なんだかんだとドタバタの夏休みを過ぎ、二学期が始まっていた。

長期休み明け特有の、どこか浮ついた雰囲気。徹夜でライルとクリスの宿題を写し終えたルナは、大きく伸びをしながら、そんな始業式の朝の空気を思い切り吸い込んでいた。

「んっ、あ〜〜。なんっか調子悪いわねぇ。なんだか、十ヶ月くらい夏休みだったみたい」

何故かはさっぱり不明だが、隣でその台詞を聞いていたライルは、ガタンと椅子から転がり落ちた。

「る、ルナ? なに言っているんだい。夏休みは、たった一ヶ月ちょいだったじゃないか」

「そーだったかしら?」

ルナは疑惑の瞳で、これより五行下の大文字に目を走らせる。

如何なる物理的手段を持ってかは知れないが、ライルはルナの視線を遮りつつ、ほらほらと教室の前の方を指差した。

「せ、先生が来たよ。ほらルナ、そんな四次元方向を睨んでないで」

「ん〜、なんかおかしいのよねぇ。特に、私の台詞の直後辺り。休みが始まったのって……何話だっけ?」

 

第146話「二学期、始まり」

 

始業式がつつがなく終了し、休み明けのキース先生の聞くだけで疲れるような苦労話を聞かせられ、ついでに宿題を回収し、忘れた人間への折檻が終わる頃には既に時刻は昼になっていた。

いつもの四人は、教室で久方ぶりに一同が介したので、休み中の思い出話をしていた。

「……アレン。帰ってきてたんだね」

宿題を全て忘れるという快挙を成し遂げたアレンは、追加の宿題の量に押しつぶされそうになりながらも、ニカッと笑って見せた。

「おうっ! 始業式には、ちょっと遅刻したけどな。いやはや、あの村からここまで、半日で帰るのはちぃときつかったぜ」

いつでも笑えるというのは、彼の特筆すべき長所であろう。それが生かされる環境が決定的に欠けているというのは、言わぬが花というものだ。

それはともかく、あのメイドの村(仮称。近々本当の名前になるらしい)からここまで、半日。馬車でも、最低一週間はかかるような道を、半日。

瞬間移動でもしたのだろうか、この男は。

「ま、まぁ、それはいいけどさ。結局、あれどうなったの。フィレア姉さんが提唱してた、“村興し”は」

クリスが話題の転換を狙って、そう話を振ると、アレンの笑顔が一瞬にして固まった。

それはもお、見事なくらいに。

「ど、どうしたの? うまくいかなかった?」

「……いった」

「え?」

ぼそり、と、普段豪快すぎるほど豪快な彼らしからぬ返答。眉を潜め、クリスが更に問い質そうとすると、彼は自主的に自らがその目に収めた人間の業ともいうべきものを語り始めた。

「一日目には、いきなり百人単位の人間が押しかけてきた。なんか知らんが『モエー』とか叫びながら。なんでか、殆どの奴が太ってるかガリガリに痩せてるかで、目は完全にイってた」

それは、今の君よりもかい? などとクリスは聞きそうになって、慌てて口を噤んだ。

「……で、フィレアが尻に触ろうとした客をコテンパンにノして『わたしのお尻はアレンちゃんのものなんだからー』なんて思いっきり俺を指差して、『あ、そっちのプリムちゃんもそうだから』なんて……」

思い出すのも忌わしい記憶。

ついでに言うと、それを言われたプリムは顔を真っ赤にし、それが益々信憑性を高めていた。

「……で、客全員に、追っかけまわされた。すげぇ怖かった」

ずーん、と暗い雰囲気を背負うアレンに、ライルたちはなんて声をかけていいかわからない。

「あ、ははは」

「連中、数にモノを言わせて俺を囲んできたから、仕方なく応戦したんだが……やつら、弱いくせにどんだけ殴ってもゾンビみたいに復活してくんだよ」

そこからは、ブツブツと精神のどこかが切れたように、アレンはその時の恐怖を思い出して震えていた。力のない笑顔が痛々しい。

「そ、それで、クリスはどうしてたのさ。遅かったけど」

ライルが、無理に話題の転換を狙う。

愛想笑いで答えて、クリスはえーっとねー、などとやたら明るい声を出す。

「ちょっとね、実家に帰ってたんだよ」

「ほう」

キラリ、とルナの目が輝く。

「アンタの姉さん……リティの奴は元気していたかしら?」

なんとなくライバル関係にある二人。前回、アルヴィニア王国へ行った時は、陰で凄まじい対決を繰り広げていた……らしい。

次女、三女とは仲がいいのに、なぜなんだろう。

「いやぁ、元気すぎるほど元気だったよ。せっかく帰省した僕を、政務の手伝いに忙殺させるくらい」

また、クリスはやけに乾いた笑顔を浮かべる。

お城の復興も一段楽したアルヴィニア王国は、以前のクーデターの傷痕を癒すべく、この夏もっとも忙しい時を迎えていた。それに巻き込まれたクリスは、まさに忙『殺』された。

帰省した息子にそれだけの激務を押し付けていたカリスの仕事内容を具体的に一々上げてみるならば、

クーデターに参加していない貴族らの意思確認、近隣諸国への説明及び折衝、まだ途中であるクーデター参加者への国家反逆罪適用、復興作業中の城の現場監督、猛暑による水不足の解決、同じく猛暑による農作物への影響を見越した食料の確保、etc。

補佐のリティも、次期国王として教育を受けているから、ある程度の政務はこなせる。しかし、流石にこういったもの(特に前半)は、王たるカリス自らが当たらなければならない。

通常の政務などこなせる体にないカリスは、いいところに帰ってきてくれた息子よー、と娘に向ける優しさを息子には一欠けらも向けずに、自分がこなせない仕事の全てをクリスに丸投げした。

リティもある程度は手伝っていたが、やはりそこは女性。体力的に、男のクリスに負荷がかかるのは仕方がない……らしい。

そう言って押し切られたが、姉は九時五時。こちらは残業平均六時間。明らかに偏りがあるのは、気のせいだろうか。

「で、そういうライルはこっちに帰ってから何してたの?」

と、クリスが話を振る。

途中までは一緒にいたりしていたが、あのエルフの森で別れてから今までのことは、クリスもつい二日前に帰ってきたばかりなので聞いていない。

そうして尋ねると、ライルは先ほどのクリスより更に空虚な笑顔を浮かべた。

「あはははは、前半ほど波乱万丈じゃあなかったなぁ。まぁ、休みでみんないなくて、ルナの相手を出来るのが僕しかいなかった、ってところで察して欲しい」

それを聞いた男二人は、そろってライルに同情的な目を向けた。

「な、なによあんたら、その目は」

それはルナを直接捕らえてはいないのに、異様に責められているような気がして、ルナは怯んだ。

「まぁ、楽しいこともあったんだよ? 祭り見に行ったり、プール行ったり。でもねぇ、最後が必ず爆発オチってのが納得いかないんだよ」

「オチってなによ」

憮然と頬を膨らませるルナ。ライルの言い分に納得のいかないところが多々あったのだろう。

「祭りの時は……私も魔法で“花火”上げようとして失敗しただけだし、プールん時はナンパがしつこかったのよ。どっちも怪我人はでなかったんだから、いいじゃない」

ぐい、とライルは親指で自らを指し示す。

ここにいる、と言わんばかりだ。

「あんた、煤がついただけで、掠り傷一つ負わなかったじゃない」

「うん。僕も最近、自分という存在について、わからなくなっているところだよ」

「モラトリアムね」

危機回避能力が上がっただけである。

と、

「思い出話もいいがな、ルナ」

ぽん、とルナの肩が叩かれた。

「この、提出してもらった宿題。この二人のとほぼ同じ回答が並んでいるのはどういうわけだ?」

三つの宿題を並べて見せて、キース先生がコメカミに青筋を浮かべつつ、ルナに詰め寄った。

「せ、先生。顔、近いですよ?」

微妙に視線から逃げつつ、冗談で場を和ませようとするルナだが、

「ほーう。よし、離れたぞ。さぁ、弁解を聞こうか」

「え、えーと」

「ライル、クリス。お前らも、少しは断ると言う事をしろよ。……あと、アレン、貴様は論外。今から職員室に来い。もちろん、二人ともだ」

怒り心頭のキース先生は、二人を無理矢理引き摺っていく。

真面目に宿題をやったライルとクリスは、それを手を合わせて見送り、どうしようかと互いに顔を見合わせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ルナは半泣きになりながら、寮の自室で宿題をやっていた。

男三人は、なんとなく一緒になって、ライルの部屋でお茶を飲んでいる。

「……アレンは大丈夫なの?」

「さぁ、なんか説教されただけで済んだ」

「そりゃあね。在学中に、アルヴィニア王国騎士団への入団が内定してるんだもの。そのための修行をしていた、ってことで片付いたんじゃない」

一国の騎士団に、騎士の息子だったり貴族だったりするわけでもないのに、卒業直後から入団するというのは、ヴァルハラ学園史上でもかなり異例のことだ。

できるなら、そういう人物は、優等生としていってもらいたい、そんな学園側の思惑もあった。

まぁ、どっちにしろ、アレンとしては数学やら国語やら、異星の学問だとしか思えない記号の群れを相手しなくていいというだけで、天にも登る心地なのだが。

「……おっと、ライル。お茶が切れているよ」

と、カップが空になっているのに気がついたクリスが、気を利かせてポットから茶を注ぐ。

「おっとっと……。じゃ、クリスも」

そうして、ライルもクリスのカップに注ぐ。

「おいおい、お前ら。俺を無視するなよ」

「ごめんごめん」

ライルは謝りながら、アレンのカップにも同じようにする。

しばし、無言の時。

こんな静寂にしばらく縁のなかった三人は、やたら落ち着く空気を十二分に堪能する。

「はぁ……」

「はぁ……」

「はぁ……」

三人同時のため息。それは石よりも重い。

「疲れた、ね……」

「ああ、同感だ」

「そうだね……」

ライルの感想に、二人も同意する。今この時、やたら強い連帯感が三人を包んでいた。

「また、この二学期もしんどいことになるのかな……」

「さぁ……でも、多分そうなるだろ」

「いや、間違いなくなるね」

「100%?」

「120%」

わざわざ訂正するクリスに、ライルはでも僕は平穏にいきたいなぁ、と残りのお茶を啜った。

 

晩夏。うだるような暑さがなりを潜めつつある、九月の初日。

三人は、己の不幸な未来を確認し合い、益々友情を深めるのだった。

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