ふと思いついたことがあり、今日は命蓮寺に足を運んだ。

 宗教施設としては人里に最も近いというアドバンテージがあるこのお寺は、信仰を巡って鎬を削っている守矢神社より、集客という意味では一歩先んじている。
 最近は、基本的にどこにでも道を開ける仙人の道場にややシェアを奪われているが、仙人に憧れはしても、実際に修行をしたいと思う人はそれほどいないので、それも微々たるものだ。

 え? 博麗神社? 博麗神社は……まあ、うん……察して。
 僕がこっちに来るようになった頃からそうだったのだが、最近は新しい宗教家が増えてきて、ますます里における影が薄くなっているだなんて、そんなことは僕の口からはちょっと。

 ともあれである。

 命蓮寺の山門をくぐり、参道を歩く。今日は平日だが、まばらに参拝者がいた。そして、参道の脇で見覚えのある顔を見つけた。

「こんにちは、寅丸さん」
「おや、良也くんじゃないですか。ようこそ命蓮寺へ」

 毘沙門天の代理として命蓮寺の本尊を務めている寅丸さんだった。手に持った宝塔が太陽の光を反射してピカピカと眩しい。

「参拝ですか?」
「ええ。僕のいる学校の剣道部が今度大きな大会に出場することになりまして。折角なんで、必勝祈願でも、と」
「なるほど。毘沙門天は財宝を司る仏ですけど、武神でもありますからね」
「はい。そういえば、寅丸さんも鉾持ってますけど、武器も使うんですか?」

 寅丸さんは、宝塔を持っているのとは逆の手に立派な槍を携えている。
 あまり寅丸さんが戦っているところを見たことはないが、かの毘沙門天の代理を務めている人だ。本気で戦えば、そりゃもう強いのだろう。

「ああ、いえ。その……」

 しかし、寅丸さんは困ったように言葉を濁す。

「?」
「……私は毘沙門天様に弟子入りするにあたって、財宝神としての側面について主に学んでおりまして。……少々体術は苦手なんですよ。戦う術というと、もっぱらこの宝塔から発射する光線がメインでして」
「そうなんですか」
「いや、あまり吹聴はしないでくださいよ。命蓮寺の信仰に関わりますから」

 関わるかなあ。富をもたらすというご利益があるなら、別に気にする人はいない気がする。

「でも、本物の毘沙門天様はそりゃもうお強いですよ。なにせ、かの軍神、上杉謙信も熱心に信仰していたくらいですし」

 ああ、有名な話である。
 戦国時代の武将は、情け容赦なく性転換された上で漫画アニメゲーム小説の題材にされまくっているので、僕もそれなりに知っている。

 ――聖徳太子や酒呑童子が実は女だったからって、まさかそれなりに詳細に記録が残っている戦国武将まで本当は女性だった、なんてことはあるわけがない、よな。だよね?

「? どうしました」
「いやなんでもないです」

 ……イカン、僕の歴史への信頼が地に落ちているのを感じる。

「しかし、ふむ……良也くんとは知らない仲ではありませんし、その必勝祈願、私から毘沙門天様に奏上しておきましょうか? 勿論、ご加護をいただけるかは保証しかねますが」
「ああ、いや。ありがたい申し出なんですが、遠慮しておきます。他の学校の子も頑張ってるのに、神様の力でってのはちょっと」

 いや、それが守矢神社を選ばなかった理由でもあるのだ。

 例えば同じく武神でもある神奈子さんに『うちの学生にお力添えを』ってお祈りして、マジで神様パワーでブーストされたとして、それって実力じゃないよねという話だ。
 神奈子さんもこういう頼みごとは受け入れちゃくれないだろうが、それはそれでお参りが本気で意味のないものに感じられてしまう。
 神様本人に会えるというのも、そう考えると良し悪しだ。

 こういう時はこう、なんとなく『神様お願いします!』って曖昧なお願いごとで良いのだ。
 そのため、毘沙門天の弟子がいても毘沙門天本人がいるわけではない命蓮寺に来たというわけである。

「それも一理ありますね。失礼しました」
「いえいえ。じゃ、ちょっと詣でてきますので」

 本堂に向かう。
 賽銭箱に気持ち多めのお金を投入し、鈴緒――ガラガラの紐を振る。

 手を合わせて毘沙門天様、うちの剣道部のことよろしくお願いします、と願い事を心の中で呟いた。

「よし、と」

 終了である。
 しかし、ここで即帰るのもなんだか味気ない。

 よし、折角来たんだし、ついでにこの前亡くなった酒造のおやっさんの墓にでも寄ってくか。































 墓参りに向かい、お猪口に注いだ酒を供えて手を合わせる。
 このまま置いといたら、酒を無駄にするなと死んだおやっさんに怒られそうなので、手を合わせたらぐいっと一息に呑んだ。

 一通り終わると、僕はぐっ、と背を伸ばしてから墓地を見渡す。

 命蓮寺の墓地は、幽霊や動く死体は存在しない。ここが出来るまでは、里の人が埋葬されたところはよく人魂が徘徊していたそうだが、ここではそんなもんが沸いて出てこようものなら聖さんの説法(物理)が炸裂する。

 そんなわけで、今では里の人が亡くなると大体はここに埋葬されることになる。
 ……今のところ、僕と仲の良い人で墓の下にいる人は少ないけれども、将来的にはきっと墓参りする相手も増えるんだろうな、なんて想像してちょっとしんみりしたり。

 まあ、そうなった時僕がどう思うかはともかく、今の僕が思い悩んでも仕方のないことである。

 益体もない悩みに区切りをつけて、墓地から出……ん?

「あれ、寅丸さん。どうしたんです?」
「ああ。良也くん、お墓参りですか」
「ええ。ほら、酒造のところの親方さん。今日月命日なんで、ついでに」
「そうですか。私の方は、まあ散歩ですね。立ったままでいるのも飽きたので」

 ほう。

「しかし……なんですか、酒精の匂いがしますよ」
「あ、いや、お酒お供えして、そのまま放置するのもなんなんで呑みましたけど。よくわかりましたね」

 呑んだのはお猪口一杯。酔いもしない量だというのに、この人鋭いな。

「今でこそこんな役割を仰せつかっていますが、元は私はただの妖獣でしたので。鼻は効くんですよ」
「言っていいんですか、それ」

 毘沙門天の代理が元はただの妖怪だったって、醜聞――という程でもないが、妖怪の被害が多い人里の人間には無闇に聞かせられないことじゃないか?
 いや、元は悪い妖怪でも改心して神様になったお話とかもあるし、大丈夫か。

「良也くんは今更どこかを信仰したりしないでしょうし。それに、別に言い触らしたりしないでしょう?」
「……したら怖そうなので、しません」

 宗教間の抗争に関わりそうだし。

「それに、いつもいつも毘沙門天様の代理として振舞っていたら肩が凝りますので」
「そういうもんですか」
「はい。……時に、お墓へとお供えしたというお酒、まだ残ってますかね」

 あ、なんか目が獲物を狙う獣の目になっている。これは確かに妖獣だ。

「……ありますけど、いいんですか。こんな真っ昼間から、仮にも仏様の代理が」
「昔、聖が封印された時、私は毘沙門天様の代理としての立場を崩さず、なにも出来ませんでした。そりゃもう後悔したもんです。私はもう、後悔したくないから、逃げたりしません」

 これ、良いこと言ってる風だけど、要は『さっさと呑ませろ』ってことですよねぇ!?

「いいですけど、流石に墓地で呑むのはちょっと」
「じゃ、ちょっと離れましょう。私も、流石に昼間っから呑んだくれているところを参拝に来た人に見つかったらマズイので」

 なんだかなあ、と呆れ果てながら、僕は寅丸さんと一緒に命蓮寺を離れ、適度に木が生えてて影になるところまで飛ぶ。
 幻想郷は開拓なんて里の周辺しかされていないので、こういうちょっとした林はそこかしこに見かけることが出来る。

「そんじゃ、まず一献」
「こりゃどうも」

 地べたに座り、ぐい呑みに注いだ酒を寅丸さんに渡す。
 ぐい、と寅丸さんはそれを一息に飲み干し、ふう、と息を吐いた。

「いや、旨いですね。もう一杯良いですか」
「はい、どうぞ」
「んぐ……成る程、成る程」

 なにが成る程なのだろうか。またしても一気に呑んで。
 ……今、『倉庫』に保管している酒は三本。

 これ、このまま全部この人に呑まれねぇか?

「ま、ま。それじゃあ私からも」
「あ、どうも」

 流石に、延々と一人で呑むつもりはなかったらしい。
 まあ、珍しい人との呑みだが、人妖の例に漏れず、この人も美女だ。それに、寺の人とあって喰われる心配もなく、サシで呑むのは嫌であろうはずもない。

 いやはや、役得かね。なんの役目かは知らんが。




















 ……等と思っていたつい十五分程前の自分を張り倒してやりたい!

「あ〜ん? 良也くん、もうお酒がないって、どーゆーことですか!」
「い、いや、寅丸さん。もうほぼ三升も呑んだじゃないですか」

 寅丸さんは蟒蛇だった。萃香辺りには敵わないものの、この短時間でここまで呑む人は僕の酒好きな交友関係の中でも少ない。
 ……が、それはいい。僕がほんの二杯くらいしか呑めず、殆どを寅丸さんに呑まれてしまったことも、まあ良しとしよう。

「じゃあ、買ってきてくださいよ! ほら!」
「ええい、性格変わりすぎだ――!」

 問題は、寅丸さんが見事なまでの大虎に変貌していることである。
 もう、凄い勢いで酔ってて手がつけられん。

 ガオー、とそのまま叫びそうな勢いだ。

「あのですね。そろそろお酒はいいかなー、と、僕は思う次第なんですが」
「私は足りないんですぅ!」
「なら、命蓮寺に戻って呑みましょう。あそこも酒……もとい、般若湯はあるでしょう。母屋に引っ込めば、誰に見られる訳でもないですし」

 そして、寅丸さんの世話を身内の人に押し付けよう。
 と、そんな目論見で何気なく言ったのだが、それを聞くとノリノリだった寅丸さんがしおしおと見るからに小さくなる。

「あ、いや、それは、その、あれですよ。あまり抹香臭いところで呑むのも嫌でしょう?」
「僕は別に」

 お寺のあの匂いは別に嫌いではない。まあ、ちょっと畏れ多い気はするが、あそこの本尊がこれだし。

「え、えー? でも、今は参拝に来た人も多いし、騒がしいですよ。どうせなら、静かなここで」
「いや、別にここでも騒がしいのは変わりないですし」

 寅丸さん、思い切り声大きくなってんだもん。
 しかし、これは……

「なにか、命蓮寺で呑みたくない理由でも?」
「え、い、いや別に……そ、そんなことあるわけないじゃないですか!」

 いや、あるだろう。さっきまで大虎だった寅丸さんが、今指摘した時借りてきた猫みたいに小さくなってたぞ。

「……その、つい先日、内輪で呑んだ時、呑み過ぎてちょっと大暴れしてしまいまして。聖に説教されたばかりなんですよ」
「アンタ反省がねぇな」
「だって美味しいんですもん!」

 不飲酒戒はどうした。適度に楽しむならまだしも、完全に酒に呑まれてるじゃないか。

「と、言われても僕には関係ないですし、そういうことならここでお開きってことで……」
「まあまあ。命蓮寺は今、お酒が自粛の流れなんです。ですから、ちょっと、ねえ? ほんの三斗程買ってきてくれれば……」

 呑み過ぎ。今の時点でさえ、人格がタイガー状態なのだ。この三倍も呑ませたらどうなるのか……大暴れしたという、命蓮寺での飲み会の二の舞いになることは想像に難くない。

 どうしたもんか、と、対応に悩んでいると、ふと足元に動く影に気付く。
 『それ』は、つまみに出した乾き物、その零れた分を啄んでいる鼠だった。

 ……普通、鼠がこんなに堂々と人前に出てくることはない。それで、ピンと来た。

「おーさーけ、おーさーけ!」
「わかりましたよ。ただ、もうちょっと待ってくださいねー」

 適当にのらりくらりと、寅丸さんの要求をかわし続ける。

 どのくらいかかるかなあ、と思っていたが、割合すぐだった。

 ……ナズーリンを伴った聖さんが、滅茶苦茶綺麗な笑顔でやって来たのだ。

「さて、それじゃ、買ってきますねー」
「はーい、よろし……あ゛!?」

 僕が飛ぶと、寅丸さんが見送りのために背中の方を向き……同じ方向からやって来る二人に、ようやく気付く。

「あ、やっぱ僕もう帰るんで、それじゃー」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って下さ……」

 寅丸さんの言葉は無視して、僕は聖さんとナズーリンに会釈をして飛び去る。

 背後で聖さんが『誠に――』なんて説法を始めているのは、僕には関係のないことだ。

 さて……里の飲み屋にでも寄って、飲み直そうか。



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