イレーナは、ぼけーっと自宅を見つめた。

否、元自宅というべきか。

彼女が、この山に入ってから一週間かけて築き上げてきた家は、しかし無残にもバラバラにされてしまっている。また新たに作る事を考えると、気が遠くなりそうだ。

そして、なにより、

「もっう、いっちっど! さっき言った事を言ってみなさい!」

「ご、ごめんだって! ただ、ちょっと口が滑っただけなんだぁ!」

「ほほぅ。それはまた、随分と豪快な滑りっぷりねぇ。スケートでも始めたら?」

「そ、それは関係ないんじゃないかな、ルナ……って、げっふぅ!?」

さっきから、その家の残骸の上で、ボコボコにされているライルと、魔法やら拳やらで彼を痛めつけている少女。

この世の終わりかと思える光景。

そこから視線を逸らし、イレーナは恐る恐る隣に立つシルフィを見た。

シルフィは、なにやら諦めた顔で、頭を抑えながら、

「あっちゃぁ。ったく、いつものことって言っても、もう少し周りの迷惑考えなさいよねぇ」

まるで、この状況がいつも起こっているみたいに言っているのだった。

 

第141話「鬼ごっこ ―ゲームオーバー―」

 

三十分間もリンチして、やっと気が済んだのか、穴掘ってライル埋めてその上に十字架を突き刺したルナは、ぱんぱんと手をはたきながらイレーナたちの所に歩いてきた。

一瞬、ビクッ、となったイレーナだが、先ほどまでの地獄の鬼のようなオーラがなくなっていることに気が付いて、なんとか持ち直す。

隣で、ルナの接近をジト目で見ていたシルフィが、一歩踏み出して文句を言った。

「あのねぇ、ルナ。怒ってんのはわかるけど、もう少し手加減なさいよ。場合によっちゃ、犯罪よ犯罪」

「ふんっ。ちゃんと加減はしてんだから大丈夫よっ」

加減……さっきの光景からは最も程遠いように思える単語だった。

しかし、その言葉は正しいのか、さっきルナが作った簡易墓のある地面がボコッと浮き上がり、地下からライルが這い出してくる。

さすがに、そこで力尽きたのか、ぐったりと地面に倒れこんだまま起き上がらないが、見たところ確かに大きな怪我は負っていないようだ。

一体どんな物理法則で体を維持しているのか、イレーナは真剣に疑問に思った。それとも、目の前の少女が手加減の奥義でも身に着けているのか。……手加減の奥義ってなんだ。

「ま、とりあえずこれでゲームオーバーね。アイツには、またあとでじっくりと話を聞くとして……」

「それよりさぁ。ルナ。この娘に謝りなさいよ。アンタ、この娘の家、壊しちゃったでしょ」

「へ?」

ルナがまじまじと、イレーナの姿を上から下まで眺める。

「な、なんですか……?」

今始めて気付きました、といわんばかりに眺めてくるルナに、イレーナは体を抱きしめつつその視線から逃れようとする。

「あ〜」

ぽりぽりと頭をかくルナ。そして、自分で壊した家を指差して、

「あれ、アンタんち?」

こくり、と頷いたイレーナに、ルナはパンッと両手を合わせた。

「ごっめーん。てっきり、ライルが隠れ家用に建てた家かと……」

「は、あ……」

ごっめーん、て。それだけで自宅を壊した事を水に流せと?

段々ムカっ腹が立ってきたイレーナであった。ライルを完膚なきまでに叩きのめしたことはよしとしよう。自分も彼は嫌いだし。だが、もしシルフィがいなければ自分は逃げ遅れて家の倒壊に巻き込まれていただろうし、何よりも自分からグレイを奪い取ったのが目の前の女だという。さらに許せない。

「ん? なに」

「い、いえ。なんでもありません」

ルナの問いかけに、イレーナは目線を逸らして答える。

……どんなにルナに不満を募らせていようと。内心の文句を面と向かって言えるほど、イレーナに度胸はなかった。しかも、こんな理不尽の権化みたいな少女に。

大体、家を壊したことはともかく、グレイがルナに靡いたのは彼女のせいではない。グレイが軟派なのと、あとは自分に魅力がなかったせいだ。ルナに文句を言うのは筋違い。……そう、イレーナは自分に言い聞かせる。もしくは、そう思うことで、精神の均衡を保とうとする。

ルナは、そんな風に葛藤しているイレーナは訝しげに見て、問うた。

「……で、貴方誰なの? ライルと、どういう関係?」

 

 

 

 

 

 

 

一通りの事情説明が終って、ルナはふーん、と興味なさそうに相槌を打った。

反応が薄いが、別に驚いていないわけではない。こんな辺境に女の子が一人で暮らしているのはとてもびっくりしたし、精霊との相性があのライルと互角という話は嘘じゃないかと思った。さらに、その女の子がグレイの元婚約者だとかいう話に至っては、自分の耳がおかしくなったのかと思うほどの衝撃だった。

……しかし、それも一時のもの。

色々な意味でそれ以上の非常識な事態に直面してきたルナにとって、それは『ふーん』の一言で片付けられるものだった。なにより、ルナの興味を引く話ではない。自分にはあまり関係がなさそうな話だったし。

「ふーん、って。貴方から聞いてきたのに、なんですか」

それに気が付いたイレーナが、抗議の声を上げる。

ルナは、ああ違う違うと手を振って、

「別に話を聞いてなかったわけじゃなくてさ。まぁ、私から言えんのは、ゴクローさんってことだけで。私は、これからセントルイスに帰るけど、よければセントルイスまで帰るまでの護衛と、グレイと話つけるくらいのことはしてあげるわよ?」

「……貴方にグレイさんとの仲を取り持ってもらおうなんて思いません」

「あ、そ。あんなのが婚約者だったら、嫌なのもわかるけどね」

しつこいし、と付け加えるルナ。

わけもわからず、イレーナはイライラしていた。先ほどの発言で、イライラは更に加速している。

彼女とて、未だグレイを好いているというわけではない。……たぶん。しかし、自分を振った男から言い寄られているルナのこの態度には、とても理不尽なものを感じる。なんでこんな女がグレイさんに好かれているんだろう、という。

それは自分では認めがたい嫉妬の念だった。

基本的に人間嫌いのイレーナだったが……同性に対して、ここまで敵意を持つのは珍しいことだった。

「……貴方も、乱暴者じゃないですか」

そして、その敵意は勝手にイレーナの口を動かす。

いきなり乱暴者扱いされて、ルナはまず怒るよりも目を点にする。まさか、そんな攻撃的な台詞が、この大人しそうな少女から出るとは思っていなかったのだ。

「乱暴者、って」

「まぁ、否定はできないわよね。この状況じゃ」

「うっさい、シルフィ」

側で聞いていたシルフィが茶々を入れるのを、適当に嗜めるルナ。

しかし、土だらけで気絶しているライルが見たらビックリするだろうが、イレーナをどうこうしようという気はルナにはないようだった。

確かに魔法を見境なくぶっ放す姿が似合っているルナではあるが、社会不適合者というわけでは(驚くべきことに)ない。クラスで友人が少ないわけではないし、折檻するのに魔法を使うのは一部の者に対してだけだ。そういう一部以外の友人たちからの評価としては『時々怖いけど、明るくて面白い娘』となっている。

客観的に自分を見る目も、一応あるし、そうした場合、自分が世間的には非常にアレな存在だというのは渋々認めている。まぁ、だからといって改めようとしていないあたりがルナであるが。

ともかく家を壊してしまったという負い目のあるイレーナを攻撃するような真似はしない。魔法を当てたら、そのまま重傷になりそうだし。

「あ〜、それで、なにが気に入らないの? 家を壊しちゃったことなら、ライルに新しいの作らせるけど?」

むぅ、と睨んでくるイレーナに、降参とばかりに両手を上げて、ルナは尋ねた。

「家の事は、もういいんです。自分で建て直すくらい出来ます。……ただ、その」

なんと言ったらいいのか、イレーナ自身にもわかっていない。

この言いようのない感情を説明できるものなら誰かに説明して欲しいのだ。

だから、簡単に思いついた事を、口にすることにする。

「……ただ、貴方が気に入らないだけです」

「っへぇ。また随分な言われようだけど。私は、アンタみたいにはっきり言ってくるやつは、別に嫌いじゃないわよ」

なかなか小気味の良い言い方に、ルナは笑みを浮かべる。

自分にとって気に入らない行為をする相手なら、すぐに攻撃するルナだが、基本的にそれ以外は寛容だ。ルナとしては、イレーナにこう言われることは、別にオーケーらしい。まぁ、このルナにとって気に入らない行為、というのが常人には全然わからないあたりが、ルナの付き合いにくさなのだが。

とりあえず、飯炊き係が逃げたからといって何週間もかけて追い詰めないでやって欲しい、とシルフィは思う。

「まぁ、私が嫌いなら丁度いいわ。どーせ、すぐいなくなるし。おら、ライル。何時まで寝てんのよ」

ばしばし、とライルの頬をはたいて起こす。

「う、むぅ。ルナ怖いルナ怖いルナ怖い」

「何を失礼な寝言を言ってんの」

顔を引きつらせて、ルナは指先をライルに押し付け、ビリビリビリィ! と電流を流し込む。

釣り上げられたばかりの魚のごとくびちびちっと跳ね回ったライルは、ゆっくりと目を開いた。

「……ルナ。起き抜けに電撃魔法は、ちょっと厳しくない?」

もはや逃げる気もないのか、憮然としたライルは文句を言った。逃げる気がないのはアレだ。途中から、手段が目的にすげ替わっていたせいだ。本来、夏休み中に旅をして自分を見つめなおすつもりだったのに、途中からルナから逃げるために逃げるみたいな感じになっていた。

「ほら、さっさとセントルイスに帰るわよ。そして、夏休みの宿題を私に見せなさい」

「……ったく、勝手なんだから」

「なんか言った?」

「なんにも」

肩をすくめるライル。

「んじゃ、私はもうちょっとイレーナと一緒にいるわ。とりあえず、どっかの町に行く気になるまで」

「……いえ、シルフィさん。その必要はありません」

「つっても、このままだと野垂れ死にしないかどうか、心配で仕方ないんだけど」

「そうじゃありません」

イレーナは、何故かルナを睨みながら、

「私も、セントルイスに帰ります。ええ、帰りますとも。こんな人に負けてられません」

「負けてられない、って」

イレーナ曰く『こんな人』はなにやら嬉しそうな顔になる。

「私のどこがアンタに勝ってるのかは知らないけど……まぁ、いいわ。受けてたってやろうじゃない」

そう言って、笑った。

とりあえず、喧嘩なら、自分が巻き込まれませんように、と祈るヘタレなライルだった。

 

 

 

「あ〜、そういえば。マスターが捕まった時点で『鬼ごっこ』は終ったわけ、なのかしら? ルナもゲームオーバーって言ってたし……」

ふと思いついたシルフィの言葉。

どこかで、ピッピッピー、という試合終了の笛の音が響いた、気がした。

---

前の話へ 戻る 次の話へ