静かの海は妖精の大群がひしめいていた。
 雲霞の如く沸いて出て来る妖精の群れ。以前来た時の月では一切見なかった妖精達の軍勢に、僕は一瞬思考が止まってしまい、

 ――確か、三秒くらいで妖精の波に飲み込まれ、そこから先の記憶はあんまりない。

「あ゛ー」

 固い地面に大の字になって、目を瞑ったまま意識を失う前のことを想起する。
 なんかこう、もみくちゃにされた感覚だけはある。

「すげー元気だな、ここの妖精……」

 目を開けてみると、上空ではなんかちょっとイっちゃてるんじゃないかというくらい騒々しい妖精の群れ。
 いつも異変の中心に向かうとやたら妖精がハシャいでるが、今回のこれは今までにないくらいハチャメチャだ。

 ……叩き落されて多分いっぺん死んだけど、どうやら傷は浅かったらしく、感覚的には死亡時間は数分くらいだ。フラグは回収したが、痛みを感じる暇もなく逝ったのでまあ良しとしよう。

「あーあ……ったく」

 むくりと身体を起こし、服についた埃をぱんぱんと払う。
 ……さてどうしよう。少しでも上に飛べばまたぞろ叩き落されそうだし、しかし月の都に引き返そうにも、出入り口からは微妙に遠くまで来ちゃったし。

 と。

 ふと、上空の妖精のうち、ひときわ大きな子が僕の方に降りてきた。

「? 誰だ」

 ナントカと煙は高いところが好きというように、異変で興奮している妖精は地上にはあんまり興味持たないのに。

 ……つまり、それだけちゃんとした自意識を持っている妖精というわけで……やべっ!?

「きゃはははは! さっきの貴方面白かったわー! こう、くるくる回りながらぐしゃぁ! って、ぐしゃぁ! って。この大地の初めてのお客様がこんなに面白いなんて、あたいってばついてるわー!」

 テンションたけぇな!

「あー、と。……君、誰?」
「あたいは地獄の妖精クラウンピース! 友人様よりこの大地を預かった者よ!」

 ……友人様?

「それはもしかして純狐とかいう……」
「あら、知っているのね。そうよ、ご主人様の友人様!」

 ビンゴだ。しかし友人様って言いにくくないのかな。

「ええと、僕、なんかその人に会いに行かなきゃいけないみたいなんだけど、どこにいるか知ってる?」
「えー? 友人様なら……え、ちょっと待って。貴方、月の都から出てきたのよね」
「そうだけど……」
「やっぱり! 友人様からは、月の都から出てきた奴には容赦するなって仰せつかってるのよ!」

 ちっ、話ができたからもしかしたら……と思ったけど、やっぱ無理か? い、いや、どう考えてもこのクラウンピースとやらと喧嘩したらまた死ぬことになるのは間違いない。
 なんとか戦いを回避しよう……こう、なんとかして!

「生命を厭う月の民の癖に、あたいの前にまで来た度胸だけは褒めてあげる! さあ、穢れて地獄に――」
「ま、まーまーまー! そういきなり襲い掛かってくることないじゃないか! ほら、お菓子分けてあげるから!」

 妖精は子供、子供にはお菓子で懐柔だ。これ、僕が培ってきた確かな経験である。
 慌てて『倉庫』から取り出したスナック菓子の封を開け、クラウンピースに差し出す。

「ん? なにこれ。お菓子って……あ、確かに良い匂い」
「ほらほら、甘いものもあるぞ」

 一緒に出したチョコバーも見せつける。

「う、で、でも。月の民は追い返さないと、友人様に叱られるし」
「あ、そこは大丈夫。僕、月の人間じゃなくて、地上から来たから……」
「地上人? え、なんで地上人がこんなところにまで?」

 なんでだろーねー。いや理由を言えば永琳さんに頼まれたからなのだが、僕という人間がどうして月にまでホイホイ来るような身分になったのかと考えてみると、極めて答え辛い。

「でも、地上人なら生命の穢れを嫌ったりしないでしょ? 貴方、すごくビビってるけど」
「普通、人間は死にそうな目になったらビビるものなんですー」
「あはは、素直ねー! じゃ、お菓子はもらうわー。罠ってわけじゃなさそうだし」

 クラウンピースは、なんか自分的に落とし所を見つけたのか、朗らかに笑って僕の差し出したスナックに手を付けた。

「あ、これ美味しい! いやー、地獄の食べ物はあんまり美味しくないし、静かの海はたくさん遊べて楽しいけどご飯なんてないし。うんうん、いいねアンタ、気に入った!」
「そ、そうか、そりゃどうも」
「お、こっちの黒いのは甘い匂い!」
「……おう、たんと食べろ」

 なお、菓子屋を開く前に永琳さんからの依頼を受けたため、『倉庫』ん中にはお菓子は唸るほどある。
 元々は道中の食糧にするつもりだったんだが……まあ、ここで止めて機嫌を損ねてもあれだし。無邪気に食べ物を頬張る姿は、まあ微笑ましいとも言えるし。

 上空では妖精が蔓延っているが、どうやらこっちに襲ってくる様子はなくて。

「……なんかやっと一息付けた気がする」
「ん? どーしたのあんた」
「良也だ。土樹良也」
「ふーん、良也かー」

 さてはて、僕も適当につまんで、水分も補給しとこうかな……




























 月面での唐突なお菓子パーティー。
 最初旺盛な食欲を見せていたクラウンピースも、今はお腹いっぱいになったのか、ペットボトルのジュースを口につけながらぽんぽんと腹を叩いている。

「ふー、お腹いっぱいだわー」
「そーか、そりゃよかった」

 なお、こんな話をしている間にも、僕の背後にある月の都ではどっかんどっかんと弾幕ごっこをする音が鳴り響いている。
 ……魔理沙の前に立ちはだかったサグメさん。そして、そのすぐ後ろを飛んでいた霊夢と鈴仙。

 まあ、目を背きたくなるような事態になっていることは想像に難くない。だから、僕は欲求のままに目を背けるのだ。
 見たくないものは見ない。それが長生きするコツである。

「それでクラウンピース。改めて聞くけど、さっき言ってた純狐さんとやら、どこにいるんだ?」
「んー、駄目だって。いいもんくれたのは感謝してるけど、それとこれとは別。ご主人様に友人様の味方するよう命令されているんだから」
「ええと、友人様ってのが純狐さんだよな。ご主人様って……?」

 この子、名前で言わないから誰が誰だか混乱する。

「地獄の女神、ヘカーティア様よ。月を侵略する友人様に手を貸していて、あたいを寄越したの!」

 つまり、協力者?
 そんな人がいるなんてのは初耳だ。

 しかも地獄の女神……よくわからんが、字面だけでなにやら恐ろしげな気配がする。地底の旧地獄跡とは関係あるんだろうか。

「へー、そうなんだ。ちなみに、そのヘカーティアさんって、純狐さんと一緒にいるのか?」

 本人を見たわけではないが、月と昔から因縁があるという相手と地獄の女神なんてのがタッグ組んでいたら流石の幻想郷の誇る異変解決のエキスパートたちでもヤバいかもしれない。

「ん? ご主人様は夢の世界よー。月の民は今夢の世界にいるから、そっちですることがあるんだって」

 ほーん、一緒じゃないのか……それはそれとして今聞き捨てならないことを言ったな?

「え? そっちで、すること?」
「うん。何してるのかは知らないけどー。あたいは、ここで好きに遊んでればいいって言われたし」

 夢の世界に月の民が避難している、ってのは聞いてた。でも、そっちに攻撃を仕掛けているとは知らなかったぞ、おい。
 ……どうしよう。案外、そっちが本命で先にそちらを解決したほうがいいのかも。永琳さんが一杯食わされるとは想像もできないが、しかし、相手もかなりの実力者っぽいし。

「……いやでも、霊夢がこっちに来てるしなあ」

 なら、先にヤルべきはこっちか。うん、多分間違いないな。
 この手の勘については、奴は嫌になるくらい頼りになる。

「で、ええと、なんだったっけ。うーん、お腹いっぱいで忘れたけど――ああ! 月の都から出てきたあんたをボコらないと!」
「え、その話まだ続いてたのか!? 菓子奢ってやったろ!?」
「それはそれ、これはこれよ。まあ、次会うことがあったら、適当に礼はしてやるさ。覚えてたら!」

 クラウンピースが手に持った松明を掲げる。
 しばし、そのまま襲い掛かってくるでもなく、クラウンピースは火の光を僕に当てるようにしてしばらく待機し、

「……あれ? 狂わないの、あんた? あたいの火を見た人間は、みんな狂気に落ちるはずなのに」
「あー」

 もう、この展開もパターン化してきたな! 本当にどういう理屈なんでしょうね。

「くっ、じゃあやっぱり、あたいの弾幕でケリを……」

 すわ、どう逃げようか、と構えていると、『あっ!』とクラウンピースが声を上げた。

「また月の都から人間が!」
「ん?」

 振り向いてみると、確かに二つの人影がこっちに真っ直ぐ突っ込んでくるところだった。

 その二つは、互いに相争いながらも、並み居る妖精達を千切っては投げ千切っては投げ……で、霊夢と鈴仙だ。魔理沙は落ちたか。まぁ、最初に突っ込んでたし、サグメさんと霊夢たちに挟み撃ちにでもされたか。

「あたいの狂気を受けた妖精たちをあんなに簡単に……あっちの方が楽しそう! じゃね、ええと、良也。あんたは後回しだから、ちゃーんとここで待ってなさいよ!」
「ああ、待ってる待ってる」
「うん、よぉし、妖精たちー! もっと気張りなさいよー! ルナティックタイムはまだこれからだよー!」

 松明をブンブン振り回しながらクラウンピースが霊夢たちの方へ向かっていく。
 ……さて。

「一旦帰るかー」

 いや、これは戦術的撤退である。
 しばらく待てば、霊夢と鈴仙が妖精の数を減らしてくれるだろう。その後、悠々と進めば良い。え? チキン? ……五月蝿いよ。

 後、知っているかも知れないが、サグメさんに夢の世界の方も攻撃受けているらしいってことを伝えなくてはいけない。
 ……おお、いい理由だ。うん、一時撤退した理由はこれで言い訳しよう。






 なお、この後。
 サグメさんにこの件を伝えた所、ちょうど落ちていた魔理沙と、霊夢にやられて引き返してきた鈴仙にも同時に伝わり。

 夢の世界を通って幻想郷に引き返すついでに、二人は途中で合流した東風谷を含めた三人がかりで夢の世界にいたクラウンピースの主、ヘカーティアさんをフクロにしたらしいのだが。

 た、多分これ、僕は悪くない! 悪くない! 悪くない……よね?



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