「じゃあ、ここが地霊殿だ。本当、気をつけなよ。ここの連中は、けっこう強いんだから」

 と、わざわざ屋敷まで送ってくれた勇儀さんは、なにやら更に心配してくれる。
 姉御肌な人だなあ……鬼だけど。

「わかりました。ゆっくり、気配を消していきますよ」
「ああ。そうしろ。……ったく。お前みたいな奴がなんで地底に来たんだよ」
「来たんじゃなくて、落とされたんですけど」

 ああ、言ってもわからないだろう、上にいるやつの理不尽さは。
 きっと、僕があたふたしているところを見て、陰陽玉の向こうで笑い転げているに違いない。

 流石に、僕が死んだところを見て笑うほど根性が曲がっていないとは思うけど……楽観はできないな。妖怪だし。

「事情は知らんが、とっとと巫女と合流しておくこった。ここは元地獄。死んだら永遠に迷うことになるよ」
「……いえ、その心配だけは無用です」

 元地獄かぁ。んな恐ろしげなところだったのか、ここ。そういえば灼熱地獄跡とか言っていたっけ?
 しかし、映姫に死んだら地獄行きを宣言された僕も、死なないから大丈夫。うん、死ぬのはすごく痛いけど、怨霊になったりしない分気は楽だ。

「? まあいいさ。地底も最近賑やかでね。観光ならもう少し落ち着いてからまた来な」
「はい、そのときはお礼に酒でも持ってきますよ」
「いいねえ、わかってる。とびっきりのを頼むよ」

 そう言って、勇儀さんは去っていく。
 僕はそれを見送って、地霊殿とやらに向き直った。

「……いやだなあ、なんか出そうだなあ」

 もう、見るからに嫌な予感がびんびんだ。
 っていうか、なんか幽霊っぽいのが飛んでるし。奥のほうからは恐ろしげな霊力が響いているし。

「なあ、今霊夢どの辺にいるんだ?」

 こんこん、と陰陽玉を叩いてみる。……あれ? 返事がない。

「おーい」
『あー、あー、テステス。土樹さん、聞こえてますかー?』

 あ、やっと繋がった。電波(?)が弱いのか、ここ。

「射命丸。どうしたんだ? 返事遅かったけど」
『やー、どうも、ラスボスが近いらしく、妖精たちの攻撃も激しくて。今は巫女の方につきっきりなんですよー。ってなわけで、そっちはそっちでなんとかしてくださいね』
「は?」
『それじゃあ、またー』

 ブチン、となにか途切れるような音がする。
 え、えっとー……見捨てられた?

 いやいや。勝手に落としておいて、それはないだろう。

 上空を飛ぶ妖精の気配に、ビクリと背中が震える。やっべ、いつの間にか増えてる。

 ……と、とりあえず、ここからは見つからないよう、気をつけていこう。
 気配を殺して、下を歩いていく。気分は忍者だ。
 すさささ、と音を出さないよう、物陰に隠れながら進み、上空を通る幽霊とも妖精ともつかない連中をやり過ごす。

 こういう隠密行動ならお手の物だ。なにせ、一時期レミリアの吸血から逃げ回るため、色々と試していたため。
 結局、どうやっても逃げられないと知って、もう諦めたが。

 無駄な努力をしている予感がひしひしとするが、それでもやらないよりマシだろう。
 上空に妖精が通るごとに冷やりとするが、なんとか気付かれていないようだ。

「危ないなあ」

 異変が起こっているからか、妖精たちも威勢がいい。誰もいないところに弾幕を撃っていたりして、空を飛んでいたら落とされていたことは確実だった。

 最近気付いたのだけど、異変の元凶の近くに行けば行くほど、妖精たちの強さや数が大きくなるらしい。一対一なら妖精くらいには負けないが、ここまでくるとかなり危ういように思う。

 ……やっぱり、とっとと霊夢を見つけた方がいいなあ。地底じゃ知り合いもいないし。
 上のほうに溜まっている妖精達はもとより、ここの妖怪に出会ったら喰われてしまう可能性がある。

 なんて、上を見ながらぼーっとしていたのが悪かったのかもしれない。

「きゃっ!」

 どん、と軽い衝撃と、同時に聞こえた小さな悲鳴。

 ギクリ、と身体が強張った。

「逃げっ!」

 すぐに気を取り直して、ぶつかった『何者か』から逃げる。ここで会った以上、妖怪か何かに違いないからだ。
 丁度近くにあった柱の陰に身を隠して、様子を探る。

「痛ぁーい。なによ、もう」
「……あれ?」

 転がっていたのは、見るからにか弱そうな女の子だった。そこら辺の誰かと違って、凶暴そうなイメージはない。
 尻餅をついた女の子はぶーたれて、きょろきょろするが……僕はすぐ隠れてしまったので見つからない。それに気付いて、なにやら悔しそうに口を尖らせる。

「え、えっと……大丈夫か?」

 流石に、自分が情けなくて死にたくなった。



















「あれ? 貴方は誰?」
「いや、それより立てるか?」

 手を伸ばして、女の子を助け起こす。
 特に傷らしい傷がないことを確認して、内心ほっと安堵のため息をついた。

「ありがとう」
「いや、お礼はいいよ。僕がぶつかったせいだし。ごめん」
「あっ、そうなの? まったく、普段は気付かれないでもぶつかったりしないのに」

 あれ? そういえば、いくら余所見していたって言っても、自分の進む方向に人がいれば流石に気付くだろう。
 なんで気付かなかったんだろう?

「っていうか、貴方人間? 珍しいわね。人間がこの地霊殿まで来るなんて」
「いや、本当にな……」

 面倒くさいにもほどがある。僕はとっとと帰って温泉に浸かりたいぞ。

「私は古明地こいし。ここの当主の妹よ。よろしくね」
「あ、ああ。うん、僕は土樹良也」

 良也、とこいしは呟いて、一つ頷く。
 やれやれ……またしても知り合いが増えてしまったな。そろそろ外の世界の友達よりこっちの友達の方が多くなっているかも知れない。

 ……友達が少ないとか、そんなことは考えちゃいけない。

「しかし、妹ねえ」

 とある狂気の妹が思い浮かぶが、彼女はそれよりずっと大人しそうだ。大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせる。
 ……でも、妖怪だよなあ。なんだ、あの胸元に在る奇怪な目玉(?)は。

「ああ、これ?」

 僕がじっとそれを見ているのに気付いたのか、こいしは答えた。

「これは覚りの瞳。相手の心を読むことの出来る、第三の眼よ」
「心を、読む?」

 さあ、と顔が青くなった。

 心を読む、なんて能力があるのか? と聞くのはナンセンスだ。既に時間まで操るような非常識なメイドがいる時点で、もうなんでもありである。

 スキマとか幽々子あたりは、僕の内心を読んでいたし。……本人達いわく、顔色や目の動きから洞察しているだけ、ということだが。

 しかし、こっちは洞察力なんかじゃなく能力だ。どの程度のレベルで心を読めるのかは知らないけど、記憶まで見ることが出来るのならば非常に危ない。

 なにせ、僕はオトコノコなわけでして。こんないたいけな少女が見るには少々キツイ記憶がたくさんある。

「? どうしたの?」
「も、もしかして、今も見えていたりする?」

 だ、だとしたら非常にマズイ。

 あのこととかあのこととかっ! なによりもあのこととかを知られたら僕は首をくくらないといけないっ!
 ああ、しかしこうやって考えているのもマズイんじゃないか!? ええおい!

 お、落ち着け。セルフコントロールだ。精神制御は魔法使いの基礎中の基礎。無心になれ、無心になるんだ。

 って、ああああ! 考えるまい、と考えれば考えるほど、僕の不埒な過去が脳裏をよぎっていくぅ!

「でも、私は閉じているけどね。人の心を読んだって嫌な思いをするだけだし」
「あ、あれ? そうなの?」
「ええ。貴方も怖いでしょう? お姉ちゃんなんか、それで地底のみんなに嫌われちゃっているんだし」
「いや、怖いって言うか、恥ずかしい。あと、自分が情けない感じがするから、心を読まれるのはちょっと……」

 先ほどまで頭の中を埋め立てていた恥ずかしい妄想やら僕の部屋の秘密グッズなどがバレでもしたら、僕はどこか遠いところに失踪しなくてはいけないところだった。
 ……やれやれ、疲れるなあ。

 しかし、これであの気のいい萃香や勇儀さんまでもがここの当主を意地悪いとか評していた理由がわかった。
 心を読める、ねえ。……そりゃ、あえて付き合いたいと思う奴はあんまりいないだろう、常識的に考えて。

 彼女の姉、というからには女性なんだろうが、異性である僕は特に抵抗が強いぞ。

「それより、ねえ、貴方。地上から来たんでしょう? よければ上の話をして頂戴」
「……上の話?」
「ええ。最近、うちのペットが地上を目指していてね。ちょっと気になるの」

 面倒くさいと思わないでもなかったが、転がせてしまった負い目もある。
 まあいいか、と僕は頭をガシガシして、話し始めた。

 地上の神社のこと、人里のこと、山のこと。弾幕ごっこのこと、宴会のこと、異変のこと……。

 触りを話しているだけなのだけど、こいしは見るからにワクワクしている様子。

「へえ、地上も面白そうなところね」
「ああ。まあ退屈はしない。んで、僕の地上での職業は……ええっと、ちょっと待って」

 ポケットをごそごそする。……えっと、確か一個だけ入っていたような。
 あ、あった。

「? なにそれ」

 一つだけ忍ばせておいたミルクキャンディ。傍から見るとお菓子で小さな女の子を釣る変質者だよなあ、なんて思いながら、包みを破ってこいしに渡す。
 いや、変質者じゃない、変質者じゃ。

「地上では、お菓子売りとしてそれなりに名前が通っている」
「お菓子? わあ、ありがとう」

 嬉しそうに口に運ぶこいしに、若干満足。
 自分が作ったわけでもない、一袋百六十八円の飴だが、それでも美味しそうに食べてくれるならなによりも嬉しい。

「んぐ……甘い。いい飴ね。地底も食料は豊富だけど、これだけのお菓子はなかなかないわ」
「そりゃまあ、外の世界謹製だからな」
「外の世界? それも面白そうだわ。聞かせてくれる?」
「いいけど」

 さて、そうするとなにを話すべきか? 大学のこととかか?

 なんて、考えていると、かたん、と後ろから音が聞こえた。

「あれ?」

 振り向いてみると、こいしと似たような目玉――ただし、こっちが眼が開いている――を胸元につけた女の子が一人、こちらを見ていた。

「あ、お姉ちゃん」
「え、え!? あれがそう!?」
「うん」

 いや、わかるけどねっ。似ているしっ!
 でも、こいしの話だと……あの人は心を読めるらしいじゃないかっ!

「くっ、無心だ、無心。南無阿弥陀仏……」
「お経を唱えるくらいで無我の境地に至れるくらいなら苦労はないと思いますが」

 ですよねー、と納得せざるを得ない。
 なにせ、口では唱えてても、頭の中では考えちゃいけない、と考えている思い出で溢れている。

「それに、貴方の心は読めませんよ、良也さん」
「嘘だっ! 何故に名前を知っている!?」
「それは、先ほど私と争った巫女の頭の中に貴方の姿と名前があったからです。ええ、そのときに貴方の能力も知りましたよ。恐らくは、そのせいでしょう」

 え? あれ。僕の能力って、そこまでできんの?

 今までの経験からして、ありえない話じゃないけど……焦った自分が馬鹿みたいじゃないか。

「あー、えっと?」
「私は古明地さとりです」
「はあ、よろしく」

 さとりさんねえ。霊夢と争ったって……もしかしてそのことで恨んで僕を攻撃したりしないだろうか?
 そんなことをするようには見えないけど、でも人は見かけじゃ判断できないしなあ。妖怪はもっと判断できない。恐ろしいほどに見た目と能力が一致しない。

「なにか? 生憎と、貴方の心は読めないのですから、ちゃんと口で言ってくれないと困ります」
「あ〜、いや、えっと……霊夢はどこに行ったのかなあ、と」
「地上の間欠泉や怨霊について、うちのペットが知っている、とアドバイスしました。今頃、うちのペットたちと戦っていることでしょう」
「ペットねえ……」

 僕が想像しているような可愛らしいのじゃないんだろうな、やっぱり。
 猫と鴉とか勇儀さんは言っていたけど……さてはて、どんなのなんだか。

「ああ。あと、うちの巫女が迷惑かけてすみません。あいつ、異変となるととりあえず突っ込む習性があって……」
「別に構いませんよ。元々がうちのペットが迷惑をかけたせいらしいですし。それに、貴方はこいしの話し相手をしてくれましたしね」
「はあ」

 そのくらいで礼を言われることもないと思うけど。

「それにしても、私が心を読めない同士、気が合うのかしら」
「別にそんなのじゃないけどなあ。私は良也が心を読めないなんて知らなかったし」
「そう? まあ、どちらでも良いのだけれど」

 ああ、なんとなくこの姉妹の仲は良さそうだ。
 っていうか、どうもレミリアとフランドールの関係によく似ているような、似ていないような……。

「それにしても、お姉ちゃんが地上の人間に負けたって?」
「ええ。不覚を取ったわ」
「ふーん、良也の話を聞いたけど、地上も楽しそうねえ。今度行ってみようかな」

 こいしはそう言う。
 それを聞いて、さとりさんがちょっとだけ微笑んだ気がした。

 ふむ、しかし、そうか。

「来るの? じゃあ、そのときは博麗神社にでも寄ってくれ。茶くらい出すから。僕はいないかもしれないけど」
「やった、今から楽しみね」
「地上に出るのは構わないけど、くれぐれも地上の妖怪には気をつけてね。無意識で行動する貴女に気付く奴がそうそういるとは思えないけど、万が一バレると面倒だわ」

 そういえばスキマはやけに地底の妖怪を嫌っていたなあ。
 まあ、なんとなるんじゃね? 無意識がどうとかはよくわかんないけど。

「さて、それじゃあ、妹の友人にお茶を振舞いましょうか」
「あ、いいの?」
「ええ。貴方は巫女が帰ってくるまで暇なのでしょう? 時間潰しにでも。私も、心を読めない相手との会話は新鮮ですし」

 ありがたい。自覚すると、喉がけっこう乾いている。それに、だ、

「いやあ、助かる。いつ妖精に落とされるか、割と戦々恐々だったから」
「……本気、で言っているようですね。やれやれ、同じ地底に来た人間でも巫女とは大違いのようですね」
「霊夢と僕を一緒にしないでくれ」

 あいつは人類にカテゴライズしてもいいかどうか微妙だぞ。魔理沙とか咲夜さんとか、ありゃ人じゃなくて超人だ。
 いやまあ、死なない自分のことを棚上げしてる自覚はあるにはあるが。

 で、さとりさんの案内に従って、居間とやらに向かう。
 当主がいるためか、妖精が暴れまわっているにもかかわらず、安全無事に飛んで行けた。

 で、途中の廊下で中庭と思しき場所が見えたんだけど、

「あれ? あの穴は?」
「ああ、あれは最深部へ通じる穴です。巫女もあそこを通って行きました」
「最深部?」
「灼熱地獄跡です。そこを管理しているのは私のペットですが……そういえば、灼熱地獄はもう活動を停止したはずなのに、ここのところ熱いですね」

 ぞっとしないなあ。地獄かあ。
 霊夢のことだから、大丈夫だろう……け、ど?

「はぁ! やっと出て来れたわ」

 あ、れ? 今まさに穴から出てきたのは霊夢じゃね?

「霊夢!?」
「良也さんっ、丁度よかったわ。今から捜しに行こうとしていたところなの!」

 ぎゅーん、と霊夢がすごい勢いで飛んでくる。
 で、手を掴まれた。

 ホワイ!?

「さあ、行くわよ良也さん」
「ちょ、待て待て待て! なんだなんだ? 異変は解決したんじゃないのか!?」

 引き返してきたんだからてっきりそう思ったんだけどっ。

「まだよ、まだ。ちょっと猫を凝らしめたところ。でも、ここってば奥に行けば行くほど熱いのよっ!」
「はあ?」
「で、これ以上我慢できなくなってね。紫たちが良也さんも来ているって言うから、冷房を務めてもらおうかと」

 わ、わけがわかんねーっ!
 や、やっと安全地帯でゆっくりお茶を出来ると思ったのに、なにを言い出すかなこの巫女はっ!?

「さあ、行くわよ」
「ま、待て霊夢! 僕はここでお茶をしてゆっくりするんだあぁぁぁあーーー!」

 霊夢に無理矢理引っ張られ、自分ではありえない速度で中庭にあった穴に突っ込んで行く。

 その様子をぽかんと見ていたさとりさんとこいしが、ため息をついたように見えたのは気のせいだったのだろうか……



前へ 戻る? 次へ