獣人の女性、ナタクァに案内されてやってきたのは、森のほぼ中心にある村だった。

話によると、大体五十人前後の獣人が生活しているらしいのだが……人間の村のイメージとは随分違い、家は全て森に溶け込んで存在している。神事を行うための小さな広場がある以外、そこにヒトの生活の痕跡を見出すことは出来ない。

自然との共生が、亜人の基本的な生活なのだが、なるほど、それは正しいようだ。これでは、自然を切り開いて生活をする人間族に非難が集まるのも仕方がない。

人間には人間の言い分というものもあるのだが……。

そんな風に考えながら獣人の村をクリスが眺めていると、ライルとクリスを槍で囲んでいる獣人が止まれのジェスチャーをした。そして、先導していたナタクァが離れて、遠吠えのような声を上げる。

そうすると、木の裏に隠れるようにあった家から、次々と新たな獣人が出てくる。どうやら、先ほどの遠吠えは、集合の合図だったらしい。

集まった獣人らに、ナタクァが、事情を説明する。

「ねぇ、クリス。大丈夫かな。随分、睨まれてるけど……うまくいかなかったら、ボコられそうだよ?」

自分たちが森を救ってやる、といきなり現れた人間二人に言われても、当然のことながら獣人の皆様方は『はいそうですか。お任せします』と言ってはくれない。案の定、疑いの色に染まりきった視線を向けてくる。

「大丈夫大丈夫。なんたって、ライルがいるんだから」

「……僕がいると、なんで大丈夫なのさ」

「そりゃあ、アレだよ。その、ライルの貴重な才能が役立つ時が、また来たって事さ」

才能。

そんなこと言われても、ライルには自分の才能など一つか二つくらいしか思いつかない。

……厄介ごとに巻き込まれる才能とか。

意味ありげに笑うクリスに薄ら寒いものを感じる。なんか、自分にとってよからぬ事を企んでいる、というのは、もう確信に近い予感だ。しかし、それから逃げることも出来ないとわかっているライルは、諦め風味でため息をつく。

その頃には、ナタクァと他の仲間たちとの話し合いも終ったようで、獣人たちは、警戒しつつも、ライルとクリスを迎え入れる体勢になっていた。

 

第133話「鬼ごっこ ―儀式―」

 

「もしかして、もしかして、とは思っていたけど……」

ずんどこ、ずんどこ、と十字架に磔にされたライルをよそに、獣人族の人々が踊りの練習をしている。ちなみに、ライルの十字架の真下には、よく燃える枯れ木が詰まれており……すぐに、火刑に処すことが出来るようになっていた。

少し離れたところでは、この儀式をプロデュースしているクリスが、図面を片手に指示を飛ばしていた。その指示に従って、若い衆が儀礼剣で、地面に模様を刻んでいく。

――クリスが分析したところ、この森が枯れかけているのは、地脈に力が行き届いてないせいだという。例え、日光や水が十分にあろうとも、また土に養分があろうとも、力のない地脈の上にある植物はロクに育たない。この森の地脈は、何らかの原因で、かなり細々とした力しか流れておらず、森全体に行き渡るだけの力がないのだ。

そして、地脈の活動には、地精霊の働きが密接に関係している。そこで、以前、水精霊の暴走による大雨の時と同じように、精霊に働きかけるための人柱を立てよう、ということになった。当然のごとく、その人柱はライルのことだ。

無論、今回も本当に殺すわけではない。踊りや魔法陣を組み合わせた儀式を併用し、せいぜい『足元が熱い』程度の危機で、ライルの精霊への干渉力を高めることにしている。

術自体の施行者はクリス。ライルやその他の儀式は、簡単に言うとそのブースターの役割を果たすこととなる。一旦詠唱が完成すれば、術の施行自体はそう時間はかからない。元々の流れの痕跡があるので、そこに力を注いでやるだけだからだ。

……しかし、短時間とは言え火にさらされるのだから、ライルはたまったものじゃないだろう。

「ライルー。術が終ったら、とっとと自力で抜け出してね?」

「そう言うなら、この拘束結界を解け!」

「やだなぁ。はっはっは。そうしたら、ライル、逃げ出すだろう?」

「……逃げないよ」

「おっと、その手には乗らないよ……って、本気で逃げる気なさそうだね? なんでさ?」

やけに諦めた様子のライルをクリスは訝しげに見た。こういう状況でなら、ライルは間違いなく逃げようとするはずなのだが。

「どこに逃げろっていうんだよ」

森から一歩でも出れば、ルナの追撃が待っている。しかし、森にいようと思ったら、獣人たちに認められなければならない。

なるほど、逃げ場はない。

改めて状況を認識し、二人は揃ってため息をついた。

 

 

 

 

 

 

「っしゅん」

「ルナさん、どうしたんですか。風邪ですか?」

いきなりくしゃみをしたルナに、フィオナは心配そうに声をかける。

「違うわよ。夏風邪は、バカしか引かないって言うじゃない」

「……誰だって、引くときは引くと思いますよ。それでなくても、最近はルナさん、旅してて疲れているんですし」

「そうかもしんないけど、これは違うわね。きっと、ライルたち辺りが噂でもしてんじゃないの?」

ルナは自分で言ってから沸々と怒りが沸いてきたらしく、ぱしっ、と拳を手のひらに打ち付けた。

「きっと悪口に違いないわ」

「そ、そんな決め付けなくても」

「いーや! 私にはわかる! オノレ。捕まえたらギタギタにしてやるんだから」

なにか、知らないところでルナの恨みを買っているライルたちだった。

 

 

 

 

 

そして、準備はつつがなく終った。

六芒星の形に篝火が焚かれ、それを基点として地面に様々な呪文が刻まれている。これ一つ一つに意味があるようだが、儀式魔法などほとんど使ったことのないライルには、さっぱり意味はわからない。

中央の円には術者のクリス。そして、一つだけ火のついていない篝火にはライルが縛り付けられている。

ライルは、多分自分のいるところが、地水火風光闇の地を意味する位置なんだろうなぁ、と漠然と思った。

「よし、それでは踊りを始めよ!」

族長の娘だというナタクァの号令と共に、狼の耳と尻尾をもった獣人らが、魔法陣の周りで踊り始める。これは、大地の精霊に奉ずる踊りで、元々彼らに伝わっているものらしい。

それを、即興で魔法陣と組み合わせてしまうクリスも、ルナとは違った意味で天才なのだろう。

「大地の精霊王ガイアの御名において、我クリス・アルヴィニアが命ずる……」

クリスが、以前契約を交わしたガイアの力を引き出しつつ、朗々と詠唱をする。

それは、まるで歌のように森に響く。未だライルやクリスの事を信用していない獣人たちだったが、この歌には聞きほれていた。

そして、クリスが合図をすると、ライルの真下に詰まれた薪に火が付けられた。

「あつっ! 熱い、熱いって!」

ぱちぱちと燃える火が、ライルの足の裏を時折舐める。靴越しでも、十分熱かった。

「我慢!」

クリスは一声かけると、さらに詠唱の速度を上げていった。下手に長引いて、火傷の跡でもついたら、寝覚めが悪い。

生命の危機を感じるほどではないが、肉体損傷の危機に、ライルの身は精霊を受け入れやすい状態になる。魔法陣や、踊りの効果で、それはさらに倍増し、ライルの肉体に、この付近の弱った地精霊がどんどんと集まっていく。その力は、ダイレクトにクリスへと渡っていった。

獣人たちも、周囲の精霊のざわめきを肌で感じ取り、踊りを激しくしていく。

付近の精霊が十分に活性化した事を確認して、クリスは最後に力の言葉を唱えた。

「『アースリジェネレーション!』」

地面に付いたクリスの手から、一気に魔法力が流れていく。

クリスの立つ位置は森の中心、地脈の要。そこからクリスが儀式魔法によって力を得た地精霊が流れ込み、付近の地脈を一気に満たし、溜まっていた澱を洗い流した。

今回のこの森の枯れ具合の原因は簡単だ。力を流すための地脈を水道と例えると、その水道に汚れが溜まり、力が流れにくくなっていたのだ。そこで、その汚れを一気に洗い流すため、こうして大規模な儀式を踏んで、大地の精霊に“掃除人”になってもらったわけである。

力の流れを邪魔していた澱がなくなると、あとは早い。

元々、この森の地脈に流れ込むはずだった力が、一気に雪崩れ込んでくる。それも、今までの分が溜まっているので、量がハンパではない。

地脈を満たしてなお有り余った力が、森の木々に流れ込んだ。

「う、わぁ。こりゃ、予想以上にうまく行ったな」

白っぽくなっていた葉っぱが緑に染まる。のみならず、一気に実まで付け、見る見るうちに熟していく。そして食べごろになった頃、まるで森からのお礼のように、それらの色鮮やかな実は木から落ちた。

それまで半信半疑で見ていた獣人たちから、歓声が上がる。

幾人かの獣人は、目の前の光景が信じられず、呆然としているようだ。

その反応に満足しながら、クリスはいつのまにやら拘束から抜け出して自分の隣に来ているライルに目を向けた。

「……やぁ、相変わらず、逃げ足は早いね」

「逃げ足は、は余計だよ」

「その逃げ足で、ルナからも逃げ切れればいいのにねぇ」

獣人たちの歓声は止まない。

中には、突然現れて森を救った二人を英雄扱いする声もある。……まぁ、ライルとしては、英雄だろうがなんだろうが、しばらくかくまってくれるのなら文句はない。

なんせ、

「僕が? ルナから逃げ切る? ……絶対無理」

なのだから。

しかし、ライル。すでに半ば以上諦めているようだ。

 

 

 

 

「っっっくし!」

いきなり森全体に魔力が満ちるのを感じた直後、ルナは再びくしゃみをしてしまった。

そんなルナの背中をフィオナは心配そうにさすった。ただし、幽霊なのでその感触はどうも冷たく、あやふやだ。

「ほらぁ、やっぱり体調崩しているんじゃないですか?」

「いいや。これもライルが噂してんに違いないわ。あいつめ、一体どんな悪口を言ってんだか」

「な、なんでそんなに人を疑うんですか」

「決まってるわ」

ルナは胸を張って言い切る。

「私が、そう感じたからよ!」

「む、無茶苦茶ですよ、それって」

あまりの理論武装に、フィオナはくじけそうになる。本当に、天上天下唯我独尊な人だなぁ、とルナの人となりを再確認しつつ、ライルたちがいるであろう森へ目を向けた。

(とりあえず、頑張ってくださいね。色々)

 

 

「……へっくし!」

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