「……はて」

 僕は、思わず腕時計を見下ろした。

 ……午後三時。
 間違っても、深夜の三時ではない、はず?

 疑問符が付いたのは、幻想郷に入るなり、夜になってしまっていたからだ。

「ぉぃぉぃ」

 ここは、色々とトンデモないことが起こる所ではあるが、昼と夜が逆転するほどの珍事は流石に初めてだ。

 こういうときは、これを知っていそうな人間に聞くに限る、と視線だけで霊夢を捜し求め、

「あら、貴方来たの。こんな時に」
「あ、いえ。もう帰りますんで」

 そして、巫女と一緒にいる隙間妖怪を発見、逃亡を企て、

「連れないわね。ちょっと付き合いなさいな」

 失敗した。

 いつの間にかすぐ背後に出現した紫さんに肩をつかまれ、ずるずると引きずられる。

「聞きたいんですけど、なんでここ夜なんですか」
「私が昼と夜の境界を弄ったから」

 ……えー、そんな、簡単なことのように言われても反応に困るって言うか。
 え? 境界? 昼と夜? ふぅーん、スゲェスゲェ。んなこと出来るなんて、アンタ人間じゃないよ。あ、妖怪か。

「で、紫? なんでこんなことをしたのか、聞かせてくれるかしら?」

 珍しく真剣な顔をして、霊夢が尋ねる。

「なにって……気付いていないのかしら? この月の異変を」
「月?」

 紫さんの言葉に、頭上の月を見上げる。
 ……うーん、普通の満月だと思うんだけど。

「あの月はおかしいわ」
「そりゃ、あんたがずっと夜にしているからじゃない」
「違うわよ。あれは満月に見えるけど、ほんの少し欠けている。あれじゃあ満月の意味がない」

 満月の意味って、訳がわからないんですけど。

「人間にはあまり影響はないかもしれないわ。でも、妖怪――とりわけ、月に支配される者にとっては、あの異常な月は致命になりかねない」
「月はそうかもしれないど、ずっと夜が続いたら人間だって気が狂ってしまうわ」
「そ、そうかなぁ? ずっと夜だったら、僕ならずっと部屋でゲームでもしているだろうけど」

 二人の会話についていけないので、適当なことを言って場を和ませようと……

「引き篭もりは黙ってなさい」
「……はい」

 紫さんに一発で叩き潰された。
 ……うーん。ここまで真剣っぽい紫さんは初めてかもしれない。

「とりあえず、ちょっとお昼寝して、ご飯を食べたら異変を解決しにいくわよ」
「そうね。長い夜になりそうだしね」
「……いますぐじゃないんだ」
『眠いじゃない』

 僕が突っ込むと、二人ともハモった。
 ……えー? 異変なら一刻も早く解決しなきゃいけないんじゃないかー? 僕が変なだけかー?

「というわけで、良也さんも眠っておいたほうがいいわ。あ、早めに起きて、夜食の準備はしておいてね」
「は?」
「食材は……ま、そこらに転がってあるのを使ってくれていいから。それじゃあね」

 と、霊夢は母屋に引っ込んでいく。……あれ?

「じゃあ、私も家のほうで一眠りしてくるわ。あ、食事は私の分も用意しておくように」
「え?」

 と、紫さんは隙間に引っ込んでいく。……あれ?

「えーと」

 リュックにはお菓子もあるけど、この異変下では売り捌けないだろう。結局、僕も寝るしかないんだけど……

「……どーして、僕まで付いていくことになってんの? そして、晩飯作るの確定?」

 なんだろう、すごく理不尽っつーか。
 異変解決に、僕なんか何の役にも立たないだろ?














「……むぅ」

 実際、今日は昼過ぎまで寝ていたから、昼寝しようにも数時間で目が覚めてしまった。

 仕方なく、あの腹ペコ巫女と腹ペコ妖怪に餌を作ってやろうと、食材とにらめっこしていたのだが、

「これで、どうしろってんだ」

 米はかろうじてある。
 あと、あるのはオクラ……と、各種調味料。

 ご飯とオクラを切った奴? ……うーん、文句を言われることは必至だな。

「ごめんください」

 などと悩んでいると、誰かが台所にやってきた。

「ああ、はいはい。どちらさんですか」
「こんにちは。私は紫様の式神である八雲藍という」

 ……シキガミ?
 ああ、あれか。陰陽師とかが使うやつだな。

「え、っと?」
「紫様から、食材がないようなので持っていくように、と言付かってきたんだ」
「あ、そりゃ助かる。丁度今、それで悩んでいたトコなんだ」

 渡されたのは、油揚げを筆頭に色々な野菜。
 うむ。油揚げと小松菜で、甘辛炒めなんて作ればいいか。あと、卵があるんだから、コイツを落としてやれば、そこそこ美味くなるだろうし。

「よければ手伝おうか?」
「え?」

 ……は? なんて言った? TE・TSU・DA・U?

「マジで!?」
「は、はぁ? 別に、私のご主人が食べるものでもあるし……」
「それは助かる! じゃあ、竈に火熾して。僕じゃちょっと時間かかるから」

 僕の反応に、少々戸惑い気味の藍さんだったが、素直に火を熾しに向かう。

 うーん、素直だ。こんなに常識人っぽい人(ではないけど)が、あの傍若無人を絵に描いたような紫さんの式神とは。
 ……きっと、苦労しているんだろうなぁ。

「火、熾きたよ」
「じゃあ、オクラと小松菜と油揚げ切っといて」

 中華なべを取り出し、火にかけながら、藍さんに指示する。

 普段から手馴れているのか、彼女の包丁捌きは見事なものだった。

「はいできた」
「よし来た。オクラは適当に小鉢に盛っておいて。味付けは任せる」

 油揚げと小松菜を、ごま油を敷いた鍋に投入。がちゃがちゃと振り回して、適当に火が通ったところで、適当に味付け。
 ついでに、卵とじにしてやった。

 炒め物は、割とこうやって手軽に出来るから楽だ。
 今考えた適当レシピだが、味自体もそんなに悪くない。

「よし。僕は霊夢を起こしてくるから、藍さんは、紫さんを叩き起こしてきてくれ」

 すでに、米は火にかけてある。連中が起きてくるころには、丁度炊き上がっているだろう。

「……はい。あの、良也、だっけ」
「うん?」
「紫様はああいう人だから、いろいろと迷惑をかけているかもしれないけど、よろしく」
「……まあ、一応了解」

 あくまで一応だ。いろいろと、で括れないほど、あの人に僕は悪戯されまくっている。
 でも、ま。式神ということで、頭は上がらないんだろうな、藍さん。

「まあ、そんなに嫌われてはいないと思うから、悪いようにはされないと思うよ」
「……嫌われてないかもしれないけど、舐められてはいると思う」
「それは仕方ない」

 と、藍さんは笑って、虚空に消えた。

 さて、僕もあの巫女を起こしに行かないと。
 でも、一応、霊夢とは言え女の子の寝室に入るのは、いつも緊張するなぁ。

 んむぅ。起こしに行くのも、二度や三度じゃないのに。これはもしや、僕が霊夢を意識しているということか……?

「……ないな」

 確かに見た目は可愛いが、性格が……。良いとこ、手のかかる妹というところだ。僕、実妹いるけど。
 大体、僕はロリコンじゃないしね?

「誰に聞いてんだ、僕……」

 頭をぽりぽり。
 馬鹿なことを考えていないで、とっとと起こしに行くことにしよう……










「……霊夢ッ! 起きろ! メシが出来たぞ」
「う〜〜ん、あとちょい」
「それはさっきも聞いた! 起きろってば。ご飯が冷めるって!」

 寝ている霊夢の肩を揺する。
 ……む、寝巻きが少し乱れてるな。

 しっかり布団をかけてやって、と。目の毒だからな。

「あまり起きないようだったら、お前の分の飯は僕が食っちまうぞ!」
「んなことしたら、消し飛ばす……」

 多分、寝ぼけているのだろうが、その台詞は背筋が冷たくなるよ、霊夢サン。

「んじゃあ、アレだ。早く起きないと、お前の分を紫さんが食っちまうぞ!?」
「紫が私より早く起きるはずない……」

 そんなこと、絶対とは言い切れないじゃないか。


 ……ちなみに、その後二十分の格闘の末、ようやく起きた霊夢と一緒に居間に向かったら、紫さんが来たのはさらにその三十分後。
 憔悴した藍さんの顔が、印象的だった。

 さらにちなみに、おかずが冷めていると怒られた。……そろそろ僕も、怒って良い頃かもしれない。



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