IFストーリー。
 〜もしも、良也が幻想郷に出戻りしなかったら〜







「は、あ」

 胸が苦しい。
 視界が暗くなってきている。

 ぼんやりとした目に映るのは、もう刻まれた皺も深い妹と、その子供――姪と姪の子供。

 僕に妻はいない。子供もいない。
 僕の世代では珍しくもない、独身貴族ってやつだったのさ。

 しかし、この年になるとそれも随分寂しく感じる。
 ま、でも。妹とその子供たちが見送ってくれる分、僕は幸せな方だろう。

「……さて」

 泣きじゃくる連中に、なんでもない、と笑ってみせる。

「そんなに泣くな」
「でも……お兄ちゃん」
「その年でお兄ちゃんはないな」

 もう喜寿も超えた。八十路までもう少し、というところで死ぬのは、まあ少々心残りではあるが。

「安心しろ。死ぬのは、全然怖くない。むしろ、向こうで楽しみがあるんだ」

 にやり、と笑うだけでも、もうしんどい。

 わけがわからない様子の妹と姪たちをよそに、僕は目を閉じる。

 ……思い出されるのは、大学生のとき。
 平凡な僕の人生の中で唯一、一際色づいた、あの幻想の日々。

 夢ではなかった証拠に、僕は今でもその気になれば空を自在に飛べるし、霊弾だって出せる。
 結局、家族にも話さず、墓の中に持っていくことになってしまったが。

「え?」
「『向こう』にお前が来たら、教えてやるよ

 もはや、今の僕には孫かひ孫くらいの年に見える半人半霊が別れのときに告げた言葉が蘇る。

『次に会うのは、きっと貴方が本当に死んだときでしょう』

 そうだな。妖夢。
 六十年近くかかっちまったけど、また会いに行くよ。

「……さて、さようなら、だ」

 死がすぐそこに来ているのを感じる。
 死期が自分でわかるってのも奇妙なものだ。

「みんな、達者で、な」

 そうして、僕の意識は深い闇の中に沈んでいった。


















『まいったなぁ』

 閻魔様の裁判を受け、一応特に功績もないけど大きな罪もない魂として、僕は冥界に行くことになった。

 人魂のままで。

『う〜ん、白玉楼にいた頃、よく見かけたけど……意外と快適だな、これも』

 なにやらふわふわ浮いている感じがたまらない。
 だけど、なにがまいったって、このままの姿じゃあ、きっと気付いてもらえないってことだ。

『ま、勝手はわかってるし、妖夢を探そうかね』

 冥界に来て、まっさきに僕は白玉楼に向かった。
 不思議なことに、生きている頃は白玉楼の姿などほとんど覚えていなかったのだが、こうして死んでみるとまるで昨日のことのように鮮明に思い出せた。

 きっと、ポンコツになった脳みそを捨てたからだろう。

 んで、白玉楼に到着。
 今更感動で泣き出すほど子供ではないが、それでも胸にこみ上げてくるものはある。……あ、胸ないや。

「あ」

 その姿を見つけて、電撃が走った。
 庭を掃除する、日本刀を背負った少女。

 別れたときから、少し背、伸びたかな。
 ……相変わらず、少女と言える見た目だが。

「新しい幽霊か。白玉楼へようこそ」

 新しいとかわかるんだ。

 まあそれはそれとして、僕のことを覚えているかなー?

「な、なんだ? 奇妙な動きをして」

 ふんっ! ふんっ! ふんっ! と、螺旋を描いたり『良也』と必死に空中に文字を書いたり。
 ……当然のように、伝わらなかった。

「びょ、病気かな?」
『失敬なっ!』

 言うに事欠いて病気とは。
 生憎と、僕は老人になっても死ぬ直前まで健康体だったぞっ!

「え? ま、まとわりついて……」

 ちょっとムカっときたので、妖夢の腕にに身体(人魂)を絡める。
 わっはっは、若い娘はええのう!

『しかし、感触が感じられないとは……不覚』

 くそう、身体が欲しいッ!

「どうしたの、妖夢」

 そうして、ちょっと妖夢とじゃれていると、幽々子が現れた。
 相変わらず……いや、全然変わってねぇ。流石生粋の亡霊。

「幽々子様……。いや、なにやら新しい幽霊がまとわりついてきて」
「……あら」

 幽々子は僕の姿を捉えると、おかしそうに笑った。

「また懐かしい顔ね」
『顔はないぞ、人魂だし』
「いいえ。ちゃぁんと私には見えているわよ」

 流石は亡霊の姫。
 顔は見えるし、僕の声も聞こえるらしい。

「え? え?」
「妖夢も薄情ね。たった一月とはいえ、寝食を共にした者を忘れるなんて」
「ど、どういうことです?」

 あ〜、妖夢にはわからないのかぁ。
 さて、これは幽々子が変なのか、妖夢が未熟者なのか、どっちだろう?

 単に、妖夢が僕のことを忘れているという可能性もあるが、それは悲しくなるので考えないように。

「仕方ないわね。人の姿を取ってあげなさい」
『無理。前のときと違って、僕は完全に死んでいるんだぞ』
「それなら、私もそうよ。肉体を持てる条件なんて、難しくないわ。一定以上の霊力と……あとは、どこまで正確に『自分』を思い出せるかだけ。あとは未練とかね」

 むう。そこまで言うなら試してみるか。

 僕の身体、僕の身体……八十年近く付き合ってきた身体だ。そのイメージを再現することなど、容易……?

「あ、あれ?」

 人間の姿は取れた。

 しかし思い出して欲しい。ついさっきまで僕は妖夢の腕に纏わり付いていたのであって。
 そして、そんなんが人の姿を取ると……まぁ、なんだ。僕は妖夢を側面から、がばちょっ! と抱きしめる体勢になっていた。

「きゃあっ!?」
「おお、若い娘の悲鳴っ! ぎゃあああああああ!?」

 そして、続いて響いたのは若い男の悲鳴。妖夢に鞘でホームランされた僕の悲鳴だ。

 ……って、あれ?

「ててて。相変わらず、容赦はないな、妖夢」

 頭をかきながら起き上がる。

「え? ……あれ?」

 またしても違和感を感じたので、自分の手を見る。
 肌に張りがある。血色もいい。皺もない。

 ……わ、若返ってる?

「良也さん?」
「覚えていてくれて嬉しいぞ」

 起き上がって、ぱんぱんと砂を払う。
 服装も、昔白玉楼に来ていたときの、Tシャツとジーンズ。

 ……やれやれ。本当に、昔の続きみたいだな。この年になって。

「まあ、長生きしちまったんで遅くなったけど……久しぶり、妖夢」

 しばらく呆気にとられていた妖夢だが、やがて事態を把握したのか、穏やかな笑みを浮かべてくれた。

「……ええ。お久しぶりです。良也さん。おかえりなさい」
「さて、ここはただいま、でいいのかね」
「はい。良也さん、昔は博麗神社に出かけて、そのまま異変に巻き込まれて、ここに帰る前に外の世界に戻ったじゃないですか」

 そうだったっけな。
 最後に白玉楼を出たとき、確かに僕は博麗神社に行くため『いってきます』と言った。『さようなら』と言った覚えはない。

 だとすると、再び白玉楼に来たのなら『ただいま』が正しいのだろう。

「それじゃあ、改めて。ただいま。妖夢」
「はい」

 まあ、なんだ。
 冥界で、第二の人生を送るのも……悪くはないな。



戻る?