「文化祭は明日よっ! みんな、気合入れて行きましょう!」
午前の授業が終わり、午後。ルナが、教卓の前で、全員に檄を飛ばしていた。
文化祭前日の今日は、午後は丸々準備に当てることが出来る。
そして、ライルたちのクラスは……当然のように作業がおっついていなくて、今日は徹夜の予感が漂っていた。
「……大体、無茶なんだよ。四つも同時進行なんてさ。結局、文化っぽいのは僕が一人でやっちゃったし……」
ぶつぶつと文句を言うもう一人の実行委員。ライルは、つい昨日、ヴァルハラ学園の成り立ちやら歴史やらを纏め終え、既に展示できるよう準備は終えている。
つまりは、今日は他の出し物の雑用三昧、というわけだ。考えただけでげんなりする。
今、準備が遅れているのは、迷路と喫茶店だ。劇のほうは、ルナとリムが強烈なスケジュールで準備を推し進め、とうに終わっている。
「あー、あとMMSの役者は早めに上がって明日に備えること。演技トチったりしたら、お仕置きだからね」
ここ最近、うなだれっぱなしだった役者の面々が、こくこくと頷いている。その中にはクレアの姿もあったが、彼女も含めて、大分お疲れの様子だ。
「さぁっ! ここが正念場よ! 死ぬのは文化祭が終わるまでとっときなさい!」
恐ろしい掛け声と共に、クラスが一丸となって準備に走り出した。
第159話「文化祭・前夜」
「だ、ダメだ!!」
遅々として進まない作業に苛立ったアレンが、トンカチを持ったままお手上げのポーズをする。
この屋上の敷地すべてを使っている『巨大お化け迷路ゲーム屋敷』は、その規模の大きさと小物の多さ、投入する人数すべてにおいて他のものとは比べ物にならない規模を誇っている。
当然のように、作業量も膨大なものとなり、人の十倍働くアレンをして、こりゃだめだと言わざるを得ない状況になってしまっていた。
――周りは、そう思っていたのだが、
「腹減った!」
そう、大声で宣言して大の字になって寝転ぶ。同時に、グ〜〜〜、というなんとも情けない音が屋上のセットに響いた。
「……アレン」
突っ込みたくないなぁ、という意思を顔中で表しながらライルが話しかける。
「俺は、腹が減ったぞ」
「さっき聞いた」
「腹が減っては戦は出来ぬ、という有名な格言を知らないのか。俺の座右の銘だぞ」
「……夕飯は食べたじゃないか。五人前くらい。あと、そんな言葉を座右の銘にしない」
「んなこと言っても。もう九時だぜ? そんなもん、とっくに消化しちまったよ」
なんとも燃費の悪い体である。まぁ、ずっと重機のごとく働いていたのだから、エネルギー消費も激しかったのだろう。とりあえず、ライルは友人として、そう良い方に解釈してあげることにした。
「……はぁ、わかったよ。どうせ、夜食は用意するつもりだったし、なんか作ってくる」
喫茶店や迷路のゲーム『アレンと食べ比べ』(ライルは反対したのだが、結局押し通された)に使う食材が来るのは明日の早朝だ。それとは別に、ちゃんと夜食用の食材は確保している。
ただ、それだと明け方辺りにまたお腹が空くかもしれないが……まぁなんとかなるだろう。
「ちょっと待った! その必要はないわ」
バンッ、と屋上の扉を開けて、ルナが顔を出した。
後ろには、喫茶店の内装を整えていた女子がぞろぞろと従っている。ついでに、クリスもいた。なぜか、手を合わせて、こちらに頭を下げている。
……ひどく、嫌な予感が、した。
「し、心配することはない、って?」
「ちょうど、女子総出で夜食作ったとこなのよ。……まぁ、喫茶店の試食用なんだけどさ。なにはともあれ、女の子の手料理よ。ありがたく頂きなさい」
見ると、確かに女子たちは手に焼きそばやらたこ焼きやらを乗せた皿をもっている。随分な量だ。
いや、それはいい。ライルも、アレンほどではないが小腹は空いている。いつもなら、喜んでいただくところなのだが、
「えーと、ルナさん? つかぬことをお伺いしますが」
「なによ、急に気持ち悪い口調になって」
「その、お夜食とやらは、貴女様もお作りになられたのでしょうか?」
違うと言ってくれ、というライルの切実な願いなど、当然のように届かない。
ルナは、得心がいった風に頷くと、
「もちろんよ。たんと食べなさい」
「……念のために、ルナが作ったのはどれ?」
「アンタ、そんなに私のが食べたいの? どれ、って聞かれてもねぇ……たいがいのやつは手伝ったし、誰がどれ作ったかなんて把握してないわよ」
オーマイガッ!
ライルは頭を抱え、天を仰いだ。屋上なだけに、星がよく見える。その一つが流れていき、ああきっとアレはこの中の誰かの星だったんだろうなぁ、とわけのわからないロマンティックっぽい事を考えた。
ちなみに、クラスの男子たちは、女子の手作りと聞いただけでウォーッと喜んでいる。
(馬鹿……!)
無知とは恐ろしい。あの見るも鮮やかな手料理の中に、毒……いや、兵器……いや、災厄の種が混じっているとも知らないで。
「……で、知っているはずのアレンまでなんではしゃいでいるのさ」
あの男の思考回路はどうにも読めない。多分、ただ単に思い当たらなかっただけだろう。あるいは、腹が減りすぎて、食べ物を前にしただけで他の事はどうでもよくなったのかもしれない。
せめて、女子が手をつけないようにしていることが不幸中の幸いだ。どうやら、男子に味の感想を聞いてから、ということらしい。
「? ライルくん、どうしたの」
「……いや、なんでもないよ。もうちょっとで、ここの作業が終わるから、そうしたら夜食をいただく」
他の男子たちのように食べ物に群がらないライルを変に思った女子の一人が尋ねてくるが、ライルは華麗に言い訳をした。
心の中で、ごめんなさいを繰り返しながら、作業に戻る。良心が痛むが、ここで僕が倒れたら多分全部終わらないし……と理論武装。
(みんな、ゴメン。……作業は、僕が意地でも終わらせておくから)
「ぎゃぁぁぁああ!?」
「うぐっ!? ど、毒が!」
「た、助けて!!」
「し、しまっ……忘れてたっ」
ルナの料理を食べた一部の男子が崩れ落ちる。その中には、お約束にアレンもいた。
「……はぁ」
ライルは、もう一度夜空を見上げた。
……四つの星が、同時に流れた。
それを見て、ライルは静かに十字を切るのだった。
そして、文化祭当日の朝。
「ま、まあ、色々あったけど、無事完成したわね」
「うん。本当に色々あったけどね」
「……なによ、そのなにか言いたげな顔は」
「なんでも」
ライルは肩をすくめる。
実際、ここに来るまで色々あったのだ。
昨晩だって、ルナの手料理を食べた被害者を丁重に埋葬――もとい、寝かしつけて(無論、アレンは水ぶっ掛けて無理矢理起こした)、作業に戻る。欠けた分の労働力は、ルナがその魔法で補ってくれた。
それでも、間に合わないかと思われたが、なんとか開会式の数分前に完成した。ついさっき、ダッシュで開会式に参加して、今はその帰りだ。一般のお客さんを待たせるわけにも行かないので、喫茶店と迷路の当番は、全速力で戻っていった。
「劇は、何時からだっけ?」
「劇じゃなくて、MMSよ。午後の最初だけど」
「……そ。んじゃ、僕は少し寝るかな。別に、担当するところもないし」
言っておくが、サボリというわけではない。
準備の時、あまりに忙しそうだったライルを気遣って、クラスメイトが本番くらい休めと言ってくれたからだ。
どうしようか迷ったライルだが、素直に好意に甘えることにしたのだ。
「ダメよ」
「……へ?」
「あんたの仕事は、私らの出し物が魅力的かどうか、お客の立場で検分することなの」
「……検分して、どうするわけ?」
文化祭は今日一日。悪いところがわかったところで、直しようもない。
「もちろん、リアルタイムで修正するのよ。流石に、MMSは無理だけど……」
「いや、ちょっと待ってくれ」
「あー、そうそう、少なくとも、三週はすること。アンタのヴァルハラ学園の歴史とかはどーでもいいから、喫茶店と迷路ね」
「昨日、徹夜でみんな直す気力なんて無いと思うんだけど」
「体力が残っていたらいいわ。気力なんて、無限に沸いてくるモンなんだから」
そりゃ、ルナはそうだろうよ、とライルが思ったかどうかは定かではない。
「……はぁ、わかったよ。確かに、僕も出来が気になるしね」
「ん、よろしい。じゃあ、私はMMSのほうの最終調整に行ってくるからー」
と、ルナは去っていった。
(で、マスターどうするの)
「そうだなぁ……少し休憩してから行くか」
(休憩―? 私としてはさっさと見に行きたいんだけど)
「あのなぁ。お前はそれでいいかもしれないけど僕は……」
ん? とライルは首をかしげた。
一体、自分は誰と話しているのだろう。
「……あれ? シルフィ?」
(そーよー、久しぶり、マスター)
はっ、と気が付いて、ライルは周りを見渡す。……幸いにも、今の声を聞きとがめた人間はいないようだ。いきなり虚空に話しかける頭が可哀想な人、とは流石に思われたくない。
(……で、お前何処行ってたんだよ)
確か、ライルが文化祭実行委員になった前後から、姿を見せていなかった。
(や、なんかマスター忙しそうだったから、ちょいと旅行に)
旅行ときた。一体、どこに行ってきたんだろう?
(なんかグロかったわよー。まさか、あそこがあんな風になっているとは……やっぱ五百年も放置してたらダメねぇ)
(ちょっと待て。本気で何処行ってたんだよ)
(内緒内緒。まぁ、ヒントを言えば、普通の人間は瘴気にやられちゃうような場所、かな)
すげぇ不穏当である。
(あ〜、近々浄化しなきゃいけないなぁ……めんどくさ)
(もういい。聞かない)
(あ、そーお? じゃ、ま。文化祭を見物に行きましょ。マスターの努力の結晶も見ときたいしね)
ヤレヤレ、と腕を引っ張ってくるシルフィにされるがままになる。相変わらず、祭り好きのようだ。透明なままで、どの程度楽しめるのかは知らないが、本人がそれでいいならいいんだろう。
「じゃ、ま、メイド喫茶の方から行こうか」
(メイド……って)
(前の……アレンが、また少女を篭絡した村のやつをヒントにした……らしい。なんか、あそこ有名になってるから)
そうなのである。なぜかは知らないが、地方の名所に上げられるほど、例の「メイドの村」は活況になっている。その裏には、フィレアの暗躍があったのだが……ここでは関係ないので割愛する。
(まぁ、いいや。喫茶店ってことは、なんか食べられるんでしょ)
(それは、まあ。焼きそばとかわたあめとかたこ焼きとかいか焼きとか)
(……なんで、そんな露店のメニューみたいな)
(あれ? 知らなかった? みたい、じゃないよ。そのまま、露店のメニューを喫茶店で出すことにしたんだ、うちは)
(なに考えてんの、マスターのクラスの連中は)
いや、クラスの連中の責任ではない。彼らは、色んな定番の露店のメニューを出しただけだ。それを一つにまとめちまおう、とアホなことを考えたルナが悪い。
(まぁ、普通の喫茶店っぽく、ケーキとかも焼いたから)
(……私は、それでいいわ)
げんなりし始めたシルフィを見て、驚くのはまだまだこれからだぞ、とライルは暗い喜びを覚えるのだった。