「……ヨーティア」
「んー? ぉ、おお。トモキじゃないか。なんだい、この大天才様になにか用かい?」
「そういうわけじゃないんだけど……お前、寝てないのか?」

 と、友希は、城の廊下をあっちへふらふらこっちへふらふらと実に危なっかしい足取りで歩いているヨーティアに尋ねた。今日の仕事も終わり、さあ帰ろうかというところで遭遇したのだ。
 目の下に隈を作って、髪はボサボサ、服はヨレヨレ。伸びきったシャツの隙間からブラが見えている。

 知らない顔でもないし、挨拶でも、と思ったらこの体たらくである。

「なに、まだほんの二日目だ」
「……ヨーティアの仕事はもう終わったと思ったんだけど」

 ラキオス王国の技術顧問であるヨーティアの仕事は、主に防衛施設の建築だ。
 勿論、彼女が手足を動かすというわけではない。より高度で強力な防衛施設を作るためには、彼女の設計が必要不可欠なのだ。しかも、彼女が設計した施設はただ効果が高いだけでなく、建築期間を短縮し、メンテナンスを容易にする工夫が随所に盛り込まれており、現場の人間にも非常に評価が高い。

 一兵士として戦っていた頃には気付かなかったが、隊長になってから防衛施設の建築の流れを一から俯瞰するようになって、その凄まじさがようやくわかってきたところである。

 しかし、それももう終わっている。ソーン・リームへ攻め込む橋頭堡たる都市ニーハスに建築する予定の施設の設計は、もう全て上がっていた。

「あのねえ。まだまだ仕事は残ってるよ。この天才の頭脳を遊ばせておく余裕なんて今はないだろう」
「そりゃそうだけど……」
「今抱えてるやつだけでも、カオリ殿の帰還のための装置の開発、エターナルの弱点の研究、エーテル技術に代わる技術体系の研究に……ああ、そうだ。お前らの戦闘服の素材も今日新しい生地の試作が完了したから、明日辺り試してみてくれ。計算では防御力が三割くらい上がってるはずだ」
「お、多いな……」

 どうやってそれだけの研究を並行しているのか。天才のやり方は友希にはわからなかった。

「なぁに、このくらいの掛け持ちは慣れたもんだ。他にも色々とあるしな」

 フヒヒ、とヨーティアはヤバい笑みを漏らす。

「ですがヨーティア様。仮にも女性が、風呂にも入らず、着替えもせず、そのような格好で城内を歩きまわるというのは、いささかどうかと思うのですが。ヨーティア様がそのような様では、他の研究員の方達の士気に関わります」
「……げっ、イオ」

 振り向いてみると、ヨーティアの助手であり、つい先日までニーハスへ防衛施設建築の監督に向かっていたイオの姿があった。
 ヨーティアの設計図は従来のものと大きく違うため、現場に設計思想を伝える必要があるのだ。そのためには、ヨーティアの技術を熟知しているイオが向かう必要がある。彼女はスピリットのため、エーテルジャンプで移動できることも大きい。

「げっ、ではありません。……私が不在の間でも、生活面のことはキチンとしてください、とお願いしたはずですが」
「い、いや〜、お前の代わりに世話してくれたメイドな? お前ほどは気が利かなくてさ。ついつい、な?」

 なお、そもそもの話として、ヨーティアは飯と茶の支度以外はそのメイドに頼みはしなかった。気が利く、利かない以前の話として、国の重鎮であるヨーティアに対し、一メイドが指図など出来るはずもなく、それ以外の身の回りのことはお座なりとなってしまったわけである。

「折角引き受けた下さった方に責任転嫁はおやめください」

 そして、そのくらいのことはイオもお見通しである。薄々こうなるであろうことは予想していた彼女だが、件のメイドには後日謝罪をしないと、と考えていた。

「うぐっ、いや、しかしだな」
「ヨーティア様。いい加減、言い訳はおやめください」

 イオの声のトーンが一つ下がり、ジロリ、とヨーティアを睨めつける。
 言葉を続けようとしていたヨーティアは口を開けたまま硬直し、あはは、と誤魔化すような笑い声を上げた。

「わ、わーったわーった! ひとまず、二時間程仮眠する! 風呂と軽食の用意しといてくれ! いいな、くれぐれも二時間で起こせよ!」
「了解いたしました」

 のっしのっしと部屋に向かうヨーティアを見送り、イオは大きく一つ溜息をつく。

「……トモキ様、申し訳ございません。ご挨拶が遅れました」
「ああ、いや。いいんだけどさ」

 丁寧に頭を下げるイオに、友希はしどろもどろになる。どうにも、二人の会話に口を挟めなかった。
 ぽりぽりと頬をかき、口を開く。

「しかし、なんだ。ヨーティアの世話も大変だな」
「いえ、そんな……確かに、困らせられることも多いですが、好きでやっていますので」
「そうなんだ」
「はい」

 イオとヨーティアがいかなる関係なのか。今更ではあるが、友希は不思議に思った。
 そもそも、スピリットが一個人に仕えていることからしておかしい。戦闘に適していないと判断されたスピリットは、民間に払い下げられることもあったということだが、ホワイトスピリットという稀少種であり、戦闘はできずとも多方面に才能を発揮しているイオを国が手放すとも思えない。

 プライベートに踏み込むほど彼女と親しいわけではないので、それ以上話せなかったが、いつか知ることもあるのだろうか。

「? なにか」
「あー、その、えっと」

 そうして少し考えて、イオをじっと見ていたことに気付かれ、友希は言葉を探す。

「そう、ヨーティアのこと、これからもよろしく。あの大天才の頭脳が、ウチの切り札だってのは間違いないから。今、倒れられたりしたら大変だ」
「はい、それは勿論。……それに、ヨーティア様も、ご自分の体調のことについては留意されていると思います」

 『体調面以外は度外視されているようですが』と、イオが溜息をつく。

「普段は頭の回転が鈍るからと、睡眠を大切にされているのですが……今は時間こそが黄金よりも貴重です。薬品等も用いて、相当無理をなさっているようで」
「や、薬品……? それって大丈夫なのか?」
「ギリギリ、合法の品です。恐らく」

 ギリギリなんだ、しかも恐らくなんだ、と友希の顔が引き攣った。

「おかげで御髪は乱れ放題、肌は荒れ放題。一息ついたら、ゆっくりと休養して欲しいところです」

 そう言って悩むイオの姿は、まるきり保護者である。

「髪に肌……かあ。そっか、ヨーティアも女だったな……」
「……トモキ様。それはどういう意図の発言でしょうか?」
「あ、いや。別に悪い意味じゃないんだけど。ヨーティアについては、あんまりその辺意識してなかっていうか」

 表情は変わらないものの、どこか威圧感のようなものを纏ったイオに、慌てて言い訳をする。

 しかし、言われてみると。
 普段の態度がああなので、女性として意識するどころではなかったが、あれでヨーティアも美人である。口を開かず着飾っていれば、綺麗どころと言えるだろう。

 ……まあ、あの大天才様がそのような格好を見せるとは露ほども思わないが。友希は、ヨーティアが白衣以外の服装をしているところを見たことがない。

「と、とにかく。ヨーティアがそこまで頑張ってるんだったら、僕達も頑張るよ、うん」
「……ええ。よろしくお願いします」

 誤魔化すように告げて、友希は踵を返した。
 背中を突き刺すように、イオの視線がじーっとこちらを見ている事を薄々と感じながら。


































「やれやれ……」

 考え込んでいる間につい先程の出来事を思い出し、友希は溜息をついた。

「? どうしたんですか、トモキさま」
「なんでもない。ヘリオン、これでチェック」

 と、以前ネリーともやったファンタズマゴリアのチェスもどきの駒を一つ動かし、王手を仕掛ける。
 かつて将棋部に所属し、この手のゲームについては興味のあった友希は、他に娯楽がないこともあって短期間のうちに随分と腕を上げた。

「あっ」
「ヘリオン。三手前、こっちの駒を移動したのが失敗だったな」
「そ、そうですね。うぅ、これで、通算成績、逆転されましたね」

 スピリット隊の中でも、ヘリオンの腕前は中堅といったところ。最初の頃は、申し訳無さそうな顔をするくせに、容赦のない戦術を用いるヘリオンにコテンパンにされていたが、ようやく巻き返しが完了した。

「も、もう一度お願いします」
「はいよ」

 駒を初期位置に並べる。
 一足先に並べ終えた友希は、脇に置いてあったカップを取り、すっかり冷めてしまった茶を一口啜る。

「それじゃ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」

 一礼して、一手目をヘリオンが動かす。
 間髪入れず定石通りの手を返した友希に、ヘリオンも同じように駒を動かす。

 しばらくは決まった手で動き、駒が入れ乱れる辺りでそれぞれ長考も増えてきた。

「……そういえば、ヘリオン。街の子に、剣教えるんだって?」
「え?」

 次の手を考えながらも、友希はヘリオンに話題を振る。こうしてゆっくり話が出来るのも、このゲームのいいところだ。

「いや、こないだ警邏で街に出た時に、男の子に『ししょーんとこの人だろ!』って話しかけられた」
「あ、あああ、あの子! いえ、その、確かにそのような約束はしましたけど、それはあの子がもっと大きくなってからで!」
「毎日走ってるよ、って伝えてくれって頼まれたけど?」

 う、とヘリオンが気まずそうな顔になる。
 咎められるとでも思ったのだろうか。仕事に支障が出ているなら隊長として叱責の一つもするが、余暇を利用して街の人間と話しているくらいなら友希に口を挟む権利などない。いや、人間との交流は推奨してもいいことだ。

 と、いうようなことを伝えると、ヘリオンはあからさまにほっと安堵する。そして、熟慮した一手を打ち、友希もそれに対応すべく長考に入る。

「剣を教えるのは大きくなったら、って約束だったんですけどねー。やる気があるのに、なにもしないのも勿体無いと思って。無理のない範囲で基礎体力を付けてもらっています」
「ま、体力はあって損はないか」
「はい。もし将来、あの子の気が変わっても、無駄にはなりませんから」

 そういえば、と、友希は思い出す。
 訓練が終わった後、ヘリオンはよくミュラーに相談に向かっていた。向上心があるなあ、と勝手に思っていたが、

「もしかして、ミュラーさんにその子の指導方法とか聞いてた?」
「……はい、実は」

 スピリットに対して的確な訓練をつけていることからもわかるように、ミュラーは指導者としての経験も豊富だ。
 剣聖としての名声があるため、弟子入り志願者は引きも切らないらしい。

 実際に取った弟子はそれほど多くはないそうだが、スピリットではなく人間に対して教えた経験で言えば、訓練士の中でも随一だ。

「気が逸っちゃって、将来の訓練メニューも実は考えてたり。あはは」
「いや、いいんじゃないか?」

 実際に稽古をつけるとなると、予想から外れることはいくらでもあるだろうが、考えることは無駄にはなるまい。
 そう思いながら、友希は考えた末、とある駒を一つ後ろに下げる。

「じゃ、もしかして、戦後はヘリオンは剣術道場でも開くのかな」
「い、いいえ! まさか。私なんかが、そんなこと無理ですよぅ」

 そうかなあ、と友希は思う。

 ラキオス隊の中では未熟なヘリオンだが、大陸のスピリットの平均から見ると相当の上位にいる。
 第九位という、こう言っては何だが永遠神剣の中でも最も格下である剣にも関わらず、これだけの実力を持つのは、本人のセンスがずば抜けているからだ。
 そして、今回の大陸中を巻き込む戦争の中、最前線で戦い続けた実戦経験が、剣聖ミュラーの指導によって結実し始めており、ここ最近の成長は目を見張るものがある。

 出来るかどうか、で言えば、決して不可能ではない気がする。

「それに、私はそんな、沢山の人に教えるのは……一人だけで、きっと手一杯です。あの子だけでも、色々ぐるぐる考えちゃって、どうしたらいいかすっごく迷ってますから」
「ああ……」

 面倒見が良すぎて、お金を取って大人数に教えるのは無理……と言われると、成る程と思う。
 昔、今より更に未熟な頃に友希は少しだけ剣を見てもらったことがあるが、的確な指導ではあるものの、あれを大勢にしようとすると時間がいくらあっても足りないだろう。

「それに、多分私は、戦後もスピリット隊を離れることはありませんから」
「? そうなんだ」

 それは友希には意外に思えた。

 ヘリオンは、スピリット隊の変じ……個性溢れる面々の中では、かなりまともな部類に入る。というか、その端正過ぎる容姿に目を瞑れば、髪の毛や目の色も普通の人間と大差なく、性格も年頃の少女そのものだ。
 レスティーナによるスピリットの開放が実現すれば、ヘリオンは当然のように市井に混じっていくものと思っていた。

「スピリットのための学校が出来るって聞いて、少し悩みましたけど。ユート様やみんなと一緒に作り上げた平和を、守りたいなって」

 ヘリオンが言いながら、駒を動かし、友希は既に決めてあった通りにそれに対応する一手を放つ。
 む、とヘリオンが渋面を作り、盤上を睨み始めた。

「悠人、ねえ」
「な、なんですか?」

 そこで悠人の名前を上げ、他の隊員は『みんな』で括っている辺り、至極わかりやすい。本当、どうして悠人はヘリオンの気持ちにまったく気付かなかったのだろう。

「いや、なんでも。悠人の奴は、勿体無いことをしたなあ、って思っただけ」
「な、ななな、なんですかそれ! なんですかそれ!」

 もはや悠人とアセリアの間に割って入るつもりはヘリオンにはないらしいが、それはそれとして彼女の気持ちがなくなったり別の方向を向いたわけではない。
 こうしてそのことを指摘すると、顔を真っ赤にして過剰反応する辺り、まだ吹っ切れてはいない様子だ。

「も、もう!」
「そう怒るなって」

 ぷりぷりと可愛らしい怒りを見せるヘリオンが、駒を動かす。
 さて、次はどうするか、と友希が考えながら盤面を見て、

「……あっ!?」

 いつの間にやら、どうあがこうとも四手後に詰みになる状態になっていた。

「ふっふーん。どうですか」
「う、うぐ」

 逃げ道がないか、と探しても、巧妙に逃げ筋が潰されている。数分、考えた末、友希はがっくりと肩を落とした。

「……降参」
「これに懲りたら、これからは意地悪言わないでくださいね!」

 得意気にヘリオンが勝ちを誇る。

 別に勝ち負け関係なく、やめるつもりはあまりないのだが、しかし悠人のことでからかう事ができるのも、多分もう僅かな期間だろう。
 恐らく悠人はエターナルになり、友希やヘリオンの記憶から消え失せてしまう。

 それはヘリオンも知っているはずだが、そのことについて気落ちした様子は見せない。

「……もう一回やるか?」
「はい!」

 本当に、随分と強くなったなあ、と。

 彼女の恋を、内心応援していた友希は思うのであった。




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