戦いは拮抗していた。

真希の相手、吸血鬼ジークはミドルレンジの戦闘を得意としているらしい。対して、真希の間合い得物が刀ということもあって短い。放出系の技は『溜め』が長いので、こういった場合の高速戦闘には向かない。さっき放った符はあっさり無効化された。目くらまし程度にしか使えない。

(高かったのに)

今度、あの符を売りつけてくれた神社に文句を言う事を心に誓いつつ、ジークが放ってきた火球を横に飛んでやり過ごす。

同時に、床を強く蹴って接近。教室にあった椅子やら机やらはすでに粉々に吹き飛んで隅の方でガラクタと化している。こっちとしては好都合だ。

ジークを袈裟懸けに斬りつける。確かに命中したのだが、手ごたえがない。二撃目を花等としたら、ジークの体はうっすら透けていき、細かい粒子となって空気中に散乱して行った。

「っ! そうか。吸血鬼は霧に変化できるんだっけ」

舌打ちする。これでは物理的な攻撃など意味がない。……このでたらめな能力。吸血鬼が妖魔の最高峰の一つと言われるのもわかる。今は不戦協定を結んでいるとは言え、中世ヨーロッパでは間違いなく最大の脅威だったのだ。しかも、五百年生きていると言う最高クラスの真祖。その力、正直規格外と言ってもいい。

もやのようになった吸血鬼が教室の一箇所で集まり、人型を形成する。

Feu Fil

実体化すると同時に、術を放ってくる。炎の線。これは『炎刃』……に似た効果の西洋の魔術だろう。

射線から体をずらし、それを躱した真希を嘲笑うかのように、二つ、三つと炎の刃が襲い掛かってくる。出来るだけ少ない動きで躱し、いくつかは刀で弾いた。

後ろで連続して起こる破壊音。だが、数十の炎刃もどきを放ち続けてなお、彼の霊力には余裕があるらしい。

このままではジリ貧。

炎の乱舞に押され、前に進むこともままならない。

なんて霊力量。真希のそれをプールだとするならば、ジークのものはダム。そのくらいの開きがある。

……だが、それはわかっていたことだ。

真希の使い魔に身をやつしているクリフでさえ、その霊力は真希の遠く及ぶところではない。人間と人間外では生まれついてのポテンシャルがまるで違う。

素で戦っては、魔の者には人間は敵わない。

……なればこそ太古の昔から、人間はその技術を磨いてきた。修行という、生まれ持った力を持つ妖魔たちには必要のないものを愚直に繰り返すことで、魔の者と拮抗してきた。そして、その経験・技術を子孫に伝えていく。そんな先人たちの偉業があればこそ、現在の人間は妖魔を闇に押しやることができるのだ。

向かいの校舎で、術の準備をしている葵が学んだ神薙の血筋も、そんな古くから業を研磨してきた一族だ。

人間という種族の霊力の量は、どう頑張っても一定の基準を超える事は出来ない。しかし、一度に放出できる量やその圧力となれば、修行次第でいくらでも伸ばすことができる。

それを極めたのが、神薙家に伝わる独自の術の数々。熟練した術師でも、二、三発で霊力が空になってしまうという、まさに切り札。

ジークは今、自分の相手に集中している。葵の張った隠行結界。そしてジーク自身の放つ霊力。それらが合わさって、後ろの葵が自分を射抜かんとしていることに気がついていない。

葵とはあんな大雑把な打ち合わせだったが、うまくやってくれると確信している。短い期間だったが、彼女の師匠をしていてわかった。彼女の術センスは並じゃない。

ならば、自分のするべき事は、時間稼ぎとジークに決定的な隙を作ることだ。

すでにジークの立ち位置は窓を背にするものになっている。あとは、この炎の群れをなんとかして……

「ふむ……そろそろ飽きた、な」

ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。

ジークの右手が上に向けられる。掌に、ぽつんと小さな黒い点。

「そら」

それをこちらに放ってくる。

次の瞬間、それは膨張し、

「ぐっ」

真希の背丈をはるかに越えるほどの大きさの黒色の球体となる。

瞬時に真希にはわかった。あれは“ただの”力の塊だ。技術も何もない、ただ、自分の力を出せるだけ出して敵に叩きつけるだけ。単純な威力なら、この教室を跡形もなく吹き飛ばすほどもある。おそらくはジークの最大威力の攻撃だろう。やつの本来の目的は生け捕りのはず。ならば、自分なら、この程度の攻撃ではダメージを負いこそすれ死にはしない、とでも思っているのだろうか。

……だが、それが間違いだ。

この攻撃、ただ単に大きいだけだ。密度が薄い。速度が遅い。これならば、先ほどの炎刃のようなもののほうが、真希にとってはよほど厄介である。このようなもので、自分を止められると思っているのか。

これならば、我が身が貫けないはずがない。

「美月流」

桜月を引き絞るようにして構える。真希の体は例えるならば槍。剣先一点に集中した蒼色の霊力は、槍の穂先となって目の前の敵を穿つ。

「月神衝」

 

 

 

時間は少し遡る。

真希の様子をじっと見ていた葵は、ジークが炎を放ち始めたあたりで、頃合やよし、と術の準備を始めた。

ざっと見た様子、真希はただいま大ピンチだ。いくら彼が卓越した退魔士と言っても、あれだけの化け物の相手は荷が重い。

ちらり、と助け出してきた綾音の方を見る。

視線はどこを向いているのかわからない。力なくへたり込んでいて、自分から動く気力はないようだ。自分の意思というものが欠けている。

一晩もすれば直るだろう、というのは今は蝙蝠となって足手まといになっているクリフの言ったことだ。それほど、深い支配はする必要がない、とのことだが……

(あったまきた)

葵は綾音のことがそれなりに好きだった。

謂れのない嫉妬を受けるのは、まあそれなりに気苦労もしたのだが、本当に真希が好きなのだなと微笑ましかったのだ。……まあ、その真希からすれば、そんな呑気な状況じゃなかっただろうが。

とにかく、だ。

その綾音をこんな風にしたあいつは許せない。

完膚なきまでに叩きのめしてごめんなさいと謝らせてやる。

今や、気力はみなぎった。迸る霊力は隠行結界の外に漏れているほど。真希がジークの気をそらしていなければ、間違いなく気付かれている。

心の中で、まだ短い間の師匠に感謝を述べ、左手を前に突き出す。

「弓よ」

なにかを握りこむような動作。

葵の金色の霊力が、弓状となって左手に出現した。

「金剛矢」

今度は右手。

葵の身の丈ほどもある矢がその姿を現す。

左手に現れた弓に、金剛矢をつがえ、狙いを引き絞る。

神薙流霊術『神薙ぎの金剛聖弓』

彼女の師匠、神薙椿から教えられた“とっておき”。現在の葵のほぼすべての霊力を込めた矢は、確実にジークを倒すだろう。……いや倒してみせる。

師匠は椿だが、先生は真希だ。学校の教師の期待は裏切ってばかりの葵だったが、今回ばかりは彼の期待を裏切るわけにはいかない。

……戦場の様子が変わった。

あの吸血鬼が、とてつもない量の霊力をひねり出す。

術師である葵には、それがどれほど非常識な霊力なのかわかってしまう。あれをまともに喰らったら、人間は耐えられない。

弓を持つ手が震える。

今すぐ放ってしまいたい衝動に駆られる。

真希は先生であると同時に、大切なクラスメイトでもあるのだ。そんな真希が死にそうな状況にあって冷静でいられるほど、葵はこの業界にすれていない。

だが、ダメだ。合図があるまで待つのだ。

退魔士・美月真希はあの程度では負けない。修行中、さんざん思い知らされて来たのだ。学生としての彼は凡庸かつ温厚な人柄だが、退魔士としての彼は駆け出しの葵など及びもつかない一流だ。その彼が合図を待て、と言ったから待つのだ。当然のことだ。

漆黒の球体を突き抜けて、真希の身体が吸血鬼を貫いた。

 

 

 

ジークが目を剥く。

自身が放った必殺の一撃を、あろう事か突き破って人間が突進してきた。

なるほど、本命のクリフを殺してしまわないようにとあの人間が耐えられる程度に力は抑えた。だが、少なくとも破られるはずもない一撃だったはずだ。

生まれたときから使える、最大威力の、技ともいえない攻撃。

なれば、長い間磨き続けた技の前には敗れるしかないと言うことを、彼はわかっていなかった。事実、それほどまでの使い手とやりあった記憶は彼の長い人生においてもない。そして、これが破られたことも。

茫然自失のジークの肩に、身体ごと突進してきた真希の桜月が突き刺さり、

「う……らぁ!」

真希は柄頭に掌底を打ち込み、

「ぐおぁ」

そのまま貫通して壁に縫い付けた。その壁は、窓のすぐ横。

ジークの体は半分ほど窓に露出している……!

「今だ!」

桜月を手放し全力で後ろに跳びながら、あらん限りの声で叫ぶ。

びりびりと校舎が震えるほどの声量。

それに遅れることコンマ数秒。

光の一閃が、吸血鬼を貫いた。