「痛いっ!?」
「あ、ごめんライル」
お城のパーティー会場を借り切って執り行われている卒業パーティーにて、ライルとルナはダンスに挑戦していた。
当然のように、二人とも初めての体験である。学生には――貴族であるグレイはともかくとして――ダンスなどまったく縁がない。しかし、ライルたち以外の生徒も、王様お抱えの楽団の奏でる音楽に合わせて楽しんで踊っていた。
「いたっ」
「ごめんごめん」
またしてもライルの足を踏んずけたルナは、何度目かになる謝罪の言葉を口にする。さっきから、万事この調子だ。
とにかく、ルナのステップは乱暴なのである。乱暴というよりかは、割と根拠のない自信に溢れているため、目の前にいるライルの足の事を気遣っていないというのが正しい。
逆に、ライルのほうも、慣れないステップに慎重になりすぎるあまり、ルナの足をかわすことができないでいる。まあ、割を食っているのがライルというだけで、責任はどっこいどっこいであった。
「痛いっ!?」
「あ、ごめん」
しかも、ルナが履いているのは、普段の彼女では考えられないハイヒールである。これも、学園長があつらえたものだが、もしや彼女はこれを見越してルナにこの服と靴を贈ったのでは、とライルは邪推する。
他の人ならば考えすぎで済むところだが、こと学園長に限ればこういう迂遠な嫌がらせをしてもおかしくはない。
「なに、その顔。まさか、私と踊るのが不満とでも?」
少しは自分の行動に反省しているらしいルナは、少し不満げにライルを睨みつける。敵意を向けられるライルとしてはたまったものではないが、うまくいかないことに業を煮やすルナの気持ちもわからないでもなかったので、曖昧に首を振った。
「まさか。楽しいよ。うん、滅多にない経験だし。ルナのドレスも似合ってるしね」
半ば片言になっている台詞でも満足したらしいルナは、鷹揚に頷く。対して、その相手たるライルは、ハハハ、とうつろな笑いを浮かべるのだった。
第194話「卒業パーティー 後編」
「むむむ!?」
「ん? どーした、フィレア」
ぎこちないながらも、一応フィレアに叩き込まれたダンスのステップを必死でこなしているアレンは、婚約者の唸り声に疑問の声を上げた。
「どうした、じゃなくて。なんか、周りの注目がライルちゃんとルナちゃんに行ってない?」
「あ〜。そりゃそうだろ。あんだけ大声で騒いでたら」
それだけではない。ルナは、黙って突っ立っていれば、美少女と言ってもまあ差し支えのない容姿をしている。普段着とは違うドレスを着込むだけで、随分周りの注目を集めていた。
それに、容姿だけでなく、なんというのか華があるのだ。パートナーを振り回すかのような乱暴極まりないダンスすら、彼女の活発な面がキラキラと輝いて見えた。
無論、傍から見るだけなら、という話ではあるが。
「ダメじゃないっ」
「なにがダメなんだよ?」
また奇天烈な事を考えているな、とアレンは想像しつつ、諦めて先を促した。彼女の思いつきを、アレンが回避できたためしはない。
「やっぱ、わたしたちもみんなに見てもらわなきゃっ。明々後日には結婚式だって言うのに、こんな地味な役回りじゃなダメだよっ」
「いや、わけがわからない」
「結婚っていったら、人生で一番輝く時だよ!? その前夜祭で、主役が注目を集めていないんだからっ!」
「待て待て。その言い分はおかしい。これ卒業パーティーだし。大体、注目集めるっつっても、お前……」
アレンは、しげしげとフィレアの頭の上からつま先までを観察した。
「……無理だろ」
確かに可愛らしくはあるが、所詮見た目初等部のお子様である。そして、周りに居るのはアレンと同年代の健全(かどうかはわからないが)な男子。自然、より女性らしい体つきをした人間に注目が行く。
せめて、周りの同年代程度に成長してくれれば、フィレアの要望どおり注目を集めることが出来ただろう。アレンも結婚に際して色々と葛藤する必要などなかったものを。
と、何気なく周りの同級生達に目を走らせたのが失敗だった。それと同時に、フィレアの眦がぎゅっ、と吊り上がる。
「なにエッチな目で見てるの!」
フィレアはその視線に浮気の気配を感じて(パーフェクトな勘違いだったが)、一瞬でアレンの懐に入った。
「ぬおっ!?」
アレンの体が前に引っ張られる。完全に体勢を崩され、百キロ近いアレンの体が宙にぽーんっと弾けるように飛んだ。しかし、そのまますっ飛ぶことは出来ない。なぜなら、アレンの右腕をフィレアが固定しているからして。
「ぐはっ!」
背中から床に落とされる。受身をとっても、肺の中の空気が押し出された。
見事な一本背負い。こいつ、本当に婚約者か? とアレンは嘆いた。
「……なにやってんだか」
くいっ、と赤い液体を傾け、クリスは嘆息した。
片やパートナーの足を踏みまくる、片やパートナーを豪快に投げ飛ばす。どちらも、本物のダンスパーティーなら放り出されても可笑しくない暴挙だ。ルナはまだしも、宮廷作法は一通り叩き込まれているはずのフィレアは、少々羽目を外しすぎである。
それが自分の姉であり、もうすぐ人妻になるという事実に、クリスは言い知れない不安を感じる。
「ま、それもいつものことか」
アレンならうまく手綱を握ることだろう。アレンは、完全に尻に敷かれているように見えて、その実尻に敷かれているのだが、なんとなくフィレアを思った方向に誘導するという稀有な才能を持っている。代償としてこう殴られたり投げ飛ばされたりするが、二人とも体育会系なのでそういう肉体言語的コミュニケーションは夫婦仲を維持するためにも必須なのだろう多分。
ふと、喧騒が遠くなる。なんとなく、これで終わりなんだと言う実感が急に来た。
短いような、長いような三年間の思い出が自然に思い返される。
思えば、なんだかんだでライルたちと最初っから最後まで付き合うこととなった。――我ながら運がよかったと思う。無論、危険な思いや理不尽な思いを何度もしたが、今となってはそれも楽しいと断言できるものだった。一つ一つの思い出をゆっくりかみ締めるようにして映像にしていく。
「らしくないかなー」
思い出に浸るほど感傷的な性格はしていないつもりだったんだけど、とクリスは軽く首を振って、物思いから目覚める。今は、まだ学園生活の延長だ。存分に楽しんだ方が良い。
くるくるとグラスの中の液体を回して、一気に煽る。侍女から配られたぶどうジュースだが、なかなか美味しい。
ほぅ、ともれ出るため息に、なぜアイツは男なんだ、と同級生の連中が少々危ない視線を送った。
「でも、本当美味しい。どこのジュースだろうこれ」
見ると、周りのみんなも同じジュースを飲んでいる。それほど、このジュースにお城の人も自信を持っているのだろうか。
とか考えていると、クリスの友達が帰ってきた。
「……ルナ。今後、君とはダンスをしないことを、僕は誓うよ」
「なによ。私が悪いの?」
「いや、悪いでしょ。常識的に考えて」
「アレンちゃーん。これに懲りたら、もう二度と他の女の人に色目使っちゃ駄目だよ」
「だから誤解だっつーのに。……クリスぅ! お前からもなんか言ってやってくれ」
近付いてきたアレンが、こちらに助けを求めてくる。
仕方なく、クリスは口を開いた。
「フィレア姉さん、仕方ないよ。アレンも健康な男なんだから。前、俺の夢はハーレムなんだ、王様になれるなら本気で作ってみるかぁ、とか言ってたし」
「言ってねぇ!?」
スラスラと淀みない嘘がクリスの口から出る。
あれ、おかしいなあ。こんなこと言うつもりじゃなかったのに、とクリスは不思議に思いつつグラスの中身を煽った。
「侍女さーん。もう一杯ちょーだい」
「はい、ただいま」
「まて、クリス。訂正しろ。お前の姉ちゃんすごい怖い顔に……」
「あ〜れ〜ん〜ちゃ〜ん?」
アレンは、まて誤解だー、と叫びながら、フィレアの拳を受けて八メートルは吹っ飛んだ。
ぷんぷん、と怒るフィレアに、侍女がまあまあこれでも飲んで、とジュースを渡す。
「ちょっと、クリス。どうしたのさ。いくらアレンだからって、あんな嘘はよくないよ」
「ん? ライルかー。よし、今度は僕と踊ろう」
「待って。話の脈絡がわからないっ!」
引っ張られそうになり、ライルは抵抗する。その拍子に、クリスの持っていたグラスから液体がこぼれた。
「ったく、行儀悪いわね。こぼすんじゃないわよ」
「ああ、ごめんねルナ」
「ったく。……ああ、踊ったせいで私も喉渇いたわね。それ頂戴」
「はい、どうぞ」
すっ、と侍女がグラスを渡す。
その侍女に、ライルはなんだか違和感を覚えた。
「ささ。貴方もどうぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
それを受け取ろうとする。
その人物を、ライルは注意深く眺めた。
年のころは、二十台なかばくらい……なのだろうか。女性の年齢は分かりづらい。
侍女服を身に纏い、こうして給仕をしている以上、お城でお勤めする侍女さんであることは間違いないはずなのだが……なんだろう。どこかで見たような、見てないような……
「……あれ? 小じわ?」
観察してみると、目元に小皺があった。二十台の若々しさとは遠く離れた、年齢を重ねたものしか得られない皺である。化粧で巧妙に隠してはいるが、よく観察すればすぐそうと知れた。
「……ライルくーん。誰が皺くちゃのおばあちゃんなのかしら?」
「え? あれ?」
ぐわしっ、とライルの呟きを耳聡く聞きつけた侍女さんが、ライルにアイアンクローをかます。
おかしい。こんな事態は異常だ。なにせ、侍女さんは侍女さんであり、お客をもてなすことはあってもアイアンクローをかますなど……
とかライルが混乱していると、フィレアが先程受け取ったジュースに口をつけた。
「ふむっ!?」
途端、ボンッ、という効果音が聞こえるかという勢いで顔が赤くなった。
「な、なんだ……」
ライルは驚愕する。これは、タダの飲み物ではない。
それに、これを配っていたこの侍女さん。どうにも先程の口調といい、どこかで会ったことが……
「って、ああああああーーーーー!? じゅ、ジュディさん!?」
そう。
化粧をかまして、髪型を変えて、侍女服を身を纏っていたから気付かなかったが……目の前の侍女(偽)は、我らがヴァルハラ学園学園長ことジュディ・ロピカーナであった。
「チッ、気付かれたか」
「なにやってんですかっ! 年甲斐もなくんな格好して……痛い痛い痛い!」
余計な事をライルが言った途端、ジュディの手が恐ろしい握力で持ってライルの頭蓋骨を軋ませる。
「ライルくーん? 女性に年齢のことを言うのはタブーよ? そんな君はこれでも呑んどきなさい!」
口にコップがつけられる。
一気に流し込まれ、ライルは思わず呑んでしまった。
「って、これお酒っ!?」
ほとんどジュースみたいな飲み口だが、これでもライルは味覚が鋭い。かすかに香るアルコール臭と味で、あっさりとその正体を割り出した。
「はっ、まさかさっきクリスが変だったのも、フィレア先輩が赤くなったのも……」
「あっはっはー! 楽しいわねー。そうだ、盛り上げるために花火でも上げてみましょっかー!」
調子っぱずれの笑い声が聞こえる。
花火、という危険な単語にライルが眼球だけでそちらをみてみると、なにやら顔を赤くしたルナがぶんぶんと腕を振り回していた。
「社会に出ると、こういうお酒の付き合いも重要になってくるのよ……慣れとかないとね」
「ジュディさん。あんたなにやってんですかっ!?」
「なにって、侍女に扮して、みんなにとっときのお酒を振舞ってあげたんだけど。宴に酒が入らないなんて嘘でしょう?」」
見ると、他の生徒達も、見事にぐでんぐでんになっている。この酒、全然アルコールっぽくないのに、相当度数が高いらしい。
「さあ、いっくわよー!」
「ルナ!? ちょ、花火ってまさか……」
「ありゃ、これはまずいかもね」
すべての元凶の癖に、まるで他人事のようにそんな風に言ってのけるジュディ。
次の瞬間、七色に光る魔力光と爆風が、パーティー会場を総なめにした。