日も暮れて、奉海祭が始まる。

会場となる、海に面したウィンシーズの広場には、大勢の人間が来ていた。この街の人間が全部集まったんじゃないか、というほどの人手だが、ライルは器用にすいすいと歩いて行く。

ルナやマリア、ミルティはそれぞれ店を出しているはずだ。しかし、優勝商品たるライルがどれかの店に肩入れすれば角が立つ。

適当に祭りでも見ときなさい、と命じられたわけだ。

「……はぁ」

適当に露店を冷やかしながら、祭りの中心へと歩く。着く頃には海の大精霊に捧げる儀式が始まるはずだ。

と、祭りの喧騒を楽しげに眺めていたシルフィがライルの袖を引っ張った。

(ちょっと、マスター! あのリンゴ飴買ってよ)

(……この人波のどこで食うつもりだ、お前は)

シルフィは姿を消している。彼女がモノを食おうものなら、他の人には空中に浮かんだ食べ物が勝手に消えているように見える。

こんな神聖な祭りに、心霊現象を起こすのはアレだろう。

食べ物をねだる俗っぽい精霊をたしなめつつ、ライルは祭りの中を練り歩くのだった。

 

第122話「奉海祭〜再会と繁盛〜」

 

「お、っと。ちょうど始まるところだな」

ライルが海のすぐ傍に作られた儀式場に到着し、群衆を掻き分けて最前列に行くと、すぐに儀式が始まるところだった。大勢の見物人が囲む中、巫女が中央の台座に登っていく。絹でできた薄い布地に身を包んだ美少女が、手を組みながら跪いた。

男性の視線は、巫女の袖から伸びるほっそりした腕や、布が薄いせいで輪郭が見て取れる胸に集中している。巫女の格好は、神秘的ではあるのだが、見ようによっては確かにエロティックだ。さぞや恥ずかしいんだろうなぁ、などと枯れた感想を抱きつつ、ライルは別段関心もなくそれを眺めていた。

やがて、十数人ほどの子供が、笛で静かな音楽を奏で始める。

この一時ばかりは、祭りの喧騒もほとんど途絶え、聞こえるのは笛の音と波の音だけになった。

寄せて返す波に向かって、巫女が浪々と歌を歌い始める。高く、よく響く声が海に向かって投げかけられ、それに呼応するかのように小さな水色が巫女の下に集まってきた。

それは、歌に惹かれた水の下級精霊たちだ。

ライルは、ちょっと驚く。普段は彼の目には映っているが普通の人には見えない精霊たち。それが、こんなに大勢の人の注目している中に出てくるなんて事は、まず見たことがない。

(こういう儀式は精霊に対して働きかけるのが多いのよ。多くの人が無意識に垂れ流している魔力を束ねて、昔から受け継がれた祭りっていう手順でもって長期間、暴走しないように命令するわけ。一種の儀式魔法って言えるかな。まぁ、姿がこれだけはっきり見えるのは、世界的に見ても珍しいでしょうけど……って?)

ライルの疑問に答えるかのように、シルフィがその知識を披露する。と、同時に首を捻った。

それを気にせず、ライルがなるほど、と頷いていると、台座の上では更なる展開を見せていた。

集った水の精霊が巫女の左右に整然と並び、点滅を繰り返す。

(ちょ、コラ。そういえば……)

(どした、シルフィ?)

なにやらシルフィが顔を引きつらせるのと同時に、変化が訪れる。

台座の少し前、波打ち際。丁度巫女と相対する位置に、空間の歪みが現れる。

それは、ライルもよく見たことのあるものだった。丁度、精霊界から帰ってくるときのシルフィが開いた“門”がちょうどあんな感じだ。

その穴から、水色の髪と蒼色の瞳を持った、神秘的な容姿の女性が姿を現す。

ライルは、その姿だけですぐに察した。彼女が、人間でなく、もっと超自然的な存在であると言う事を。……ってか、ぶっちゃけ顔見知りだった。

「今年も、皆さんよく集まってくれました。これで、この近海の精霊の調和は保たれることでしょう。水の精の長として、深くお礼申し上げます」

目を瞑ったままのアクアリアスが、そんな口上を並べる。

……さて、先もシルフィが言ったとおり、この祭りは儀式魔法としての側面がある。一年間の航海の安全と海の恵みを願う……海の精霊らが暴れたり、力をなくしたりしないようにするわけだ。

つまり、人間界での精霊の活動の調和を保つ役割を担う精霊王たちにとって、非常に都合の良いものとなる。

……ここからが本題なのだが。

そういう精霊に働きかける儀式である以上、上位精霊が立ち会ったほうが格段に効果は上がる。基本的に精霊は人前に姿を現さないが、ある一定規模以上の精霊に対する儀式のある祭りの時は上位精霊が姿を現すのが決まりになっているのだ。

特に、この街の奉海祭ほど大きなものになると、周辺地域のかなり広い範囲まで効果が及ぶので、最上位の精霊が姿を現す。

……まぁ、つまり。精霊王さん、というわけだ。

「では、儀式を始め……へ?」

ゆっくりと目を見開くアクアリアス。

そして、いきなり間の抜けた声を出した。その視線はライルをばっちり捕らえている。

いきなり精霊王ともあろう人が変な声を出したことで、聴衆はざわめくが、すぐにアクアリアスはこほんと咳払いをする。

「失礼しました。では、儀式を始めましょう」

見事に立ち直り、その神秘的な雰囲気で強引にさっきの間抜けな声の事を周りの人間から忘れさせる。この辺、さすがは精霊王だとか、そーゆーのは余り関係ないと思う。

……まぁ、なんにせよ。

儀式自体は、非常に見ごたえのあるものだと、ライルは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、なんでこの街にいるんですか」

「うっさいわねぇ、私がマスターにくっついてどこ行こうが勝手でしょうが」

祭りの会場から遠く離れた街道。街の殆どの人間は奉海祭に参加しているので人通りが皆無な道の上で、アクアリアスとシルフィが言い合っていた。

アクアリアスは随分と恥ずかしく思っていたらしく、その追及の手も激しい。

「ああ、もう。ライルさんも、学生なら学生らしく夏休みは宿題でもしておいてください」

「そんなこと言われましても。宿題は全て終ってますし」

「じゃあ、一学期の復習と、二学期の予習をしていればいいじゃないですか」

「いや、あの……はぁ、すみません」

色々文句はあったライルだが、下手に逆らっても機嫌を損ねるだけと思って曖昧に頷く。それで、アクアリアスの怒りもだいぶ収まったらしい。はぁ、とため息をついた。

「しかし、マスターは宿題をキッチリ早めに終わらせているというのに、従者の方は仕事を溜め込んで、他の精霊(にんげん)に迷惑をかけるんですから。もう少し早め早めに終わらせる癖をつけたらどうですか?」

訂正。ライルに対する怒りは収まったようだが、この街の祭りがアクアリアスの担当だということを忘れていたシルフィに対する怒りはまだまだ鎮火していないらしい。

どうも、アクアリアスは丁寧で温厚な性格だが、あまり間抜けな姿をさらすのを嫌っているようだ。……本人の言うとおり、シルフィの仕事の尻拭いをしているのも、怒っている理由の半分以上を占めているようだが。

「なによー。そんなこと言っても、仕方ないじゃない。私はマスターの安全を見守る義務があるんだから」

「安全を見守る、ですか。マスターに食事の用意までさせておきながら、よく言えますね。前々から言おうと思っていたんですが、シルフィ、貴方はちょっと怠け者ですよ」

「いいじゃない、怠け者。怠け最高!」

「いや、シルフィ。一応言わせて貰うと、働かざるもの食うべからずと言ってだな。ぶっちゃけると、お前の食費が微々たる物ながら確実に我が家の生活費を圧迫しているんだが……」

ライルが弱気に言葉をさしはさむが、シルフィはアクアリアスと対峙するのに忙しく、聞こえていない。

ふぅ〜〜、とライルはため息をつき、やたら低次元な争いをしている精霊王たちから視線を逸らす。もうこの二人の仲裁をするのは諦めた。ぼーっと突っ立てるのもなんなので、今まさに書き入れ時であろう祭りの露店が立ち並んでいる方角に目を向ける。

さて……彼女らの店はうまくいっているだろうか?

 

 

 

 

 

 

「さぁさぁ! そこのやつら全員、ちょっと寄っていきなさい! 総合屋台『ヴァル学印』なら、なんでも食えるわよ!」

異性の言い張り声を上げつつ、ルナが四人連れの男を半ば無理矢理気味に屋台に案内する。

男らは最初は面食らっていたようだが、立ち昇るソースの香りに誘われて、焼きそばを食べることにしたようだ。

「へーい! 焼きそば四つ! 少々お待ちくださーい! ……おい、クリス! キャベツ切れ、もっと切れ! っと、アイスですか? はい、ミントとバニラ一つずつですね。はい、お釣り! あ、お嬢ちゃんはわたあめね、ごめんちょっと待ってくれる? ……ええい、クリス、キャベツはまだかあ! それとわたあめ三つだ!」

四方八方から押し寄せてくる客を、アレンは驚異的なスピードで処理しながら、クリスの名前を連呼する。どうでもいいが、ねじり鉢巻が異様に似合っている。

「はいはいはい! ちょっと待って、今終る!」

クリスはクリスで、ものすごい勢いでキャベツを微塵切りにしている。最初用意していたキャベツはとっくになくなり、いや、まさかこんなに使わないだろう、と箱に入れたままだったキャベツを親の仇のように切っているのだ。

それが終るとわたあめの機械を操り、たこ焼きの生地をかきまぜ、いかに串を刺していく。調理が必要なものを担当しているアレンと下ごしらえ担当のクリス。アイスやわたあめなど、特に技術が必要でないものに関しては、二人のうち手の空いている方が。

こんな役割分担をいつの間にか決めていた二人のコンビネーションはすでに神業の域に達している。

「アレンちゃーん! お客様、二十名追加〜」

「フィレアアアア!! どっからそんなに連れてきたーー……って、すみませんすみません! 今ちょっと忙しすぎてテンパってて!」

反射的に客に失礼な事を行ってしまったアレンはぺこぺこと頭を下げる。客側も、その様子を見ていたので苦笑しつつも気にしてないようだ。

そして、その客たちを案内し終えたフィレアは、全く邪気のない笑顔で「じゃあ、次のお客様連れてくるねー」と適当な集団に突っ込んで行く。

フィレアの小さくて可愛らしい容姿は、ちょっと特殊な趣味のお兄さんから、孫を見る感覚になるご年配の方々、さらには同じ精神年齢で息の合う小さな子供たち、と老若男女すべてにウケる。

しかも、天然で誘い上手なので、その集客力たるやルナの比ではない。

「……ええい! フィレアに負けてらんないわ! おら、幽霊! 今こそ、アンタの出番よ!」

なにやら負けず嫌いの虫が鳴り出したルナが、クリスから預かっていたミニ棺桶を取り出して擦る。でろでろでろ〜、とフィオナが登場した。

「な、なんですかルナさんー」

いきなり現れた幽霊に、ルナの周りにいた人が一斉に引いたが、ルナは気にせず自信満々に、

「さあ、アンタも手伝いなさい! 二人合わせて、フィレアのヤツに勝つのよ!」

勝ち負けの問題でもないが、過去の経験からルナに苦手意識(てゆーかトラウマ)を持っているフィオナはコクコクと頷き、遠巻きに見守っている祭り客に向き直る。

向き合う形になり、ビクッとなる女性。それに気付かず、フィオナは一歩近付き、

「あの〜、寄って行きません「きゃああああああああ!!」か?」

話しかけると同時、その女性が悲鳴を上げ、同時にフィオナの登場シーンを見ていた人が軒並み蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。まぁ、祭りということであまり気にされてはいなかったが、それでもルナとフィオナの周りは一時人の空白地帯が生まれる。

「…………………」

「………………えへ」

「この役立たずが!」

「横暴ですよう!!」

もうなにがなんだか。

 

一方、マリアのほうも大変だった。

「え? お酒がなくなった? ――お店の方から超特急で持ってきて。お待ちしているお客様には、つまみを無料サービスするって言っておいてね! って、そこの酔っ払いーー!! テーブルをひっくり返すな!」

従業員に指示を飛ばす一方、暴れれる酔っ払いに怒鳴りつける。

ちらり、とルナたちの店の繁盛っぷりを横目で見て、負けていられるかと腕まくりをする。

「あら、マリア。随分大変そうね」

「……ミルティ」

「私のところは、一度お客様が入ればあまりお立ちになりませんから。暇なんですけど……手伝いましょうか?」

「いらないわよ。敵の塩は受け取らない主義なの。忙しいんだから、とっとと行きなさい」

ひらひらといきなりやってきたミルティを追い返すように手を振る。

正直、構っている暇はないのだ。ルナたちの店「ヴァル学印」(頭の悪いネーミングだ)は、思いのほか成功している。よくもまぁあれだけ同時に売れるものだ。

感心する一方、ローレライの方はあくまで例年並の売り上げしかない。酒の売れ行きが若干良いが、つまみがあまり売れていない。やはり、周りに沢山露店があるのだから、祭りらしくつまみは露店のものを食べたいと思うのだろう。

特に、今回は近くに定番ならなんでも揃う店があるのだから。

ミルティのところも例年並だが、いつも祭りの売り上げ勝負ではあまり儲けを考えていないウンディーネ側はローレライに勝てない。今回も、何故かミルティはその方針を変えておらず、このままではルナたちの勝利に終わり、ライルは学校に連れ帰られてしまう。

それは、ミルティにとって面白くない。

「そんなのはちょっとね。同じ街にいたら、うちに来る可能性もあることだし。ここは素直に手伝いを受け入れなさい」

「ちょっと!」

勝手にローレライの制服でもあるエプロンをつけ始めたミルティを咎めるが、すでに着込んでしまっている。

「……しょうがないわね。勝つわよ」

「任せなさい。昨日今日商売を始めたばかりの素人には負けられないわよ」

そして、ウィンシーズを代表する二店の店長代理たちは、そろって満面の笑みを浮かべて接客に当たるのだった。

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