「……わかった、わかったから、そろそろ行こうか?」
なにやら世界の真理を語りそうな勢いのベルをライルは必死で止めた。
「そうですか? これから起源魂(オリジン)の説明から、その原理、生命の誕生のメカニズム。さらにはそれを応用した技術の説明に移るところでしたが」
「ああ、いや。すでに半分も理解できていないから。それはまた次の機会に……」
「なるほど……。ちなみにそれは、もう一度説明してくれということですか? それならば、最初から今度は懇切丁寧に説明して差し上げますが」
「ちなみに、はもういいからっ!」
何度も何度も何度も何度も、この調子で元の説明に戻ってしまうパターンにもいい加減飽き飽きしてきているライルは、慌てて止めた。
「……わかりました」
なにやら不満げなベルを、黙殺する。
ちょっとでも気遣わしげな様子を見せたら、そこでまた説明が再開してしまうだろう。
二千年分の鬱憤というのは並大抵ではないことをライルはこの短時間で、身に染みてよーく理解していた。
「ところで、聞きたいんだけど」
「はい。なんでしょう? もしや、先ほどの説明の続きですか? ちなみに、起源魂(オリジン)とはすべての生命の源となっている……」
「そうじゃなくて。今、僕の仲間が、例の……無限迷路だっけ? の中にいるんだけど」
「……そうですか」
説明を途中で寸断されて、少々不満げなベル。
ライルも、ようやくこの少女の扱いを悟ってきた。要するに、相手のペースにさせなければ良い話である。
「ですが、それで私にどうしろと?」
「いや、だからさ。無限迷路とやらから出して欲しいんだよ。君、ここの構造はよく知ってるんでしょ?」
「無理です」
「そう、無理……って、ええ?」
思わず頷いてしまってから、ライルは声を上げた。
「私に、バベルのトラップの解除権限は与えられていません。そも、内部に人がいる状態で不用意に解除しては、中の人間はどこぞとも知れぬ異空間に飛ばされる可能性が80%以上」
「ちょ、ちょ、ちょ、待った! そうすると、ルナたちはもう出れないってわけ!?」
「そんなことはありません。普通に出入り口から出れば良い話です。まあ、先に進む限り、永遠に出られないというのは確かですが」
「うわぁい」
あのルナが、後ろに進むなどということをするはずがない。いやはや。
「一瞬、逆にルナから逃れるチャンスかも、とか思ったのはマスターだけの秘密なのでした」
「そうそう。……って、ちょ、おいっ!?」
んなわけあるかぁっ! と、虚空に突っ込みを入れる。
「?」
「……シルフィ」
「やほう。マスター」
「お前、なんでここに?」
いつの間にか現れたシルフィに、ライルが疑問の声を飛ばす。
「や〜、ははは。あのまんまルナたちについてやっても良かったんだけど、マスターがどうしてるのかも気になったからね。やっと位置の逆算が出来たから飛んできた」
「……精霊? それも、相当の高位……」
突然現れたシルフィに対して、ベルの方は値踏みするように見ている。
というか、今のシルフィは姿を消しているのだが、普通に見えているらしい。
「……で、心配してみりゃ案の定だわ。誰? あなた。私見えるなんて、普通の人間じゃないわね」
本来、人間の前に姿を現すのを嫌うシルフィだが、今は疑問の解決を優先したらしい。
「………………」
ベルは何も喋らない。
「? ど、どうしたの、ベル」
「私は、権限の無い者の問いに答えることは許されていません」
「そ、そうなんだ」
徹底しているというかなんというか。
仕方なく、ライルは自分で説明した。
「彼女はベル。えーと、ホムンクルス、らしい。えーと、人格型……データベース? だったよね」
「はい」
ライルの問いには素直に答える。
「……人格型? そんなもん作ってたんだ」
ライルはそれだけの説明では理解できなかったのだが、シルフィはそれだけでベルの正体を悟ったらしい。ここら辺が、ライルとの年季の違いだろうか。
「自分で、データを守るため、とか言ってたけど」
「なるほどねー。で、マスターがその剣持ってるから、話ができたと……って。もしかして、聞いちゃった?」
ふと思い当たって、シルフィが聞いた。
「聞いたって、なにを」
「ヤバそうなこと」
ヤバそうなことと言えば、ベルの言ったことはすべてヤバい。
どれもこれも、現代の技術では再現できそうにない技術のオンパレード。しかして、シルフィが心配するような、神様に嫌われるようなことと言えば、
「なんか、昔、この都市が神様とドンパチやらかしてた、ってことは聞いちゃった」
「原因も?」
こくり、とライルが頷くと、シルフィはあちゃー、と頭を抱えた。
「ちょっと。あんたそんな安易に話さないでよ」
「………………」
「む、ムカつくわね」
完全に無視するベルにシルフィは顔を引き攣らせた。
「あ、あのベル? ちゃんと、シルフィとも話して欲しいんだけど」
「了解しました。精霊。私は私の役割を果たしただけ。文句を言うのは筋違いです」
「そ、そんなことを話して欲しいんじゃないからっ!」
シルフィが笑顔だ。なのに、なぜか背後に炎なんぞを背負っていますよ。
「ま、まあいいわ」
怒りをこらえつつ、シルフィはライルに向き直る。
「それ、知っちゃったってこと、絶対内緒ね。『神への転生の法』なんてものの存在、連中は絶対に許さないから」
「で、でも、なんでだよ」
「人が人の領分を越える事を極端に嫌う奴らだからね。そんなものが存在していることを知られるだけでも、自分達の権威が落ちると思ってんのよ」
下らないわね、と笑い飛ばすシルフィ。
「そうですね。当時、起源魂(オリジン)の研究をしているだけでも、神族からの横槍はひどかったですから」
「……つーか、あんた達も、わかってたんならやめときゃよかったのに。お陰で滅ぼされちゃったのよ」
「私に言っても詮無いことです。私は所詮、知識を詰め込まれただけの存在ですから」
あっそ、とシルフィは興味なさげに流す。
しかし、ライルとしては色々と複雑な思いだった。
仮にも神様が、人間の文明を滅ぼす。なんだかんだで、ライルは一般の人間と同様、神様は自分達の味方と思っていたクチだ。そんな話を聞かされて、ああそうかと頷くことなどできない。
それを悟ったのか、シルフィがフォローを入れた。
「マスター? 言っとくけど、神族は基本的には人の味方であることは本当よ? ただ、自分達の思い通りにならなかったら容赦なく滅ぼすってだけで」
「……それは味方って言うのか?」
「さあ? 所詮違う種族だしね。今は人間界に対しては基本的に不干渉だから、無視してもいいと思うけど」
とは言っても、今は無視できる状況ではない。
「さ、とっとと逃げましょ。この建物に入った時点で、レギンレイヴの奴には敵視されてること間違いなしだから。コイツに会ったことは徹底的にトボけること。後は私が鍛えに鍛えぬいた高度な政治的交渉力で……」
そんなもんがシルフィにあるとは到底思えなかったが、ここは信じるほか無いだろう。
「あ、でも、彼女連れて行く約束したんだけど……」
「はあ? マスター。そんな適当な約束しちゃったの? 無茶だと思うけど」
ねぇ、とシルフィがベルに尋ねると、ベルの方は聞こえていないかのようにふるふると震えていた。
「どったの?」
「今、レギンレイヴと言いましたか」
「言ったけど?」
沈黙。
そのベルの様子にただならぬものを感じたライルは慌ててフォローを入れた。
「だ、大丈夫。なんとかあの神族の目は誤魔化して逃げるからさ。約束は守る……」
そう言うがベルの次の言葉はまったく予想外のものであった。
「……私の、父です」
『は?』
「シルフィの奴、一人でどっか行ったわね」
「シルフィはライルと契約してるしね。うまく飛べたんじゃない?」
よくわからん、とアレンは一人ごちた。
そも、自分は剣を振るしか能の無い男である。こんな状況で役に立てるはずも無い、と肩をすくめる。
「まあ、いいわ。丁度、私たちもここから出る頃合だしね」
「あ? もう端なんだ」
「ええ。ここからなら、多少無理矢理でも、この空間から抜けることが出来るはずよ」
自信満々にルナが告げる。
そう言われても、アレンはもとよりクリスでさえ、『ここ』が『そう』なのだとはわからない。
「いくわよ……」
ブツブツ、とルナが集中して、呪文を唱え始める。
それは、魔力自体はリーザより弱い。ただし、彼女が完全に力技で抜いたのに比べ、術式の『隙間』に魔力を流し込むことで空間を破るという、技術的にははるかに高度な技であった。
「う〜〜〜、りゃっ!」
瞬間、風景が歪んだ。
うまくいった、とルナが確信する。
徐々に崩れていく空間。今、この周囲のみ、亜空間は崩壊し、ルナたちは通常空間に放り出され、
「うひゃあっ!?」
なにやら、第三者の声がした。
「……あれ?」
パチクリ、と二人は目を合わせる。
すぐ傍に落ちたアレンとクリスも、別の人物と目を合わせて硬直していた。
「……リーザ?」
「るるるる、ルナ!? なんでここにっ!?」
「なんでって、あんた達を追っかけてきたんでしょうが」
やれやれ、とガーランドはため息をついている。
「追いつかれちまった、か」
肩をすくめて、ガーランド。この状況では、到底逃げられない。あまり彼らを面倒ごとに関わらせたくは無かったのだが、仕方がなかった。
「はい、捕まえました」
いち早く立ち直ったクリスが、笑ってそう言う。
「……で、結局あの亜空間からは抜けたのか?」
頭をぽりぽりしながらアレンが尋ねた。
「そのはずよ。これで、ライルに追いつける……」
「あ、ルナ。ここ、まだ亜空間。どうも、一つ抜けても、まだ抜けられないみたい」
なぬ、とルナが驚愕する。
「……ちっ、そういうこと」
「うん。どうも、いくつ抜けてもきりがなさそうだね」
「しくったわね。こんな高度な罠仕掛ける奴が、そのくらい考えてないわけなかったか」
しかし、その驚愕も一瞬。なかなか歯ごたえがありそうだ、と対抗心をメラメラ燃やし始めた。
「そうだね。ちょっとわたしも甘かったかな」
「まあ、いいわ。こうやって、うまいことアンタと合流できたんだから。悔しいけど、アンタの馬鹿魔力があれば、どうとでもなるわね」
「うん。ルナこそ。わたし、術式読むのとか苦手なんだから、よろしくね」
フフフ、と魔法使い二人組みが笑い始める。
それを見た男衆はなんとなく不幸な未来を悟った。
「なんだ。なんか嫌な予感がするのは俺だけか?」
「安心して、アレン。僕だって、震えが止まらない」
「……あの二人が組むのか。仲が良くなるのは大歓迎なんだが……生きて帰れるんだろうな?」
三者三様の声。
不気味に笑うルナとリーザの声が、やけに大きく聞こえた。