「ぐぅ〜、おのれライル、許すまじ。ここまで私を苦しませるとは〜〜」
「ってかね。そんな体調でばかすか魔法使ってたら当たり前だって」
ベッドで唸っているルナの額に、体のそこかしこに包帯を巻いているクリスが、濡れたタオルを乗せる。見た目的には、立場はまるで逆だったが、もういいやとクリスは諦めていた。
「いい加減、ライル追っかけるのやめたら? そろそろ、虚しくなってこない?」
「そりゃあねぇ。正直、面倒にはなってきたけど」
熱でゆだった頭で、ルナはぼんやりと考える。
「途中で引き下がるのも、私らしくないじゃん?」
「いやまぁ、そうだけど」
「大体ね、クリス。アンタ、ライルに盾にされたくせに、まだあいつの肩を持つわけ」
ピタリ、とクリスがストップする。
しばらくフリーズした後、クリスは狂ったように笑い始めた。
「はっはっは。ルナは面白い事を言うなぁ、あっはっは。僕が、ともっ、友達を、見捨てるわけないじゃないかああはっはっは」
「……だいぶ怒ってますね」
「やぁ、フィオナ。君にも、してやられたよ。お陰で僕は全治二週間だ」
「あ、ご、ごめんなさい。反省してます。あの時は、悪い電波が月の裏側からわたしに発信されていたんですぅ!」
フィオナの頭をぐりぐりして、クリスは唐突に笑みを消した。
「ルナ。僕が許す。ライルをとっちめてやってくれ」
「ええ、もちろんよ」
そして、二人は不敵に笑うのだった。
「こ、怖いです〜〜」
第137話「鬼ごっこー山の家ー」
ぶるっ。
「な、なんだ?」
突如感じた悪寒に、ライルは身を震わせる。
夕飯を済ませ、今はイレーナと差し向かいでお茶を飲んでいるところだ。
「どうかしたの、マスター?」
「いや、なんでもない……と思う」
きっと、またルナ辺りが物騒な算段をしているんだろう、とライルは当たりをつけた。夏休みの追走劇以来、ルナに対する感覚は日に日に磨かれている。この予感にはちょっとした自信があった。
まあ、日常生活においては完全無欠に無用の長物な能力だが。
「そういえば、イレーナはどうしてこんなとこに住んでんの?」
イレーナが出してくれたお菓子をばりばり食べているシルフィが、何気なく聞く。
「こら、シルフィ。そんなこと聞くのは失礼じゃ……」
「わかりました。別に隠すようなことでもないですし、お話しましょう」
ライルがシルフィをたしなめるが、イレーナは全く気にしていない様子でその言葉をぶった切ってさっさと話を進める。なんていうのか、露骨にライルの事を無視しているような。
「……いいけどね」
憮然として、ライルはお茶を啜った。
「うんうん。で、どうしてなの?」
「ええ、わたしは、生まれつき精霊さんの姿が見えるんです。それで……」
ゴクリ、となんとはなしに聞いているライルが息を呑む。
彼女のような女性が、こんな山の中で一人暮らしをすることになった経緯。興味がないと言えば、嘘になる。
「それで、その、精霊さんって、人間とは違って、心が綺麗な子ばかりじゃないですか?」
「いや、あながちそうとは言い切れないと思うけど」
聞く体勢に入っていたライルが、思わず突っ込んだ。主に、シルフィの方を見ながら。あと、ついでに今までにあった光の精霊王とか、地の精霊王とか、水の精霊王とかを思い出す。
心が、綺麗?
「マスター、それは、どういう意味かなぁ?」
「いやいや、シルフィ。ちょっと待て。お前、今まで自分がしてきたことをよ〜く思い出してみろ」
マスターであるライルを殴ったり、ライルの部屋をぶち壊したり、ご飯を要求したり、それはもう見事なまでの暴君っぷり。そりゃあ、助けられたことは何度もあるが、全部足したらマイナスになることは疑いようがない。
うっ、と反論に詰まるシルフィ。
「それで、人間の社会に嫌気が差しちゃって。逃げちゃいました。幸い、精霊さんたちが色々と手伝ってくださいましたし」
そして、何事もなかったかのように身の上話を続けるイレーナ。ライルの言動は完全に無視する気のようだ。
「ん、ん〜あ〜。で、でもそのくらいで家出しちゃったの? ご家族の方とか心配していらっしゃらないかしら?」
そして、ライルの追及の手をかわすため、普段なら絶対しないような口調でシルフィが尋ねた。
「いえ、あの家の人たちが、わたしを気にかけるはずがありません。昔から体が弱くて、家ではお荷物扱いされていましたから」
「それは、その……」
ヘヴィな話である。なにやらあっさり逃げちゃいましたなんていうから、実は軽い話かと思えば、なにやら深い事情がありそうである。
さすがに、シルフィも深入りするべきじゃないか、と思ったのか、話の矛先を変える。
「でも、こういうとこで生活するのは苦労しない? うちのマスターも学校に入る前は似たような状況だったけど、あなたは女の子でしょ?」
「いえ。先ほどもいったとおり、日常生活は精霊さんたちが助けてくださいますから」
「……ん〜、確かに、あなた好かれてるっぽいわね」
精霊とは、一般的には精霊魔法で従わせるだけの存在、と認識されがちだが、それは大きく間違っている。彼らは自然界の運行を司る存在なのだ。
その加護が得られるとなれば、確かに山の中で生活することなど、そう大した問題ではない。猛獣の類は絶対に寄ってこないし、魔物の類も滅多に近づけない。食料や水の確保は言わずもがな。精霊魔法の効果・応用範囲も爆発的に増加するから、この家を作るのも、そう難しくはなかっただろう。
そこら辺の事情は、同じく精霊たちに助けられつつ生活してきたライルにはよ〜くわかる。経緯はともかく、彼女の立場は昔のライルに非常に似ていると言えるだろう。
「でも、寂しくはないですか? なんだかんだと言って、人は人と接しないと、駄目になると思うんですけど」
自らの実体験から問い質すライル。
「ええ、ですから、この生活になんの不自由もしていません」
「……あのですね。そろそろ、無視されるのもつらいんですけど」
イレーナは、ライルが視界に入らないようにしている。耳にもフィルターを設置し、彼の声は聞こえないようにしているのだ。
一応、倒れたイレーナをここまで運んだのはライルだし、夕飯を作ったのも、お茶を入れたのもライルなのだが、なんだこの扱い。さすがに、少し不満になる。
イレーナは、やっとライルの方に視線を向けたかと思うと、心底嫌そうな目と口調で、
「そんなことはありません。この子たちといれれば、わたしはそれで構いませんから」
ぴしゃり、と手に精霊たちを纏わりつかせつつ、ライルの問いを否定した。
「……さいですか」
まぁ、別に個人の趣味にまでライルは口を出す気はない。あまりよくないことだとは思うが、本人がそう言うならいいんだろう。
色々な意味で自分に似ていたから、なにか助けになれれば、とは思ったがこうまで自分を嫌っているならば、それ自体迷惑になるだろう。
「それじゃあ、イレーナさんも元気になったみたいなので、僕はこれで失礼します。……シルフィ。行くぞ」
そうして、ライルはさっさと立ち上がった。
元々、彼の目的は、ルナからとっとと逃げ切ること。本来、一分一秒でも惜しいのだ。
いきなり倒れていたから心配だったが、ただの貧血だったようだし、これ以上様子を見る必要もないだろう。
しかし、すぐさま出発しようとするライルを、シルフィが押し留める。
「待って。マスター」
「なんだよ。まだ食べ足りないのか? 仕方ないな。適当にそこらで木の実か何か取ってやるから、それで我慢……」
ぽかりっ! と叩かれた。
「そうじゃないわよ!」
「……じゃあなんなんだよ」
叩かれた頭を抑えつつ、尋ねる。
「ねぇ、イレーナ。私たち、もう少し厄介になってもいいかしら?」
「ええ、もちろん。シルフィさん“は”大歓迎しますわ」
暗にお前は来るな、と視線でライルを威嚇しながら、イレーナは言った。威嚇とは言っても、ルナとかの、いかにも威嚇射撃という言葉が似合いそうな攻撃的なものではなく、どこか捕食される側の小動物が逃げるために行うそれに似ている。
まぁ、どうでもいい話だが。こんなことされると、絶対に悪いことはしてないはずなのに、やけに悪人になった気分というか。
「悪いけど、イレーナ。私が泊まるってことは、マスターも一緒ってことよ」
「えええええええ。っでででででで、でも。この人は男ですし若いですしケダモノですし、あああ、いやいやいやあああああ!!」
「……イレーナさんの頭の中で、僕は一体どんな悪人なんだろう」
ここまで本気で怯えられると、マジで対処に困る。今まで、こういう風に怖がる人がいなかったからなおさらだ。いや、今まで会った人は、ほとんど怖がる前にぶん殴るタイプだったし。
「まったく……イレーナ!」
「は、はい」
「マスターがよからぬことを企んだら、この私が簀巻きにして川に流してやるから、安心しなさい!」
それを聞いて、イレーナはあからさまにほっとする。
納得いかん……とライルは胸中複雑に、その様子を眺めるのだった。
物置代わりに使っている小屋があるということで、ライルはそこに布団を持ち込んで寝ることとなった。
夏なので、掛け布団は必要ない。敷布団一枚引いて、ごろりと寝転がると、意外に快適だった。蚊の類には辟易したが。
「……で、なんでこんなトコにいることにしたんだよ」
ジロリ、と自分の目の前を飛んでいるシルフィをにらみつけた。
ん〜、とシルフィは口元に手を当てて、考えつつ口を開く。
「なんていいうのかなぁ。ほっとけない、ってのがまず一つ」
「なんでさ」
「あんまりにも、昔のマスターと似たような状況だしねぇ。それに、この辺の下位精霊に大分好かれてるみたいだし」
「別に、放っておいてもいいじゃないか。本人がそれでいいって言っているんだから」
だから、とシルフィは釘を刺すように指を刺してくる。
「マスターも言っていたでしょ。人間は、どんな形であれ人と接しながら暮らすべきなのよ。そりゃあ、全員が全員ってわけじゃないかもしれないけど、あのイレーネって子は、こんな生活に長く耐えられるタチじゃないわ。重い病気にかかるか、それとも精神に異常をきたすか……まぁ、ロクなことにはなんないでしょうね」
「考えすぎだろ」
「そうかしら?」
真顔で言うシルフィに、ライルは反論する言葉を持たない。やはり、年の功か……と思った辺りで、シルフィに殴られた。
「なにをする」
「マスター、今不穏なことを考えたでしょ?」
……だから、どうしてわかるんだ。
「ま、とりあえず。あの子を、街に戻す――せめて、人里近いところに暮らせるように、説得するのよ」
「僕、とっととルナから逃げたいんだけど」
「人一人の人生がかかってんのよ!」
「百歩譲って、やるとしても……どうやって?」
「どうにかして!」
甚だ不本意な任務。
しかし、シルフィが自分やその仲間以外の人間に興味を示すことなど滅多にないことなので、仕方ない、と思いつつもこの難しいミッションをやってみることにするライルだった。