春。それは桜の季節。
 桜の季節、つまりは花見。イコール酒だ。

 春=桜=花見=酒。

 ……嫌な方程式だな、オイ。
 僕だって酒は大好きだが、風情っていうのももうちょっと大切にしたい派なんだけど。

 とにかく、しばらく忙しくて幻想郷には来れなかったが、久方ぶりに通うようになってから、なにかっていうと花見で酒だ。
 ……まあ春先にはちょっとした異変もあったりしたんだが。ある意味いつも通りといえばいつも通りなので、気にしないこととしよう。

 とにかくだ。今日は花見というか積極的に酒しか呑まない狂乱の宴からちょっと離れ、もうちょっと落ち着けるところがないかなぁ、と探していたわけだ。

 で、辿り着いたのは、

「……こっちも見事な桜だなあ」
「ええ、そうでしょう? 私が毎日手入れをしていますから」

 ちょっと自慢げに胸を張る(ないのに)妖夢。

 そう、僕は白玉楼の庭園に来ているのだ。桜を捜し求めて冥界に来た……というと、ちょっと格好よくないか?
 突然お邪魔したにも関わらず、歓迎してくれた妖夢には感謝。

「良也さん、どうします? お酒、持って来ましょうか」
「ああ、ありがとう。……でも、そうだなあ」

 ここでしっとりと酒を呑むのも、大層いい感じだろうが、でももう少しこの桜の花を見ていたい。
 でも酒が入ると、僕そっちに集中しちゃうし。

「いや、後でいいよ。とりあえずお茶で良いや」
「そうですか。それじゃあ、私もご一緒します」

 そう言って、妖夢は屋敷の中へ戻っていく。茶を取りにいったんだろう。

 ……改めて白玉楼の庭を観察すると、本当に凄い。
 地平線の彼方まであるのではないかと思うような桜並木。人間の姿はなく、代わりに浮かんでいる幽霊の姿が幽玄な光景を生み出している。

 まるでこの世の風景じゃないみたいだ。……あ、あの世の風景だっけ。

 そして、いつの間にか現れている亡霊姫の舞に合わせ、幽霊が空へと飛んでいく――って、おい。

「なにやってんの、幽々子」
「幽霊をちょっと導いてあげているだけ。……さて、疲れたからもういいわ」

 すとん、と幽々子は僕の隣に座った。
 ……ちなみに、現れてから一分と経っていない。

「疲れたからもういいって。毎回思っているんだけど、どうして幽々子が冥界の管理なんて任されているんだ……」
「あら、この務めはずっと続くのよ。無理をしたって、いいことなんてないじゃない」

 でもなあ。幽々子が仕事らしいことをしているところなんて見たことないんですが、さっきのだって、ちょっと踊っているだけだったし。

「それに、こんなにいい桜なんですもの。幽霊たちも管理されるより、自由に動き回りたいでしょう」
「……あっそう」
「なによ。貴方が聞いてきたのに、その気のない返事」

 いや、そんなことを言われましても。

「あれ? 幽々子様。お呼びしてもお返事がないので、どこにいらっしゃるかと思えば。庭に出ていたのですか」
「そうよ。ちゃんと三人分用意しているわね」
「はあ、それはもちろん」

 幽々子は、こういうときハブられたら機嫌悪くなるからな……。
 妖夢の言葉どおり、ちゃんと湯飲みは三つあった。流石、長年従者を務めているだけあって、この手の先読みは完璧だ。

「はい、良也さん。こちらはお茶菓子の桜餅です」
「ありがとう。……桜餅か、これ好きなんだよね」
「そうですか。たくさん作りましたので、是非食べてください」
「それはいいけど……幽々子?」

 僕の手元の桜餅を少々物欲しげな目で見ていた幽々子に釘を刺す。テメェ、独り占めすんじゃねぇぞ、と念を込めて。

「わかっているわよ。まったく、私をそんな食いしん坊みたいに」
「自覚がなかったのが驚きだ」
「失礼な元生霊ね。元家主に対してなんて態度かしら。あ、妖夢、私はそのちょっと大きいのね」

 はい、と妖夢は素直に頷いて、明らかに一回り大きい桜餅を幽々子に渡す。
 ……多分、あれも先読みだろう。放っておいたら二個、三個、十個と取るが、ちょっと大きめのやつを用意しておくことで、それで一先ずの満足感を、とか。

 でも、桜餅が二十個以上も用意されているのは根本的におかしいと思う。

「ふふ、じゃあ花見を始めましょうか?」
「はい」
「あいよ」

 湯飲みで乾杯。
 ……やっぱり酒にしとけばよかったかな。
























 お茶もいい。と、僕は開始数分で鞍替えした。

 本日妖夢が淹れたお茶は焙じ茶。予め焙じてあるのではなく、ついさっき茶葉を焙じたらしい。優しい感じがしてこれはこれで大変よろしい。
 なにせ、焙じるのが面倒なので、ちゃんとした焙じ茶は滅多に飲めないし。

「桜餅も美味い。……妖夢、もう一個もらえる?」
「はい。どうぞ」

 桜の葉に巻かれたもっちりとした和菓子。実に春らしい風味で、お茶ともよく合う。
 更に、三百六十度全方位に桜が満開。これは至福って感じだな……。

「あれ?」

 とか思って、周りの桜を見物していたのだけれど、一箇所だけ色が違うところがあることに気が付いた。
 他の木より、一回りも二回りも大きな巨木。見る限り、あれも桜の木のはずなんだけど、花を一つも咲かせていない。

「なあ、あそこのあの桜の木は咲かないのか? 種類が違うとか?」

 聞くと、幽々子はちょっと困ったように笑みを漏らした。

「ええ、あの桜は西行妖と言う妖怪桜。私もあの桜が咲いているのを見たのは一度だけよ。満開とはいかなかったけどね」
「妖怪桜……なに? いきなり動き出したりすんの?」
「そんな大層なものじゃないわ。あの桜の下には死体が埋まっている……それだけよ」
「し、死体?」

 物騒だな。あれか? 桜の色は死体の血を吸い上げているからだとかいうよく聞く怪談か?

「そ。さてはて、誰の死体なのやら」

 そう言って微笑む幽々子はなんだか寂しそうで。柄にもないなあ、とちょっとだけ思った。

「しかし、あの桜が咲いたときは大変だったんですよ。幻想郷中の春を集めて……聞いたことありませんか、良也さん」
「……え? 春を集めるって……もしかしてアレか、春雪異変だっけ?」

 確か射命丸が編纂した記録を読んだことがある。嘘臭いので後で阿求ちゃんにも確認した。
 なんでも、幻想郷に春が訪れず、ずっと冬だったとか何とか。

「はい、そのように言われていますね。あの時は春を集めるの以上に、集めた春を幻想郷に返すのが大変でした。あのときの影響で、まだ冥界と現世の結界は緩んでいますし」
「傍迷惑な話だな、おい」

 じ、と幽々子を睨んで言う。

「ちょっと、実行犯は主に妖夢よ? なんで私を睨むの」
「だってお前が首謀者だろ?」
「そうだけど、実行犯は妖夢よ」

 大事なことなので二回言いました、ってか? いや、主人が責任を取れよ。妖夢も困っているじゃん。

「で、霊夢にボコられた、と」
「……ええ。それはもう」

 当時のことを思い出しているのか、妖夢は少し悔しそうにする。
 でもなあ、仕方ないよ。異変解決時のあの巫女はなんていうかアレだ。バグキャラだし。パラメータのどっかがリミットブレイクしているんだよ、きっと。

「じゃ、あの桜はもう咲くことはないのか」

 あれだけ大きい桜なら、是非開花しているところを見たかったんだけど。

「どうかしらね。そのうち満開になることもあるかもしれないわよ?」
「そりゃ楽しみかもしれん」
「そうね。貴方は長生きだから、そのときは是非居合わせてもらいたいわ。そのときはとっておきのお酒でも酌み交わしましょう。何百年後か、それとも何千年後か、わからないけれどね」

 ……我ながら、そこまで長生きしている自分というのがまったく想像できない。

「さて、辛気臭い話はおしまい」
「ああ……って、幽々子クン。桜餅がもうなくなっているように見えるんですが、いかに?」
「あまり食べていないからいらないのかと思って」

 ぽんぽん、とおなかを叩いてみせる幽々子。
 こ、こいつ。僕まだ二個しか食ってないのに、二十個くらい残っていた桜餅全部食ったのか。いつの間に?

 妖夢を見ると、困ったような顔で笑っていた。多分、妖夢も一、二個しか食べていないはず。

「妖夢、お茶はもういいわ。お酒持ってきて頂戴。つまみは適当でいいから」
「あ、はい。かしこまりました」

 って、もう酒かよ。別にいいけど。っていうか、そろそろ桜を愛でるのもいいかな〜と思い始めたところだったしね。

「良也、ちょっと移動しない?」
「はあ? 別にここでいいじゃないか」

 っていうか、動くのが面倒臭い。

「いいじゃない。ほら、西行妖のところまで」
「……お前、あの桜は咲いていないぞ」
「たまにはね。咲いていない桜で花見というのもよくないかしら?」
「それ、既に花見じゃない」

 でもまあ、別にいいか。どうせ酒が入ったら桜なんてあんまり見ないだろうし。

 まあ、死体が埋まっているという話は不気味だけど……なんとなく嫌な感じはしないんだよね。なんでだろ。













 そして、その日は、幽々子と妖夢と僕。三人で一つも花の咲いていない桜の下でしっとりと呑み明かした。



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