中のことが好きだったんだなあ、と静かに納得しながら、口を開いた。

「ィヤだ。理由は、なんかムカつくから」
「……残念です」
「ふーん! 百年二百年の封印くらい、どんとこいや」

 もし、封印トチって僕を殺しちゃったら、魂だけで移動してそっちで肉体再構成で大脱出してやる。わざわざ言わないけどな! こんなこと出来るなんて。

「そうですか。では、中への侵入方法は別に考えましょう」

 ぐっ、と両手足を拘束している鎖が締まる。せめて、あんまり痛くありませんように、と覚悟していると、

『……あら、ならこちらから招待して差し上げましょう』

 そんな、スキマの声が辺りに響いた。
























 ぐるりん、と視界が反転したような違和感が襲いかかった。
 これはあれだ。いつも幻想郷と外の世界の結界を越えるときに感じるアレだ。

 なんだ? と疑問に思う暇もなく、周りの景色が移り変わる。

 廃墟寸前だった社は鬼が再建した真新しい姿に。朽ち掛けた鳥居は、立派な朱色の構えに。そして荒れ放題だった境内には、数十からの人妖が犇めき合う宴会会場になっていた。

 ……って、おいおい。今日は宴会だったのかよ。呼べよ。

「良也さん、じっとしててください」

 よく通る、聞き慣れた声が聞こえた。
 次の瞬間、キンッ、と鋭い金属音と共に、僕の四肢を拘束していた鎖が断ち切れた。

「っいて」

 どん、と尻餅をついて、刀を振り抜いた姿勢の妖夢を見上げる。

「……もうちょっと優しく助けることは出来なかったのか」
「受身くらい取ってください」

 文句を言うと、妖夢は呆れた様子で言いつつ、楼観剣を鞘に収めた。
 ぐぅ、そこで手を差し伸べるくらいしてくれたら、僕の好感度アップだったのに。

「さて、と」

 ぱんぱん、と埃を払いながら立ち上がると、スキマが意地悪い笑顔を見せながら近付いてきた。

「……ずっと見てたのか」
「ええ。宴会にちょうどいい見世物があったから、私がみんなに見せていたわ」
「もっと早く助けてくれてもいいんじゃないか?」
「人間同士の争いに関わるのは面倒ね」

 ……やれやれ。
 マジで色んな覚悟決めた僕が馬鹿みたいじゃないか。

 ほら、さっきまでノリノリで僕を封印しようとしてた菅野さんと、彼の仲間の皆さん硬直してるぞ。

「あー、っと菅野さん? ええと、ここがご所望の、妖怪の楽園(?)、幻想郷ですが」

 かっこハテナが付いたのは、まあアレだ。妖怪に取って厳しいのもいるし……

「な、な……」
「ねー、貴方達は食べていい人類っぽいね」
「境内で喰うな」

 宴会となると割と大人しく呑んでいるルーミアが、固まっている菅野さんに無邪気に問いかける。と、ほぼ同時に、いつの間に近付いたのか、霊夢が針を直でルーミアの脳天に突き刺した。
 ぐおおお! とルーミアが転げ回った。

 ……なー、僕ってアレに毎回喰われそうになってんだが、どうしてここじゃ雑魚扱いなんだろう。

「ったく、人喰いの出る神社だって噂が経ったらどうするのよ」
「とっくに遅いと思うが……」

 嘆息している霊夢に、魔理沙がやる気なげにツッコミを入れる。

「……くっ」

 あ、ヤバい。なんか意味もなく爆笑しそうになってきた。

「っくっく。あー、菅野さん達? 周り、大体妖怪ですんで、退治したいならどうぞ」

 拘束されてた両手足の痛みも引いてきたし、なんかどうでも良くなってきた。

「こ、これは……全部妖怪か!?」
「まー、半分以上は」

 妖精やら幽霊やら人間やらもいるけどねー。

「くぅ」

 ちゃら、と妖夢によって半ばから切られた鎖を、更に伸ばす菅野さん。
 ……どんだけあの鎖長いんだろう。なんかの霊具に違いないけど、なんだ、具現化系か、もしかして。

「ま、無粋ね」

 スキマが扇子を振ると、その鎖を構成する輪が、一つ残らず砕け散った。
 ……おーい、こええよ。

「なっ……」
「貴方達、もういいわ。御機嫌よう」

 返す刀で、もう一度スキマは扇子を振る。すると、菅野さんを始め、彼の仲間たちの足元に亀裂ができて……全員、その亀裂に吸い込まれていった。

「記憶を消すのは骨ねえ。ま、ボチボチやりましょうか」
「……なー、スキマ」
「なに?」

 釈然としないものを感じて、僕は問いかける。

「あんな簡単に処理できるんだったら、なんで放っておいたんだよ」
「そうねえ。簡単に嗅ぎつけられた貴方への警告と」

 ふ、とスキマは扇子を広げ、口元を隠す。表情がまったく分からなくなった。

「あとは、将来貴方がどっちに所属するつもりなのか、の試金石かしら」
「……言ってろ」

 つまらないことを言う奴である。

 しかし……

「はあ」

 だいぶ、僕の意識がこっち寄りになっているのは、どうやら確かのようだった。








 その日、僕は浴びるように酒を呑んだ。



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