「ぐ、うう」
全身の痛みに、友希は呻きながらなんとか顔を上げた。
自分の体を確かめてみる。痛みはあったが、特に傷らしいものはない。二、三度深呼吸をすると、なんとか落ち着いた。
「なんだ、ここ……」
友希が倒れていたのは、庭らしき場所だった。いくつかの木が植樹されており、花壇や池らしきものもある。だが、あまり手入れはされていないようで、荒れ放題とはいかないまでもところどころに調和の取れていない場所があった。
四方は石造りの壁に覆われていて、外の様子は伺えない。どうやら、大きな建物の中庭のような場所らしい。壁の上には、なにやら旗のようなものが立てられていて、風にたなびいていた。
しかし、やけに古めかしい場所だった。石の壁は建築されてから相当な時間が立っているらしく、年月に寄る劣化が見て取れる。そもそも、現代日本に石造りの建物などそうそうない。
一体ここは……と疑問に思った直後、友希は恐ろしい事実に気がついた。
「え……昼?」
空だ。友希の記憶が確かならば、放課後神社に向かった時間は既に夕方。冬らしく、既に日は大分傾いていて、あと一時間もあれば完全に没していただろう。だというのに、太陽は真上にある。そればかりではなく、肌を刺すような冬の空気が大分柔らかい。まるで春のような気温だった。
完全に混乱する。友希の体感としては神社であの光に覆われてから僅かな時間しか経っていない。その間に、外国にでも来てしまったのか?
「なんだよ……ここ。なにが起こったっていうんだ」
『……主。申し上げにくいのですが』
「『束ね』!?」
そうだ、自分の中にいる相棒のことをすっかり忘れていた。
異質で中々忘れられない存在ではあるが、まだ付き合いは短い。周囲のことに驚いて、失念していたのである。
『どういうことだ、なにかわかるのか?』
『はい。ここは恐らく……』
『束ね』の話の途中、突然、壁に備え付けてある出入口が開く。これまた時代錯誤の鉄製の門だ。
そこから出てきたのは、まるで漫画に出てくるような中世風の鎧と槍を身につけた男。見回りか何かか、庭を見渡し、
「!?」
友希と目があった。
「あ、あの」
「ラスト、シニテ!」
身が竦むほどの厳しい大声。話しかけようとした友希は男の剣幕に怯えて、口を閉じる。
男は扉の向こうに向けて何かをがなりたてた。その言葉はまるで意味が理解できず、ここが別の国だということを強く意識させた。あまり得意ではない英語ではない。テレビ等でたまに聞く他の言語とも、ニュアンスが全然異なっていた。
一体、自分の立っている大地はどこの土地なのか。混乱する友希は、男と似たような格好をした人間が更に数人やってきたのを見て、思わず口を開く。
「あ、あの! ここはどこですか!? すみません、日本語のわかる方は……」
話しかけても、男たちは聞きなれないであろう日本語に怪訝そうにするだけで答えようとはしない。
いや、それどころか、駆け足でやってきて、友希を囲むように陣取った。槍の穂先が、太陽の光を受けてきらりと光る。レプリカ等では有り得ない凄みに、友希は身を凍らせた。
最初に友希を見つけた男が、警戒しながらも口を開いた。
「ラスト、ウースィ。『答えないと、ここで斬る』」
「!?」
途中から、急に言葉が理解できた。男の喋っている言葉は相変わらずどこの言葉かすら分からないのに、自然と友希はその意味を掴む。感覚で、その情報が自分の中にいる『束ね』からもたらされたものだと気が付いた。
『『束ね』!?』
『我々永遠神剣は、多世界を行き来するため、あらゆる言葉を理解する力があります。コミュニケーションが取れないと、契約者を探すのも一苦労なので。それより、主。この状況は不味いです』
そんなことは友希とてわかっている。恐らく、この建物に不法侵入した輩と思われているのだろう。しかし、『束ね』のお陰で言語の壁は突破できた。ここは、交渉する余地もあるはずだ。
「だんまりか? ダーツィか、バーンライトの手のものか。いや、それにしては妙な……」
「あ、あの。すみません、ここはどこでしょう? 僕、気がついたら迷ってきてしまって」
相手の言葉が理解できるのと同様、自分で話す時も自然とここの言葉で喋ることが出来た。妙な剣だが、心底助かったと友希は感謝した。
「迷って?」
しかし、折角話すことが出来たのに、相手の疑念の色を濃くしただけだった。確かに、こんなに見張りのいる建物に容易に侵入は出来ないだろう。しかし、友希は事実しか言っていないのだ。信じてもらうほかない。
周りを囲んだ男たちが、互いに目配せする。しかし、それはすぐに終わり、全員が槍を友希に向けた。
「え?」
「ゆっくりと、知っていることを吐かせてやる。大人しくしろ」
人に刃物を向けられた経験などない友希は、軽くパニックになる。
「ちょ、ちょっと! 本当に僕はなにも……」
「五月蝿い!」
ぐい、と槍が突き出された。当てる気はなかったようだが、思わず横に躱す。が、そちらにも当然のように槍はある。しまった、と思ってももう遅い。自分から、槍の穂先に突っ込んでしまった。
「っつ!」
少しだけだが、左腕が傷ついた。制服に血が滲む。ああ、クリーニングに出してもこれは落ちないな、と現実逃避するように考え、
「え……」
その声を出したのは、男たちの方だったか。
友希の腕から流れた血は、赤く滲んだ後、金色の粒子のようなものになって、空中に溶けていく。
「な、んだ……?」
傷の痛みも忘れて、友希はその様子を呆然と眺めていた。自分の血を見たこと位、何度でもある。しかし、当然ながらこんな現象が起こったのは始めてだ。血が光になる……あまりに不思議な現象に思考が停止した。
『『束ね』!? これ、お前のせいか!』
しかし、考えてみると不思議な存在はまさに自分の中にいるじゃないか、と友希は思い当たり、問い詰めた。
『束ね』は、自分の不利益になるようなことはしないというようなことを言っていたが、とんでもない。こんなことが周囲に知れたら、化け物扱いだ。
『……いえ。主の世界では、私と契約しても身体のマナ化はしていませんでした。これは、恐らくこのマナの豊富な世界に来たせいでしょう』
『え? なんだって?』
その言葉に、重大な情報が含まれている気がして、友希は思わず問い返し、
「す、スピリットか! いや、でもこいつは男……」
「じゃ、じゃあもしかして……エトランジェ、か?」
男たちが、声を上げる。スピリット、エトランジェ。聞き覚えのない単語だった。
「くっ、もっと見張り連中を集めろ! エトランジェが相手だと、思わぬ損害を食うぞ」
「いや、それよりスピリットだ! 確か、今日は青いやつが登城していたはずだ!」
わかった! と、友希を囲んでいた男の一人が、慌てて建物に取って返した。何事が起きたのか、友希は目を白黒させる。先程まで友希を威圧していた男たちが及び腰になった理由がさっぱりわからない。しかし、今ならば、隙を突いて囲みを突破できそうだった。見知らぬ土地で折角会えた人だが、自分を捕まえようとする相手に話し合いはできない。
『主。逃げるなら私を出して……』
『馬鹿っ。剣なんて出したら、言い訳できないだろっ』
『束ね』の提案を却下する。確かに、『束ね』を握った時のあのパワーがあれば逃げることなんて簡単だろう。ただ、剣を出すことで敵対するのが決定的になってしまう。それに、何かの拍子に人間を傷つけてしまうかもしれない。それは正直、怖い。
『ひとまず、逃げて。そんで、話し合いの出来る人を探す!』
『……主』
『束ね』はまだ何か言いたそうであったが、友希は聞く前に走りだした。一人が抜けて空いた包囲網の穴を駆け抜ける。
「あ! 待て!」
怒声が飛ぶが無視して走る。いつになく身体が軽かった。以前『束ね』を握った時のような全能感はないが、それでも普段の友希では絶対に考えられないスピードで景色が流れていく。それが何故かを考える余裕はなかった。
先程、男の一人が入っていった出入口に向かう。あと数秒足らずで到着できる、とその時、
「!!」
出入口から、人間が出てきた。
今度のは、鎧や槍は身につけていない。しかし巨大な……本当に巨大な剣を背負っている。持っている人間の身長より更に大きい。斜めに背負っているのに、今にも地面を擦りそうだった。
そんな常識外れの剣を持っている人間は、負けず劣らず常識外れであった。
女性である。上に絶世の、と付けても良いくらいの美女。目鼻立ちも整っているが、特に目を惹くのがその青い髪と青い瞳だ。目はともかくとして、髪の方は普通の人間ではありえない色。しかし、あまりにも自然な発色で、染めているものではないとわかる。着ている服も青を基調としたもので、彼女のイメージカラーは青だということを全身で示していた。そういえば、男たちが『青いの』がどうとか言っていた。彼女のことで間違いないだろう。
思わず、逃げていることも忘れ、友希は棒立ちになる。見惚れていた、というよりは呆気に取られていた。
『主! あの女の持つ剣は神剣です! 早く私を構えて!』
「え、ええ?」
『束ね』の切羽詰った警告に、なんとか動き出す。
しかし、神剣? 確かに、彼女の持つ剣は男たちの槍と違い『力』を感じる。自分の中の『束ね』を通じて観察すると、更に強くその力を感じた。『束ね』と同類であることが、理屈ではなく直感で理解できる。
……不味い。
「スピリット! そいつを止めろ! なんなら、斬ってしまって構わん!」
「了解」
背後の男が物騒なことを命令し、スピリットと呼ばれた女性はスラリと背中の大剣を抜く。あまりにも長く、鞘から抜き放つことすら難しそうな剣だったが、女性はまるで手足を扱うかのように自然に構えた。
ゾク、と背筋に悪寒が走る。
「名前も知りませんが、申し訳ありません。エトランジェ様」
蛇に睨まれた蛙のように、指一本動かせない。ゆっくりと、彼女が剣を振りかぶる。何気ない動作だったが抜けられるような隙はなく、なによりその剣には得体の知れない力――そう、マナが集まっていて、
『主!』
『束ね』の鋭い声に、友希は反射的に胸に手を当てた。
「く……来い、『束ね』ぇ!」
自らの内から出した『束ね』を構え、振り下ろされた巨剣を受け止める。ズゥン、と踏みしめた足が大地を軽く陥没させる。
「ぐっ、うう!」
「なに?」
衝撃が身体を突き抜けるが、なんとか支えることに成功する。恐らく、女性が本気だったら剣ごと叩き潰されていただろう。女性からはそれだけの余裕を感じた。
しかし、今や友希もただの人間ではない。『束ね』からもたらされる力は、一度目とも比べものにならない力だ。周囲に満ちているマナを、『束ね』が貪欲に吸い上げるのを感じた。それが友希の身体を活性化させ、常人ではありえない膂力を生み出す。
「はっ!」
思い切り『束ね』を振り切り、相手の剣を押し戻した。女性の二撃目を警戒し、様子を観察する。
「永遠神剣!? エトランジェが!?」
「え……」
だが、女性は再び斬りかかってくることはなく、むしろなにか戸惑っているように見えた。後ろから追いすがっていた男たちも、どよめいていた。
「し、神剣の勇者!」
勇者? 意味が分からない。しかし、彼らは動揺している。逃げ出す絶好の機会だ。
三、二、と友希は頭の中でカウントをし、駆け出そうと――
と、その時、女性が長大な剣を、抜き放った時と同じように自然な動作で鞘に戻した。
「……エトランジェ様。一つお聞きしたいのですが」
「え?」
いきなり剣を収めた女性に、思わず呆けた声を返す。
あー、とダッシュしようと足に体重をかけた状態で暫く悩んでから、友希は口を開く。相手を刺激しないよう、慎重に言葉を選んだ。
「その、さっきからエトランジェって……僕のこと?」
「はい。……それも知らないのですね。では、貴方はどこの国の者ですか?」
「え、と。日本って、ところだけど」
ニホン、と女性は不思議そうに口を動かし、一つ頷くと剣を収めた。
「皆様。このエトランジェ様はまだ異世界から来たばかりのご様子。他国の間諜、というわけではないかと思われます」
「そ、そうか」
「しかも、ただのエトランジェではなく、神剣を携えたエトランジェ。……陛下のお耳に入れる必要があるかと愚考いたしますが」
「……くっ、ええい。お前なぞに言われなくてもわかっているわ! おい、エトランジェ!」
後ろから追いすがってきた男が、横柄に声を荒げる。
「貴様、ここで少し待っていろ! ……おい、スピリット。こいつが逃げないよう、見張っておけ!」
「了解しました」
「ふん……。おい、行くぞ」
ドタドタと、男たちが中庭から出て行く。その様子は、逃げるようにも見えた。
兵士らしき男たちが去ってからしばらく。スピリット、と呼ばれた青い女性に睨まれたまま、友希は居心地の悪い時間を過ごしていた。
『……なんだってんだ』
『確かに理解出来ない状況ですが、今は大人しく言うことを聞いておいたほうがいいでしょう。目の前の妖精は、今の主より遥かに強いですし』
『『束ね』。お前、前に自分は上から二番目とか自慢していなかったか』
『ええ、神剣の位としては確かに、通常存在する神剣のうちでは四位に続く力を持つ五位です。しかし、その、私、五位の中では最弱に近くてですね。六位とほぼ互角程度だったり』
『おいっ!?』
『いえいえ、それでも私のポテンシャルを完全に発揮すれば、目の前の妖精くらいは多分なんとかなります。現状敵わないのは、偏に私の力を引き出せない主のせいです』
言うに事欠いて友希のせいにしてくる『束ね』に呆れを深くする。口では『主』と調子の良いことを言って、まるきり敬意を払っていないのが丸分かりであった。やはり、この剣は信用できないぞ、と友希は思った。
しかし、現状、頼りになるのは『束ね』だけである。遺憾なことではあるが。
『今のうちに、状況を整理しとこう。『束ね』。さっきお前、ここが別の世界みたいなこと言っていなかったか?』
最初は慌てていてスルーしてしまったが、よくよく考えてみるととんでもないことを言っていたことに気付いた。
『ええ。あの時開いた門といい、この濃密なマナといい、少なくともここは主の住んでいた世界ではありません』
『……門?』
『神社の境内で光の柱が出現したでしょう。あれです。私が主と出会った時も同じようなものがあったでしょう?』
異世界、と友希は絶望的な気持ちでその単語を繰り返した。否定しようにも、他にこの状況を説明する材料は見つからない。地球の別の土地に瞬間移動したと考えたほうがまだ気持ち的には楽だが、話の荒唐無稽さではどっちもどっちであった。
『……お前のせいか?』
『いいえ。私とは別の神剣が関わっています。……申し訳ありませんが、それ以上はわかりません』
『別の神剣だって? なら、それもお前が関係しているんじゃないかっ』
心の声だが、友希は憤って声を張り上げた。
『……違う、とは断言できません。でも、その可能性は低いと考えます』
『なんで!』
『まず、私はこの世界にも来たことがないので……。他の神剣が関係しているとしても、縁もゆかりもない神剣が私のことを目につけるとは思えません』
信用できない。そもそも、友希は生まれてから『束ね』と出会うまで、超常現象の類にはとんと縁がなかった。僅か一週間足らずのうちに立て続けに不可思議な事象が起こったら、それは繋げて考えるのが自然だろう。
しかし、これ以上追求してもしらばっくれるのが目に見えている。友希はとりあえず別の質問をすることにした。
『じゃあ……僕の体のことだ。マナ化したって言っていたけど、どういうことだ?』
『ふむ……。マナのことは以前話しましたね。魔力でも気でも呼び方はなんでもいいですが……本質は生命の力そのものです。命あるもの、全てに宿っている力ですが……今の主の身体はそのマナそのものになっているのです』
『……?』
意味がよく理解出来ない。『束ね』も言葉足らずだったことを思い至ったのか、続けて説明した。
『主も、空間に漂うマナは私を通じて知覚できるでしょう? 簡単に言うと、細胞ではなく固体化した『それ』が今の主の身体を構成していると考えてください。ちなみに、以前までの主は、肉体はあくまでタンパク質で構成され、そこにマナが少量宿っている形でした』
『……ん』
『束ね』を手にしてから、周囲に満ちている力は確かに知覚できている。これが自分の体を……というのは中々想像できない。
『マナそのものとなった身体の出力は筋肉量には依存しません。今ならば、私の力がなくとも、ある程度常人離れした身体能力を発揮できるでしょう』
『よくわからないけど……とりあえず、言葉の上ではわかった。で、なんでそんなことに』
『それは、この地のマナの濃度のせいです』
『……濃度?』
確かに、今周囲から感じる力は、友希のいた地球とは比べものにならないほど濃密だ。しかし、それがどうしたというのだ。
『先程言ったとおり、マナとは生命の力。そして、この世界の人間も、主の世界の人間も、生命体としては同程度の存在です。しかし、主。主の世界のマナは、ここより遥かに少ない。そして、その少ないマナで主の世界の人間は数十億という単位で増えている。
要するに、主の世界の生き物は、少ないマナを効率的に活用して繁栄していると言えるのです。恐らく、こちらの人間の数十倍から数百倍の効率でしょう』
『話が長いな……つまり、どういうことだよ』
『そういった世界の生き物が急にマナの多い世界に来るとまま起こるのですよ。過剰にマナを吸収しすぎて、身体の構造がマナ化してしまうことが』
『……そうか』
納得できたわけではない。しかし、意味が理解出来ないまでも、とりあえずの答えを得て、友希はそれ以上の追求をやめた。これ以上変なことを聞かされたら、冷静さを保つ自信がなかったのだ。
友希はため息をついた。ほんの三十分前までは、ちょっと変わった放課後を過ごしていただけだったのに、何故こんなことになったのだろう。槍を突きつけられ、大剣で斬りかかられ……今更ながらにひやりとする。
そういえば、大剣と言えば、
「なにか」
「……いえ」
永遠神剣を持った女性をこっそりと観察すると、すぐに見とがめられた。勘がいいのか、それとも友希がわかりやすいのか。
視線を逸らす。友希は――あわや殺されかかったというのに、男というものは現金なものだが――少し見ただけでもあまりの美貌に見惚れてしまった。人間離れした、と言えばいいだろうか。全身が、奇跡のようなバランスで整っている。その細腕に不釣合な大剣さえなければ、モデルや俳優と言われても直ぐ様納得しただろう。
『おや、主。一目惚れですか』
『……この状況で言うことじゃないだろ』
『いえいえ。恋愛物語といえばこれ、私の大好物でして』
『自重しろ』
緊張感のない『束ね』に呆れる。これは元からの性格なのか、それとも友希の緊張を解そうとしてくれているのか。元の世界での僅かな会話から、前者だろうな、と勝手に判断する。
ふう、と溜息をつく。それを見計らったかのように、去っていた兵士のうち一人が戻ってきた。
「おい、エトランジェ。国王陛下がお会いになる。早く来い」
「……王様? なんで」
「つべこべ言わず、さっさと来い! おい、スピリット! こいつを引きずって持って来い」
疑問を口に出すと、兵士はイライラしたように命令を飛ばす。青の女性はす、と友希の傍に立ち、その腕を取った。
「失礼を」
「あ、いや……」
腕を取られたときの柔らかな感触にどぎまぎする。逆側の手に持った『束ね』が含み笑いを漏らしたのが聞こえた。
「っ! じ、自分で歩くから!」
「然様ですか」
「ならグズグズするんじゃないっ。陛下をお待たせするつもりか!」
女性の方はともかくとして、男の方の物言いにはいい加減にカチンと来る。先程から犯罪者でもあるまいに。ここまでぞんざいな扱いを受ける覚えはなかった。
無論、それは現代日本の常識で育った友希にとっての感覚であり、異世界の国で通用するものではない。しかし、友希は気付かなかった。
いいさ、会ってやる。半ばヤケになりながら友希は決意して、先導する鎧の兵士の背中を静かに睨んだ。
謁見の間、というやつだろうか。連れられてきたのは、それまでの通路のくたびれ具合とは打って変わって豪華な装飾を施された広い部屋だった。朱色の絨毯が入り口から一直線に伸び、その先には一段高くなった場所がある。そこには豪華な椅子が備えられていた。玉座だろうか。
絨毯の両脇に控えている十人ほどの視線が、友希に一斉に突き刺さった。値踏みするようなその視線に、友希は怯む。
「おい、いつまで永遠神剣をぶら下げているつもりだ。鞘に入れろ」
「む」
振り向いた兵士が友希にそう忠告してくる。思わず反発しそうになるが、言っていることはもっともであったので友希は『束ね』を自分の胸の内に収めた。光の玉となり友希の身体に吸収された『束ね』を見て、周囲の人間がどよめく。
「……珍しい神剣ですね」
「え?」
友希の後ろに控えている青い女性がそう呟く。そういえば、彼女の神剣は鞘に収めていたな、と友希は思い当たった。他の神剣など知っているわけではないが、もしかしたら『束ね』は変わった神剣なのかも知れない。
『単なるタイプの違いです。それより主。お気をつけて。危うくなったらすぐに私を出すように』
『わかったよ』
友希が心の中で答えるのとほぼ同時に、玉座の背後の扉から侍従らしき男性が現れ、声を張り上げた。
「ダゥタス・ダイ・サルドバルト陛下の御成りー!」
謁見の間に集った人間が、一斉に跪いた。当然、その流れに友希だけは取り残される。
一瞬、呆然としていると、一番最初に膝を付いた兵士が猛然と立ち、友希の後頭部を無理矢理抑えつける。
「頭を下げろっ。貴様の国は王に対する礼儀もない蛮国か!」
「……っ、言えばわかる!」
男の手を振り払って、友希は嫌々ながらも周りと同じく頭を垂れた。
王に対する礼儀など、友希は知った事ではない。日本にも天皇という王に相当する人物はいるが、一般人である友希が会ったことがあるはずもない。そも、友希からすれば縁もゆかりもない国の王に対する敬意などあるはずもなかった。
足音が聞こえる。これが王とやらの足音だろう。周りはまだ跪いたままだが、友希は王の顔とやらを拝んでやろうと、こっそりと視線を上げた。
『……うわ』
思わずうめき声を上げそうになる。
王、というからには威厳に充ち溢れた人物かと思いきや、まったく違う。
身体はぶくぶくと肥え太り、腹は弛んでいる。恰幅が良い、とは表現できない。単に飽食に飽かせた末の身体だということは一目でわかった。そのくせ、血色は悪い。まるで病人のようだった。ただ、その目だけは爛々と輝き、跪いた家臣たちを睨めつけている。
「皆の者、面を上げよ」
くぐもった声で、ダゥタス国王が命ずる。
立ち上がった臣下に対して大仰に頷いて見せて、ダゥタス国王は友希に視線を移した。
「して、汝がエトランジェか?」
「え……あ」
自分が声をかけられたと気付いて、友希は一瞬うろたえる。ここでは、自分はエトランジェと呼ばれている、と思い当たり、頷いた。
「ふむ……。神剣を持っている、と聞いたが、どこにある?」
「……『束ね』」
既に目撃されている。隠し立てをしてもいいことはないだろう。声をかけ、右手に『束ね』を出現させた。
その様子に国王は目を大きく開き、興奮したように早口となった。
「ほう、ほう! 確かに神剣。我が国に伝説の神剣の勇者が現れるとはっ。聖ヨトの正統は我がサルドバルトにあることが証明されたな! エトランジェよ、汝の剣の名はなんという?」
「……『束ね』、といいます」
不承不承答えた友希の言葉に、国王は怪訝そうに眉をひそめる。
「『束ね』とな? 四神剣のどれにも該当せぬ名だな」
「陛下。伝承の神剣ではないとは言え、エトランジェが永遠神剣を携えているのです。これは、新しき勇者の誕生のしるしかと」
「ふむ、そういうことであれば納得がいくが……」
玉座に一番近い臣下の言葉に、ダゥタスは髭を撫でる。
「勇者、って……」
どうにも、妙な具合だった。確かに『束ね』を握っている間は常人離れした力を発揮できるが、勇者などと呼ばれるほどではない。後ろに控えている女性の方が余程強いというのに。
「ひとまずは様子を見てからか。エトランジェよ、スピリットたちと共に訓練を積むことを命ずる。よいな」
「はあ!?」
いきなり上から目線で命令され、友希は素っ頓狂な声を出す。
「なにを言ってるんだ! 訓練? なんのっ!?」
「貴様、無礼であろうが!」
臣下の一人から叱咤が飛ぶ。しかし、友希にとっては知った事ではない。
国王は『よい』とその臣下を制し、言葉を重ねた。
「無論、戦うためのである。我がサルドバルト王国のため働いてもらうためにな」
「なんで僕がそんなことしないといけないんだっ!」
「これは異な事を。汝はエトランジェ。つまり、戦うためにこの地にやってきたのであろう?」
無茶苦茶な理論だった。友希は好きでこんな未開地に来たわけではない。戦うため? 冗談も甚だしい。
「違う! 単なる事故だ! 僕は……僕は、そんなエトランジェなんてのじゃない!」
「……ふむ」
玉座に座った王が、とんとん、と肘掛けを指で叩く。先程から冷静な風を装っているが、相当イラついているというのは、雰囲気でわかった。
「理解の足りないエトランジェだ。異界の者とは、こうも血の巡りが悪いのか?」
「――!」
悪口は瞬で慣れている。しかし、これはそれよりはるかにムカついた。
「っく、僕は帰らせてもらうっ。もう、嫌だ!」
異世界のここでどこに帰ろうとしているか、自分でもわからない。いや、そもそもそんなに深く考えて出た言葉ではない。
いい加減、一般人である友希の許容量が限界であっただけだ。ふとしたきっかけで押さえつけていた不安や恐怖が表に出て、感情のままにわめきたてる。
『主、落ち着いて……』
「黙ってろ!」
『束ね』を王たちに向け威嚇しながら、じりじりと後退する。後ろにあの青い女性がいることはわかっていたが、逃げるだけならなんとかなるかもしれない。数人いる兵士も、『束ね』を向けられた途端及び腰になった。ここの人間は、永遠神剣の怖さを知っているのだろう。
ちゃき、と友希の背後で女性が大剣の柄に手をかけた。少し前なら自分の後ろを見ることなど不可能だったが、今は何故か感じ取る事ができる。
『『束ね』。行くぞっ』
『全力は尽くしますが……』
歯切れの悪い『束ね』を無視することにして、友希は機を伺う。その様子をダゥタス国王は余程腹に据えかねたのか、ドン、と肘掛けを拳で叩き、剣呑な声を出した。
「……スピリット。そこなエトランジェを止めよ。なに、腕の一本や二本、後ほどグリーンスピリットに治癒させれば良い」
「はい」
背後で殺気が膨れ上がる。ほぼ同時に友希は反転して駆け出した。
「ぉぉぉおおっ!」
雄叫びを挙げて、数メートル先の女性に突っ込んでいく。彼女の背後に出口があるので、そこをどいてもらわないといけない。
大剣を思い切り振りかぶった女性が、待ち構えている。なにやら翼らしきものが生えているが、今更そんな程度では驚かない。先程、彼女の一撃は見た。早く、強烈な一撃だったが、来るとわかっていれば一回受け流すくらいならなんとかなる。
……攻撃を受け流して、一撃入れて、怯んだところを押し通る。人に剣を向けることについて、考えは及ばなかった。
そして、及ばせる必要もない。
『主、防御を!』
『束ね』から、今までにない量の力が強制的に友希に送られてくる。あまりの力に、体中が悲鳴を上げ、
「!?」
その力に込められていた『束ね』の声なき警告に悪寒が走る。
同時、女性が大剣を横薙ぎに振るった。その動きは、視力の強化された友希の目でも霞んで見える程の早さだった。殆ど勘、いや、剣撃が走る寸前、『束ね』が警告してくれなければ到底間に合わなかっただろう。自分の体と、彼女の一撃の間に辛うじて『束ね』を挟み、
「――っ! ぐ、がっ」
防いだ、と思ったのは早合点だった。彼女の剣と友希の剣が触れ合った瞬間、ダンプカーに轢かれたかのような衝撃が全身を突き抜ける。『束ね』が折れていないことが不思議だった。吹き飛ばされながら、全身の骨が軋む音を聞く。人が水平に飛ぶ、という得難い経験を体感しながら、友希の意識はブラックアウトした。
「……この程度か」
スピリットに一撃で吹き飛ばされたエトランジェを見て、ダゥタス国王は落胆した。神剣を携えたエトランジェ。伝説によれば、四神剣の勇者は一人で一軍にも匹敵したという。
たった一人のスピリットにも負ける体たらくに、伝説は伝説か。それとも、名も知れぬ神剣ではやはり伝説には敵わないのか。ともあれ、先程までの興奮はなりを潜めた。所詮、弱い者の遠吠えと思えば、先程までの無礼な言動に対しても、怒りを持続させるのが馬鹿らしくなる。
かと言って、生かしておく理由もまたなかった。
「……処分するか」
そんな国王の呟きを聞いた一人の家臣が跪いて奏上する。
「恐れながら陛下。よろしいでしょうか」
「む? お前は……」
普段、この謁見の間では見ない顔だった。
「スピリットの訓練担当、イスガルドです」
「おお、そうだったな」
青のスピリットと共に、今日登城していた訓練士だ。エトランジェもスピリットと同じく神剣を使うもの。何かの役に立つかと、謁見の間に入ることを許されたのだった。
「そうか。我が国の惰弱なスピリット共を育てている無能か」
「……申し訳御座いません」
サルドバルトのスピリットの弱さに、ダゥタス国王は常々苦々しく思っていた。スピリットとは、国の戦力そのもの。サルドバルトのスピリットは、数こそはそれなりだが、隣国にして同盟国であるラキオスやイースペリアの精兵とは比べ物ならない弱兵である。敵国と隣接していないからこそ、これまで国土を荒らされることはなかったが、そうでなければとっくに攻め滅ぼされていただろう。
そのスピリットの訓練をしている人間を、ダゥタス国王が厭うのも当然であった。
「して、その無能がなんと? 聞いてやる。申してみよ」
「はっ、では僭越ながら。陛下は気落ちなされておられるようですが……このエトランジェ、なかなかの逸材で御座います」
「ほう。今まさに、スピリットに一撃のもと下されたその男がか」
「はい。そも、伝承にある四神剣の勇者とて、当初は並のスピリット程度であった、と数々の逸話で語られております」
「……続けよ」
ダゥタス国王とて、自国の祖となる聖ヨト王国、その分裂のきっかけとなったエトランジェの伝説は諳んじている。確かに、イスガルドの言うとおり、圧倒的な強さを誇った勇者とて最初からその強さであったわけではない。
「さらに、ここのゼフィ・ブルースピリットは我が国でも最強のスピリットです。一撃の強さならば、かのラキオスの青い牙をも上回るでしょう。その一撃を耐えた事実だけでも、このエトランジェの潜在能力は相当のものだと考えられます。鍛えれば、化けるやも知れません」
「ふむ……」
ダゥタス国王は、考え込んだ。
一時は処分しようとまで思っていたのだから、これは大きい。イスガルドは、内心ほっとした。
先程、王に向けて言ったことは、半分正しいが半分は間違いだ。友希を下した青スピリット……ゼフィは、確かにサルドバルト最強で、一撃の強さなら大陸でも屈指の実力者だ。しかし、先程の一撃はあくまで加減されたもの。なにせ彼女が命令されたのは『エトランジェを止めろ』というもの。殺してしまっては元も子もない。
まあ、それでもハイロゥを展開し、六、七分ほどの力は込めていた。実戦経験もないであろうに防御したのは素直に賞賛する。
だからこそ、下手に処分されると困る。ダゥタス国王が、惰弱なスピリット共、と言ったのは本当のことだ。少しでも力のある者は喉から手が出るほど欲しい。イスガルドの考える限り、どうにも最近大陸中にキナ臭い空気が流れているし、それに合わせたようなエトランジェの出現も嫌な予感を加速させる。それでなくても、神剣使いが一人でも増えると色々と楽が出来るのだ。
「しかし、このエトランジェは反抗的だ。今も逃走を図りおったし、直接余を傷つけようとするならまだしも、逃げる相手に王家の縛りは通用せん」
四神剣……『求め』『誓い』『因果』『空虚』の四本の神剣を持つものは、聖ヨトに連なる血を持つ人間には逆らえない。と、伝えられている。しかし、行動を縛るような枷を嵌めるようなものではない。あくまで王族を傷つけることが出来ないという制約だ。大体、このエトランジェの持つ神剣は四神剣ではない。そもそも本当に縛りが通用するのかすら、ダゥタス国王は懐疑的であった。
「過去の『求め』の主のように、鎖でもあればな」
勇者の一人、『求め』のシルダスは姉を人質に戦いを強要された。御伽話に語られる内容では表現を変えているが、姉が人質となっていたからこそ、人外の力を持つエトランジェを御せたのだ。
王の言葉に、イスガルドは失礼に当たらないよう、慎重に意見を言う。
「今回のことでエトランジェも現時点では逃げられないことを悟ったでしょう。逃げたら殺す、と言い含めておけば良いかと。エトランジェがこちらの戦力を上回る程に力を付ける前に、何らかの方策を考えます」
「まあ、その辺りか。わかった、其方に任せよう。エトランジェはスピリットの館にでも放り込んでおけ。監視もしやすいであろうからな」
「御意に」
その答えに満足して、ダゥタス国王は退席していく。
その後、謁見の間に集った臣下も解散するが、この場で一番地位の低いイスガルドが国王に直接意見を言ったとあって、色々と嫌味を言われた。過去、王城で務めた経験もあるイスガルドは、それをなんとか角の立たないよう流す。
後に残されたのはイスガルド、倒れたエトランジェ、そしてゼフィと呼ばれたスピリットだけだった。
誰もいなくなったのを確認して、イスガルドがゼフィに話しかける。
「……ゼフィ。お前が彼の世話をしろ。異世界からやって来たばかりなら、こちらの常識も知らないだろう。その辺りも含めてな」
「私がですか?」
「ああ。お前以外に出来る者がいるか? 私は他の者の訓練で忙しい。他の『人間』がこのようなことを引き受けるわけがない」
「……いませんね。了解しました」
ゼフィは溜息をつき、了解する。
「丁重に扱え。今後のサルドバルトの運命を担う……かもしれない人間だからな」
「はい」
頷いて、ゼフィが友希を担ぎ上げる。ずるり、と手から滑り落ちた『束ね』もキャッチして、歩き始めた。
その後姿を見送って、イスガルドはこれから先のことを思いながら、静かに謁見の間を辞した。
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