アルヴィニア王国から帰ってきたら、すぐに始業式。

三年生に上がったライルたちは……なんというか、ダラけていた。

「あ〜〜……なんかもぉやる気しないわね」

ぐでー、と机に突っ伏すルナ。隣に座っているライルも口には出さないものの、生気に欠けている。

さもありなん。あんな大事件の直後なのだ。コレくらいは許される……と、思うのだが、アレンとクリスはそんな暇もないようだ。

なにせ、あんな騒ぎのあった国の王子さまと、そこで英雄扱いされている騎士(見習い)だ。表立って名前の出ていないライルやルナとは違い、周りの注目度はうなぎのぼり。今や、ちょっとしたアイドル扱いだ。

クラスメイトに群がられる二人を横目で見ながら、ライルは『大変だなぁ』と他人事のように呟き、授業までの短い間を睡眠に費やすのだった。

 

第89話「そして、新たな旋風」

 

「はあ……」

クリスは、寮の自室に帰ってくるなり、深いため息をついた。

生まれが生まれなので、注目されたりするのは慣れっこだが、疲れないというわけではない。

「あ、クリスさん。お帰りなさい」

と、そんなお疲れモードのクリスを出迎える声があった。

ふよふよと空中に浮かんでいるローティーンの少女。クリスが個人的にかくまっている幽霊娘、フィオナ・アーキスだ。覚えていない人は54話あたりを見るように。

「ああ、フィオナ。いたんだ」

「久しぶりです」

彼女の寝床はクリスの用意したミニチュアの棺桶であり、それはこの部屋においてあるのだが……正直、クリスとの接点は殆どない。

基本的に幽霊である彼女の活動時間は夜。さらに、最近ではヴァルハラ学園内だけでは彼女の好奇心を満たすことは出来ず、外の世界を色々探検しているらしい。昼は昼でクリスは学校だし、彼女はおねむだ。

よって、クリスとフィオナが顔を突き合せるのは、滅多になかったりする。

まあ、しかし、この二人はお互いを同居人としてそれなりに認め合っているのだが。

「お茶でも淹れましょうか?」

「ああ、うん。じゃあ頼めるかな」

フィオナの提案に頷き、クリスは部屋においてある椅子にどっかりと座り込む。

やはり、疲れが溜まっているようだ。アルヴィニアでのクーデター事件もさることながら、その後、セントルイスに帰ってきてからの外交官としての仕事が忙しかった。

今ではひと段落着いたものの、あわやローラントとアルヴィニアの国交にひびが入るところだったのだ。

平和裏に収束したので、まぁ自分が疲れる程度で済んでよかったとは思うのだが……

「はい、クリスさん。疲れの取れるハーブティーにしておきました。疲れてるみたいなので」

「ありがとう」

フィオナの心遣いに感謝しながら、クリスはカップの中の褐色の液体を啜る。

ほのかな甘みが疲れた体に浸透していく。

「ああ、そういえば。わたしが帰ってきたとき、こんなのが部屋に放り込んであったんですが」

「……手紙?」

それは豪華な封筒だった。確かにクリス・アルヴィニア宛。

刻んであるシンフォニア王国の紋章に嫌な予感を膨らませつつ、クリスはペーパーナイフを用いて中身を取り出す。

その手紙の文面を読み進めるごとに顔に縦線の入っていくクリスを、フィオナは心配そうに見る。

「なんて書いてあるんですか?」

「……最悪だ」

「は?」

「姉さんが……エイミ姉さんが、ここに来る」

ワケがわからず?顔のフィオナをよそに、クリスは来たる災厄を回避するための方法を全速力で考えるのだった。

 

 

 

エイミ・シンフォニア。

シンフォニア王国に嫁いだアルヴィニア王国第二王女にしてクリスの姉。

ライルたちがシンフォニア王国のユグドラシル学園に行っていた間、このヴァルハラ学園に交換留学生として来て、散々クリスの生活を引っ掻き回してくれた。

まぁ、当時はフィレアのアレンいじめの影に隠れて、あまり目立たなかったが……

特技が黒魔法なのである。

さらに、アルヴィニア王家三姉妹の中ではもっとも攻撃的な性格。

……ここまでで十分予想の付くことだとは思うが。

もし、この姉がルナとかち合ったらどんな事態になるだろう?

二年生に上がった時ルナとは少しだけ会ったが、その時は衝突しなかった。

今回のローラント王国訪問の目的は、なんでもシンフォニアとローラントの国交を密にするため……そして、妹の婚約者(つまりアレン)の品定めをするためらしい。

そして、期間は一ヶ月弱。……とてもルナと会わずに済むとは思えない。

なにせ、ルナは一軍を壊滅させるほどの魔法使いである。あの姉も、そのルナほどではないがそんじょそこらの魔法使いとは比べ物にならない力量を誇る。

……下手したらセントルイスが廃墟と化すんじゃないか。

かなり真面目に心配するクリスであった。

 

 

 

 

 

「と、いうわけなんだよ」

「……それで僕にどうしろと」

手紙を読んだクリスは、すぐさまライルの元に走った。このようなことを相談できるのはライルしかいない。

ルナ本人に忠告しようものなら『私を何だと思ってんのよ』とお怒りを喰らうは必至。アレンは……まぁ所詮アレンだし。

「だってさ。結構、冗談じゃ済まないような気がしない?」

「……ルナはともかく、そのエイミって人は一応お姫様なんでしょ。大丈夫じゃないの」

「甘いね。ついこないだ、お姫様のリティ姉さんが城をぶっ壊したの、まさか忘れてないでしょ。……そもそも、一回ファイアーボール食らわされてるじゃないか、ライルは」

そう言えば、と思い出すライル。

あれはシンフォニア王国から帰ってきてすぐの頃だったか。そんなこともあった。

あの感触、ほとんどルナのものと大差なかったような気がする。

「しかもエイミ姉さんはリティ姉さんみたいに裏からコソコソって人じゃないから。もしルナとエイミ姉さんが喧嘩するようなことにでもなったら……」

そんなことは普通は起こり得ない。常識で考えるとだが……逆に、無事に済む未来を想像するのは、この二人にはとてもできなかった。ある意味、可哀想なやつらである。

「そんなことになったら……」

にだいかいじゅうだいけっせんだ……

呆然とライルは呟いた。

「心配することないと思うけどなぁ」

「……シルフィ」

そこで口を挟んだのは、ごろ寝しながらおやつを食べていたシルフィだ。

お前、本当に精霊王なのか、と言う問いかけは今更なのでしない。

「私と喧嘩する時だって、せいぜいマスターの部屋がめちゃめちゃになるくらいじゃない?」

「いや、それはそれで僕は非常に困っているんだけど」

「ルナだって、ギャグ用と真剣用くらい使い分けてるわよ」

「無視か。しかもなんだよギャグ用って」

ライルのツッコミなどどこ吹く風とばかりにシルフィは続ける。

「ま、色々あってナーバスになるのはわかんなくもないけど、も少し冷静になるように。コレ人生の先輩からの忠告」

「“大”先輩の間違いじゃ……」

デリカシーのないライルの言葉に、シルフィは無言で体当たり。

「ぐふっ」

倒れこむライル。所詮マスターの命などここで潰える運命だったのよと言いたげに、シルフィはライルを睥睨する。

「なんていうか、ライルのとこもすごい主従関係だよね」

「あら、いくら羨ましいからって、クリスとは契約しないわよ」

さっきの台詞のどこをどうとったらそういう解釈に至るのか、クリスにはわかりかねるが、クリスはわざわざ補足してやるほど自虐的ではない。

そっとライルに同情するだけに済ませて、立ち上がる。

「あれ。もう行くの?」

「うん。もう一人、エイミ姉さんが来る事を伝えなきゃいけない人がいるし。そもそも家主が倒れちゃったし」

「あっそ」

ひらひらと手を振るシルフィに見送られ、クリスは部屋を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クロウシード流剣術道場。この裏に、アレンの実家がある。

そこで現在、アレンは人生最大の敵と戦っていた。

「アレンちゃん、どう?」

「ああ……う、うまいぞ。多分」

カチカチと震えながらも、なんとか口の中のものを飲み下す。

現在、彼の目の前には花嫁修業なんて名目で彼の家に押しかけたフィレア作の晩御飯が並んである。初めて作ったから、なんて理由では計り知れない味だ。

そんなことを言うなら、ルナなんか最終戦争クラスの味なのだが、あれは刺激が強すぎてすでにアレンの記憶からは削除されている。

だから人生最大なのだ。

「く、クリス。少し手伝っ「あ、僕もう夕飯食べてきたから」

しれっと嘘を言うクリスに涙を流しながら、アレンは続きを口にする。この料理、下手に壊滅的でないのが泣ける。気絶することもできず(普通そんなことはできない)まずさを延々と味わうことになるのだ。

……まぁ、これなら改善できるかもしれない、という辺り、救いはあるが。

そんな死闘を繰り広げるアレンをよそに、クリスは姉と向き合った。

「で、エイミ姉さんがここに来るんだ。ローラントとの国交がどうのって言ってるけど……まぁ、多分アレンの品定めがメインだね、こりゃ」

「ふーん。エイミちゃんもアレンちゃんのことは知ってるのに……」

そりゃそうだ。短い間とはいえ、留学生として来ていたエイミはアレンと同じ学校で過ごしていたのだから。

だが、フィレアのお気に入りの実験台、程度の認識であることは間違いない。

「いいけど。でも、きっと羨ましがられちゃうなぁ。ねぇ、アレンちゃん?」

青い顔で目の前の料理を平らげる婚約者に話しかけるフィレア。

そうかなぁ? とクリスが思ったのも無理はなかろう。

でもまぁ、多少がさつで頭まで筋肉で大食いで適当な性格でも、アレンは悪いやつではない。それはこの二年あまりの付き合いでよく知っている。うん、いいやつだ。いいやつに違いない。いやぁ、アレン。君はいいやつだ!

うんうん。

そういうわけで、多分問題はない……はずだ。うん。それよりルナとの接触をどうするべきか。

「なぁ、クリス。お前今、すごい失礼なこと考えなかったか?」

「……なんのことやら」

「誤魔化すな」

しかし、本当にどうしよう。

「あ、そうだ。ご飯一杯作ったから、クリスちゃんも食べる?」

「いや、だから僕はもうご飯食べて……」

「もう。男の子なんだからもっと入るでしょ。クリスちゃんはただでさえ小さいんだから」

確かに、クリスの身長は平均から著しく下回っているが、このフィレアは小学生とどっこいどっこいの体格なのだがその辺どうよ。

そんなクリスの思考を読んだのか、フィレアは自信満々に宣言した。

「わたしは小さくていいの。アレンちゃんはロリコンだから」

「ちょっと待てええええええええええええええええ!!! 今、聞き捨てならんこと言わんかったかお前!!?」

アレンの神速のツッコミが入る。

「なにが?」

「いや、人をロリコン呼ばわりすんな。てゆか、自分がそういうキャラだってことはわかってたんだな一応」

「……え? うぅ……え?」

「いや、そんなありえんこと言われたみたいにうろたえるな!」

くしゃくしゃと頭をかきながら、フィレアに自分はロリコンじゃないということを切々と語って聞かせるアレン。

「なんというか……夫婦喧嘩の邪魔しちゃ悪いから、僕帰るね」

そんな風に、クリスが去るのに、二人とも気付かなかった。

 

 

そして、一週間後。

エイミ・シンフォニアが訪れた。

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