「……うーん」
目が覚める。
ぼけー、と窓から差し込む朝日を見るに、どうやらちゃんと起きることができたようだ。
なにせ、今日から三学期。
学生生活最後の学期である。普段ちゃらんぽらんな俺でも、さすがに今日という日に遅刻する気はない。
「ふぁ、しかしねみぃ」
別に休み中に不摂生をしていたわけではない。これでも、剣士として最低限の自己管理はしているつもりだ。……というか、ちょっとでも体調を悪くしようものなら、親父に負ける。
あの糞親父は、ミッションで片腕斬り飛ばされて、なんとかくっつけてもらった俺を見て『フフフ……その腕ではこの攻撃は防げまい!』といきなり斬りかかってくるようなダニ野郎である。俺のプライドにかけて、負けるわけにはいかなかった。
「あー、起きるか」
しかし、学校がある日に限ってこんなにも眠いのはなぜだろう。冬休み中の早朝訓練は一度も眠くならなかったというのに。
……ああ、そうか。早朝訓練は、いきなり冷水かぶることから始まるからな。そりゃあ、目もばっちり覚めるだろう。
あれに匹敵するインパクトがあれば、目も覚めるってぇもんだが……
「……あン?」
などと益体もないことを考えつつ、起き上がろうとベッドに手をつくと、なにやら手のひらにやわらかい感触。
弾力というにはやや心細く、しかし確かな主張をするなんか暖かくてやわっこいもの。
「……はて」
俺は、こんな上等な枕を購入した覚えはないが……
などと考えつつ、シーツを捲ってみる……と、なにやら、すやすやと天使のようにあどけない表情で熟睡なさっている、目下俺の頭痛の八割を生産する我が婚約者殿が“またまた”いらっしゃったりっ!?
「ふぃ、フィレアああああああああああああああっっっっ!?」
この俺、アレン・クロウシードの三学期初日は、こうして始まりやがった。
第179話「それぞれの進路―アレンの場合―」
「どうしたのさ、アレン。そんな疲れた顔して」
登校してみると、先に来ていたクリスが目ざとく俺の顔色を察して、声をかけてくる。
ちょうどいい。フィレアは、こいつにとって姉にあたる。俺が何を言ってもやつは聞きゃあしないが、肉親からビシッと言ってやればまた違った効果が期待できるかもしれない。
「なぁ、クリス」
「うん、なに?」
「お前からフィレアに言ってやってくれ。毎晩、俺のベッドに潜り込むんじゃねえって」
し……………ん、と教室は静まり返った。
「な、なんだ、どうした?」
いきなりの反応に、俺は思わず周りを見渡す。
なんだ? どう見ても、なにかおかしいことが起こったようには見えない。教室がこういう状態になるのは、たいていルナ辺りが怒りを表したときなのだが、そのルナはいまだ登校していないはずだ。
「……いや、アレン。その、やめようよ。朝のさわやかな教室の中で、そんな話」
「そんな話って何だ。俺は、お前の姉ちゃんに少し自重するよう言ってくれと頼んでるだけだぞ」
「まぁ、アレンのことだから別に『そういう話』じゃないんだろうけどさ」
なにやら、そこはかとなく馬鹿にされているような気がする。
「忠告しておくけど、そんな言動を続けてると、ロリコン疑惑が疑惑じゃなくて確定になっちゃうよ?」
すでに確定しているだろう、それは。
いくら鈍い俺でも、裏でアレン・クロリシードと渾名されているのは知っているぞ。
憮然とした俺の態度を察したのか、クリスが苦笑する。
「いや、まぁまぁ。あのフィレア姉さんと結婚するんだから、仕方ないといえば仕方ないんじゃない?」
「結婚……そうか、そうなんだよな」
すでに、この四月にアルヴィニア王国で盛大な結婚式が執り行われることは内定している。俺の知らないうちに、フィレアとその母親が裏で色々と段取りを整えていたらしい。
「しかし、こいつが弟になるのか……」
「嫌そうに言わないでよ。僕のほうがずっと嫌なんだから」
「まぁまぁ、そう言わずお兄ちゃんと呼んでくれ」
ヒクッ、とクリスの頬が引きつった。
「……やめてよね。んな気色悪いこと言うの」
「なんでだよ。義理とはいえ、立派な兄弟だぞ、俺たちは」
「立派かどうかは一考の余地があると思うけど、そんなに呼んで欲しいなら呼んであげるよ『お兄ちゃん』」
なにやら、艶のある声色でクリスがそう呼ぶ。
マズイ。さりげなくカツラなんぞ取り付けやがって。男の格好なのに、そうするとどう見ても女(しかもすげぇ美少女)にしか見えん。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「や、やめろクリス。お前がその格好でお兄ちゃんだと……洒落にならん」
事実、クラスの男子の約半数は、ときめいている。これは、うちのクラスが末期にあると見るべきか、それともクリスの女装テクに感動するべきか。
「ほらね」
「いや、なにをそんなに勝ち誇ってんだ」
「気持ち悪いでしょ?」
「鳥肌が立ったわっ!」
危うく、変な道に転がりおちそうで。
……ときに、そんな俺たちを見て『り、リアルや○い!? し、しかしこれはなかなかいい組み合わせかもっ!』なんてつぶやいている眼鏡の女、誰だあれ。
確か、リム、だったっけ?
「まぁ、あれだな。考えてみれば、俺はお前の義兄である前に、お前らに仕える騎士になるんだったな。そんな風に呼ばせるわけにもいかないか」
「……え゛?」
……おい、なんだ、その素っ頓狂な声は。
お前らしくもない。クリス、さっきの俺の発言のどこにそんなリアクションを返す要素があった? なんか嫌な予感が急速に膨らんでいるんだが。
オイオイ、なんだその『え〜〜、こいつ知らないんだ〜。そういえば伝えていなかったような気がするなぁ、失敗失敗』みたいな顔は。
頼むから。頼むから、これ以上俺の頭痛の種を増やさないでくれないか?
「あのさ、アレン。君、仮にも王族の一員になるんだよ? 騎士の身分なんて許されると思ってんの?」
「貴族でも、騎士なんて少なくないだろ? 大体、前に騎士の研修みたいなの受けただろうが」
「うちは王族。あと、騎士になるって言ってはいたけど、婚約する前の話だし。あ〜、しかも、うちって親戚少ないんだよねぇ。王族の血を引いてるのは、今のところうちの直系とあと二つあるだけ。その二つは、没落して中流貴族程度の力しかないし」
「待て、クリス。なにが言いたい。お前のところに入ったら、俺はどんな処遇を受けるんだ」
嫌な予感というかこれはもう確信。あ〜あ、お気の毒……みたいな顔されても、俺は非常に困る!
「でさぁ、王位継承権って、基本的にアルヴィニア王国は早く生まれたもの勝ちなんだよね。で、第一継承者が長女のリティ姉さん。第二だったエイミ姉さんは他国に嫁いだから必然的に継承権は解消。つまり現在第二位がフィレア姉さんで最後に僕」
そこで、クリスは困った顔をする。
「本来ならリティ姉さんが次期国王……女王のはずで、その仕事を覚えるために父上の補佐をしていたんだけど、補佐役にハマっちゃったらしくてね。なんでも、仕事しない上司(国王)のケツをぶっとばして仕事させるのが快感なんだとか」
「いいから結論を言え」
「はいはい。せっかちだなぁ……結果的に、補佐役をずっとやりたいって言うリティ姉さんが継承権を放棄。次のフィレア姉さんに移ったんだけど、さすがにフィレア姉さんに国の舵取りは無理でしょ? 本人も乗り気じゃないし。と、なると次に継承権が転がり込むのが、フィレア姉さんの夫。つーまーりー」
ビシッ、とクリスが俺に指を向ける。とっさにその指を交わして、なにもない虚空を指しているように見せかけるが、むなしいだけで何の意味もなかった。
「アレン。君、アルヴィニア王国次期国王。もちろん、父上が引退してからになるけど」
俺の悲鳴が学校中に響き渡った。
「な、なにごとっ!?」
そして、登校して来たルナが、異常事態と勘違いして、完全臨戦態勢で飛び込んできたりもした。
「っっっざけんなっ!」
「いやぁ、ふざけてこんなこと言えるほど、僕器用じゃないしなぁ」
「なんかの間違いだろ! 間違いって言ってくれ!」
昼休み。俺は、珍しく(というか初めて)昼飯のことも忘れ、必死にクリスに詰め寄っていた。
「いいじゃん。王様。いい響きよねー」
「まぁ、カリスさんも、アレンと似たタイプだったし、いいんじゃないの?」
「俺をあの王さんと一緒にすんじゃねぇ」
ルナとライルの、不本意な評価に思いっきり反論する。
確かに、いくつか特徴が似通っているところがあったことはあったが、あのオヤジは基本的に敵である。……同族嫌悪、というどっかで聞いた単語が浮かぶが、とりあえずそれは捨て置く。
「大体、平民だぞ、俺は!? 王家的に、それっていいのか!?」
「うーん。いいか悪いかで言えば、そりゃあ悪いんだけどね。でも、今の父上――っていうか、アルヴィニアの方針は、権力を王侯貴族から国民に移すことだから。アレンが国王になってくれれば、それはそれで都合がいいんだよ」
くっ、ああ言えばこう言う!
「って、そうだ。そのリティさんとやらの結婚相手はどうなんだ? 第一王位継承者の夫なら俺より優先順位は上だろ」
「うん。確かにそうだよ。ただねぇ……」
なにやら、クリスが声を潜めて、きょろきょろとあたりを見渡す。
危険がない(学園内での危険など、ルナくらいしか思いつかないが)と判断したらしいクリスが、そっと俺の耳元でささやく。
「ぶっちゃけ、あのリティ姉さんと結婚したい、なんて人がそうそういると思う? 政略結婚のための見合い、百回やって百回とも相手を物理的に撃墜した人だよ」
「……それは見合いじゃなくて、公開処刑じゃないのか?」
「いやいや、本人はけっこう真剣なんだけどね。理想が高いせいで、駄目出しが多くなるわけなんだよ。で、今では噂になっちゃって、結婚を申し込んでくる国とかもなくなっちゃったんだよねぇ〜」
あっけらかんと言い放つが、その言葉が意味するところは、俺の国王就任が確定ということっ!?
「ま、待て。俺にゃ、そんな真似は無理だ。お前がやればいいじゃないか。俺より頭もいいし、気が回るし、要領もいい」
「関係ないよ」
と、クリスは首を振った。
「僕が国王の器なんて思えない。せいぜい、参謀役が関の山さ。なんていうか……一国の王に必要なのは、知恵とかよりもずっと、こう、なんだろう?」
「知るか」
「なんていうか、そう。器の大きさとかカリスマみたいなのが必要なんだよ。他の能力は、他人にまかせるなりなんなりで補えるんだから。そりゃあ、あるに越したことはないけどね」
「俺にそんなんがあるって?」
尋ねると、クリスは少し困ったように苦笑する。
「少なくとも、僕たち姉弟よりはあると思うよ。多分」
「そ、そうか……」
まっすぐにそんなことを言われると、さすがに照れる。自分にそんなもんがあるなどとは露ほどにも信じていないが、ほめられて悪い気がするはずもない。
「なにせ、フィレア姉さんだけでは飽き足らず、農村のいたいけな少女を手篭めにするほどの器を見せ付けてくれたからね。プリムちゃんにちゃんと手紙とか送ってる?」
「ちょっと待てコラァ!?」
「一応、一夫多妻は貴族階級の特権として認められてるけど、ほどほどにしなよ。王様には風評ってのも大事なんだから」
「だから待てっ!」
なにやら、トンデモナイ誤解をされているような気がする。
まぁ、確かに。プリムを気に入ったフィレアが、あいつを側室に入れてー、などという世迷言を言っているが、さすがにそれはないだろう。
「そう? それならそれでいいけどね。でも、跡継ぎはちゃんと作ってよ? 僕も、今のところ結婚の予定ないんだから、下手したらアルヴィニア王家の血が途絶えちゃう」
フィレア姉さんの体は小さいから、大丈夫かなぁ、なんて実もふたもないことを言ってのけるクリス。
「ちなみに、アレンが国王になったとして、僕も補佐役に入るから、そこらへんよろしく? あまり仕事増やさないでね」
ちなみに、アルヴィニア王国に、ロリコン王の二つ名を持つ、笑われながらも親しまれる平民出身の国王が生まれるのは、これから約十年後の話である。