「……で? もうかかっていいのか?」

視線に恐ろしいまでの殺気を込めて、魔界と人間界を繋ぐ『門』の前に立つ魔族・ハルファスが鎌を構える。

まるで緊張感のないライルたちの様子に、少々気が抜けていたようだが、こうして威圧されると、下手をすると腰が抜けてしまいそうになるほどの震えが奔る。

――やっぱり、逃げた方がよくない?

などと、相変わらず情けないことを考えつつ、ライルは剣を抜くのだった。

 

第172話「ラウンドワン」

 

「マスターっ! アレン! 前! フルカスもよろしく! フレイは出んな!」

矢継ぎ早に、シルフィが指示を飛ばしていく。

「おおっ!」

「や、やだなぁ……」

なんだかんだ言いつつも、ライルもアレンも、そして魔族のフルカスも、シルフィの言う事を聞いてハルファスに向かった。

接近戦を好みはするが、実力が伴っていないフレイは、その炎でもって援護射撃の役割だ。一応、自分の適性くらいはわかっているのか、いまいち不満そうな顔ではあるが大人しく遠距離に徹していた。

「てか、なんでアンタが指示してんのよー!」

文句を言いつつも、きっちり攻撃魔法だけは忘れないのは、ある意味才能であろう。ルナは詠唱を省略した低位の魔法を連発して、前に出た連中のための目くらましをしている。

「はいはいー。おとなしく言う事を聞いてねー」

シルフィが指示を出しているのは、単に空を飛ぶのが得意で戦況を把握しやすいためである。そのシルフィは、クリスと共に、補助魔法で前衛後衛の基礎能力の底上げをしていた。

いつも一緒にいる四人はともかく、そこに三人もの人間(ではないが)が入ったというのに、そこそこの連携ができている。

ハルファスのすぐ前に着弾した炎弾の煙に紛れ、ライル、アレン、フルカスの三人が同時に攻撃を加える。

絶妙のタイミング。三本の剣が、囲うようにハルファスに叩き込まれ――

「……ハッ!」

なかった。

鎌を、真横に一振り。それだけで三人分の剣撃は弾き返され、あわよくばライルたちもろとも吹き飛ばそうと迫っていたルナの魔法もかき消された。

「まっずっは! テメェだ!」

この中で、もっとも手ごわいと思われるフルカスに、ハルファスの凶刃が迫る。

「っざけんなっ!」

いち早く立ち直ったアレンが、させまいと横から体当たり気味に突っ込む。

「んだぁ? お前が先かァ!?」

しかし、あっさりといなされ、逆に鎌の一撃を貰う。アレンは柄を押さえるが、L字型の鎌の内側が、背中に僅かに食い込む。鎌は、あまり実践的な武器ではないと感じていたが、非常に躱しにくい武器だった。

「ライルっ!」

アレンは、そのまま鎌をむしろ自分に押し付け、柄を握り締める。押し付けるだけでは、そうそう深い傷にはならない。しかも、アレンの肉体は硬気功で強化されている。

そうやって、ハルファスの動きを抑えたところで、アレンの背後からライルが現れた。

「もらっ――」

「……って、ねぇんだよぉ!」

ハルファスの、愉悦に歪んだ口から耐えがたい不協和音が発生する。

一瞬、ライルとアレンの動きが止まり、その間にハルファスはアレンの拘束を振り切った。

置き土産とばかりに、ハルファスは二人を斬り付けようとしたが、それはフルカスに止められる。

「させるかっ!」

「ッとぉ!」

距離をとったハルファスに、離れて力を溜めていたルナとフレイが手を掲げた。

「『エクス』――」

「燃え……」

ライルたちは、慌ててハルファスから離れる。流血しているアレンも、痛む背中を押して強く大地を蹴った。

「『プローーーージョン!!』」

「尽きろォ!」

ルナのエクスプロージョンと、フレイのサラマンダーブレイズが同時に炸裂する。充分に魔力の練られた二重の爆裂が、ハルファスに直撃した。

もうもうと立ち込める爆煙。そのままハルファスに動きがないので、一旦、全員が一箇所に集まる。

「やった?」

「んなアホな。それはないだろ。……クリス、回復頼む」

煙にまぎれて、魔法を詠唱しているわけでもない。なぜ動かないのかは不明だが、このまま傍観している義理はなかった。

「わかった。怪我した背中見せて」

クリスが、アレンの背後に回る。

一方、ルナはブッコロスと笑みを浮かべながら詠唱を開始していた。

「『我が力の具現、永遠に消えることなき真紅の炎よ』」

途中で詠唱が遮断されないよう、ライルとフルカスは、ハルファスの襲撃に備えて構えた。

「隠れてちゃ、狙いにくいでしょ」

と、シルフィが風を起こして、ハルファスを隠している爆煙を吹き飛ばす。

そのハルファスは、ルナとフレイの魔法に、焦げ一つ作らず悠然と佇んでいた。腕を両手に広げ、なにやら喜んでいるように見える。

「なにスカしてんの――『クリムゾンんんー』!」

その態度に、舐められていると感じたルナは、とっとと詠唱を完成させた魔法を放つべく、その両手を掲げる。

「いやいや、違う違う」

「『フレア』!」

真紅の球がハルファスを言いかけた言葉ごと取り囲み、内部に極限の炎が現出する。

ルナが一年生の時とそれとはまったく違う。並の魔族なら、ニ、三回滅ぼしてもまだお釣りがくるほどの威力を誇るトップクラスの炎系魔法。

まるで、地表に小型の太陽が出現したような煌きの中、それでもハルファスは立っていた。

「単にな?」

流石にノーダメージとはいかず、所々ぶすぶすと臭く焦げている。回復にはしばらくかかるだろうし、動きも悪くなるだろう。武器としていた鎌も、これは普通の武器だったのか、無残に溶解している。

……ただ、

「久々に、本気でやれそうだな……っと、喜んでいただけだぜ? しかも、絶対俺に勝てそうにねぇところがまたおもしれぇ!」

それ以外は、特にどうということがないのも、また事実だった。

自身の最強魔法をあっさりと耐え凌がれ、ルナは歯軋りして悔しがる。

だが、クリムゾン・フレアが効かない、ということは、ライルたち人間組の技ではハルファスに致命傷を与えられないことを意味する。現状、ライルたちの中で最も威力が高いのはルナの魔法なのだ。

「か、回復しない!?」

アレンの治療をしていたクリスが叫ぶ。

回復系が得意な彼をして、アレンの傷を塞ぐどころか血を止めることすらできなかった。あの鎌は、特に呪われた武器というわけでもなさそうだったのに、何故? という疑念がよぎるが、クリスの豊富な知識はすぐにその回答を弾き出した。

「そ、そうか。高位魔族の魔力……」

魔族の魔力は、人間などのそれと違い『粘っこい』。魔族が強力であればあるほどその傾向は強まる。魔族によってつけられた傷は、その魔力が付着し、回復魔法や自己治癒などを妨げるのだ。

回復させるには、時間を置いて魔力が霧散するのを待つか、遮られても問題ないくらい強力な回復魔法をかけるかしかない。

「そういうことか……」

馬鹿ではあるが、戦闘に関連する知識だけは詰め込んでいるアレンが舌打ちする。

傷は、そう深くはないが、出血ばかりはどうしようもない。時間とともに、体力が落ちていくことは明白だ。

とりあえず、服を脱いで、傷口に巻く。物理的に圧迫すれば、多少は止血になるだろう。時間があれば治療も可能だろうが、今はこれが精一杯だ。

「最悪ね……」

シルフィが顔を顰める。

こっちは、向こうから受けた傷を回復させることはできない。対して、ハルファスの方は、フルカス以外の攻撃に関してはすぐに回復させることができる。実際、ルナが与えたダメージは、もう三割方再生してしまっていた。

「どうするシルフィ。あのルナとかいう女の魔法、威力はなかなかのモンだった。あれが効かないってなると、今の俺らじゃあちと怪しいぜ」

「わかってるわよ。……そこらへんは、フルカス。貴方に頼れないかしら?」

シルフィがフルカスに目を向けると、彼は首を振った。

「私は、大威力の攻撃には向いていない。少しずつダメージを与えるか、威力の高い技を同時に繰り出すかしかないだろう」

「……どっちも望み薄ね」

見る限り、ハルファスの再生能力は随分高い。チクチク攻撃しても、先にこちらがバテてしまうだろう。威力の高いものを同時に――といっても、そんな暇を与えてくれるとは思えない。

「なぁ〜? 作戦会議すんなら、とっとと終わらせろヨォ」

自己治癒を継続しながら、ハルファスが呼んでくる。

「……望みがあるとすれば、奴は戦いを楽しむ傾向がある、ということだな。付け入る隙はあるかもしれん」

「隙があっても、付け入ることが出来るのかしらね……。逃げること、考えた方がいいかも」

シルフィは、いざとなったら自分が殿を引き受けてでもライルたちを逃がそうとも考えた。ただ、魔界から逃れる術がない以上、ここで逃がしてもいずれ野垂れ死にがオチだ。

「どうでもいいけど、とっととやらなきゃ、あいつ回復しちゃうわよ!?」

焦れたルナが、シルフィたちを呼ぶ。ハルファスの傷は、既に八割は回復していた。

「ああ、もう! 『門』が開ければ!」

全員、逃がすことができる。

流石に人間界にまでは追ってはこないだろうし、よしんば追いかけられても人間界ならばシルフィやフレイはフルに実力を発揮できる。また、異常を察知した他の精霊王が駆けつけてくれれば、いかにハルファスといえど敵ではない。

「開くことはできないの?」

「人が通れるほど開くには時間がかかるの。そりゃ、少し開くだけでも下位精霊は通れるから、多少は力使えるけど……」

あくまで、多少だ。シルフィなどは、身体を小さくすれば抜けることもできるだろうが、人間であるライルたちはそうもいかない。

「シルフィ。僕たちが抑えるから、なんとか門とやらを開けないのか?」

「あのね、マスター。マスターたちだけであいつ止められんの? 人が通れるようにするには、少なくとも三十分は……」

逆説、人が通れない程度ならば、そう時間はかからない。

己のマスターの姿をまじまじ見て、さらにハルファスの方を値踏みするように見て、シルフィはうん、と頷いた。

「マスター、こっち。フルカス、私とフレイで門開くから時間稼ぎお願い。貴方が中心になって、なるべくみんなが怪我しないようにできるかしら?」

「……いいだろう。なにか、考えがあるのだな?」

「まぁね」

シルフィは、力強く頷いた。いつの間にか、その作戦に組み込まれてしまったライルは、不安そうになる。

「なぁ、そろそろいいか? 俺ァ、回復したんだがねぇ」

待つのに飽きたらしいハルファスの手に、先ほどと同じ鎌が握られた。

「みんな、ヨロシク!」

「結局、回復しきるの待っちゃって! いい加減、待ち飽きたわよ!?」

ずっと魔力を高めていたルナの無数の炎弾によって、第二ラウンドが始まった。

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