そうして、その日の放課後。
ルナとライルは、ハルカたちの教室で、これからの選挙活動の打ち合わせをしていた。
「で、なにすりゃいいわけ?」
選挙活動のノウハウなど、当然のごとく持っていないルナはハルカに尋ねる。
「いえ、別にルナ先輩の手を煩わせることは……。投票日に先輩に演説してもらう時間があるので、その内容を考えていただければ」
「ふーん。なんだ、意外とすることないの?」
「あ、いえ。ポスターを作ったり、各教室に挨拶回りに行ったり、くらいはしますけど、先輩に手伝ってもらうほどのことでは……」
しどろもどろに説明するハルカの肩を、ルナはばんばんと叩く。
「そ〜遠慮しなくていいわよ。手伝うって決めたのは私なんだから」
「えっと、その……」
「じゃあ、手始めにポスターとやらを描きましょうか。任せて、こう見えても、絵は好きだから」
胸を張るルナに、ライルは一抹の不安を覚える。
しかし、ここで口を挟むと、ルナの機嫌は急降下するだろう。絶対に失敗すると決まったわけでもないし、ある程度出来てから軌道修正するようにすればいいか、と割と楽観的に考える。
「お姉さま……絵もプロ級だなんて、素晴らしいです……」
「……あのね、ミリルちゃん。絵が好きだ、と言っているだけで、上手とは一言も言ってないんだけど」
この娘のルナ好きもどうにかならんのか、と早速頭が痛くなってくるライルであった。
第152話「生徒会長・第一歩」
「さらさら〜、っとね。出来たー」
とりあえず鉛筆で下書きをしたルナは、全員に見えるように絵を掲げてみせる。
他の三人は、話し合いを一旦中断して、その絵を見た。
「…………」
「…………」
「…………」
三点リーダが三人分。
ニコニコ顔のルナとは対照的に、ライルやハルカは顔に縦線を入れている。ミリルはというと、なんとか褒める言葉を見つけようと、逡巡していた。
「……あの、これ、なに?」
一番、ルナの奇行に耐性のあるライルが一足早く正気に戻り、恐る恐る尋ねる。
「ん? ポスターの下書きだけど?」
「いや、そんな当然のように言われても……」
絵自体はそう悪くはない。ライルが想像していたような悪魔めいた絵画にはなっていない。
……が、構成が明らかにおかしい。まず、正面にハルカが仁王立ちしている。手に持っているクレイモアは一体どういう冗談だろうか?
そして、その足元には、ライルやクリスやアレンが死屍累々と横たわっており、恐らくは彼女がやっつけたという設定なのだろう。バックにはヴァルハラ学園の校舎が、遠近法を無視して描かれている。この構図だと、ハルカは体長三十メートルを超える巨人になってしまうのだが。
さらに、画用紙上半分にこれでもかというほど男臭い字で『私に文句ある奴は、かかって来い! 生徒会長ハルカ・ダテをヨロシク!』と、やたら攻撃的な文面が踊り狂っている。あからさまにとってつけたような『ヨロシク』は、前の文章と全く噛みあっていない。
「やられ役のモデルとか文字とか後ろの校舎にも突っ込みたいけど、一つだけ聞くよ? ルナさぁ、このポスター見て、この人に投票しようって思える?」
「思えない? こんな頼りになりそうな人なら、速攻で投票するけど」
「頼りになる、っていうかね。これ、ただの乱暴者だから」
没、と無情に告げる。
「ええ〜!? なんでよーー」
「あ、あの、お姉さま。お姉さまの絵の出来は大変素晴らしいと思うのですが、これだとハルカの実像と著しく乖離してしまって、有権者の方々を騙すことになるかと……」
「……む、なるほど。それは確かにそうね」
ミリルの的確なツッコミにより、ルナはうむむ〜と唸る。
ぐっじょぶっ! と思わず親指を立てそうになるライルだった。
「それに、公約もちゃんと書かないといけませんし」
慌てて再起動したハルカも、やんわりと主張した。
「ん? 公約?」
「ええ。今、ライル先輩やミリルと話し合って、決めようとしていたんですが」
「てか、公約って何よ?」
顔に?と書いてルナが尋ねてくる。ええっと、とハルカは言いよどんで、たどたどしく説明した。
「その、私たち候補者が、仮に受かったとしたら、絶対しますよ……と生徒の皆さんに約束する政策のことです」
「所謂『もし受かった暁には――』ってやつ。とりあえず、学園に咲いている花の数を増やすことと、もっと一般生徒の声を汲み上げるようにする、っていう感じかな。ちょっと弱いけど」
ハルカの説明を、ライルが補足する。
それを聞いて、ルナは難しい顔になった。眉間に皺を寄せ、なにやら考え込んでいるようにも見える。
「駄目よ。駄目駄目。そんなんじゃ、人の歓心を惹くことはできないわ」
「……あいや、多分ルナが思っているような無茶は出来ないと思われ」
「出来ない、って決め付けちゃ、絶対出来ないでしょう! 私はやるんだってことを見せ付けるのが大事なのよ」
机をバンバン叩いてアピールする。その雄姿にミリルはきらきらした視線を向けた。
「さすがお姉さまです。その言葉、あたし、胸に刻んでおきます」
「ふっ、当然よ」
「……で? 具体的にはどういうのがいいのさ?」
絶対ロクな答えが返ってこないと確信しながら、ライルは義務的に尋ねる。ミリルはまぁ仕方ないとしても、ハルカまで尊敬の目でルナを見始めたことに危機感を覚えながら。
「まず、休日の増加ね。週五日は休みたいわ」
「…………」
「あと、食堂のメニューの増強。購買でのおやつの充実。実戦形式の授業の増設」
「いや、それ全部ルナの個人的な……」
しかも、超子供の意見だった。
「馬鹿ねぇ。こういう、わかりやすくて、即生徒の利益に繋がるようなものが、喜ばれるのよ」
「そもそも、ルナは生徒会というものを誤解していると思う。あと、実戦授業は別に利益に繋がらない人もいるし」
むしろ、ルナと同じクラスであるライルとしては、そんなもの増設されたら生傷が益々増えてしまう。
「あによ。決めるのはあんたじゃなくてハルカでしょうが。……で、どう?」
「その、私もその公約はちょっと……。実際にするかしないかはともかく、もう少しちゃんとしたものを出さないと、真面目じゃないって見られますし」
「あ〜、そっか。外面はよくしとかないとねぇ」
うむうむ、と意外と素直に頷くルナだが、間違いなくなにか誤解が生じている。
「じゃあ、とりあえず公約はさっきのでいいんじゃない? もう遅いし、今日はこのくらいにしよう。ポスターは……ハルカさんとミリルちゃんで描いたらどうかな?」
とりあえず、あまり深く突っ込んでも泥沼化するだけだと判断したらいるはとっとと話を纏めにかかった。
それに同調して、ハルカも慌ててコクコク頷く。どうも、この仕草は癖らしい。
「はい。そうします」
「ちょっと、私が描いたこれは?」
「さっきも言ったけど、没。あまりにも、アグレッシブすぎる」
納得いかない風のルナだったが、今回の主役はハルカだ。その意向に逆らう気はないのか、意外とすぐに引き下がった。
「ところで、お姉さま。明日の各クラスへの挨拶回りはどうします? 朝のHR前に行く予定なんですけど」
(いらんことを――!!)
それを聞いたルナは、ニヤリと笑って、
「もちろん! 行くに決まってんじゃない」
その教室に入った途端、クラスの人たちの表情が引きつったのを、ライルは敏感に感じ取った。
(だから、嫌だったんだ……)
現在、一年のあるクラスで、ハルカが自分をアピールしている。
一応、応援者ということでライルとルナ、ミリルが後ろに従っているが、あくまでこの三人は脇役である。
その筈なのだが、ルナの顔は一年生にすら知れ渡っているのか、あまりハルカの演説を聞いている人はいない。後ろのルナが、なにやら注目されている。
いや、むしろ恐怖か? 腰を少し浮かせてすぐに逃げられるようにしている生徒までいるし。ヴァルハラ学園に通う以上、この程度の危機回避スキルは必須なのだろうか。
これはいかん、とライルは頭を痛くしつつ、苦い表情になった。
このままではハルカは、ハルカ・ダテという生徒会長候補としてではなく、『あのルナ・エルファランが推薦した』候補者、という認識になってしまう。
仮にそれで受かったとしても、それはあまり良い事態ではないだろう。
確かに、ルナの知名度を利用する、という側面もあるにはあるが、それはあくまでみんなの注目を集めたり、『ルナが推薦するほど』凄い人物だ、という風に見せるためだ。主役が入れ替わるのは好ましくない。
だが、実際は聴衆の視線は全部ルナへ。必死に話しているハルカには誰も気に留めていない。
――こりゃ、なんらかの対策を考えないといけないな。
第三者の視点から、冷静に状況を見ていたらいるは、そう結論付けた。ていうか、なんで僕がルナの尻拭いなんてしないといけないんだろう、なんて考えながら。
「……以上です。選挙当日は、どうぞよろしくお願いします」
最後に、ハルカが深々とお辞儀をして、そのクラスでの演説は終了した。
自分の主張を簡潔にまとめた良い演説だったのだが、この状況では碌に覚えている人はいないだろう。
廊下に出たライルは、深いため息をついた。
「お疲れさま。今日はこれで終わりだっけ?」
「そうですね。一日三クラスずつ、全部の立候補者で持ち回りですから」
流石に一日目で緊張していたのか、ハルカはほっとしているように見える。
「じゃあ、また放課後ね」
「はい。ルナ先輩、ライル先輩、どうぞよろしくお願いします」
またしても丁寧なお辞儀をするハルカ。
「そんな、堅苦しくしなくてもいいわよ。ねぇ、ライル?」
「そうだね。もうちょっと気安くしてくれても、別に構わないよ」
「はぁ……」
ピンとこないのか、ハルカは首をかしげる。余程、小さい頃からしつけられてきたのだろう。目上の人間に、フランクに付き合うと言う事が出来ないらしい。……まぁ、この二人が目上かどうかはかなり怪しいが。
「あ、そうだ。ルナ。僕らは、明日からは朝のこれには付いてこない方がいいんじゃないかな」
「ん? なんでよ?」
「その、ルナの存在は、注目を集めすぎるというか。ハルカさんの話、あまり聞いてない人もいたみたいだし」
「んー、そうかしら? でも、付いていかないと推薦者として格好が付かないじゃない」
「そりゃそうだけど……ハルカさんはどう思う?」
「え?」
急に話を振られ、ハルカはライルとルナの顔を交互に見る。
「その……そろそろ一時間目の授業が始まりますし、その話は放課後ってことでどうでしょうか?」
ライルたちは、選挙活動の手伝いと言う事で朝のHRは出席しなくてもいいことになっているが、当然授業には出ないといけない。
確かに、もうすぐ授業の時間だ。
「そう……だね。まだ時間はあるし、あとで話そうか」
「はい。その、待ってますから」
「え?」
はにかんだような笑みに、ライルは少し赤くなる。
そう言えば、僕ってこの子に昔告白されたんだよなぁ、と凄く今更ながら再確認する。
意味もなく赤くなる顔を隠すようにして、ライルは教室へと走った。
「ちょっと、ライル。なに慌ててんの?」
後ろで、文句を言っているルナの声を聞き流しながら。