それは、いつもの様にパチュリーの図書館で魔法書を読み下していたときの話だ。

「……さて、そろそろどうにかしないといけないかな」
「なにを?」
「なにを、って、あれ」

 本から目も離さないまま、あまり興味なさげに聞いてきたパチュリーに、図書館の入り口を視線で示す。

「ああ、最近、貴方が来るとずっといるわね。興味持たれているんじゃない?」
「い〜や、違う。あれはきっと、前僕が無理矢理宴会に連れてったから復讐しに来てるんだ。間違いない」

 被害妄想っぽいなぁ、と我ながら思わないでもないが、そのくらい慎重でないとこの屋敷では生き残れない。

「大丈夫よ」
「なにが」
「もし本当に、そんなことをあの子が考えていたら、とっくに灰になっているから」
「……やめろよ。リアルな話は」
「ああ、そういえば貴方死ななくなったんだっけ? 助かるわよ。おめでとう」

 おめでとうとか言われても。仮に生き返れるとしても、死ぬのはゴメンである。
 んで、パチュリー曰く、僕に興味を持っているらしいあの子は、

「あっ」
「いやいやいや、バレてるから」

 僕の視線に気付いたのか、彼女――フランドールは、身を隠した。
 いや、派手派手な翼が見えてる見えてる。

「ああ〜。その、なんだ」

 まいったね、こりゃどうも。

 パチュリーの言うとおり、興味をもたれていることは確からしい。それはまあ嬉しくはあるが……美鈴や咲夜さんから聞いた話では、あの娘は癇癪持ちらしい。

 それだけならどうってことないけど、フランドールはあのレミリアの妹。
 能力も凶悪極まりなく、前たまたま鉢合わせた魔理沙との弾幕勝負は……

「……あれが、地獄ってヤツだよな」

 思い出して、震えた。
 あれを楽しめる魔理沙も魔理沙だが……

「ま、屋敷の外の人間と接することも滅多にないし、遊んであげてくれない? レミィもあの子のことは気にかけてるから」
「弾幕ごっこは、僕にとっちゃあ遊びじゃないんだが」
「別に話をするだけでもいいわよ]

 それだけ言ってパチュリーは再び本の世界に没頭する。

 はぁ……。ま、子供は嫌いじゃないし、怒らせないよう気をつけながら相手してやるか。

「よっ、久しぶり、フランドール」

 ひょい、と隠れている少女に顔を見せる。

「あ、えっと。き、奇遇ね、良也」
「いや、僕が君んちにお邪魔させてもらってんだから、奇遇もなにもないと思うけど」

 まあ、この広い屋敷で偶然に出会ったなら、奇遇といえば奇遇だ。
 しかし、別に偶然じゃないし。

「そ、そういえばそうね」
「つーか、最近僕の後つけてきてるみたいだけど、なにか用なのか?」

 遠まわしなのは苦手なので、核心を突いてみる。
 ビクッ! とフランドールは跳ねた。

「えっと、その、ね」

 うーむ。あの高慢吸血鬼の妹にしては、驚くほど素直な反応。姉にも少し分けてあげて欲し……

「良也の血が美味しいって聞いたから、飲ませて欲しいなあ、って」
「前言撤回っ! やっぱりあの姉の妹!」

 僕は身を翻して距離を取る。

「あっ、なによ。急に逃げて」
「やめろっ、近寄るなっ! もう血を吸われるのは勘弁なんだよっ」

 ちょわーっ! と自分でもわけのわからない構え(確か昔遊びで習った中国拳法の構えだ)を取りながら、フランドールを威嚇する。

 いや、だってさ。
 紅魔館に来ると、二回に一回は咲夜さんにとっ捕まって強制的に献血させられるんだ。

 しかも、蓬莱の薬飲んでから、どうせ死なないでしょ、とか言われて、どんどん量が多くなっていくし。
 飲みきれず余った血液を肥料にされる僕の気持ちを、少しはみんなわかってよっ!

「ちょっとくらいいいじゃない? 別に減るものでも無し」
「待て、減るぞ。主に僕の血液とか精神力とかが」

 反論すると、本に集中しているはずのパチュリーが口を挟んできた。

「ちょっとくらいいいじゃない? 別に減っても大したものでも無し」
「ひでぇ!」

 これが師匠の言い草か?

「あ、じゃあ、こうしない? 私が弾幕ごっこで勝ったら飲ませて」
「僕にとってのメリットは?」
「楽しいじゃない?」

 楽しくないんだけど。

「もうちょっと平和的な……そうだ。しりとりで」
「じゃ、いくよ?」

 僕の強さを知っているフランドールは、小さな弾を一発放ってくる。
 しかし、いくらなんでもこんな程度でやられるほどではない。第一、前ん時は酔ってたから避けられなかったんだ。

「ほいっ、と」

 そいつを身体にギリ掠らせる余裕まで見せて躱す。

「だから、僕は弾幕ごっこなんてするつもりは……」

 ずずん、と地面が微妙に振動した。

「は?」

 後ろを見ると、この図書館の馬鹿でかい本棚が一つ、完膚なきまでに破壊されていた。

「外れちゃったか」
「外れちゃったか、っておい」

 どう考えても、一人間にする攻撃じゃない。あれ一発で重傷確定だぞ。

「ちょっと。やるのはいいけど、図書館を壊さないでもらえるかしら」

 のんきなパチュリー。本を壊されてあのパチュリーが冷静なのもおかしいと思ったが、よく見ると倒れているのは本棚だけで、本自体は無傷。
 ……ああ、そういえば、本に防護の魔法かけているって言ってたっけ。

「ごめんね。パチェ」
「いいわ。それより、良也は死ななくなったみたいだから、存分にやっていいわよ」
「勝手に許可を出すなっ!」
「そうなの?」

 尋ねてくるフランドールに、曖昧に頷く。

「つっても、痛いのはいやだぞ。ってか、パチュリー。どこで知ったんだよ。僕、誰にも言ってないぞ」

 そういえば、前冥界に行ったとき、幽々子も知っていたな。レミリアたちも、なんでか知ってたし。

 パチュリーは答えず、どこからともなく紙の束を取り出して放ってきた。

「読めってか?」

 それは文字がびっしり書かれた……文々。新聞か?

「……『外の世界のお菓子売り、土樹良也さん不老不死に!』」

 一面のタイトルを読んで、新聞を床に叩き付けた。

 あのパパラッチ。今度会ったら、肖像権とかプライバシー権とか、そこらへんを存分に教育してやらねばならない。
 真実はいつも一つ! なんて言葉で逃げ切れると思うなよ。

 しかし、それも今日という日を生き残れたらの話だ。

「へぇー」
「な、なんだフランドール。その邪悪なへぇー、は」
「ちょっと試してみていい?」
「お……い」

 背筋に悪寒が走り抜けた。

 僕の半分も生きていないような外見の少女を、心底恐ろしいと思う。
 子供特有の、無邪気な残酷さが瞳に現れる。

「くっ!」

 逃げた。
 幸いにして、この図書館は広く、また遮蔽物は数多い。一度撒いてしまえば、追いつかれることは……

「あーーっ! 逃げないでよ」
「無茶を言う……」

 な、と続けようとしたところで固まってしまう。
 フランドールが持つ一枚の符。

 僕ごときにスペルカードまで使う気かっ!?

「禁忌」

 マズい。逃げ切れな……

「『レーヴァテイン』」

 逡巡する暇もなかった。
 気が付くと、恐ろしい熱気を伴う炎の剣が目の前一杯に広がり、

 まるで、テレビのスイッチを消したかのように、僕の意識は断絶した。
























「あら。起きたの」
「……あー?」

 目覚めると、パチュリーの図書館。

 さっぱり状況がつかめない。何で僕は、こんなところで寝ているんだ?

「再生までに半日か。細胞が一片残らず焼失してたのに、興味深い体質ね」
「再生? なに言ってるんだ?」
「脳が吹っ飛んだせいで覚えていないのかしら」

 吹っ飛んだ?

「あー、っと」

 徐々に思い出してきた。
 えーと、そうだ。今日はパチュリーに魔法を習いに紅魔館に来たんだよ。で、最近あとをつけてきてるフランドールと話して、

「うっ……!?」

 背中から嫌な汗が吹き出た。心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。

 僕は、間違いなく『死んだ』。一度、交通事故で死に掛けた身だ。あの死の感覚は間違えようがない。

「怖くなった? 大丈夫かしら」
「あんまり大丈夫じゃない」

 痛みを感じる暇もなかったけど、恐怖心はこびりついている。
 今までの経験もあって、恐慌に陥るようなことはないけど、できれば膝を抱えてガクガク震えたいところだ。

「ところで」
「……なんだ?」
「いつまで『それ』晒しておくのかしら?」

 それ? どれ?

 と、パチュリーの視線を目で追って、自身の下腹部あたりにある『それ』に目が行き、

「ぎゃああああああああっっっ!!?」

 マッパの自分の股間を隠した。

 な、なんでなんでなんで!? って、そういえば完全に焼けたじゃん僕!
 さっきとはまるで別の意味で心臓の鼓動が早くなった!

「ぱ、パチュリーもじろじろ見てんな!」
「あら、失礼ね。貴方が勝手に再生して、勝手に見せたんじゃない」
「死んだ人間に鞭を打つような真似はやめてくれっ! ていうか、年頃の娘さん的にそれはどうよっ!?」

 はあ、と馬鹿にしたようにパチュリーがため息をつく。
 すげぇ屈辱だ。

「あのね。私はこれでも貴方よりずいぶん年上よ? それに、貴方の言うとおり『年頃』だとしたら、そういうのに興味を持つのは当然だと思うけど」
「本物の年頃は、そんなにガン見したりしないよっ!」
「そんな凝視はしていないわよ」

 心外ね、とパチュリーが呟き、武士の情けかタオルを投げてくれる。

「小悪魔に言って、男物の服を用意させるわ。ちょっと待ってなさい」
「その、小悪魔さんには詳細をぼかしてくれると助かる」
「はいはい。……ああ、そうそう。評価、聞きたい?」

 艶然とした表情で、パチュリーがそんなことを言う。
 何の評価か、と聞くのも嫌だったので、しっしと追い払った。

「ああー、ハズ……」

 もう、穴を掘って埋まりたい。切実に。

「あの」

 んで、後ろから声をかけられた。
 自分の姿を思い出し、慌ててタオルで隠す。

「な、なん……だ?」

 フランドールだった。

「うわぁ!?」

 ついさっき、僕を殺した張本人の登場に、うろたえてしまう。
 でも、羞恥心もそれなりにある僕は、まさかタオル一丁で飛び跳ねるわけにも行かず、結果無様に後退するだけだった。

「その、ごめんね? まさか、あんなに簡単に死ぬとは思わなくて」
「……簡単には殺さないつもりだったのか」

 嬲り殺しかよ。

「死なない、って聞いたから、全力で遊べると思って……。でも、まだ早かったみたい」
「……遊ぶ前に死ぬからな、僕は」
「うん、だから、ごめん」

 人を殺して、ごめんの一言で済んだら、警察はいらない。

 でも、現実、僕は生きているし、吸血鬼とわかっていても、小さな女の子が泣きそうになっているのを見て、いつまでも怒りや恐怖を持続できるほど器用でもない。

 まだ内心、理不尽な気持ちや恐怖心はなくならないが、落ち着いたフランドールに危険は感じない。

「もう、僕を攻撃しないって、約束してくれるか?」
「うん。もっと良也が強くなるまでは我慢する」
「強くなってもやめて欲しいんだけどな……」

 まあでも、遊べるようになったら遊んでやるのも吝かじゃない。

「なら……いいよ、もう。自分でもどうかと思うけど」
「私のこと、嫌いになった?」
「嫌い、というより怖いと思うようになったけど……。さっき約束してくれたからな。我慢する」

 ま、死なないってのは立証されたわけで。よくよく考えてみれば、怖がることもないのかもしれない。理屈の上では。

「そう。よかった……」
「おいおい。そんな嫌われたくなかったのか」

 子供に懐かれて嫌なわけはないが、そんな好かれるようなことをした覚えもないんだけどな。

「うんっ! だって、嫌われたら血をもらえなくなっちゃうからっ」

 ガツンッ! と手近にあった本棚に頭をぶつけた。

「……オイ。僕を殺した罪悪感とか、そこらへんは!?」
「でも約束は約束だよ? 約束破るのはいけないんだから」

 あれって、一方的にそっちが言ってただけですよね。

「それとも、お姉さまにはあげて、私にはくれないの?」
「いや、お前のお姉さんにもあげたくないんだけど。……はぁ」

 ここら辺、不公平にすると、子供は拗ねる。
 拗ねるだけならまだしも、さっきの約束を簡単にブッチする可能性もある。

 理不尽な思いは捨てきれないが、仕方なく目の前に人差し指を持ってきて、意識を集中。

「んっ」

 スペルカード無しでも、少しなら扱えるようになった風の魔法で、小さな傷をつける。
 カッターでちょっと深く切ったかな、程度の傷から、血が垂れた。

「ほれ」
「えー? 指から? 行儀が悪いなぁ」
「文句を言うならやらないぞ。それとも、器持ってくるか?」
「いいよ。今は咲夜も居ないし、怒られることはないわ。こういうのもやってみたかったし」

 パクッ、とフランドールは指に食いつく。……子供の口内って、熱いよなぁ。

「チューチュー鳴らすな」
「ふぃふぃひゃはい(いいじゃない)」
「指を含んだまま喋るんじゃない。くすぐったいだろ」

 なんか、赤ちゃんにミルクをやっているような気分になってきた。
 相手は吸血鬼で、あげているのは血だけど。

「はあ……。なんかもう、はあ……」

 なにやってんだろうね、僕。
 格好は腰にタオル一つの風呂上りスタイル。横には自分の指を吸ってる、ついさっき自分を殺した吸血鬼の少女。

 傍から見ると、すごく犯罪チックな光景じゃないかと、どうでもいいことを考え付いた。



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