……さて、フィレアは駆けていた。
嫌な予感に突き動かされ、全力で走っていた。でも、全然疲労感とかはない。すでに精神が肉体を凌駕しているのだろうか。
そして、太陽が真上に来る頃、やっと目的の場所に着く。……いや、場所というのはおかしいかもしれない。彼女が目指していたのはあくまでアレンだ。アレンのいる場所にたどり着いた、というのが正しい。
その恐ろしいまでの嗅覚を存分に発揮し、フィレアはアレンのいる方向を特定する。
その方向にしばらく走っていると、当然のようにアレンを発見した。
……なにか、傍に小さな女の子を侍らせて、いちゃいちゃしている。
一瞬で、ムカムカモードに入ったフィレアは、迷わず駆けた。ライルとかクリスとかもいたような気がしたけれど、そこらへんは今は忘れる。
走っている勢いそのままに、フィレアはアレンの頭めがけてキックをかました。
第128話「鬼ごっこ―ある剣士とお姫様と村娘―」
「よっ、ほっと」
アレンが鍬を振り、固い地面を耕していく。
額に流れる汗は妙に清清しく、それを拭う様子も随分様になっていた。
「お〜い、兄ちゃん。こっち手伝ってくれるか?」
「ん〜? オッチャン、どうした?」
また別のところで開墾を進めている中年男性に呼ばれ、アレンはそちらに向かう。
「いやぁな。ここいら辺を畑にしちまいたいんだが、この岩が邪魔でな。動かすから、少し手伝っちゃくんねぇか」
でん、と聳えているのは、大人の背丈ほどもある大岩。確かに、これは二、三人でどうにかなるような大きさではないだろう。
「そういうことなら、任せてくれ。……っはぁっ!!」
しかし、アレンから見たらどうということはなかったようだ。気で強化した拳で持って、粉々に粉砕する。おお〜、とそれにビビるわけでもなく、周りで見ていた他の男たちから拍手が起こった。
「や〜、兄ちゃんが来てから、随分作業が進んだなぁ。よく動くし、馬鹿みてぇに力は強いし。こりゃあ、七人力くらいだぜ」
「なんだよ、その妙にリアルな数字は」
「皆さんー。お昼ごはん持って来ましたよー」
遠くからプリムが駆けてくる。手には、一抱えもある大きな包み。無論のこと、今来ているのは、父親の趣味である似非メイド服ではなく、一枚布で作ってある動きやすそうなワンピースである。
「おお〜、今日の当番はプリムちゃんかぁ」
「うちのカカァのより、ずっと美味いからなぁ! プリムちゃんが昼飯当番となれば、午後の仕事にも気合が入るってもんだぜ」
「ははは。あまり持ち上げないでくださいよぉ」
笑顔で出迎える男たちに、プリムは包みを広げる。その中には一つ一つ包まれた馬鹿でかいおにぎりが大量に入っていた。
この村の主な作物は米らしい。国全体としてはパン食が多いが、気候が合っていることもあり、ローラント王国で稲作はそれほど珍しいものではない。
「はい、アレンさんもどうぞ」
「サンキュ」
プリムはアレンに、おにぎりを一つ渡す。
「お、プリムちゃん。なんか、兄ちゃんのおにぎり、俺らより随分でかくないか?」
「ええ!? そ、そんなことはないですよー?」
「いやいや。隠すこたぁねぇ。俺らみんな、話は聞いてるし。……っかぁ! 兄ちゃん、羨ましいねぇ!」
顔を真っ赤にしたプリムを見て、ニヤニヤ笑いながら、男の一人がアレンの背中をバンバン叩く。いきなり強く叩かれたアレンは、ゴホッとむせた。
「ちょ、なにするんスか。……プリム、お茶くれ」
「はい」
「ングングング……」
「……あ、アレンさん、ほっぺたにお米付いていますよ」
プリムは、ついと指でその米を取り、自然にパクと口に運ぶ。やってから、自分が何をしたのかに気が付いたのか、さらに顔を紅潮させるが、アレンのほうは全く気にせず二つ目のおにぎりに手を伸ばした。
――とまぁ。
そんな一昔前のベタベタなラブコメを踏襲しているアレンたちの様子を遠目で見ていたライルとクリスは、苦笑いするしかなかった。
「速攻で馴染んでるね」
「……うん。鍬が異様に似合ってるし」
昨日、ライルたちが始めた宴会で、二日酔いになった者が続出。仕事もマトモに出来ないほどグロッキーだったので、俺が手伝ってやらぁとアレンが名乗り出た。まぁ、二日酔いになった原因は彼といえなくもないのでアレンなりに責任を感じたのだろう。
そして、今に至る。ここまで、新しい田畑の開墾作業を手伝い……その獅子奮迅の活躍ぶりはオッチャンたちから向けられる好意の目からもわかる。
「案外、アレンはああいうののほうが合ってるのかもねぇ。うちの国で騎士なんてするより、ずっと」
「う〜ん、どうなんだろ。でも、剣持ってないとアレンって気はしないんだけど」
剣の代わりに鍬。似合ってはいるが、剣を持っていたほうがよりらしい気がする。
クリスは、まぁね、と頷きつつ、
「いやぁ、でも正直ウチに来るよりずっと穏やかな生活が送れると思うよ? 僕も、こういう所に住みたいなぁ」
「まさか。ここにいるより、大人しくアルヴィニア王家に入った方が、穏便に済むに決まってるじゃないか」
「はぁ? なに言ってるんだよ、ライル。ウチは、フィレア姉さんがああだし、父上は……アレだし。どこをどうとったら、ここよりうちが穏やかなんだい」
はぁ、とライルは大きくため息。
「クリス。一つ忘れてないか?」
「ん? 僕がなにを?」
「あの……」
何かを言おうとしたライルの横を、風が通り過ぎた。風は、地面を蹴り、更なるスピードを得て、一直線にアレンの元へ走っていく。
それは、クリスがよ〜〜く知っている人物だった。
計算よりずっと早い。ルナたちを置いて一人で来たのだろう。なるほど、それならこれだけの短期間で追いついたのも頷ける。全員纏めて行動していると思い込んでいたのが失敗だったか。
……そして、その人物は、一際大きく踏み込むと、
「やぁ〜!」
聞いたものが脱力するような掛け声で、しかしとてつもなく凶悪な威力の飛び蹴りをアレンの側頭部にかました。
「……ほらね」
「そっか。そうだよね。まさか、アレンがここで落ち着けるなんて……そんな」
夢みたいなこと。
クリスはライルの言ったことに納得し、そして逃れえぬ運命――あるいは恋するお姫サマ――に囚われたアレンに、しばし黙祷を捧げるのだった。
「アレンちゃん〜。もしかしてもしかしてもしかしてーーーって思ってたけど、まさか本当に浮気していたなんてっ」
「ちょっと待てフィレア。落ち着け、なにを言っているのか俺には全然わからん」
「も〜〜! お仕置き!」
「ぐっはぁ!?」
見事に腰の入った拳を顎に受け、アレンは仰け反る。さらにそこからフィレアは連続技に入る。追撃のキックキックパンチキックパンチパンチ体当たりで吹き飛ばし追いついて天まで届けと言わんばかりのアッパーカット。物理法則やらなんやらを無視した華麗なコンボである。地面に叩きつけられたアレンをぷんぷんと怒った様子で睨むフィレアの後ろに『K.O』の文字が見えた……気がした。
呆気に取られているプリム。他のおじさんたちは、コイツはヤベェと、手近な木の影に隠れている。なんとも情けなかった。
「ん、もぉ。まだ言いたいことはあるんだけど……」
それ(拳)でですか、と現場に到着したライルは心の中だけで突っ込みを入れた。
「あなたぁ! わたしのアレンちゃんに手を出したら駄目でしょ〜!」
ビシッ、とプリムを指差すフィレア。突然自分に振られたプリムは、わたわたと慌てるしかない。
そりゃそうだ。いきなり風のように現れて、倍近い身長差のあるアレンを速攻で昏倒させてしまった(見た目)少女に敵視されているのだ。生きた心地がしないであろう。
しかし、少女的に聞き逃せない台詞があったので、恐々とそこだけ否定することにする。
「い、いえ。わたしは手を出したわけじゃ……むしろ出されたというか」
「いやいや! そんな事態をややこしくするような言い方を――!」
ライルの突っ込みも耳に入らず、フィレアのまなじりが更につりあがる。ヒィ、とプリムは自分よりも小さな少女に本気で脅えていた。
しかし、すでに怒りの矛先はアレンに移っている。
「ア〜レ〜ン〜ちゃ〜〜〜んっ! ちょっと起きなさーい!」
「んぁ?」
気が付いたアレンは惚けた表情でフィレアを見る。
「アレンちゃん。あの子に手を出したって本当なの?」
口を尖らせ、フィレアは尋ねた。
ライルとクリスは安心する。いつもみたいに問答無用じゃない。一応、本当かどうかの確認を取る程度には冷静だ。ここでアレンが真実を話せば事態は円満解決……
「ん〜?」
そういえば、さっきおにぎり受け取るために手を差し出したよなぁ〜なんてトボケタ考えでもって、アレンはああ、と頷きながら、
「おう、出したぞ」
『―――――!!』
そんな複雑怪奇な思考を知る由もないライルたちは、思いっきり顔を引きつらせた。
すでにフィレアの顔を見ることすら恐ろしい。すみやかに撤退……と、その前にプリムも一緒に避難させるべきか。フィレアがあのような少女に直接手を出すことはまずないが、巻き添えを食う可能性はないとは言えない。
……しかし、ライルたちがアクションを起こそうとすると、フィレアが予想外の事を口走った。
「……もぉ〜。アレンちゃんは仕方ないんだから……」
と、呆れたようにため息。いや、しっかりとボディブローが飛び出しているが、この程度、ライルたちの予想した地獄とは程遠い。
なんで? 普通なら、ここで殴ったり蹴ったり『必ず殺すと書くから必殺技なんですよ』と言わんばかりの連続技をかます場面ではなかろーか、などと、どれだけすさんだ生活を送っているか如実に現れている疑問を浮かべつつ、ライルは事態の推移を見守る。
「でも、アレンちゃん。責任はちゃんと取らないといけないよ?」
「責任???」
「そう」
ナニコレ? さあ? ライルとクリスは、視線で会話する。
当事者なのに置いてけぼりなプリムは、恐る恐る口を挟んだ。
「あの〜」
「ん、なぁに?」
「えっと、貴方は、アレンさんの恋人……かなにかですよね?」
「ちょっと違うよ。婚約者〜。あと、フィレアって言うの、よろしくね」
「あ、は、はい」
プリムはこくこくと頷き、ぼそぼそと言葉を選ぶ。
「あの、アレンさんに責任を取れって仰ってましたけど……その、いいんですか? アレンさんを取られても。……って、あの! わたしは別に、アレンさんの事を好きってわけじゃないんですよ? いや、もちろん嫌いではないわけなのですがー!」
かなり慌てている。そりゃそうだ。別に全くその気がないとは言わないけれど、昨日会ったばかりの男性といきなり一足飛びの関係にさせられようとしている。それも、その男性の婚約者とやらの手で。
その様子に、フィレアは笑って、
「面白い子だね〜。あ、あとアレンちゃんは独り占めさせないよ〜」
「でも、さっき責任を取れって……」
「大丈夫。アルヴィニアでは重婚は許可されているの。それに、王族の男の人にとってはフツーだよフツー」
なんのもんだいもないでしょ〜、と自信満々に宣言してのけるフィレア。ピースまでしている。自分の言ったことになんの疑念も持っていない、そんな笑みで。
『は?』
そんな間抜けな声が三人分――無論、ライルとクリス、そしてプリムだ――響く。
『えええええええ!!?』
そして、事の一番の原因。トラブルメイクっぷりではルナと双璧を為すアレンは、元凶の自覚など一切ないまま、とぼけた声で、
「……で、なにがどうなってんだ?」
なんてことを呟いて、無駄にライルたちの殺意を喚起していた。