今更、と思われるかもしれないが、幻想郷の里に為政者はいない。
 村長すらいない。無論、長く生きている人の意見は尊重されるが、村長はいない。尊重されるのに村長はいない……フフ……今のちょっと面白かった。

 ……ん、コホン。

 まあ、人自体、そんなに多くはないし、人だけでなにかしようとしても妖怪に首根っこを抑えられている環境なので、どうもそういうのが発達しなかったっぽい。
 基本的に、新規開墾やら治水やら祭りやら、里全体に関わることは寄り合いで決まる。ちなみに一定年齢以上の"人間"なら誰でも参加できるというアバウトな寄り合いなので、僕も暇な時は参加していたりする。終わった後、酒も出るし。
 一部の熱心な人以外は大体こんなスタンスだ。

 さて、そんな寄り合いなのだが、ここのところ、どうにも妙なことになっていた。

「水田を南側に増やそうと思うんですが……」「材木の伐採に男衆を狩り出したいんですが」「次回の祭りの段取りについて相談させて下さい」「うちの子の夜泣きが酷くて」「来月の結婚の引き出物が」「里の銭の鋳造が「夜の見回りの当番を「来年の作付「新しい家が……」

 と、みんな好き勝手なことを言っていて、割とカオスであった。
 そんな里のみんなの言葉を目を閉じて聞いているのは、復活した聖人、教科書の人、豊聡耳神子さんその人である。

 獣耳チックな髪型と、耳当てが特徴的な彼女は、話が途切れたのを見計らって、次々と回答をし始める。

「田んぼには里の東側の土壌が向いているでしょう。材木の切り取りは来週なら若い衆が十数人は参加できるはずです。祭りについては人口が微増しているそうですから、酒食の量を多めに。結婚は……」

 すらすらと、淀みなく、的確に答えている。
 僕なんて、皆が同時に喋るもんだから内容も殆ど理解できなかったのに、流石は名高き聖徳太子である。

 ……さて、なんでこんなことになっているのかというと、だ。

 そもそも、神子さんは仙人だということで、里の人からは尊敬を集めていた。
 普段は仙界に引き篭って優雅な生活を送っている神子さんだが、流石に元人間とあって、普通の人ともそれなりに交流があった。

 んで、どっからかぽろっと『昔政治家やってたよー』ってのが漏れて、
 なら、是非寄り合いに参加して助言を、とこういう次第になったらしい。

 仮にも日本一国をまとめていた神子さんである。こんな小さな里のことなど瞬く間に把握し、今では寄り合いの中心人物としての地位を確固たるものにしていた。

「うーん、大人気だな」
「いいことじゃないですか」

 僕の隣に座っている、里のご意見番的立場の慧音さんが腕を組んで唸っていた。
 なにをそんな困った風に言うんだろう。神子さんが参加し始めてから、色んな事がスムーズに進み始めたのに。

「いや、そうは言うがな良也くん。ここは人間の里だぞ? いくら聖人とは言え、人以外の者が物事を決めるのはいささかまずくないか?」

 ああ、そういえば、毎回律儀に参加しているらしい慧音さんは、なにか聞かれたら答えるけど自分の意見は全然言わないそうだ。あれはそういう意図だったのか。
 しかしなあ、

「別にそれで上手く回るんだったら、別にそれでいいんじゃ。まずいって、具体的になにがまずいんですかね?」
「彼女自身は一応善性の人だと思うよ。でも、人以外が里の頂点に立つというこは、人の進歩を阻害するとは思わないかい?」
「……いや、別に」

 がくっ、と慧音さんが肩を落とす。

「そうだ……君はそういう奴だったな」
「いや、だって。今までなぁなぁでやって来たところに、引き締めてくれる人が出てきたんでしょう? どーせ神子さんもそのうち飽きるだろうし、そうなったら誰かが代わりに立ちますって」

 うん、そうすると立派に進歩だ。
 懸念点は、人間の勢力が伸張し始めると、スキマ辺りが叩き潰さないかなってところか。幻想郷は妖怪上位の世界だしなあ……

「あの人が飽きる?」
「だって、あの人、日本のほぼ頂点だったくせに、仙人になるためにその地位を投げ出したんじゃないですか」

 なので、神子さんの本質は為政者よりも道教の追求者だと思う。今は物珍しさからか里に多くの時間を割いているが、そのうち修行の比率を増やすと僕は睨んでいた。

 まあ、全部僕の的外れな予想だった、というオチになる可能性もあるだろうけど。でも、神子さんに導かれても人はそれなりにやってくだろう、多分。

「う、ううん。そう言われると……」

 慧音さんが考えこむ。
 ……この人、苦労人だよなあ。






























 んで、寄り合いが終わったらそのまま宴会に入った。
 神子さんが出張る前は、大体次に持ち越される案件が何件かあったりして、宴会の時間も圧迫されていたのだが、今では割合早い時間に宴会にシフトできる。
 この点が、神子さんが歓迎されている一因だろう。

「どぞ、慧音さん」
「ああ。ありがとう」

 供された銚子の一本を慧音さんに向ける。

「……ふう、美味い」
「ですねえ。お、この煮物も良い感じだ」

 寄り合いの後の宴会で出される料理は、婦人会の皆様の手によるものだ。
 外の世界では出来合いのものや外食が充実し、メシマズが増えているが、こっちでは料理ができない=女性として失格的な昔気質な価値観があったりして、奥様方の料理は非常に美味い。

 なんて、慧音さんと暫く呑んでいると、ふと誰かが近付いてくる気配。

「向かい、いいですか」
「……どうぞ」

 ……神子さんである。
 自分のお猪口とお箸を持ってやって来た神子さんは『失礼』と断ってから腰を下ろす。

「おや、空いているじゃないですか。ささ、一献」
「あ、ありがとうございます」

 神子さんからの酌を受ける慧音さんは、なにやら緊張している様子だった。

「貴方も」
「ええ、ありがとうございます」

 慧音さんも酌を返して、二人は同時に酒を口に運んだ。

「どうも、こうやって差し向かいで話すのは初めてですね。豊聡耳神子です」
「上白沢慧音です。かの厩戸王とお話が出来るとは、光栄です」
「おや、私のことをご存知で?」
「これでも、歴史には詳しいと自負しています。当然、知っていますとも」

 ああ、それで酌受けるときちょっと緊張した感じだったんだ。うん、言われてみると、歴史好きな慧音さんからすれば仕方ないかもしれない。歴女が戦国武将に会ったみたいなもんか?

「それはそれは。あ、ちなみに厩で生まれたというのは単なる冗談が広まったことなので、厩戸はやめてください」

 はあ、と慧音さんは鼻白んで、

「では、豊聡耳さん、と」
「ええ、そのくらいで結構です。昔ならいざ知らず、今の私は一介の仙人ですから」

 一介のって。そもそも、仙人って時点で一介なんて形容は不適切だと思うんだけどなあ。

「貴方が私を知っているように、私も貴方のことをよく聞いていますよ。人の守護者、寺子屋の先生、里のご意見番と言えば、有名人ですからね」
「はあ、どうも」

 しかし、さて……神子さんはなにしに来たんだろう?
 さっきから、周りの人たちが固唾を飲んで見守ってるぞ。どっちも人間に友好的な人外なのだが、まかり間違って衝突でもしようものなら、この場にいる人間、まとめて吹っ飛ぶからな。
 『おい、ちゃんと仲裁しろよ』と、たまたま慧音さんと呑んでたから巻き込まれた僕に降り注ぐ視線が痛い。どうせ僕なら死なないからいいやとでも思ってるんだろうなあ、畜生。

 まあ、この二人に限って、そんな雰囲気になるとは思わないけどさ。

「それで……ええと、なんの用ですか?」
「いえ。なにやら良也と二人して好き勝手言ってくれていたようなので、少々誤解を解いておこうかと」

 じろ、と主に僕を睨んでくる神子さん。え、ええと、これは……

「……あ、あの、神子さん? 聞こえてました?」
「私は十人の人の話を同時に理解できますからね。あの時話しかけていたのは九人。一人分、余裕がありましたので。
 しかし良也。貴方の評価は実に的確です。確かに私は、道教を極めるため為政者の地位を投げ出しましたよ、ええ」

 ぎゃぁ!? ちょっと怒ってる!?

「まあ、そっちの愚かな人間のことは置いておいて。上白沢さん、貴方は私がこの里を支配する、とでも思っているようですが、そのような心配は不要ですよ」
「……そうでしょうか」
「勿論。大体、今は私が取り仕切っていますが、いずれ私のやり方を真似たり、否定したりする人間が出てきます。私はそれまでの繋ぎと考えてもらえればいいですよ」
「ふむ?」

 ピンと来ていない様子の慧音さんに、神子さんは続けた。

「今の里は、妖怪に支配されているようなもの。そこから一歩を踏み出すには、普通の人間には難しいでしょう。私は、確固たる一歩を踏み出せば、身を引くつもりです」
「信用しても?」
「勿論」

 言ってから、神子さんは少し困ったように、

「まあ、私が寄り合いに参加するに当って、何人か五月蝿い妖怪がいるってのもありますけどね。私の知ったことではありませんが」

 そういやぁ、いつだっけ。阿求ちゃんが発行した、幻想郷新参の対談本で、里の政治のことも話してたっけかな。なんか色々ひでぇことが書いてあった。

 ちなみに、対談なんぞをして、喧嘩が勃発しないという辺り、やっぱり新しく幻想郷に来た人たちは温厚なんだなあ、と思った覚えがある。
 レミリアとか輝夜辺りが宴会以外で一同に会そうものなら、五分後には弾幕ごっこになっていることうけあいだ。

「……人間が、貴方を中心に強固に連携することを警戒している連中がいる、ということか」
「そうですね」

 あ〜、村長なりなんなり、中心人物が現れて組織的に妖怪に対抗し始めたら、確かに妖怪側にとって面倒な事になりそうだな。
 ほら、妖怪と違って、人間は基本群れで行動する生き物だし。一人じゃ妖怪に対して為す術がないが、チームを組むことで対抗できるのかもしれん。
 え? 一人だけで妖怪をボコってる巫女や魔法使いやメイドや現人神? あれは例外中の例外だろ。

「そうすると、貴方の撒いた種は、将来里に禍根を残すことになりませんか」

 あー、神子さんが引いた直後くらいに、『最近人間が調子に乗ってやがるな』と、ぷちっと潰しに来そうだな。

「どうやら貴方は、人間に対して過保護が過ぎるようですね。人の生の欲求は、そう簡単に潰されるほどやわではありませんよ。そうでなくては、私も修行に苦労はしていません」

 でも、大丈夫大丈夫と軽い調子で言い切る神子さん。
 ……なんかいい事を言っているように聞こえるが、しかしこれ、自分は関係ないからって好き勝手言っている気配がする。

「まあ、貴方のように人間を守りたいという欲に塗れた妖怪には、気が気でないのかもしれませんが」
「ええ」
「その辺りの認識を埋めるためにも、どうです? もう一献」
「……いただきます」

 慧音さんは、勧められるままに酒を呑み干す。
 ……まあ、今すぐどうこうという話ではないだろう。慧音さんも、一旦追及の手を止め、別の話題を振る。

「そういえば、豊聡耳さん。是非、飛鳥時代当時のことを教えてもらえませんか」
「いいですよ。代わりに、私が眠った後、日の本がどのような道を歩んだかを教えて下さい。守矢の風祝に借りた教科書なるものは、情報量が少なくて」

 で、二人は趣味の話――日本の歴史の話に没頭する。

 ……僕はさっきから蚊帳の外で寂しかったので、そっと立ち上がり、別のグループに入ることにしたのだった。



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