「……あれ?」
昼食の席。今日はハリオンが食事当番で、友希が手伝いのためテーブルに皿を並べていると、二人足りないことに気付く。リビングに備えてある各自の予定表を見ても、今日の昼食には参加するはずだ。
ネリーやシアー辺りは遅刻することも珍しくないが、その人物は時間にはいつも正確なので気になった。
「ファーレーンはどうしたんだろ?」
いつも仮面を被っているブラックスピリットにして、ラキオススピリット隊の中でも上位の実力者。永遠神剣『月光』を操るファーレーン。
彼女が、昼食の席に出てきていなかった。
友希の独り言に、同じく食器を並べていたセリアが反応する。
「さあ、どうしたのかしら? ニム、知ってる?」
ファーレーンと大体一緒にいるグリーンスピリットで、年少組ながらこと防御の硬さなら上位に食い込む『曙光』のニムントール。
いつも不機嫌そうな態度を崩さない彼女は、セリアの問いかけに目線だけ動かして、
「お姉ちゃんは、昨日夜警だったからまだ寝てると思う」
「あら〜、お寝坊さんですか〜。でも、ご飯が冷めちゃいますねえ」
ハリオンが困ったように言う。
「別に、ファーレーンは今日は休みみたいだから寝坊はいいんだけど……ご飯は食べた方がいいわよね」
「あ、セリア。それじゃあ僕起こしてくるよ」
丁度任された仕事が終わって手持ち無沙汰な友希が手を上げる。が、そこでジロリとニムントールに睨まれた。
「駄目。お姉ちゃん疲れているんだから。ちゃんとお姉ちゃんの分のご飯は、ニムが残しておくから平気。それよりトモキは皿をさっさと並べて」
「そ、そうか?」
反論を許さない強い口調で言われて、友希は怯む。
この第二宿舎の生活も慣れたし、スピリット達ともそれなりの関係を築いたのだが、どうにもこの子だけは取り付く島がない。普段はファーレーンにべったりで、たまに一人でいる時に話しかけても、つっけんどんに返される。
「あらあら〜、でもご飯は作りたてが美味しいんですけどねえ」
「ちゃんとニムが温め直すから」
「あら? でもニム、貴女午後からわたしと警邏でしょう」
む、とニムントールが口篭る。
「……はあ、めんどくさい」
「面倒でも、任務をサボることは許さないわよ。……まったく、ファーレーンは起こすわよ。食器洗ったりする手間もあるんだから」
「……わかった」
ニムントールは渋々と頷く。彼女は子供だが、ちゃんと筋を通して話せば言うことは聞いてくれる。この辺り、感情に流されがちなネリーやオルファリルよりも大人だった。
「じゃあ、僕が……」
「ニムが行くから、トモキは来んな」
改めて手を挙げようととした友希にぴしゃりと言って、ニムントールは食堂を出ていった。
腰を上げようとした中途半端な姿勢で友希は固まる。まさか、あそこまで拒絶されるとは思っていなかった。
「まったく、あの子は。口の利き方をもう少し勉強しないと駄目ね。ごめんなさいね」
「いや……それは、いいんだけどさ」
ポリポリと頬を掻く。正直、あらくらいズケズケ言ってくれたほうが友希としてもやりやすい。エトランジェだというだけで妙に畏まった喋り方をされる方が気疲れする。
なので、それはいいのだけど、
「セリア。僕って、もしかしてニムントールに嫌われてる? 嫌われるようなことは多分してないと思うんだけど」
そこが気になった。同じ部隊で不仲だと連携が上手くいかないかも、とそういう不安もあるが、単純に女の子に嫌われるというのは地味に凹む。それが仮にも同じ家で暮らしている人間ならなおさらだ。
「ああ、そこは気にしなくていいと思うわよ。あの子、大体誰に対してもあんな態度だから。スピリット隊のみんなは付き合いが長いからまだマシだけどね」
「それは……大丈夫なのか?」
ラキオスはかなりマシだが、やはり人間のスピリットに対する風当たりは強い。人間の子供なら、多少目くじらを立てられるくらいで済むが、スピリットだと下手をすると処分されかねない。スピリットは国の財産でもあるから、そこまではないかもしれないが、それでもなにかしらの罰は与えられる可能性がある。
「今のところはね。あの子の初期教育をした施設はかなり緩いところだったし、今は基本的にファーレーンが盾になってる。いつまでもあのままでも困りものだけど」
「だよなあ」
他のスピリットは曲りなりにも友希を様付けするが、ニムントールだけは呼び捨てだ。友希自身は一向に構わないのだが、難癖をつける人間はいるはずだった。エトランジェの扱いは基本的にスピリットに準じるが、人間として扱われる場面もある。
「ニムは本当にファーレーンと仲良しさんですからね〜」
「本当になあ。同室ってあの二人だけだったよな」
「ニムが駄々を捏ねてね。別に問題があるわけじゃないから許したけど、ベッドを運ぶのは面倒だったわ」
屋敷に対してスピリットの数が若干少ないので、他のスピリットは個室を持っているのだが、ファーレーンとニムントールの二人は例外的に相部屋だった。
元々寝て起きるだけの用途の部屋なので狭いのだが、強引にベッドを二つ並べている。女だけのこの屋敷で、他の部屋からベッドを運べたのは、永遠神剣の力万歳だった。
「でも、いつまでもあのままというのもね。お互い、少しは離れられたらいいんだけど」
「お互い?」
「トモキ様は見てなかったの? 前の戦いの部隊分け、ニムと離れることになって不満そうだったのは寧ろファーレーンの方だったじゃない」
「そ、そうだっけ? ごめん、あん時は余裕なくて、全然気付かなかった」
今思い出しても、サルドバルト攻めの時は視野が狭かったと思う。まあ、当時は二人がそんな関係だとは知らなかったので、素で気付かなかったかもしれないが。
「ん? ああ、起こしてきたみたいだな」
二人分の足音が食堂に向かってくるのが聞こえる。
「じゃあ、よそってきますね〜」
「ハリオン、わたしも手伝うわ」
「お願いします〜」
ハリオンとセリアが揃って台所に向かう。
「お姉ちゃん起こしてきた」
「すみません、遅れてしまって。あ、トモキさま。おはようございます。他のみんなは?」
「おはよう、ファーレーン。ハリオンとセリアは、今シチューをよそってる最中。他の連中は、仕事だから今日は外で食うんだってさ」
挨拶をすると同時に、ぐう、と友希の腹が空腹を主張するのだった。
カチャカチャと食器を動かす音が食堂に響く。
「……お姉ちゃん、これ」
「もう、ニム? 好き嫌いをしちゃ強くなれないわよ」
「でもー」
「ふふ、仕方ないわね。じゃあ、これと交換」
ひょい、とファーレーンが、ニムントールの嫌いな野菜を皿から摘んで口に運んだ。代わりに、ニムントールが好きな甘味のある野菜を渡す。
(……甘やかしだなあ)
友希はそうは思うものの、口には出さない。あのくらいの好き嫌いは可愛いものだ。今でこそ、大抵のものを美味しく食べられるようになった――こちらに来てからはあの食料事情だったのでなおさらだ――友希だが、高校に上がるくらいまでは割と偏食が酷かった。野菜の類は基本的に嫌いで、インスタントやファーストフードを好んでいた。いや、勿論、今でも食べられるものなら食べたいが。
(それはそうと)
どうしても気になることがある。今まではなんとなく機会に恵まれずスルーしていたが、今日は食卓に着いている人数が特に少ない。好機かと、友希は聞いて見ることにした。
「なあ、ファーレーン。ちょっと尋ねたいんだけど」
「はい? なんですか」
話しかけてみると、ニムントールが不機嫌な視線を向けてくる。あからさまな『こっちに話しかけるな』オーラにもめげず、なんとか友希は口を開いた。
「その……その仮面、食べる時も取らないのか?」
仮面の剣士、『月光』のファーレーン。彼女はいついかなる時でも仮面を見に着けており、それは食事時でも例外ではなかった。
口当ての布をずり下ろして食事する様子は、いかにも窮屈そうだ。
そんなにまでして仮面をつけている理由がわからない。友希は実のところ、彼女の髪型も知らなかった。頭巾に隠れる程度の長さだということは予想はつくが、それ以上わからない。
流石に風呂や就寝時には外しているとは思うが、そんなところを見たことがあるはずがない。
「え、えっと、その……」
「お姉ちゃん、言わなくていいよ。トモキなんかに」
「これ、ニム」
「っと、ごめん。なんか悪いこと聞いちゃった?」
もしかしたら、昔の戦闘の古傷が残っているのかもしれない。回復魔法という便利なものがあるから早々スピリットの傷は残らないが、絶対というわけではないだろう。
謝罪し、撤回しようとすると、隣に座っているセリアが口を挟んだ。
「トモキ様、気にすることないわよ。ファーレーンはちょっとあがり症でね。仮面を付けてないと、ニム以外とロクに話せないの。わたしや、一部の付き合いの長い子ならまだ話せるけど」
「セリア」
ニムントールの抗議するような声に、セリアは肩を竦める。
「どうせいつかは知ることになるでしょう? 仮にも一緒に暮らしているのに」
「それはそうだけど」
口を尖らせるニムントール。余程友希に弱みを見せるのが嫌らしい。大好きな『お姉ちゃん』のこととなれば特になのだろう。
「その、そういうわけでして。申し訳ありませんが、仮面は付けたままでいさせてください……」
「ああ、いや。本当、ちょっと気になっただけだから」
恐縮するファーレーンに慌ててフォローを入れる。そのファーレーンを守るように、ニムントールが威嚇してきた。
「……ニム、そんな睨まないでくれよ」
「ニムって呼ぶな」
「いや、みんなそう呼んで……」
「トモキは駄目」
「ああもう、ニム」
ファーレーンが慌てて嗜めるが、友希は大人しく『ニムントール』と呼んでおいた。とりあえず、それで文句は出なかったので、今後はそう呼ぶことにする。こんな事で下手に噛み付かれるのも御免だった。
(……なんというのか、似た者同士な……)
性質は異なるが、ファーレーンとニムントール、どちらもコミュニケーションに難があるところは同じだ。
まともに話せる日は来るのだろうかと、友希は心の中でため息をついて、残りのシチューを掻き込んだ。
「ふんふーん、お散歩は楽しいですねえ〜」
「いや、ハリオン? 散歩じゃなくて、警邏だからな、警邏」
くるくると、ともすれば踊り出しそうなハリオンに一応の忠告をして、友希は早足で追いかけた。
「はあ……ったく」
友希は、午後からはハリオンとペアで王都のパトロールの任務が割り振られていた。この任務は、おおよそ三日に一度くらいの頻度で任される仕事で、二人一組が基本だ。
一応、現行犯に限り捕縛の許可もあるが、基本的な役割は抑止力。
スピリットは蔑まれているのと同時に、一般人にとっては恐怖の対象でもある。永遠神剣を携えて歩くだけで、大抵の悪は行動を自重する。それはそうだろう。誰が戦車より凶悪な兵器を前にして犯罪を働くだろうか。
日本より全般的に治安の悪いファンタズマゴリアだが、レスティーナ王女の発案で始まったというこのスピリットの警邏活動により、ここラキオスの犯罪率は平均に比べかなり低い。
まあ要は、それなりに威圧を発しながら街を闊歩するだけの簡単なお仕事なわけだが、
「あ、すみませーん。こちらのヨフアル、二ついただけますか〜?」
「あいよ、ハリオンちゃん。お、今日は男連れかい?」
「はい〜、エスコートしてもらっちゃってます」
……何故に、あのグリーンスピリットの姉ちゃんは、そこらの屋台で買い食いなどをしているのだろうか。しかも、店員さんとやたら親しそう。
「……ハリオン、なにしているんだ」
「ヨフアルを買ってきました〜」
「いやそれはわかるけど「トモキさまもお一つどうぞ〜」……って、あ、ありがとう。……んぐ、美味い」
「ええ、ここのお店のは、ラキオスでも指折りのヨフアル屋さんですからねえ〜。イチオシです」
自慢気に豊満な胸を張るハリオン。そのあまりにも自然な様子に、思わずスルーしかけて、友希は慌ててツッコミを入れた。
「いやいやいや、おかしいだろ。ていうか、なんで現金持ってんの?」
基本的に、スピリットに現金の支給はない。必要があれば、小切手のようなものをお店の人に渡すことで物品を購入することになる。店の人は、それを城の管轄部署に持っていくことでお金に変えるのだ。当然、菓子などの嗜好品の購入は厳しく制限されており、滅多に買えない。
滅多にでも買えるだけサルドバルトより十分恵まれているが、しかしそれでも現金を持つことはないはずだった。
「ふ、ふ、ふ〜。わたしには秘密のスポンサーがいますからねえ〜」
「ひ、秘密の? え? スポンサー?」
「それはいくらトモキさまにでもないしょですよ〜」
人差し指を口元に当てて、ハリオンは悪戯っぽく笑う。年上なのに、妙にそんな仕草が似合っていたが、そんなことでは誤魔化されたりはしない。
スピリットが金で買収などされるわけがないが、万が一ということもある。
「なんか変なことしてるわけじゃないよな?」
「変なこと?」
はて、と本当にわからない様子で首を傾げるハリオンに、これが演技ならば相当な役者だな、と思う。
「いやほら。……危ないこととかさ」
「あれ〜、トモキさまはお姉さんのことを心配してくれているんですかあ〜? いい子ですねえ〜」
「いや、ハリオン。何度も言ってるけど、頭撫でるのやめてくれって」
いつもお姉さん風を吹かせるハリオンの手から逃れるが、しつこく追ってくる。結局、黙って我慢している方が楽かと、友希は諦めて撫でられるがままになった。
通りを歩く人達が、くすくすと含み笑いを漏らす。
この世界の常識から考えると、凄まじい光景だった。
警邏任務をハリオンと組むのは初めてだが、他のスピリットと一緒の時は周りの人間はピリピリとしていたものだ。それは、ネリーやシアーのような年少組でも程度の差はあれど変わらない。
しかし、ハリオンと一緒だとそんな緊張した空気が欠片も感じられないのだ。驚くべきことに――殆どが菓子を売っている屋台の人間なのはご愛嬌だが――声をかけられさえする。
平和な風景。まるでスピリットがただの町の住人のような、そんな錯覚を巻き起こす。
(……もしかして、ハリオンって物凄いのかも)
「? なんですかあ〜?」
「いや、なんでもない」
あまりにも脳天気な笑顔に、気のせいかなあ、と友希は頭をぽりぽり掻いた。この分だと、あのお金もなにか後ろ暗いことで手に入れたのではないのだろう。
スポンサー、とか言っていた。知り合いの人間から、小銭をもらっているとか……そんな感じなのだろう、多分。
「とにかく、さっさと食べて警邏再開するぞ。サボってるってバレたら、大目玉だ」
「大丈夫ですよう。だから、ゆっくり食べましょう〜」
「駄目駄目。ほら」
仕方ないですね〜、と呟きながら、ハリオンは食べるペースを上げる。しかし、友希がニ、三口で食べられるお菓子でも、女の子なら少し時間がかかる。
呆れながらも、食べ終わるまでのんびりと待つことにした。
「んん〜〜? あれは新しいお店です」
「待った待った!」
そして、食べ終わるなり、目ざとく新規店舗を開拓し始めようとするハリオンを、必死で止めるのだった。
「ふう、トモキさま、お荷物ありがとうございました」
「いや……いいけどな」
あの後。
任務なんだか、食べ歩きなんだかわからない道中の最後に、食料品店で小麦粉やら砂糖やらを買い込んだのだ。それも、第二宿舎の人数分ということでかなりの量を。
無論、これは普段の仕入れではなく、ハリオンの趣味の菓子作り用の材料である。その証拠に、支払いは例のハリオン謎会計から支払われていた。決して高額というわけでもないが、気軽に出せる金額でもない。ますますハリオンの資金の出所が気になる友希であった。
「力持ちですねえ〜。流石男の子です」
「いや、あのなハリオン。僕ら神剣持ってるだろ?」
その気になれば身の丈ほどの大岩でも楽々持ち上げられるだけの膂力があるのだ。たかが食材の十人分程度、朝飯前である。
「あれ? そういえばそうでしたね」
やはり、ハリオンはどこかズレていた。
『所謂、天然系お姉さんタイプですね』
『……今日は大人しいと思ってたら、第一声がそれか』
『いえいえ、素直な感想をば。では私はこれにて失礼』
『それだけ言いたかっただけか!?』
いきなり話しかけてきた『束ね』の意識が、またすぐに離れる。ここのところ、この剣はとみにネタ化が進んでいると感じる。もしや、自分がネタ剣などと渾名したことを怒っているのだろうか。
「今日はヒミカが夕食当番ですからねえ〜。晩御飯のついでに、ふっくらケーキを仕上げてもらいましょう」
「あ、ああそう」
至福の表情で、手ずから作るケーキの味を思い浮かべているであろうハリオンに、曖昧に相槌を打つ。
ニ、三件ほど屋台をハシゴしたのだが、この女性の胃にはまだ甘味が入るらしい。夕飯は大丈夫なのだろうか。
「ヒミカ〜、ただいま帰りました〜」
「おかえり、ハリオン。トモキ様もお疲れ様でした」
「うん、ただいま、ヒミカ。どうだった? 訓練の方は」
ヒミカを始め、第二宿舎の一部のメンバーは、今朝から郊外へ訓練に出ていた。訓練場で大抵のことは用は足りるが、野戦の訓練はやはり街の外が望ましい。
「ええ、疲れましたけど、有意義な訓練でした。イスガルド様は、やはり優秀な訓練士ですね」
「そっか。お疲れ様」
「イスガルド様、次はトモキの番だから念入りにメニューを組む、と仰っていましたよ」
「あの人は……。ありがたくはあるんだけど、僕に無茶させたがるから苦手だ」
「ふふふ……」
意外に女性らしい笑い声を漏らすヒミカ。彼女は、レッドスピリットにしては珍しく、魔法よりも近接戦の方が得意な勇猛な戦士だが、戦いから一歩離れればこんな極普通の一面を覗かせる。ラキオスのスピリットは、みんなそうだった。
「それで……ハリオン、トモキ様にまで手伝わせて、またなにを大量に買ってきたの?」
「ふふふ〜、これで食後のデザートにケーキでも焼こうかと思いまして〜」
「はあ、わたしがオーブンを見ていればいいんでしょ? 構わないけど、それなら夕飯の支度を手伝ってよ」
「はーい、いいですよ〜。火加減だけはヒミカには敵いませんからねえ〜」
ニコニコと笑いながら、買ってきた小麦粉やら果物やらをテーブルに並べ、大きなボウルを棚から取り出すハリオン。
「……それはいいんだけど、ハリオン? 僕らは報告書を書かないといけないんだけど」
特になにもなかったとは言え、任務は任務。警邏の後は、報告書を書くことが義務付けられていた。
「あら〜?」
「あら、じゃないでしょ。お菓子作りはいいけど、ちゃんと仕事を片付けてからにしなさい」
「うう〜、困りましたねえ〜。報告書を書いてからじゃ、晩ご飯に間に合いませんよ〜?」
「少しくらい遅れても大丈夫でしょ? ほらほら、トモキ様を困らせないの」
ヒミカが台所から追いやるようにハリオンを押す。その様子を見て、友希は苦笑する。
「いや、やっぱ僕が一人でやっとくよ。ハリオンは菓子作っててくれ」
「そんな、トモキ様。ハリオンを甘やかしちゃいけませんよ。それに、トモキ様はこちらの文字はお詳しくないでしょう?」
「まあ、そりゃ二人でやるよりは時間はかかるけどさ。そんなに書くことも多くないし、大丈夫だって」
『異常なし』の一文の言葉を少々言葉を飾って書くくらいなら、友希にも書ける。流石に、そこまで情けなくはない。
「僕の分のケーキを、大きめにカットしてくれればそれでいいよ」
「はい〜、その取引、了解です〜」
ぱっ、と笑うハリオンに、ヒミカは呆れたように溜息をつく。この呆れは、ハリオンと友希、両方に向けたものだろう。
「それじゃ、僕は適当に報告書をでっち上げてくる。後よろしく」
「……はあ、了解」
「ケーキ楽しみにしていてくださいねえ〜」
手をひらひらさせて二人と別れる。
友希が一人になると、ここぞとばかりに『束ね』が声をかけてきた。
『格好つけですか?』
『……あのな』
随分な言葉だった。
『違うっての。ハリオンさあ、書類仕事苦手なんだよ』
『おや、そうだったんですか?』
『書くのが遅いってわけじゃなくて、余計なことまで書くっていうか日記気分っつーか……。この前なんか、訓練サボってたの、馬鹿正直に書いてたしな。その流れで今日の買い食いのことまで報告されちゃうと』
『成る程、主も同罪。仲良くお説教というわけですが』
第二宿舎の報告書は、基本的にセリアが取り纏めて提出している。その際、彼女の手で誤字脱字や内容のチェックが入るわけで、
「くわばらくわばら」
警邏中に菓子の買い食いなど、あのセリアが許すとは思えない。彼女の怒り顔を想像して、友希は思わず地元の呪文を唱えた。
「トモキさまー? 『くわばら』ってなに?」
「っと、ネリー」
部屋に戻ろうとした友希に、ネリーが話しかけてきた。どうやら、先ほどの独り言を聞かれていたらしい。
「ねーねー、なにってばー」
「……嫌なことを避けるための魔法の言葉、かな」
「魔法?」
「みたいなもん。実際に効果があるわけじゃないけど」
ファンタズマゴリアの言葉で『おまじない』に相当するような単語が咄嗟に出てこなかったため普段使っている言葉に変換してみた。
「『くわばらー、くわばらー』……なんかくーるだね」
「おおう……」
日本語のまじないを唱え、それをクールと英語で評価する、異世界の妖精。凄まじくシュールな図だった。友希と悠人が適当に口走った語彙が、着々とスピリット達に広まりつつある。もしかしたら、日本語に和製英語が浸透しているように、いつかはこれらもファンタズマゴリアの単語として定着する日が来るのだろうか。
そんな日が来て欲しいような、ファンタジー世界はファンタジー世界のままでいて欲しいような、そんな微妙な気分になる。
「あ、そーそー。今日ねー、お外でご飯作ったんだよ」
「ああ、ネリーも今日は野外訓練組だっけか」
「うん。お魚さん獲ったりしてさ」
野外訓練では、サバイバル実習的なものもやる。しかし、ネリーの様子を見るに、キャンプ気分だったようだ。多分、友希が参加すると、実戦訓練で疲労困憊になって、そんな気分を楽しむ余裕はないだろう。
「そんでねー」
「はいはい。僕、これから報告書書くから後でな」
まだまだ話したがるネリーを適当にあしらって、友希は自室に引っ込む。インクと羽ペンを取り出して、紙を前に。
「……ええと、カンペはどこにしまったっけな」
そして、一字目から躓き、よく使う単語をまとめたカンペを探すことから始めるのだった。
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