「ん〜〜」

 職員室でやっていた書類仕事が一段落つき、大きく伸びをする。

 この春、転勤してきたこの桜が丘高校での生活も、だいぶ慣れてきた。
 一学期は、勝手の違う学校に色々と戸惑ったものだが……まあ、所詮は同じ年頃の高校生。一学期を過ぎると、もう前の学校での経験との摺り合わせも出来、二学期は余裕を持って授業なども行えるようになっている。

 と、隣の席の先生が授業から帰ってきた。

「お疲れ様です。山中先生」
「あ、ありがとうございます。土樹先生」

 隣の人は、僕とほぼ同じ年の山中さわ子先生。美人の音楽教師で、人当たりも良く、この人の隣の席になれたのはちょっとした幸運だった。
 ……なんだよ、悪いかよ。美人はそりゃ好きだよ。裏がなければだけど。

「そういえば、山中先生。吹奏楽部の方、コンクールで入賞したらしいですね。おめでとうございます」
「ええ、ありがとうございます」

 音楽教師ということもあって、山中先生は吹奏楽部の顧問をしている。夏休みに行われたとあるコンクールで、その吹奏楽部が入賞したらしい。

 ちなみに、僕はというと、この学校では部活の顧問は持っていない。まあ、僕の出来ることはというと、英語くらいで、一応この学校にもESSっていう、英会話をする部もあるんだが、それはまた別の英語教師が顧問をやっていた。

 ……前の学校みたくオカルト部なんてのはないしなあ。
 一応、武道も少しはかじっているが、そんなんだったら生徒の方がよっぽど強いし、大体こっちも既に顧問はいる。

 お陰で、夏休みはだいぶゆっくりさせてもらった。正直、悪いなあ、とは思う。

「そういえば、もうすぐ学園祭ですねえ。吹奏楽部も、演奏するんでしょう?」
「はい。今は練習の真っ最中です。土樹先生も、是非聴きに来てください」
「そうですねえ。音楽のことはよくわかりませんけど、行きますよ」

 学園祭といえば、文化系の部活の一番の見せ場だ。体育館のステージを使って、吹奏楽部の演奏や演劇部の演劇なんかが行われる。
 クラス担任でもない、部活顧問でもない僕は、学園祭当日はそれなりに自由に動ける。勿論、見回りとかもやらなくちゃだが、演奏の一つ観に行くくらいは問題ないだろう。

「さて、それじゃあ土樹先生に恥ずかしいところを見せないように、頑張ってきますね」
「ああ、そっか。もう放課後か……いってらっしゃい」

 山中先生を見送る。

 ……さて、明日の小テストのプリントを仕上げないといけないな。
 なんて考えながら、僕は教職員用のPCをスタンバイ状態から立ち上げた。

 ちなみに、当たり前の話だが、ファイル共有ソフトなどは入れていない。そりゃ、たまにネットのニュースを見るくらいはしてるけど。
 最近五月蝿いんだよなあ〜〜。ったく。























「土樹先生。軽音部の顧問をしていただけませんか」

 プリントを仕上げ、試しに一枚印刷して出来を確かめていると、いきなり山中先生にこんなことを言われた。

「……はい?」
「その……去年まではあった軽音部っていう部活が再開するらしくて……顧問の教師が必要なんです」
「はあ……なんで僕に? いや、別に嫌だってわけじゃないんですが」

 それは、今まさに申し訳なさそうにしている山中先生の領分ではないか。はっきり言って、僕に音楽の知識など無いぞ。楽譜すら読めない。

「いやその、技術的な指導は私がしますけど……掛け持ちするなら、顧問の方は土樹先生に任せた方が良いって教頭先生が」
「あー、そうですか」

 まあ、わからんでもない。部活の顧問つったって、生徒にモノを教えるだけとはいかない。部活に関する会議もあるし、課外活動する場合にはその引率や学校への届け出が必要だ。
 それに、吹奏楽部と、ええと……軽音部? の指導を山中先生がするってことは、片方の面倒をみている間はもう片方はほったらかしにせざるを得ない。運動部じゃないから怪我なんかの心配はあんまりいらないけど、特別教室を使う時に監督する人間がいないってのはあんまりよろしくなかったりする。学校の備品を壊した時の責任とかね……

 んなわけで、現在宙ぶらりんの僕に声がかかった、と。

「うん、わかりました。いいですよ」

 断る理由は別にない。というか、教頭先生がそう言ったのなら、こりゃほぼ業務命令だ。いや、部活顧問って一応建前としては教師の自主的な活動らしいのだが。

「ありがとうございますっ。じゃあ、部室に案内しますね。音楽室です」
「……それって、この前山中先生が愚痴ってませんでしたっけ。生徒が勝手にティーカップとかを持ち込んでるって」
「はは……」

 話を聞いてみると、軽音部は春に発足したものの、学校に届け出を出していなかったらしい。

 ……なんだ、そりゃ。大丈夫か、軽音部。

 まー、適当さ加減ならば、僕だって負けるつもりはないが。仕事以外ではぐーたらだしな、基本。

 道中、山中先生の愚痴を聞きつつ、音楽室に向かう。
 普段用事がないので、今まで行ったことのない部屋だが……これからは良く行くことになるんだろうなあ、とか考える。

「あの、ちょっと変わった子たちですけど……」
「大丈夫です。僕の変な奴への耐性はハンパないですよ」

 フフフ……山中先生、僕を驚かせたいならせめて人間くらい指先一つでダウンレベルを持ってきてください。いや、そのレベルでも今更驚かないけどね!

「そ、そうですか?」
「ええ」
「そ、それじゃあ……。みんな、顧問の先生を連れてきたわよ」

 ガラ、と音楽室の扉を開ける山中先生。と、その背中が固まった。

 なんぞ? と背中ごしにひょいと部屋の中を覗くと……

「あ、あれー、先生。もう帰ってきたんですかー?」
「あなた達……私が帰ってくるまで、練習しておくよう言っておいたわよね?」
「い、いやそのー。ほら、甘いものを食べてからの方が、練習もはかどるっていうかー」

 ジリジリと言い訳しているの……あれ平沢じゃん。
 それに、秋山に、田井中に、琴吹……。オール一年か。一年の英語を担当している僕にとっては、全員知ってる顔だ。

 んで、その連中だが……テーブルを囲んで、ケーキをつつきつつ、茶を飲んでいる。
 えーと……軽音……部?

 ……うん、いつからここは茶道部になった?

「あ、土樹先生。先生が顧問なんですか?」
「ああ、一応、そうだけど……」

 生徒の中でも一際おっとりしてる琴吹がにこにこと食器棚(なんで音楽室に?)からティーカップを取り出す。

「では、土樹先生もいかがですか」
「頂こうか」

 断る理由はない。色々ツッコミたいところはあるが、この程度のボケで僕がツッコむと思うなよ……

 適当に余っている椅子に座って、琴吹手ずからのお茶を受け取る。
 ずっ、と一啜りすると、芳しい香りがいっぱいに広がった。

「……良い葉使ってんなあ。ティーバッグとかじゃないだろ」
「実家の経営しているお店から分けてもらっているんです」

 ……そういや、琴吹んちは金持ちだっけ。職員室の噂話で聞いたことがある。
 なんやかんやで、そういうのは耳に入ってくるんだよね。

「お近付きのしるしに、私のケーキを少し分けてあげますね」
「……田井中」
「だからー、あんまり締め付け厳しくしないでネ! お願いします」

 あからさまな作り笑顔を浮かべるのは田井中律。デコが広くてテンション高めの女子生徒。
 ……おっとと、デコが広いとか直で言うと、セクハラになるか? 気をつけとこう。

「元々あんまり口出す気はないけど……くれるというならもらっとく」
「えっ!?」

 僕の言葉にとっさにケーキの皿を下げようとする田井中だが、僕は既にケーキを手づかみで掴んでぽい、と口の中に放り込んでいる。
 ……つーか、元々一口分くらいしか余ってなかったし。

 むう……ケーキも美味い。

「あーっ!」
「やれやれ……律。ちょっと落ち着け」
「澪ー、土樹先生が私のケーキー」

 ひ、人聞きの悪い。最初に差し出してきたのはそっちだろうに。

「っていうか、秋山も軽音部だったのか」
「あ、はい」
「なんか、音楽とかやってるイメージなかったけど」

 真面目ー、な生徒だもんな。軽音というかバンドっつーと、どちらかというとアウトローなイメージがある。吹奏楽とはなんかまた別な感じ。
 まあ、イメージ、という点で言うと……

「……なあ、平沢。マネージャー?」
「土樹先生まで!」

 僕までって、今までに言われたことあんのか。

 いや、仕方ないだろ。教師の立場からして決して口には出せないが……平沢って、抜けてるしトロいし。楽器を弾くと言うとずるずる引きずって歩いていそうなイメージ。

「そ、そりゃあ最初は素人だったけど……今じゃ、もうバリバリに弾けるんですから!」
「ほう。聞かせてくれよ」
「いいですよ!」

 ふん! と平沢は奮起して、立てかけてあったギターを手に取る。『ギー太って言うんです』と嬉しげに教えてくれるが……お前は小学生か。

 しかし……おおー、ギターを構えると、流石にそれっぽい。

「はっ!」

 ちゃらちゃららー、ってな感じで、平沢の指に合わせてギターが音楽を奏でる。
 ……って、おい。

「チャルメラかよ!」

 この気の抜ける音程は!

「最初に覚えた曲です」
「よりにもよって」

 まあ、らしい……か?

 ふむう。って、あれ?

「山中先生? 先生も、座ったらどうですか」
「え、あ、はい」

 僕が席をすすめると、ちょっと呆気に取られていた山中先生が、同じくテーブルを囲んで座る。
 すかさず、琴吹が紅茶を注ごうとするが……残念。ポットの中が空になっていたようだ。

「あら……すみません、すぐ淹れますね」
「あ、僕に淹れさせてくれ」
「土樹先生?」

 僕は手を上げた。

「最近、紅茶の淹れ方、やっと合格もらえたから」

 けっこう前から紅茶の淹れ方を咲夜さんとかに教わって……つい先日、紅魔館はスカーレットのお嬢様に、『……まあ、飲めるわ』との評価を頂いたのだ。
 レミリアの場合、なんだかんだ言いつつどんな出来でも最後には飲むのだが、文句が出なくなったのは僕としては物凄い進歩だと思う。

 ……まあ、飲み比べると、同じ葉を使っても、未だに咲夜さんにも小悪魔さんにも勝てないわけだが。
 ちなみに琴吹の淹れたのに比べると……うーん、葉の違いがあるが、多分僕と大差ないと思う。さしものお嬢様も、紅茶を淹れるプロではないらしい。

「えっと、じゃあお任せします」
「お任せてくれ」

 ふんふーん、と食器棚の方に向かう。
 ちょっとした台になっているところがあって、その上に電気ケトル……数分でお湯が沸くティ○ァールのやつだ……が備え付けてある。
 2リットルのペットボトルに、これは水道水だろうが……半分ほど水が入っていたので、ケトルに注いでスイッチオン。

 その間、紅茶の缶を探し当て、蓋を開けて軽く香りを嗅ぐ。

 むう、やはり良い匂いだ。一種類だけじゃなく、数種類の缶が揃っていたため、一通り見てみた。

 ……うん、どー考えても高校生のお小遣いで手が出る葉じゃないな、これ。

 琴吹のお嬢様っぷりを実感しつつ、その辺りでお湯が沸騰する。
 まあ、後は手が覚えている手順を繰り返すだけだ。ふんふーん、と自然に漏れる鼻歌。

 ……ん、よしと。

「山中先生。後二分ちょいお待ちを」
「え、はい」

 腕時計で時間確認。数秒が命取りだからな。この辺、時間を止めたりして余裕を持って淹れる咲夜さんと違うところだ。

「……あの、馴染むの早くないですか」
「え? いや、そりゃ一応全員顔は知ってますし」

 それに、この面子は秋山を除いて個性的な連中だ。目立つから、性格も大体把握してる。

「山中先生こそ、こういうのいいんですか? 音楽室好き勝手に使ってて」

 怒りそうなものだけど。改めて見てみると、明らかに音楽室にそぐわないセットだし。

「えっと、それは……」
「先生、ケーキです」
「あ〜、美味しいー」

 うわ、とろけるような顔になってるよこの人。
 美人だから眼の保養にはなるのだが……弱いな、オイ。

 そんな僕の呆れ顔に気付いたのか、山中先生ははっとなって、フォークを一旦置いた。
 そして、少し考えたかと思うと、口を開く。

「音楽の練習は意外にハードですから、糖分の補給は必要なんです」

 キリッ、と表情を引き締めて、山中先生が言い切った。
 ……いや、ほっぺにクリーム付いてる、クリーム。

「……山中先生がそれでいいならいいですよ。あ、そろそろ時間だ」
「ちょ! 土樹先生、スルーしないでー」

 スルー以外どうしろと言うのだ。それに、僕としても放課後お茶を飲めるのは個人的に嬉しいから文句をつけることでもない。厳しい先生だと雷が落ちるような状況だが、別に犯罪というわけではなし、僕は黙認する。
 我ながら適当な教師だな、とは思うが、一応僕にも許せないことはある。煙草は駄目。なぜなら僕が臭い嫌いだから。子供はニコチンなしの電子タバコでも吸ってやがれ。

 それに比べて、紅茶の匂いは実にいい匂いだ。うむ……そろそろだな。

 出来上がった紅茶を運んで、山中先生の前に置いてあるカップに注いだ。

「はい。紅茶と一緒に食べると、ケーキはもっと美味しいですよ」
「そうですよね! ありがとうございます」

 笑顔で返事されてしまった。音楽室でケーキを食べることにまるで疑問を持っていない顔だ。いいのか、それで。
 ……僕はいいけどさ。

「はい。あ、紅茶のお代わり要る人は?」

 全員が手を上げた。







 ……とりあえず、紅茶はけっこう好評だったので、よかったよかった。
 この時、紅茶淹れたせいで、僕は以後『お茶汲み担当顧問』になってしまったけどなっ!

 後、メインは吹奏楽部なんだから、お茶とケーキのためにこっちばっか来ないで下さい山中先生。



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