夜。

ライルが作った夕飯を食べ(悔しいことに、とても美味しかった)、イレーナは一人寝室で本を読んでいた。

実家から持ち出してきたのは、服の他は数冊の本だけ。殆どが神話や冒険譚の類だ。昔から、こういう作り話は好きだった。物語の中でなら、人の醜いところを見なくても済む。

ご都合主義的なハッピーエンド。イレーナが生活していた権謀術数渦巻く社会とは、全くかけ離れた世界。

こういう話を読んで、幾度自分を助けに来てくれる救世主を夢想したか。

……いや。救世主はいたのだ。いたのだけれど、いなくなってしまった。別のところへ、行ってしまったのだ。

「――さん」

掠れた、小さな声。風の精霊さえも聞き逃すほどのかすかな声で、イレーナは呟く。

呼ぶは、かつての愛しい人の名前。イレーナを置いて行ってしまった男の名前。

「……馬鹿」

ぼふっ、と枕に顔をうずめる。

そして、そのままイレーナは寝入った。せめて、夢の中ではあの人が戻ってきますように。

 

第139話「鬼ごっこ ―水煙の向こうに―」

 

ライルの朝は、日の出と共に始まる。

まずは、朝ごはんを確保しなくてはならないのだから、早目早目の起床は当然のことだ。ごちゃごちゃと、とりあえずそこらにあったものを詰め込んだ感が否めない道具類を掻き分けて、物置小屋から出る。

思っていたのだが、この道具類はどっから持ってきたのだろう。とても、イレーナには必要だとは思えない斧や鍬や鎌や大八車等等。買って、一度も使ったことのない品も多そうだ。

もしや、一人暮らしするに当たって、適当に必要そうなものを買ってきただけ、とか?

考えても仕方ないが、しかしこれだけの品を全て買い揃えるとは、案外イレーナの実家はお金持ちなのかもしれない。

「う、ん……ますたぁ?」

「寝てろ、シルフィ。ちょっくら、朝ごはんの材料取ってくるだけだから」

「ぁ〜、いってらっしゃいぃ」

睡眠なんぞ必要としない存在のくせに、器用にも寝惚けてみせるシルフィの頭を抑える。この状態で空を飛んだら、そこら中に頭をぶつけるのだ。しかも、今は人間サイズになっているので、余計危ない。どうも、イレーナの相手をするときはこの姿で臨むつもりらしい。しかし、ライルとしては人形サイズでいて欲しいところである。

燃費が悪くなるし、そもそもでかいシルフィなんぞ、普段見ないから違和感がありすぎる。

そんな感想を抱きながら、ライルは外に出る。

イレーナの家は、木々に囲まれた小屋なので、基本的に太陽はある程度高くならないと見えない。しかし、僅かに届く陽光が、はっきりと朝の空気を主張していた。

(やっぱり、朝は軽いものかなぁ)

昨晩は、山の幸たっぷりのシチューを作った。シルフィが旺盛な食欲を発揮し、殆ど食べてしまったが、少しは残っている。あれに加えて、適当に木の実でも取って来ればいいだろう。幸い、この季節なら、果物の一つや二つ生っているし。

できれば、パンでも焼きたいところだが、窯がない。自分で作ることはできなくもないが、朝っぱらからそんな疲れることはしたくないし、大体朝食が遅れてしまう。

コキコキと首を鳴らし、地面を一蹴りして木に取り付く。そのまま、次の木、次の木へ飛び移ってゆき、適当な木の実を探し始めた。

(なんか、食べれるものどっかにないかな?)

昨日で大分仲良くなった下位精霊たちにも聞きながらだったので、すぐにそれっぽい植物を見つけた。

鮮やかな紫色の果実。……なんとなく毒々しいが、少し齧ってみると甘酸っぱい風味が吹き抜ける。

「……も、これでいいや」

探しまくるのも面倒だったので、その果物をいくつかもいでいくことにする。実際、味は悪くないので、まぁいいだろう。

イレーナの家からそれほど離れてはいなかったので、帰りはすぐだ。

ただ、これからすぐ帰っても朝ごはんには少々早い。

「顔でも洗ってこようかな」

確か、近くに湧き水が溜まった池があった。飲用に、料理用に、イレーナはそこの水をよく使っているらしい。

紫の果物(名称不明)を五つほど抱えて、ライルはその池に向かう。

「たしか、ここら辺……」

がさ、と草むらを掻き分けて池に出る。

……それは幻想的な光景だった。

山の合間にひっそりと隠れるようにして存在する池。とくとくと湧き出る水に、朝日がきらきらと光り、周囲の緑が鮮やかに映えている。

――そして、

「―――――」

「―――――――――――はは……」

水浴びしている、金髪の美少女が。

「お、おはよう、イレーナさん」

当然、裸身。彼女の、やたら長い髪が体を覆い隠して、クリティカルなところは隠れているが、そんなこと男嫌いの彼女からすればなんの慰めにもならない。

「きぃ、やああああああ&“$!%%”&‘“&!”&’##(* ̄∀ ̄)ノ (∇ ̄ ノ)(   )(ヽ ̄∇)ヽ( ̄∇ ̄)ノ=$“$あああああああああ!!」

悲鳴と共に、わけのわからん記号が飛び交う中、イレーナが両手を振り上げる。

ああ、そんなことしたら、また見えるところが増え……

「い゛い!?」

池の水が、まるでドリルのようにギュインギュイン回転している。それは、貫通力を高めるためであり、ドリルの先端は、当然のようにライルの方を向いており、

「『フラッドぉ』」

「ちょ、待って! これ不可抗力! 不可抗力だから! 僕、なんにも見てないから――」

「『ランス!』」

先端が回転している無数の水の槍がライルに殺到する。

必死でかわし、あるいは叩き落すライルだが、あまりの数の多さに捌ききれなくなる。

「う、わあああああああ!!」

仕方なく、思いっきり後ろに向けて駆け出した。一瞬前までいた場所に、次々と槍が刺さっていくが、紙一重でやりすごしていく。

「なんっ、でだああああああ!!」

絶叫。この世のどこかにいる、人間の幸運の天秤を司っている神様に向けて、とびっきりの恨みを込めて叫ぶライルだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「変態」

もぐもぐ。

なにも反論せず、ライルは自ら取ってきた果物を齧る。

「痴漢」

無視。

暖めなおしたシチューを啜る。しょっぱい。涙の味だ。

「覗き魔」

五感のうち、聴覚を封印しつつ、味覚だけに集中する。

「エロ☆マスター」

「……その星は一体どういう意味だ」

限界だった。

やけにおかしそうにこちらを貶めてくるシルフィを睨む。

「いやー、まさかマスターが覗きだなんて。わたしゃ情けなくて涙がちょちょぎれ……」

「……僕をからかうネタにはすぐ食いついてくるなお前は」

「と〜ぜんよ」

胸を張って言う事ではないが、シルフィは胸を張って言った。

「で、どうだった?」

「……なにが?」

「決まってんじゃ〜ん。イレーナの体よ体。どうどう? 彼女、かなりスタイル良さそうだけど!?」

んなこと言われたら、ライルも一応健康的な青年なわけで、思い出さずにはいられない。あまり凝視したわけではなかったが、確かにルナ辺りとは比べ物に……

「はっ!」

シルフィが、にやにや笑っていた。

「スケベー」

ぷにぷにと頬をつついてくる。

「……そうだな。少なくとも、お前の発育不良な体よりはずっと成熟していたよ」

「んなっ!?」

反撃。

案の定、シルフィは顔を真っ赤に染めて、反論しようと口を開く。

「〜〜〜〜〜〜!!」

しかし、さっきから無言で食事を進めているイレーナを見て、その口は塞がる。反論も何も、事実だからだ。これで、一勝一敗。これからが本番だぞ、とライルは不敵に笑い、

「……下劣ですね」

イレーナの、その一言に轟沈した。

「だ、だから、あれは事故なんだって」

「ええ、ええ。事故でしょう。わたしも、犬に噛まれたと思って諦めています。そうです、犬に噛まれただけなんだから、大したことはありません。……ぐす」

最後の方、半泣きだ。よほど、ショックだったんだろう。今まで我慢していたようだが、それも限界らしい。

あちゃ〜、とシルフィも茶化した事を反省している。

「うううう〜〜〜」

「ちょ、本当にごめんなさい。ぼ、僕に出来ることならなんだってしますから……」

親の仇のように果物を貪るイレーナに、ライルは必死でフォローしようとする。しかし、顔を背けられるだけで、一向に解決の糸口が見えない。

「し、シルフィ! なんか面白い話をしろ!」

「なにそれ……」

「決まってるだろ。イレーナさんを、お前の面白い話で笑わせるんだ!」

「そんなことくらいで機嫌が直るとは思えないけど……まぁ、いいわ。イレーナ、そこのマスターがヴァルハラ学園で巻き起こした疾風怒涛の大活劇を話してあげましょう」

「だ、大活劇?」

「色々あったでしょう? い・ろ・い・ろ」

シルフィの、(ライルにとって)不吉な笑み。

公明正大をモットーにしているライルではあるが、正直、学園に通いだしてからの自分の行動は、イマイチ正義と言い切れないものも数多くあったりなかったり。

イレーナに話されると、ますます軽蔑されそうなモノが沢山あるような……

「まず第一弾〜。入学して間もなく、女装少年にときめいたマスターのお話〜」

「や、やめろコラ! い、イレーナさん。シルフィの言っていることは全部でたらめ……」

ライルの台詞は途中で止まった。

なにやら、イレーナがすごく驚いた目でこちらを見ていたのだ。

「イレーナさん?」

「……ヴァルハラ学園の生徒?」

「そうですけど……それがなにか」

イレーナの表情は、複雑すぎてどう捉えたらいいのかわからない。驚いていることは確かなのだが、それにプラスして悲しむような、憤るような、羨望するような、なんともいえない色が混ざっている。

シルフィは、それでなにかピンと来たのか、恐る恐る尋ねる。

「知り合いでも、いるの?」

「……………いました」

いました。過去形。

「そ、そう……悪いこと聞いちゃった?」

「いえ。もう吹っ切れていますから」

なんでもない風を装うイレーナだが、そこには隠し切れない悲しみが漏れ出ている。

なんとなく淀んだ空気の中、三人は朝食を終らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、ふふふははははは! ふっかぁっつ!」

そんなシリアスな空気などまるで無視して、遠方ではルナがベッドから飛び上がっていた!

「く〜ふ〜ふ〜! ライル! 私がこうやって快復したからには、年貢の納め時よ! 追徴課税で三倍の年貢を納めてもらうんだから!」

「……ヒロインがどうのって言ってた割に、ちっともヒロインっぽくないんだから」

「なんか言った!? クリス!」

「なんにも」

クリスは肩をすくめる。

とりあえず、病み上がりなんだから、もう少し大人しくしていてくれないかなぁ、と悩むクリス。

「さぁ! 行くわよ豪雷号!」

そんな友人の心配をよそに、ルナは愛馬に跨り……

「って、ルナ! パジャマのままだよ!」

ルナを引き止めつつ、クリスは遠くに逃げているだろうライルを思う。

……ま、諦めたほうがいいかもね、ライル。

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