今思い返せば、色々と予兆はあったのかもしれん。



 ――すずかちゃんが小学四年生。ブレイブデュエルに慣れ始めていたある日のこと。



 ホビーショップT&H。
 ブレイブデュエルを三戦ほどこなしてきた僕は、意外と味がいいと評判のフードコートに晩御飯を食べににやって来た。

 開店から随分経った今も店内は混雑していて、空席もまばらだった。

「さて、と」

 んー、どこにしよっかな。
 早いとこ席見つけんと、カレーが冷めてしまう。しかし、こういう時に限って空いてるのはテーブル席ばっかりなんだよな。一人で座るのはなあ。

「お」

 とあるテーブル席を発見。そこは、小学生女子五人が座っていたが、椅子は一つ空いている。

「おーい、悪いけど、座ってもいいか? カウンター空いてなくてさ」
「あ、良也さん。みんな、いいよね?」

 真っ先に僕を見つけたすずかちゃんが手を振ってくる。
 一緒の席に座っていたT&Hエレメンツのメンバーも頷いてくれたので、僕は礼を言って席についた。

「お、良さん、うちのカレーが晩御飯?」
「まぁね。ここのカレーは、美味いしボリュームあるから好きなんだよ」
「秘密のレシピだからね!」

 と、この中では学年が唯一上のアリシアに適当に答えつつ、スプーンを構える。

「みんな、ごめんな。邪魔しちゃって。さっさと食っちゃうから、気にしないでくれ」

 空席がないので同席させてもらったが、さっきまでなにやら飲み物片手に談笑していた。邪魔するのもアレなので、早く食べてしまうことにする。

「で、すずか。聞かせなさいよ。篠田君に呼ばれてたけど、やっぱ告白だったの?」
「ええ〜! 本当? アリサちゃん。篠田君って、サッカークラブのエースで格好良くて、みんなに人気だよね」
「あれ? なのはも気になってるクチ?」
「そうじゃないよ〜。でも、みんな言ってるし……」

 ……おおっと。いきなり居心地の悪い話題が出てきましたよ?
 しかしまあ、所詮この子たちから見れば僕なんておじさんもいいところなんだろうな、やっぱり。平気でこんな話題を口にする辺り。

「あ、あはは……まあ、付き合ってって言われたけど」
「ほ、本当……?」

 すずかちゃんの暴露に、なにやらフェイトは興味津々の様子。

 まさか、あのすずかちゃんがねえ……
 と、生まれた時から知っている女の子の、意外な成長に感嘆する。

 ……しかし、小学生ってこんなんだっけ。最近の子供は早熟だと言うけど、本当の話なのかな。確かに、すずかちゃんはおしゃまというか、ちょっと大人っぽい感じの子だが。

 うーむ、とかつての記憶を思い起こす。

 僕が小学生の頃は、毎日どろんこになるまで遊んでて、そういう話は遠い世界の話だった。
 中学生になって、やっとポツポツそういう話も出てきたが、当時の僕はそういう話は恥ずいというか、興味持つのが格好悪いと思ってたし。
 高校生になると、リア充も増えたが、僕は漫研に入ってオタ仲間と傷の舐め合いをしつつ、趣味を全力で楽しんでたし。
 大学以降は――うん、女の知り合いは増えたが、惚れた腫れたなんて話には一切繋がらなかったしな。

 ……あれ? 僕、小学生にも劣る?

「へえ〜、篠田くんねえ。すずか、付き合うの?」
「断ったよ。あんまり話したことないし……」

 ちら、とすずかちゃんがこっちに視線を向ける。

「ん?」

 どうした? と首を少し傾けて視線で訪ねてみると、慌てて目を逸らされた。
 ……はて。

「はあ、まあそうよねえ。それに男の子と付き合うより、ブレイブデュエルやってる方が楽しいもんね」
「アリサも立派なデュエリストになったねえ」
「そういうアリシアはそういう話ないの? 最上級生でしょ」

 ないない、とアリシアはあっけらかんとした様子。

「まあ、あたしもフェイトもそういうのないし、日本人じゃないからかなー。割とイケてると思うんだけど」

 それはあるかもしれん。
 小学生位だと、まずこの三人の金髪には気後れするだろう。友達付き合いは問題ないだろうけど、やっぱり付き合うとかそういうのはまた別の話だしね。

 すずかちゃんも夜の一族として、ヨーロッパ系の血は入っているんだけど、日本人の顔立ちに近いからなあ。

 ま、それも数年のことだろう。中学、高校になると、断るのが大変になると思う。いや、間違いなく。
 なのはちゃんも……まあ、今は他の子より地味目だけど、綺麗になるだろう顔立ちだし。T&Hエレメンツというチームがこの店のプレイヤーから圧倒的な支持を受けているのもわかる。

「良さんはないの? そういうの」
「あ、聞きたい聞きたい。大人の恋愛〜」

 アリシアがなにか言い始め、バニングスがそれに乗る。
 ……こいつら。僕のことはただカレーを食う置物とでも思っておけばいいものを。

 ふう、と僕はスプーンを口に運ぶ手を止め、お冷やを一口のみ、そしてワクワクしてるアリシアとバニングスに向けて、静かに、重く、のたまった。

「いいか、お前ら。大人がみんながみんな、恋愛してると思ったらそりゃ勘違いってもんだぞ。僕みたいになるなよ」

 小学生相手にこれ以上言うのもアレなので、そう絞り出して僕は食事に戻った。
 なお、僕はもう三十過ぎにして、相変わらず彼女いない歴と年齢は同じ意味を持つ。

 『あ……』と察したアリシアとバニングスは、唐突に話題をブレイブデュエルのものに変えた。
 ……ふっ、小学生に思い切り気を使われたゼ。

 泣きたい。

「……なに? すずかちゃん」
「え? な、なんでもないです」

 なにやら、すずかちゃんが僕をじーっと見つめていた。
 それを指摘すると、慌てたように手を振って、他のみんなの会話に入る。

 ? なんだったんだろう。

























 ――すずかちゃんが小学六年生。ファリンのメンテのため、月村家に訪れた日のこと。



「ごめん、良也。あたしと恭也、あとノエル、ちょっと出かけるから……。明日まで帰ってこないと思う」
「お、おい、忍?」

 ご近所さんになったので、今では折を見て月村家にやって来ているのだが、約束の時間に訪れたところ、忍と恭也はバッグを担いで出かける準備をしていた。

「ど、どうしたんだ急に?」
「ちょっとね……。本当、ごめん。ファリンのパーツは、いつもの部屋に置いてあるから……。今日、すずかのことお願い」
「はあ!? 意味がわからん。説明しろ」

 すずかちゃんも大きくなったとはいえ、まだまだ子供である。
 大人組が全員出かけて、ファリンもいないとなると、あの子一人で置いて行く気か?

「ちょっと、その……体調が」
「って、そういや顔赤いな」

 普段は血の気の薄いやつなのに、顔が火照って目が潤んでいる感じがする。しかも、なんだかもじもじしてて落ち着きが無い。
 そっか、体調不良か……それなら仕方がない。

 しかし、ファリンのパーツを取り出した後だなんて、なんともタイミングが悪いなあ。

「病院行くのか? ちゃんと保険証持ったか?」
「ええと……」

 忍は困ったように視線を彷徨わせる。
 はて……?

「あ、そっか。夜の一族だもんな。普通の病院じゃ駄目なのか」

 そういえば、前に綺堂さんに聞いたことがある。夜の一族には、一族用の医者がいるんだとか。

「そ、それよそれ! うん、普通の人間じゃないから、仕方ないのよ。ねえ、恭也?」
「お、俺に振るな」

 珍しい。いつも冷静沈着が服を着て歩いているような恭也が、あからさまに狼狽している。

「……でも、医者の付き添いなら、恭也かノエルさんのどっちかだけでいいんじゃ」
「恭也は必須だし。あたしちょっと馬鹿になるからさあ。流石に色んな世話を恭也にしてもらうのは……」
「おい。おい、忍」

 忍を肘でつついて、恭也が咎める。忍は、はっ、となって愛想笑いで誤魔化した。
 ……なんなんだ、こいつら。全般的に。

「とまあ、そういう訳ですので」
「いや、ノエルさん。なにがどういう訳なのか、僕まったく把握できてないんですけど」
「本来なら私は残るべきなのですが、良也様にすずかお嬢様をお任せ出来るなら、お願いしたいのです」

 うーん、まあどうせいつも夜遅くまでかかるしなあ。
 すずかちゃんも手間のかかるような年じゃないし、単に大人がこの屋敷にいないのが問題なのだ。そういうことなら、一晩泊まるくらい別に全然構わないんだが。明日休みだし。

「……なんか怪しい。忍、恭也、ノエルさん。なにか僕に隠してることない?」
「ないないない! ――あ、あたしそろそろ我慢の限界だから! 恭也、行くわよ! こんなところでする趣味はないでしょ!?」
「あ、ああ。では良也さん、失礼します!」

 最後に、ノエルさんが優雅に一礼して、怒涛のように三人は走り去っていった。

「……すずかちゃん、なんか知ってる?」
「さあ、私にもなにがなにやら」

 にっこり笑うすずかちゃん。……あ、これはなんか知っている笑顔だ。T&Hエレメンツのメンバーでも誤魔化されるかもしれないが、生まれた時からの付き合いである僕を舐めるなよ。君が隠し事苦手だった時分から知っているんだぞ。
 ……まあでも、かと言って追求する気も起きず、僕はそのまま流すことにした。





 ――あ、忍。今気付いたんだけど、お前もしかしてあの時、発情期……
 ――うっさい! 続き! 続きはよ!
 ――……悪い。ついぽろっと。





「……しかし、流石ノエルさん。ちゃっかり夕飯の支度はしてたんだ」
「今温めますねー」

 メインはビーフシチューである。
 後はパンとシーフードサラダに、手作りらしきプリンがデザートだ。

 すずかちゃんはバターロールをオーブンに入れ、シチューを火にかける。
 なにか手伝おうかと一緒に台所にやって来たのだが、もうすることがない。火を使うのを注意する必要もないだろうし……

「ふんふーん♪」

 エプロンをつけ、シチューの入った鍋をかき回すすずかちゃんは、なにやらすごくご機嫌だった。
 ……なんだろう、大人組が留守で、ビーフシチューおかわりし放題なのがそんなに嬉しいのだろうか。

 でも、このままぼーっと突っ立っているだけっていうのは、なんか居心地悪い!

「ええと、お皿、お皿出しとくよ。シチュー皿どこ?」
「あ、ありがとうございます。食器棚の三段目です」
「了解」

 すずかちゃんの言葉に従い、食器棚を漁る。
 と、ふとすずかちゃんが含み笑いを漏らした。

「ん? どうしたん?」
「ふふ……いえ、これって新婚さんみたいだなぁ、って」
「はは。成る程、言われてみれば」

 すずかちゃん、こんな冗談も言うんだ。
 まあ、機嫌良さそうだし、適当に合わせておけばいいやと、軽口で返す。

「でも、それだったらちゃんと手料理作ってみたかったな」
「あれ? 料理できるの?」
「ノエルにちょっとだけ習ってます。まだまだですけど、良也さん、今度ご馳走しましょうか?」
「んじゃ、ありがたくいただこうかな。ちなみに、僕もけっこう料理は得意」

 昨今の男子は、料理もできんといかん。……いいや、独身男の標準的なスキルですけどね。

「どうせお酒のつまみでしょ?」
「な、なぜわかった……いや、普通の料理も勿論作れるよ?」

 クスクス、とすずかちゃんが上品な笑い声を漏らす。
 なんだかなあ、と二十以上年下にやり込められて、僕は頭をかく。

 その後は、すずかちゃんの学校の話や、一人先に進学したアリシアの中学生活の話、アップデートを繰り返しているブレイブデュエルの話等をしながら、晩御飯を一緒にした。

 その後。僕はほぼ僕専用となっている客室で、ファリンのパーツのメンテナンスを始めた。

 相変わらず、特に問題なし。魔力詰まりを流し、僅かな歪みを矯正し、まあファリンも女の子だし綺麗な方がいいかと布で磨き、

「良也さーん、お風呂上がりました。お次どうぞ」

 ……そうだった、今日は泊まるんだった。

「ああ、うん。もう少しで終わるから、それ終わったらいただくよ」
「どんな調子です?」

 ひょい、とすずかちゃんが僕の背中越しに作業机を覗きこむ。
 なんかシャンプーのいい匂いがした。やはり、小学生とは言え女の子だな。僕が普段使ってるシャンプーとは、なんか値段の違う感じの香りだ。
 少し湿った髪の毛が頬にかかり、くすぐったい。

「いつも通り。作業は終わって、今は綺麗にしてやってるところ」
「へえ」

 まあ、汚れも殆どつかないんだけど、気分の問題である。

「そういえば、いつだったか、すずかちゃんがファリンのメンテナンスできるようにしようって話してたっけ?」
「あ、そういえば」

 今ふと思い出した。

「……うん、でも、しばらくはいいです」
「そう? まあ、これから中学、高校、大学って、勉強大変だもんなあ」
「それもありますけど」

 すずかちゃんが口籠る。
 でも、少し悩んでから口を開いた。

「私が覚えたら、良也さん、来てくれなくなるかなあ、って」
「ははあ、確かに。僕が来るときはノエルさん、ご馳走作ってくれるからなあ」

 今日のビーフシチューも絶品であった。
 そういうご馳走の機会が少なくなるのは、すずかちゃん的に面白く無いんだろう。

「……もう、知りません」
「え? な、なんで? ……あ、勿論、今度作ってくれるっていうすずかちゃんの料理も楽しみだから……」

 そんなことがあった。

























 ――すずかちゃんが中学二年生。彼女の誕生日のこと。



 毎年、すずかちゃんとかなのはちゃんとか、昔から知ってる子の誕生日にはプレゼントを送っているのだが、そろそろどんなものが欲しいのか、わからなくなってきた。
 この年の女の子にゲームってのもないだろうし、服や靴、アクセサリーはそろそろこだわりが出てくる年頃だ。

 というわけで、お買い物である。夜はなのはちゃん達を呼んでパーティーをするらしいので、午前中に待ち合わせ。

 リクエストがあるんだったら聞くぞー、と言ったのだが、すずかちゃんは一緒に買物することにこだわった。

「……もしかしてこれは、僕の財布を緩めるための作戦か?」

 ネットなんかで購入するなら、金額がはっきり見えるし、『いや、それはちょっと』と言いやすい。
 しかし、店頭ならば、その場のノリで深く考えず高くても買ってしまいそうだ。

 くっ、策士めっ。

「人聞きの悪いコト言わないでください」
「おっと、聞いてたのか」
「……もう、気付いていたでしょ?」

 まあ、実は。

「そんなに高いものなんていいですから。ほら、行きましょう」
「っと、すずかちゃん、引っ張らないでくれって」

 少し頬を膨らませたすずかちゃんが、僕の手を取り引っ張る。

「駄ぁ目。今日は、私に付き合ってもらう約束ですよ?」
「……了解。でも、恥ずかしいから引っ張るのはやめてくれ」
「はぁい。じゃ、はぐれたらいけないので、こう」

 そう言って、すずかちゃんは自然な仕草で腕を絡めてくる。
 土曜日のお昼、海鳴駅前はそれなりに混雑していて、確かにはぐれるかもしれないんだけど……何故に。

 しかし、嬉しそうなすずかちゃんに、腕を振り払うのも気が引けて、僕は諦めてなすがままになった。

「はあ……もう随分大きくなったのに、今日は随分甘えただな」

 すずかちゃんがもっと小さい頃は、ファリンも稼働し始めたばかりで、月村家に訪れる頻度も今より多かった。
 当時のすずかちゃんはすごく元気な子で、たまに来る僕を遊び相手としてロックオンしており、こうして手を引っ張っていたものだ。

「たまにはいいじゃないですか。あ、あっち行きましょう」
「わかったわかった」

 しかしこの子も、もう子供ではない。大人とは言えないかもしれないけど、既に手足は伸びきっている。
 今日は薄く化粧もしており、服装も大人びていることもあって、ぱっと見は中学生には見えない。

 こういう風に、男に気軽に接触するのは、そろそろ控えたほうがいいのではないだろうか、なんて思ったりもする。
 ……ま、今日はいいか。

「それで、すずかちゃんは何が欲しいんだ?」
「ええと……服、とか、いいですか?」
「はいよ、任せておけ。どんな服?」
「あ。良也さんに見立てて欲しいな、って」

 おいおい。

「言っとくけど、僕に服のセンスはないぞ。見てわかると思うけど」

 外出するというのに、今日の僕の服装はいつも通り、量販店で安売りしていたシャツとズボンである。
 清潔にはしているが、なんか気合入ってるすずかちゃんの本日の装いと比較すると、はっきり言ってイマイチである。

 そういうのは、姉の忍にでも頼めばいいだろうに。

「もう、いいじゃないですか」
「いいけどさ……どんなのでも文句は言わないでくれよ。後、お店はすずかちゃんが選んでくれ」
「あ、それなら、駅ビルの四階に、いいお店があるんですよ。そこにしましょう」

 すずかちゃんに案内されるままに、お店に向かう。
 僕は、この辺は飲み屋くらいしか知っている店はないのだが、流石は花の女子中学生。なんかお洒落な店を沢山知っているらしく、目的の店に辿り着くまでに、色んな店を冷やかすことになった。

 ファンシーショップで人形を見たり、本屋で新刊を買ったり、アクセサリーのお店に立ち寄ったり。
 目的の服屋では、僕は散々悩んで、結局店員さんの力を借りつつも、いくつかの候補を僕は絞り込んだ。

「ええと、どうでしょうか?」

 店員さんおすすめの中から選んだ服は、落ち着いた色合いで……うん、服には詳しくない僕だが、似合っていることはわかる。

「お似合いですよ」
「うん、僕もそう思う。それでいいんじゃないか?」

 店員さんの褒め言葉に、僕は追従した。

「そうですか? じゃ、これにします。着替えますから、少し待っててください」

 シャッ、と試着室のカーテンが閉じられ、衣擦れの音がする。

「っと、お会計、先にいいですか?」
「はい。……それにしても、可愛らしい彼女さんですね」

 え゛?

 ……って、そうか。僕は二十歳当時から成長していないし、すずかちゃんは実年齢より大人っぽいしで、傍目には年齢的に釣り合っているのか。
 勿論、外見年齢以外は色々釣り合いは取れていないわけなのだが。

 しかし、誤解を解こうにも、さて僕はすずかちゃんとの関係をなんと説明すれば良いのだろう?
 親戚でもないのに、中学生の女の子を連れ回して服を買ってあげる、四十路近くの高校教師……

「は、はは、そうですね、かわいいでしょ?」

 手錠をかけられる未来しか見えず、僕は誤魔化すように笑った。

 ……試着室から、ガタタ、と、大きい音が響いた。












「もう、からかって」
「いや、だってなんて言ったらいいかわかんなくて」

 服を無事に購入した後。
 駅ビル最上階のレストランの一つで、注文が来るのを待ちながら、僕はむくれているすずかちゃんのご機嫌取りをしていた。

 なんだろう。服屋から出た直後はこれ以上ないってくらい幸せな表情だったのに、僕が店員さんの彼女発言を否定しなかったことを謝ると、こんなんになった。
 ……うーむ、複雑な年頃だ。

「ほ、ほら。ここのランチのデザート、今日はベイクドチーズケーキだってさ。僕の分、あげようか?」
「いりません」

 ぷぅ、とそっぽを向かれた。

 やれやれ……本当に難しい。

 でも、少しうれしいって気持ちもある。
 すずかちゃん、普段はいい子で、あんまり我儘とかも言わないし、怒ったりもしない。肉親である忍や、メイドであるノエルさんやファリン相手でも同じようなもんらしい。
 だから、まあ、こういう風に機嫌の悪い時に素直にそうとぶつけられるのは、信頼というか、気安く思ってくれているんだろう。

 と、そうこうしているうちに、料理が届いた。
 ハンバーグがメインとなっているランチだ。

「……ハンバーグ」
「うん?」
「ハンバーグ、一切れくれたら、許してあげます」
「うん、いいよ」

 そんくらい安いものである。
 僕は一口分を切り分けて、すずかちゃんの鉄板に置こうとし、

「あー」

 ……雛鳥のごとく口を開けているすずかちゃんに、ピシリと固まった。

 僕になにをさせようと言うのか、この子は。
 幸いにも、僕達の座っている席は観葉植物が影になって他のお客さんからは見えない位置にあるが、しかしそれでもこれはない。

「…………」

 じー、と睨まれた後、再度すずかちゃんの口が開いた。

「……ええい」
「ん、おいしいです」

 そりゃようござんしたねえ!

 くっそ、流石にこれは恥ずかしい。すずかちゃん流の意趣返しか、これ。

「じゃ、冷めないうちにいただきましょう」
「……はいはい」

 くそう。

























 ――そして、すずかちゃんが高校入学してしばらく。告白された。



「とまあ、こんなことがあったりした」

 月村家のリビング。
 つい先日、すずかちゃんからの告白を受け――どこからかそれを聞きつけた忍に、月村家家族会議の場に引っ張りだされ、事の経緯を説明させられた。

 同じテーブルについているのは、僕、すずかちゃん、忍、恭也。メイド二人は後ろに控えている。
 そんな場で、僕はすずかちゃんがこんなことをしたきっかけかも、と思うエピソードを混乱のままに話したのだが、

「……もしかして、すずかちゃん、割と昔から」

 視線を、小さくなっているすずかちゃんに向けると、何故か忍が反応した。

「あのね、良也。もしかしてもなにも、一目瞭然でしょこれ」
「……そうなの?」
「そうよ! これが法廷だったら、状況証拠だけで有罪に持っていけるわよ!」

 お、おおう……そこまでか。

「しかし、その、すずかちゃん。なぜ、良也さんなんだ」

 おう、ナイス恭也。まさに僕が問いかけたい内容をそのまま代弁してくれた。

「え、ええと……覚えてません。ずっと前からなので」
「…………えー」

 ずっと前からって……。
 ありがちな年上に対するアコガレ的なものをこの年まで引き摺っているってことですか。

「う、ううーん。いや、気持ちは嬉しいんだけど」
「なによ、良也。まさかうちのすずかを振るって言うの?」
「……忍。お前、僕とすずかちゃんがどんだけ年離れていると思ってんだ」

 かたや十六歳、かたやアラフォー。

「犯罪だろ……」
「もう結婚できる年よ」
「できるからなんだっつーんだ……」

 そうだとしても、年齢差二十以上という現実に対し、いかほどの武器になるというのか。

「というか、姉としてはいいのか?」
「うーん、すずか本人がいいって言うなら、私からは別に反対する理由はないかな。良也のことはよく知ってるし」
「……恭也」

 既に忍と結婚していて、すずかちゃんの義兄となっている恭也に水を向ける。

「俺としては……その、歳の差というのは無視できないかと」

 よし、僕は信じていたぞ!

「って、言ってもよ。恭也、貴方と良也じゃ、今じゃ良也のほうが年下に見えるんだけど」
「……それもそうか」

 納得すんなよ、そこで!

「じ、実年齢はちゃうし」

 肉体的には、確かに僕は恭也と忍より年下ではあるが!

「……そ、それに、すずかちゃんは今、海聖高校の生徒だろ? 教師として、教え子に手を出すわけには」
「バレやしないわよ」
「バレたらクビだよっ」

 それに、バレなくても、職業倫理というものが。

 と、そんな言い合いに、すずかちゃんは悲しそうな顔になり、そして、言った。

「あの、ごめんなさい。私が変なこと言っちゃったせいで騒ぎになっちゃって。……その、忘れてください。本当、すみませんでした」
「あ、いや、その……」

 ぐあ……そこで、泣きそうな顔されると、すごく困る。

 いっそ冷たく突き放すほうが大人として正しい態度なのかもしれない。
 しかし、そういう意味で言うと、僕は大人失格であった。すずかちゃんの悲しげな顔に、フォローの言葉が勝手に出てくる。

「あ、あのさすずかちゃん。やっぱり、まだ早いと思うんだ。ゆっくり大人になって、色んな人と触れ合って、経験を積んで……その上で、まだ気持ちが変わらないって言うなら、僕は喜んで「本当ですか?」

 先ほどまで泣き顔だったのはなんだったのか。
 僕の台詞に割り込んだすずかちゃんは、怖いほど真剣だった。

 ……ここで嘘です、とか言ったら、なにかとてもとても恐ろしいことになりそうな気がする。

「ほ、本当……です」
「それじゃあ、待っててくださいね」
「はい」

 カクカク、と頷く。

 助けを求めるように、回りを見渡すと、

「さって、片付いた片付いた。恭也ー、血、頂戴?」
「わかったわかった」
「ファリン、今日はお祝いをしましょう」
「はぁーい! 腕によりをかけますよー」

 ……全員、話は終わったとばかりに出て行きやがった。

「良也さんもお夕飯食べますよね? じゃ、それまで温室でお茶でもしませんか?」
「え、ええと……」
「ほらほら、早く早く」

 椅子から引っ張り起こされる。

 はあ……

「わかったわかった……」
「お茶淹れるのも私覚えたんですよ」

 僕は諦めの境地ですずかちゃんに付いていく。

 まあ……悪い気はしない。

 でも、多分、高校……遅くても大学に入ったら、こんなはしかみたいな気持ちは、なくなるんだろうな。中学生までとは見える世界の広さがダンチだ。
 それはちょっと寂しい気もするが、それが自然な流れだろう。

「なんですか?」
「なんでも」

 ま、それまでは、この子に付き合うとしましょうか。















 ……なお、四年後。彼女が成人した時。
 僕は、自分の見込みが甘かった事を思い知らされることになる。



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