「ぐ、ううう」

「あによ。どーしたの、ライル」

カレーを作るために、調理を始めて早二時間。不幸な事故(?)により、一から作り直すことになり、野菜と肉を炒めるところまではうまくいった。それらを鍋に移し、水をいれ、火にかける。

そんな鍋に手をかざして力んでいるライルを、ルナは怪しいものを見るような目で見た。

「なにって、うまくいくように念を込めてるんだよ。念」

「やぁねぇ。いくらなんでも、大げさすぎるわよ」

大げさじゃない、決して大げさじゃない。でも、突っ込んでも絶対に本人にはわからないから、ライルは言い返すことはしない。

そう、鍋からなにやら異臭が漂ってきても……

「って、なんじゃこりゃあ!?」

慌てて、鍋に駆け寄るライルだった。

 

第102話「お料理パニック 後編」

 

原因は水だった。

どうも、使用した水が腐っていたようだ。加熱した野菜と肉の方にばかり気をとられ、ルナが汲んできた水の方のチェックが甘かった。それが、熱せられたことで異臭を放った……んだろう。なぜ火にかける前に気付かなかったのかが不思議だが、きっとルナには、誰にも気付かれずに料理を不味くする才能なんかがあるに違いない。

そして当然のごとく、鍋の中身は全て廃棄

『なによ〜、食べ物は腐りかけが美味しいのよ〜』とたわけた文句を言い出すルナだが、腐りかけとか言う前にきっぱり腐っている。つーか、こんな水、一体どこで汲んできたのかと聞くと、どこからだっけ? という素敵な答えが返ってきた。

ルナは、その調理方法のみならず、食材の調達方法も異次元めいているらしい。

いい加減くじけそうなライルだが、逃げちゃ駄目だと心の中で三回繰り返し、またもや始めからやり直す。

短気なルナがここまで続けていることは不思議だが、それだけ彼女なりに自分の料理を改善しようと考えているのだろう。ならば、自分が逃げるわけにはいかないと、ライルも決意している。

なんら進歩がないわけではない。先程から三歩進んで二歩下がる、みたいな感じで着実に前進はしているのだ。ルナも、理由なく料理を不味く仕立て上げているわけではない。ルナの料理が破壊神と変貌を遂げるにはそれなりの原因と言うものがある。

ならば、その原因を一つ一つ潰していけば、美味しいとは言わなくとも、食べられるものが出来上がるはずだ。

その証拠に、見よ、切断された野菜類を。すでに何回目になるのかわからないが、この野菜、なんとルナが切ったにも関わらず、口にしてもちゃんと野菜の味がするのだ。毒も付与されていない。これを進歩と言わず、なんと言おうか。

「……ライル。なんか私を馬鹿にしてない?」

「なに言ってるんだよ。純粋に感動しているんだ。ルナも、だいぶ腕を上げたもんだ」

「そこはかとなく引っかかるんだけど……まぁ、いいわ。またこいつを炒めればいいわけよね」

と、ルナは再度野菜を火にかける。

ライルはその一連の動作を観察して、問題はないようだと判断。それらを鍋にぶち込み、今度はライル自らが寮の井戸から汲んできた水で煮る。

火も変な色をしていないし、鍋にも異常はない。ルナが中をかき混ぜるために使用するお玉まで入念にチェックする執拗振り。これで問題が起きるはずもない。

沸騰した鍋の湯は、今度は異臭を放つことはなかった。

少しだけ湯を掬って口に運んでみる。無論、ルーを入れていない状態ではロクな味などしないが、それでもこれはただの野菜の煮汁だ。ルナが普段作るような、『えーと、汁?』みたいな液体と呼ぶのもおこがましい物体ではない。

「やった……! とうとうルナが“煮る”なんて高度な調理方法を成功させたよ! この奇跡を、僕は神々に感謝したい」

「あんた、いい加減うるさいわよ」

ルナがライルの頭をぺしっと引っ叩く。ぺしっ、と表現するにはいささか過激な攻撃で、ライルの頭は床に叩き付けられたりしたが、それでもライルの口から笑いがなくなることはない。有体に言うと、笑い過ぎな感すらあった。

もはや処置なし、とルナは不気味な笑い声を上げるライルを無視して鍋をかき混ぜるのを再開する。

そんな調子で、具がきちんと煮えた頃、ルナがカレールーの箱を手にする。

「ちょっと待ったぁ!」

それをライルが制止した。ルナの手からルーをやんわりと取り上げ、しげしげと観察。

「……なにしてんの?」

「しっ、ちょっと黙って!」

まるで時限爆弾を取り扱う爆発物処理班のような慎重な手つきで、ルーの箱をチェックする。今までのパターンからして、このルーを入れた途端、今はまともな鍋の中身が一気に変質するだろう。

きっと、これは一万個に一個しかない不良品かもしれない。ルナが料理に使う以上、そのくらいの偶然は覚悟しておくべきだ。

恐る恐るルーの中身を取り出し、少し舐めてみる。

……うん。カレーだ。

「はい、大丈夫だよ。まぁ、これ僕が買ってきたやつだし、考えてみればそこまで心配することもなかったか」

「なんかわかんないけど、ずいぶんと失礼な物言いみたいね」

「そんな、誤解だよ。あくまで、ルナの料理を指導する上で、必要な事をしたに過ぎない」

「いろいろひっかかるけど……」

ライルをしばくより、カレーを完成させることを優先することにしたルナはルーを投入する。それをお玉でかき混ぜてやると、途端に部屋にカレーのいい匂いが充満した。

「か、カレーだ。カレーの匂いだ」

「カレーを作ったんだから、当たり前じゃない。カレーを作ってシチューの匂いがしたら変でしょ」

呆れた表情を見せつつ、ルナは皿にカレーを盛る。

「じゃ、試食と行きましょうか」

「ああ、うん」

ライルはかなり安心して、スプーンを手に取った。

なにも、ライルを攻めることは出来ない。ここまで散々味見して、大丈夫だと確信した上での試食だ。まさか、これでうまくいっていないわけがないだろう……そう思い込んで、なんの疑いもなく口に運んでしまっても無理はない。

だが、ここで彼がもう少し用心深ければ、気付くことが出来たのも事実だ。

カレーの下に隠れたご飯(ローラント王国では、カレーには米を合わせる)が、変にドス黒い色をしている事を。

これこそ、ライルが追加の買い物に言っている間、ルナが気を利かせて炊いておいたご飯だった。

gm所亜jkkァ序pjzplまjごあpgjぁj!?」

もはや人間とは思えない叫び声を上げて、ライルは倒れ伏す。

意識を失う直前、ライルは思った。

(……まぁ、予想できたオチだけどね)

 

 

 

 

 

 

 

「……スター!? マスター!」

(……ん?)

暗闇の中、ライルは意識を取り戻した。妙に瞼が重く、いまだ視界は閉ざされたままだが、誰かが自分を呼んでいるようだ。

「ちょっと、マスター! どうしたのよ!」

誰だ……という疑問が上るが、すぐに回答は得られる。自分の事をマスターなどと呼ぶ人物は一人だけだ。

「シルフィ……?」

目を開けると、予想通りの人物が目の前にいた。

「そうよ。一体、どうしたのよ。精霊界から帰ってきたら、マスターは倒れているし、台所はむちゃくちゃだし……」

「いや、ちょっとルナの料理の先生をしてた」

「は、はぁ?」

ライルは、シルフィに事の経緯を話して聞かせる。話を聞くと、シルフィはあからさまに呆れたようにため息をつき、力なくうなだれる。

「あのねぇ。こうなるのは、十分予想できたことでしょ。なんでそう、自分から死にに行くようなことするかなぁ」

「いやだってさ。ルナ、けっこう気にしてたみたいだし」

「まぁ、どうせひどい目に合うのはマスターだからいいけどね。もう少し注意しなさい。食べる前に、金魚鉢の中に料理を入れてみるとか」

「それはそれで、金魚がミュータント化しそうで怖いなぁ……」

ライルの脳裏には、体長100メートルくらいになった巨大金魚(手足付き)がセントルイスの街を破壊しつくしているシーンが展開された。一人、また一人と、為す術もなく巨大金魚にやられていく中、四人の若者が立ち上がる。ルナの尻拭いをさせられるいつものメンバーだ。

「……それも嫌だなぁ」

「マスター、今なんか妙なこと考えなかった?」

ジト目のシルフィの視線から逃れるような顔を逸らし、ライルはそうそうと手を叩いた。

「そうだ。夕飯にしよう。ご飯炊きなおして、ルナの作ったカレー食べよう。カレーの方はまともだったから……」

「……もしかして、カレーって、あれ?」

シルフィがあえて目を逸らしていた物体に視線をやる。

それにつられて、台所の、鍋のあるところを見ると、

「ん゛なっ!?」

思わず叫んだ。

そこには鍋があった。ルナが、カレーを作っていた鍋だ。いつの間にかいなくなっているルナの書置きも一緒に置いてある。『なんか疲れたみたいだったから、私帰るね。残りのカレーは置いていくから、ありがたく味わうように』……ああ、いやいやそんなのはどうでもいい。

ルナの作ったカレー……だったはずのものは、なにやら紫やら赤やら青やら緑やら……とにかく、そんな原色バリバリの色に、次々と変わっていた。一秒ごとに違う色になるそのさまは綺麗と言うより、むしろ禍々しい印象を与える。

……なんで? どうして? まさか、もう腐ったとか? いや、あれは腐ったとか言うレベルじゃないか。

「ねぇ、マスター、これ、私の予想なんだけど」

「な、なんだ、い? シルフィ」

ショックで顔が引きつっているライルは、それでもなんとか理性を保ち、聞き返す。

「マスター、ルナの料理、途中で試食したりしたとか言ってたよね」

「うん。まぁ。でも、その時は普通の味だったんだ」

「……もしかして、それのせいで、ルナの料理に犯されて、幻覚見てた……とかない? だから、マスターには普通に見えた、とか。ど〜も、あのルナの料理を味見して、無事にいられるかどうか、私には疑問なんだけど」

「い、いや。まさか、そんな……」

ありえない、と言いたいのだが、目の前のカレーだと思っていたものを見ると、自信が薄れてくる。

今思い返してみると、一番初め、ルナが二回目に切った野菜を口に運んでから、夢見心地だったようなそうじゃなかったような……

「や、ヤバイ! なんか記憶が曖昧になってる!」

「……決定ね」

「ま、まさか! きっとルナは、料理がマシになってるんだ。きっとそうだ! あのカレーは、きっと腐っただけだ! 変な腐り方だけど!」

「まぁ、腐っただけにしろ、あんな珍妙な腐り方をする時点で、ルナの料理は一向に改善していないのは、自明の理じゃない?」

「う……」

ライルは泣いた。あの時、ルナの調理した食材(料理ではない)を口にした時、無事に生き残れた感動は幻想だったのかと。僕の感動を返せ、とか男泣きに泣いた。

まぁ、そんなくだらない話。

 

 

余談だが、後日、念のためとルナに作らせてみた料理は、例によって例のごとくだった。

 

 

さらに余談。ルナの料理を食べて入院したと言う友人たちは、一ヶ月ほどで学校に復帰した。ただ、事件前後の記憶はなくなってしまっているらしい。それと、なんか身長が伸びてるとか。巨人になったりしねぇだろうなぁ、とライルが心配したのも、余談である。

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